大企業と政治家、そしてマスコミは、企業の博打のつけを国民に払わせるための一大キャンペーンを開始した。今これをやめさせなければ、バブル時に株や不動産の博打で発生した40兆円の不良債権の補填に国民の税金が使われてしまう。今なら我々の力でこれを阻止することができる。7月23日の参議院選挙が、この政府挙げての略奪行為を阻止するチャンスなのだ。民主主義が日本で十分に機能していることを、また、勤勉な日本国民は寄生虫の博打の借金など絶対に肩代りしないことを、寡頭政治を行っている裕福な権力者達に見せつけようではないか。納税者に博打の負債を払わせようというキャンペーンは、大蔵省が先月、不良債権が推定総額40兆円に上ると発表したことに端を発する。この数字は同省の前回の推定を大きく上回っており、さらに民間アナリストの試算によれば、この40兆円もかなり控えめな数字で、総額は100兆円に近いとも言われている。
■経団連の提言と政治家の公約
参議院選挙公示日の3日前の7月3日に、経団連が40兆円に上る不良債権の処理に公的資金の投入を求める提言を発表した。税金の導入まで要望したこの提案は、経団連発足以来最も急進的な提言と受け取られている。
それを受けて、選挙資金を財界に依存する政治家達は即座に景気回復策を公約に盛り込み始めた。あるアナリストは、「長引く経済界の混乱を選挙運動に利用した。国民にパニック感を煽れば、資産価値の崩壊とデフレ現象のダブルパンチから、自分があたかも景気回復のために現れたように見せかけられる」と指摘する。
では政治家が提案している景気対策とはどのようなものか。自民党も新進党も新党さきがけもすべて似たり寄ったりで、企業献金をあてにしているのは明らかである。大企業や金持ちに対する減税や、株と不動産の売買にかかる税金の削減まで提案しながら、その一方で負債の補填に一般国民の税金を使おうというのである。そして金持ち優遇策である20%の所得税減税を続けながら、その穴埋めには消費税を充てようとしているのだ。さらに、法人税、相続税、土地譲渡益課税、配当課税なども減税する意向を示している。選挙戦のスポンサーの税金を削減しながら、その博打熱がもたらした40兆円の不良債権の処理には国民の税金を使おうというのが政治家が考えているシナリオなのである。
40兆円と言えば日本のGNPの10分の1に相当し、実際には恐らくその数字の倍以上の不良債権が存在するのであろうから、その負債を返済するには莫大な資金が必要になる。企業をスポンサーとする政治家はその財源を消費税の増税で賄おうとしている。過去10年間、寡頭政治の支持者が提唱してきた新しい財源は常に消費税であった。消費税こそ、税金の負担を国民全体へ転嫁し、自分達の愚行のつけを国民に支払わせるためのツールなのだ。
■メディアの役割
マスコミもその間、このいわば略奪行為を国民がおとなしく受け入れるように、様々なキャンペーンを行っている。「経済が崩壊すれば国民は失業に追い込まれる」、「40兆円の負債を国民が肩代わりしなければ銀行は倒産し、預金を失うことにもなりかねない」、というメッセージを送ったのだ。しかしマスコミがこのような行動を取るのもうなずける。メディア本来の役割は読者や視聴者に情報を売ることではなく、広告主に読者や視聴者を売ることだからだ。メディア関連企業の財務諸表で収入源を見れば、この事実は簡単に暴露されるはずである。一般庶民がメディアの求める高額の広告主になれるはずがな く、彼らのお得意先は決まって大企業や裕福な階級なのである。広告収入を当て込んだマスコミが、経済団体のプロパガンダ担当部門に成り下がっているのも、むしろ当然なのだ。
■失業の原因は円高ではない
確かに今、日本経済は失業という深刻な問題を抱えている。日本の失業率は3%を突破し、過去半世紀で最高レベルに達している。63人の求人に対して100人の求職者が溢れ、合計で650万人の日本人が失業している。加えて、今年の春には新卒者16万人が就職できなかったと推定される。ある新聞の社説は、「社会の一員になりそこなった学生が挫折感を味わうことが、社会不安につながる恐れがある」と述べている。
失業急増の原因は何か。プロパガンダでは円高が失業の原因であるとされるが、それは真実ではない。日本の輸出額は輸入額とほぼ同額であり、それぞれGDPの15%を占めている。したがって、円高が輸出業界に打撃を与えるのであれば、それと同じ程度輸入業界が円高の恩恵を受けるはずである。円高が輸出業界の人員削減を正当化する理由になり得るのであれば、同じ理由で輸入業界の雇用増につながるはずだ。
失業急増の真の原因は、戦後日本の繁栄を築き上げた松下幸之助や本田宗一郎、土光敏夫らが引退し、新世代の経営者が日本経済を動かすようになったことにある。松下、本田、土光らは戦前の教育を受け、日本の伝統的な価値観に基づいて事業を興し、日本の繁栄を築き上げた。社会の目的、また政府の役割は最大多数の国民に最大の幸せを提供することであると信じていた。企業の役割は国民が必要とする製品やサービスを提供するとともに、国民にそれが購入できるだけの収入をもたらす職を提供することであると考えていた。さらに、原材料と同じくらい利益も必要としてはいたが、利益追求が企業の最終目標などとは決して考えていなかった。事実、顧客や社員を犠牲にした米国経営者の盲目的な利益追求主義を見ては、それを辛辣に批判していたのである。
これら偉大なリーダー達に代わり企業のトップになったのが、マッカーサー元帥が導入した、”米国植民地、日本”に相応しい教育体制の下で教育を受けた人々である。この教育制度で最高を極めた人間が企業の実権を握るに従い、経営者達は日本の伝統的な価値観や慣行を捨て、米国流の考え方を導入し始めた。1980年代初めまでに忠実な植民地の住民は、主人である米国人を模倣し、利益追求主義に熱中し出したのである。英語の”humanresources”を日本語の”人材”と訳し、木材や石材と同様に、利益拡大に必要な資材の1つと考え始めた。さらには、博打行為を偽るために”財テク”という新しい表現まで発明したのである。
■財テクはギャンブル
ここで”財テク”について少し触れよう。競馬場に行き、競走馬を吟味し、一番早そうな馬に自分の金を賭ければ、我々はそれをギャンブルと呼ぶ。しかし、株式市場を見て、一番早く株価が上がりそうな企業に投資する経営者の行為はギャンブルとは呼ばない。競馬をギャンブルと呼ぶのに、株式や不動産投資を”財テク”と呼ぶのはなぜか。その理由は本質を隠すために他ならない。
企業の主な業務内容は製造、流通、保険や金融であったはずなのに、一体全体どうしてこのような博打癖がついたのであろうか。それは企業の最終目標は利益追求と履き違えたためである。そして、株や不動産の売買がその目標への近道であると思い込んだのだ。顧客に焦点を当てた研究開発や、社員の生産性を上げるための設備投資よりも、博打の方が手っ取り早いと考えたに違いない。社会の中で博打に手を染めたのはそういった経営者達であった。
現在、日本が抱える痛みは、状況の変化に起因するのではなく、価値観の変化によるものである。戦後の日本の繁栄を築いた価値観が、1960年代以降米国社会を麻痺させている価値観に変わったためである。マッカーサー元帥が導入した教育制度は日本人に大きな影響を与えたのである。
円高が失業の急増を招いているという”まっかな嘘”に話を戻そう。企業が競争力を維持し、生き残るためには、低賃金労働者を利用した現地生産に切り替えざるを得ないという言い分である。これこそナンセンスなのである。円が1ドル360円から3倍の120円に跳ね上がった時よりも、120円から100円へと、さらに数パーセントだけ円高になった時の方が空洞化の議論や現地生産の動きが一段と深刻化かつ活発化している。それはなぜか。
理由は円の価値が3倍に跳ね上がった当時は、戦前教育を受けた偉大なリーダー達の伝統的価値観が企業経営に根強く残っていたからである。当時は研究開発の重視によって、低賃金国にはない日本だけの製品や技術が常にあった。それによって、日本の労働者は開発途上国の低賃金労働者と同じ土俵で戦うことはなかった。さらに、当時の経営者は設備投資によって世界最高の生産性を維持していたために、賃金は安くても生産性が低い労働者に切り替えるよりも、賃金は高くても生産性の高い日本人を雇う方が効率がよかった。そのため海外に工場を移転する理由はまったくなかったし、日本人は世界最低の失業率と最高の賃金を享受することができたのである。
しかし、新しいリーダー達は、前任者が研究開発に投じた金を株につぎ込み、設備投資に使っていた資金を不動産に投じ始めた。その結果、新製品や技術の開発、生産性増加がストップしてしまった。その間、アジアの諸国は、米国の教育制度で植民地化されることなく、アジア独自の儒教的な価値観によって、ビジネスを継続してきたのである。勤勉に努力し、株や不動産で博打をする代わりに、製品や技術、生産性への投資を継続した結果、日本に追いつき、製品や技術も世界一流のレベルに達した。また、生産性も日本と対等になり、その国民は低賃金でも熱心に働き続けている。
結論として、円高ではなく、博打熱が日本経済を駄目にし、失業率の急増を招いたと言える。そして今、同じギャンブラー達が、ご機嫌取りの政治家を使って、40兆~100兆円に上る博打のつけを返済するために、国民の税金を使おうとしている。
公平さを保つために、商売のモラルが低下し博打に走ったのは、日本の経営者だけではないこともつけ加えておこう。近年、米国は、突飛なファッションや、猥褻な映画、乱暴な音楽、破壊的な武器、そして反社会的な価値観や略奪的な商習慣で世界中を汚染している。1970年までは、国際資本の90%が貿易や長期的な投資といった生産的なことに使われ、残りの10%のみが投機活動に使われていた。しかし、1990年までにその数字は逆転し、90%が投機、10%が貿易と長期投資になっている。世界銀行によると、現在、1,400兆円が世界を流動しており、そのうちの100兆円が連日、世界で取引されているという。資本のほとんどが博打に使われているのであれば、製品やサービスを作るための資本はほとんど残らない。現在、200社の企業が世界の総資産の25%を支配し、世界中で7億人の人間が失業しているというのもまったく不思議ではない。
■物価高は繁栄のしるし
財界のプロパガンダによるもう1つの嘘とナンセンスは、日本の物価が高すぎるという主張である。彼らがこのような独断的な見解を押しつける理由は、弱者を強者から保護するための規制を緩和するために他ならない。製品価格は貧しい国よりも、裕福な国の方が常に高い。その理由は、コストに占める人件費の割合が最も高く、また国民が高賃金で完全雇用されている国ではその人件費自体も高いためである。米国が世界で最も裕福であった時代には物価も高かった。米国が日本よりも豊かで、米国民が高賃金で完全雇用されていた時代には、日本よりも米国の方が物価は高かったのである。米国の物価は米国人の所得の低下とともに下がり、逆に日本の物価は所得の上昇と連動して増加した。日本の物価が高いのは日本の豊かさを反映するものであり、それに対する米国側の泣き言は一種の妬みでしかない。今度、政治家や新聞が日本の物価が高すぎるという米国の言い分をそのまま引用したら、政治家の人件費が米国よりも日本の方が断然高いのはなぜか、また新聞の値段も日本は米国の2倍もするのはなぜかと尋ねてみて欲しい。
■私の提言:40兆円をどうやって支払うか
40兆円の不良債権に話を戻そう。この不良債権は、大企業と金持ちが博打にうつつを抜かしたことから生じたものであり、また、ビジネスや商取引の取締りを担当する大蔵省や他の政府機関の監督不行届によるものである。大企業や金持ち、さらに無責任な政治家は、自分の罪や過失を認めず、自分達の招いた惨事の後始末にかかる費用を日本国民全体に負担させようとしている。なんとばかげた話であろうか。日本国民は自分達にそのつけが回ってくるのを絶対に阻止しなければならない。博打に浮かれたのは我々ではないし、その利益の分け前もまったく手にしていない。博打の結果日本人労働者が手にしたのは、昇給据え置きや失業の増加だけなのである。
政府は東京協和、安全の両信用組合など、違法で道徳に反する犯罪を犯した企業を救済する理由はまったくない。これらの企業は社会の癌であり、政府がその癌を生かせば、社会に害を与えるだけである。
違法ではないが不道徳なことを行った大企業や金持ちには、自分で後始末をさせるべきである。日本の大銀行はバブル時にボロ儲けをしてその利益は様々な形で蓄えられている。87年から89年には都市銀行各行の合計で毎年2兆円を超える経常利益を上げている。全労連の調査によると各種引当金や準備金など大銀行10行の内部留保はバブル時代はもちろん、最近も積み上げられ、94年には前年比で735億円増加して11兆円を超えているという。また大銀行は都会の一等地に広いグラウンドや運動場を保有しており、これを売るだけでも不良債権の処理ができるという指摘もある。黒字の銀行に博打の利益を保持させながら、その一方で、国民にはその負債を引き受けさせるというのはあまりにも不公平な措置ではないだろうか。 さらに、大銀行の多くは海外でも手広く活動していた。その利益は株主に還元され、経営者も鼻高々だったに違いない。しかし、日本社会には何も還元されなかった。日本の銀行の役割は日本国民と日本企業の資金を管理し、日本社会のためになるようその資金を運用することだ。また、国民に良い仕事を提供することも銀行の果たすべき役割である。いくら海外で賭博場を経営しても、その役割を果たすことはできないのである。不良債権を削減させるために、銀行は海外事業を売却すべきなのである。
ギャンブルはゼロサム・ゲームである。敗者がいれば、勝者がいる。損失が出たならば、どこかで利益が生まれているはずである。博打を行ったのが大企業や金持ちであり、労働者でないのなら、その損失の責任は大企業と金持ちに取らせるべきである。不良債権を抱える銀行があるならば、政府は博打で勝った安定した銀行と合併させるべきだ。グループ企業の中に博打に負けて経営悪化した銀行があれば、他のメンバーがその面倒を見るべきなのである。
それでもまだ博打の後始末に税金が必要ならば、その原因を作った大企業と金持ちに課税すべきであり、罪のない労働者家庭に税金を上乗せするべきではない。また、配当課税や土地譲渡益課税は減税ではなく、増税すべきである。財界全体に仲間の責任を取らせるために、法人税そのものを上げる。また高額所得者の所得税の20%減税を取りやめ、金持ちの相続税を増税する。そして、高齢化社会に備えるために消費税を増税しなければならないというような嘘を繰り返すのは止めるべきだ。経済団体や政治家、さらに大蔵省が消費税の増税を呼びかけているのは、40兆~100兆円の博打のつけを、熱心に働く労働者に肩代わりさせるためであることは、誰の目にも明らかである。
■参院選で略奪行為を阻止しよう
日本の有権者には、7月23日の参院選でこの略奪行為を阻止するチャンスが与えられている。国民には次の3つの選択肢がある。
1.第一の選択肢は、自民党、社会党、新進党、新党さきがけの候補者すべてを拒否することである。彼らこそ、大企業や金持ちの従僕として、不良債権の処理に国民の税金を投入することを提言している張本人である。本来、私は共産党は好きではないし、共産主義の政府も望まない。しかし不良債権を公的資金で処理することに最も強く反対しているのは共産党である。共産党の候補者に投票するのが、この略奪行為を阻止するには最善である(共産党が悪影響を及ぼす程多くの票を集めるとは思えない)。もう1つの良い選択肢は、現与党と関係のない小政党に投票することであろう。それによって、寡頭政治の支持者達に、この略奪行為を阻止するよう警告を与えることになる。私の考えではこれらが第一の、そして最善の選択肢である。
2.第二の選択肢は、白紙のまま投じることである。これは、支持したい政党がないことを示す抵抗である。しかしどんなに投票率が低くても、選挙をやり直すという規則がないために、結局は略奪者達のいいなりになってしまう。そして独裁者達が好き放題にすること、例えば40兆円のつけを国民に肩代わりさせることを黙認することにつながるため、良い選択肢とは言えない。
3.第三の最悪の選択肢は自民党、社会党、新進党、新党さきがけの候補者に投票することである。それによって、彼らの不当な政策を喜んで受け入れたことになるからだ。
自民党、社会党、新進党、新党さきがけに反対の票を投じなければ、博打の補填に税金が使われることになる。それは彼らに博打の勝ち分だけは自分達が享受し、負け分は国民に肩代わりさせることができると思わせることになる。そうなれば今後、さらに大きなバブルが再び引き起こされるであろう。