今週は、米国政府が日本の自動車メーカーに対して貿易制裁を行なうと発表したことに関する2つの見解をご紹介します。最初はカリフォルニア州立大学サンフランシスコ校で自動車問題について修士論文を書いた根井和美によるもので、2つ目は米国で最も著名な保守派の記者George Willがジャパンタイムズに書いた記事です。
5月16日、カンター米通商代表は日米新経済協議の自動車・自動車部品交渉の決裂の後、米通商法301条(不公正な貿易慣行への報復)に基づく制裁候補のリストを発表した。日本製の高級車13車種を対象に、関税を現行の2.5%から100%に引き上げるというもので、制裁総額は過去最高の59億ドルとなる。これによって日本からの輸入高級車は米国市場から事実上締め出されることになるであろう。今回の交渉が物別れに終わった原因は、米国が日本メーカーに対して米国製部品の購入自主計画の上積みを要求したためで、6月28日までに日本からの譲歩がなければこの制裁を発動し、しかも5月20日まで遡って適用するとしている。
カンター代表はこの決定の発表に際し、「日本製品に対して米国市場を開放しているのだから、日本市場も米国製品に対して開放するべきである。これは公平性の問題だ」と述べた。彼の発言は、米国は日本製自動車に市場を開放しているのに、日本市場は米国製自動車や部品に対して閉鎖的であるという確信に基づく。カンター代表はこれを裏付けるために、記者会見の席上いくつかの統計を引用した。米国では外国製自動車のマーケット・シェアは34%であるのに対し、日本では4.6%に過ぎず、そのうち米国製はわずか1.5%に止まっている。同様に、自動車部品についても、米国では外国製部品が32.5%も市場に参入しているのに対し、日本では2.6%に過ぎない。
カンター代表による日本への制裁措置発表の直後、米国ではテレビから新聞に至るあらゆるメディアがこのニュースを大きく取り上げた。その中には必ずと言っていいほどこのカンター代表の統計が盛り込まれ、米国の一般市民に米国の自動車と自動車部品が日本市場から締め出されているという印象を強く植え付けた。ビジネスウィーク誌5月22日号の記事は、クリントン政権の制裁関税を支持する論調で「市場を開放しない国には米国他、どの国にも容易な市場アクセスを与えるべきではない」と締めくくっていた。米国ではこの統計を使ったカンター代表の日本市場の閉鎖性の論拠を誰もが疑わず、それに対する反論もほとんど聞かれなかった。
米国市場は本当にオープンか
米国と言えば自由貿易主義の信奉者であると誰もが考えがちだが、もはや米国の自由貿易主義の追求は自国の保護貿易政策のカムフラージュでしかない。カンター代表の発言に対しても、米国が12年もの間日本の自動車メーカーに輸出自主規制を課してきたことを指摘する者は一人もいない。この輸出自主規制が解かれたのはつい2年前のことであり、自動車、鉄鋼、部品、タイヤなど、日本の自動車関連産業が現地生産向けに米国に対し総額266億ドルの投資を行い、11万人の雇用を創出した後である。また、米国が乗用車に対して2.5%、トラックに関して25%の輸入関税を課しているの対し、日本の関税率はゼロであるという事実もまた指摘されてはいない。
さらに重要なことに、カンター代表は輸入車のマーケット・シェアが米国では34%であると自慢するが、その34%の輸入車の製造元をなぜ誰も追求しようとしないのか。日本自動車工業会ワシントン駐在の青木康夫氏によれば、34%のうち12%が日本からの輸入であり、4%がヨーロッパ、16%がNAFTAで、ビッグスリーの工場が溢れるメキシコとカナダからのものだと言う。従って、輸入車といっても半分弱は自国メーカーの海外工場からの輸入なのである。カンター代表やクリントン大統領が自動車貿易が米国民の雇用に与える影響を本当に心配するのであれば、日本からの輸入よりも、ビッグスリーの低賃金国における海外生産の方を問題視すべきではなかろうか。
日本市場は閉鎖的か
もうひとつのカンター代表の主張である日本市場の閉鎖性についても、カンター代表の統計を鵜呑みにしてか、反論がまったく聞かれない。米国では日本市場が米国自動車を輸入規制していると誰もが信じているようである。日本の自動車市場は本当に閉鎖的なのであろうか。輸入車のマーケット・シェアが低いからと言って、それが日本市場の閉鎖性によるものと決めつけることができるのだろうか。
カンター代表の主張は、自由市場でさえあれば、米国製の自動車及び部品には競争力があるはずだという前提に基づいている。だからこそ彼には、マーケット・シェアが低い理由が日本の貿易規制以外に思いあたらないのである。しかし、米国車に競争力があるとすれば、なぜ12年もの間日本に輸出自主規制を求めたのであろうか。また、米国車に競争力があり、日本が輸入車を規制していることが事実であるとすれば、日本市場におけるベンツやBMW、フォルクスワーゲンなど、ドイツメーカーの成功はどう説明をつけるのか。日本が米国車だけを目の敵にしているとでもいうのか。日本への乗用車の輸出台数を見ると、毎年ドイツ勢はそれぞれビッグスリーの倍以上の台数を輸出している。それだけでなく、ヨーロッパの自動車メーカーがビッグスリーのように、日本市場の閉鎖性について不満をもらしたことがあるだろうか。政府に泣きついて、日本に対して制裁措置を取ったことがあっただろうか。
<乗用車の日本における販売台数> 社名 - 1992 – - 1993 – -1994- ——- ———————————- GM 9,089 8,525 8,896 フォード 3,402 5,111 11,953 クライスラー 1,602 5,699 13,801 メルセデスベンツ 9,605 27,913 33,622 BMW 28,532 25,809 28,926 アウディ 42,083 24,878 34,621 ボルボ 8,628 11,905 15,404
(日本自動車輸入組合調査)
なぜ米国車は売れないのか
なぜヨーロッパのメーカーは成功しているのだろうか。答えは簡単である。米国のメーカーよりも優れた車を、よりうまく販売しているからに他ならない。
ヨーロッパのメーカーが成功した理由のひとつは、日本に多額の投資をして独自のディーラー網やサービス体制を構築したからである。ではビッグスリーはディーラー網に投資したのだろうか。フォード以外は独自の流通チャネルを敷いていない。それどころか、ビッグスリー揃って政府の助けを求めた結果、米国政府が自由貿易のための市場開放という大義名分のもとに、日本政府に流通手段をただで用意するよう圧力をかけている。5月18日付けのNYタイムズの社説によれば、日本政府は米国車を扱うディーラーを増やしたり、輸入部品の検査を軽減することで、すでに譲歩を見せていると言う。さらに5月8日付けのファイナンシャルタイムズでは、橋本通産相が自動車・自動車部品協議で示した日本側からの提案の中には、日本市場向け車種の開発支援のための日本輸出入銀行からの融資や、輸入車の展示や販売用のショールームの設置、認定の修理工場に限定される修理用部品の削減なども含まれていたとある。
ドイツ・メーカーが自力で日本市場に食い込んできたのに対し、米国はいつも政府に泣きつくだけで独自の販売努力は怠ってきた。それなのにマーケット・シェアが低いから日本市場が閉鎖的だと言われたのではたまらない。
米国車が売れないもうひとつの理由として、日本の消費者が望む車を提供していないことが上げられる。日本では車は左側通行なのだから、その市場に大量に車を売ろうとすれば日本メーカーと同様に右ハンドル車を提供するのが当たり前ではないだろうか。しかし、ビッグスリーが右ハンドル車を提供し始めたのは、つい最近になってからである。クライスラーは1993年1月に右ハンドルのチェロキーを初めて発売し、同様にフォードは昨年6月から右ハンドル車の米国製プローブとヨーロッパ製モンデオの販売を開始した。フォードもクライスラーも、右ハンドル車の導入と共に、1993年、1994年と輸入台数が前年に比べて倍増したのもただの偶然とは思えない。
さらに、ビッグスリーが最初日本に提供していた車の大きさや値段も的外れであった。日本の車市場では価格から言えば300万ドル以下、大きさから言えば2,000cc以下の中型車が80%を占めている。ビッグスリーはその市場構造をまったく無視し、大きさも値段も的外れなものを提供していた。クライスラーは1993年12月になって初めて2,998,000円のチェロキーを導入し、フォードは1994年1月に同じ値段でトーラスを市場に送り込んだ。日本自動車協会の青木氏もこの点を指摘し、ビッグスリーは日本市場の2割を対象に車を提供し、それで市場全体に対するマーケット・シェアが低いと日本を批判していると述べている。米国は日本をアンフェアだと言うが、一体どちらがアンフェアだと言うのだ。カンター代表の主張が正しく、米国自動車の競争力が高いとしても、日本の消費者が買いたいような車を提供していないのだから仕方がない。リンゴを欲しがっているお客が自分が売りたいみかんを買わないからと言って、そのお客を卑怯者呼ばわりするだろうか。
日本メーカーはなぜ外国製部品の購入計画を上乗せできないのか
自動車部品についても、カンター代表は日本市場における外国製部品のシェアが低い点ばかりを指摘するが、実際には日本メーカーの米国製部品の購入額は急激に増加している。日本の米国製部品の輸入額は1986年の4億ドルから1994年の30億ドルに、米国での現地生産に使われる米国部品の購入額も含めれば、1986年の25億ドルから1993年(1994年のデータはまだ発表されていない)には155億ドルに増加している。ちなみにカンター代表が発表した日本のマーケット・シェアの統計には前者の輸入額だけで、現地生産分は含まれていない。
今回の交渉が決裂したのは、1992年にブッシュ前政権が日本から引き出した外国製部品の輸入目標の上乗せを米国が迫り、それを日本が受け入れなかったからである。日本が購入自主計画(ボランタリープラン)をなぜ受け入れなかったか。それは半導体の例からも明らかなように、いくらボランタリー(自主的な目標)であって、約束ではないということが協定に明記されていても、米国側はあくまでもそれを約束であったと吹聴し、その達成を迫ってくることが目に見えているからである。そしてその目標達成には米国メーカーではなく、日本側が必死に努力させられることになるのである。
実際、日本の自動車メーカーが米国の部品メーカーの部品の使用量を増やすのは容易なことではない。両国の部品サプライヤーの発達の歴史が異なるからである。日本では自動車部品の供給は昔から外注を使い、製品開発の初期段階から部品サプライヤーも加わり、メーカーとサプライヤーが一緒に開発を進めるやり方が取られてきた。その結果自動車メーカーが社内で賄う部品は全体の3割で、残りの7割は細かい製品仕様の開発まで含めて部品業者任せになっている。一方の米国では、付加価値の高い重要な部品を含めて、全体の7割が自社内の部品部門で開発・製造され、残りの3割だけに外注が使われてきた。その結果、米国の独立系部品メーカーは標準部品の納入業者でしかなく、日本のメーカーが要求するような製品開発や仕様の提供までできるような能力が育っていない。にもかかわらず米国は、日本の自動車メーカーに数値目標を定めて、それを達成すべく米国の部品メーカーから部品を購入するようにと迫っているのである。
ニューヨーク私立大学教授の霍見芳浩氏もこの点を指摘している。「自動車部品はもはや価格や品質だけが勝負なのではない。ビッグスリーも今や日本方式を取り入れているように、日本の自動車メーカーとサプライヤーの関係は、メーカーの製品仕様、ジャスト・イン・タイムの納入要求に合わせて、部品をカスタムメイドする方式が前提となっている。残念なことに、米国の部品サプライヤーの中には日本の自動車メーカーとの関係にそこまでコミットしようとするサプライヤーはない」
それでも日本のメーカーは前回の部品購入目標の達成に躍起になって、米国の部品メーカーから部品を調達しようとした。1994年8月1日のUPI通信によれば、トヨタが11%出資する日野自動車工業は、米国の部品メーカーJohnsonIndustries社からエアブレーキの部品を調達しようと1年間にわたって輸入交渉を続けたが、1994年5月になって、国内需要を賄うために日野自動車の注文は賄えないと言われたという。また、ボストン・コンサルティング・グループの調査では、米国で10位以内に入る大手部品メーカーと契約した現地生産の日本メーカーが、米国部品メーカーの納期が2年も遅れたため、日本から部品を取り寄せなければならなかったという例も報告されている。
このような例があるにもかかわらず、米国政府は100%関税という制裁措置を掲げて、日本政府が民間企業に部品購入目標の上乗せを約束させるように脅しをかけている。このような両国の関係を見ていると、日本が事実上、米国の植民地であると思わずにはいられない。統治国の政府が植民地の管理者に統治国の民間企業の売上を保証させるというような卑劣なやり方も、日本を米国の植民地と考えればすべて納得がいく。貿易赤字やマーケット・シェアなどの統計を使って日本を閉鎖的だと決めつけるやり方は、自国企業の利益追求の片棒をかついで、数値目標を受け入れさせるためのごまかしでしかない。このように言うとあまりにもばかげて聞こえるかもしれない。だが、米国の日本への対応を見ると、それは植民地支配にほかならないのである。
[根井和美]