No. 1118 日本が守るべき占領の遺産

70年前、日本は中国、ソ連、米国を相手に戦争をし、米国に核兵器を投下され、8月15日、天皇により戦争の終結が国民に伝えられた。

その後70年間続いた日本の平和を政府は今、「安全保障関連法案」(安保法案)という法案で再び戦争のできる国にしようとしている。自民、公明の両党は7月15日、多くの国民が反対し、また憲法学者の多くが違憲だと指摘するにもかかわらず、安保法案の採決を強行したのだ。

米国政府は、日本に核兵器を使用したのは戦争を早期終結するためで、それにより日本が降伏して米兵も日本人も救われたと原爆を正当な攻撃だったとしている。しかし戦後さまざまな研究者によって、原爆が投下されなくても日本は確実に降伏していただろうという結論が示されている。

1941年から、米国は中国を侵攻する日本に経済制裁を行い、輸出品に高い関税をかけて経済を締め付け、石油など天然資源の対日輸出を禁じた。そのような状態で戦闘維持能力が続くはずはなかったし、1945年2月のヤルタ会談では、スターリンがドイツ敗戦から3カ月後に日本へ宣戦布告することを約束していた。従って5月にドイツが降伏しソ連が日本に攻め入れば、いずれにしても戦争は終結していたはずだった。

そのような状況を知りつつ、米国は8月6日、広島に原爆を投下した。同8日にソ連が日本に宣戦布告すると、翌9日に再び長崎に原爆を投下したのである。米国が日本に核兵器を使ったのは、戦争を終結させる軍事行動というより、戦後のソ連との力の均衡、つまり外交上の冷戦における最初の主要な作戦だったとも言われている。ソ連が日本を攻撃する前に米国が戦争を終わらせた形にして米国が優位に立つという作戦だ。

戦後、原爆は非戦闘員への攻撃を禁じる国際法に違反するという議論がなされても戦勝国の米国は裁かれることもなく、その結果、ソ連や中国などでも核武装が進んだ。1968年、核兵器の不拡散に関する条約(NPT)が誕生し、それは核兵器の廃絶を目指し、持たない国も核兵器開発の能力を身につけないということを合意した画期的なものだったが、今も世界には米国を含む9つの核保有国がある。

GHQの占領統治は1952年に終わったが、実質的に米国の属国として日本は経済発展を遂げた。しかし「武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という憲法第9条のおかげで、世界各地で戦闘を続ける米軍と共に自衛隊が戦うことはなかった。安保法案が成立すれば自衛隊が米国の戦争に借り出され、日本の国土が米国の戦争の戦場となる可能性もある。

戦争をしない憲法を持つ日本は、70年間どこからも攻撃されることはなかった。70年前に米国が日本に原爆を落としたのは、日本が戦争をしていたからである。日本の平和憲法はGHQの押し付けだという論客がいるが、もしそうであれば守るべき占領の遺産であると思う。