No.32 読者からのご意見と回答

今回は読者の方々からいただいたコメントと、それに対する私の返事をご紹介 します。お忙しい中、貴重なご意見をお寄せ頂きまして誠に有り難うございました。

読者A:
私もようやく20世紀の仲間入りをして電子メールのIDを取得しました。
耕助:
電子ネットワークの世界へようこそ。電子メールは私の生活を大きく変えました。電子メールと1.5 kgのパソコン”Compaq Aero”、そしてモデムと2億5,000文字を格納するハードディスクによって、いつでも、どこでも、以前よりも楽に仕事をすることができるようになりました。あなたにとっても電子メールが役に立つよう祈っております。
読者A:
自由市場に対するあなたの信念が以前と変わった気がします。確かに自由市場主義にはその濫用もありますが、政治家に一般市民が何を売り買いするかを命令する権力を与えるような制度には私は反対です。第三世界であろうがどこであろうが、貿易障壁は今もなお最大の汚職の源になっています。
耕助:
自由市場の利益に対して信念を失ったのではありません。むしろ自由市場に利益があるとは全く思えなくなったのです。
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読者B:
No.25「啓蒙思想とその批判」に述べられている西洋文明が基盤とする哲学や方法論に関してのGoldsmith氏の認識は、私が日頃感じておりますことと全く同一でございます。Goldsmith氏が述べておられるように、現代の様々な混乱や不幸、貧困などは、「一つの時代の終わりに到達した」からであり、これから間違いの無い方向を選択するために、小手先の対策ではなく、ものの考え方の根本から問い直し、正しい考え方に基礎を置かなければならないと思っております。
われわれ東洋の国家は、100年ほど前から西洋の啓蒙思想という価値観を「より進んだもの、近代的なもの、正しいもの」として受入れて、その基礎に努力してきました。そして、それによって経済を発展させ、トップランナーの日本は今では世界の模範となる豊かな社会を築きました。しかし、ふと気が付いて見ると、われわれは底のない断崖の淵に立っている自分を発見するのです。今までの延長で進んではいけないのです。
私は、西洋の啓蒙思想、科学技術、政治経済制度がわれわれにもたらした恩恵をいささかも過小評価する者ではありません。それらを十分に評価し感謝しつつ、それらから脱却しなければならないと思います。どの様な優れた思想や制度も終わりがあると思います。今がその時です。われわれは、新しい時代を開く哲学や価値観を創造しなければならない。それは、国籍や人種、身分や立場を超えた共同作業です。私もその作業に微力ですが参加させていただきたいと思います。
耕助:
Goldsmithの啓蒙主義に関するメモを気に入っていただけたようで嬉しいです。あなたの意見に私も賛成です。西欧の考え(特に啓蒙主義以降)と伝統的な東洋の考え方には大きな違いが2つあると思います。
西欧では個人が社会から受け取る「権利」を強調するのに対し、東洋では、特に儒教の教えだと思いますが、個人が社会に与える「義務」を強調します。西欧的な考えは社会を弱体化します。社会を強化したいのであれば、東洋的な考え方をより多く取り入れる必要があります。

西欧では旧約聖書以来、そして特にアリストテレスからですが、人間の要求に合わせて自然を変更してきました。それに対して東洋では、特に道教の教えでは、人間の方が自然に適応するように説いています。西欧の考え方は環境破壊につながるため、環境保護のためには東洋の考え方をより多く取り入れる必要があると言えるでしょう。

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読者C:
Goldsmithの記事を読んで感じたことです。米国のインディアンは、我々が必要なものだけを自然から取り、自然を自分達と同等のパートナーとして崇めて、「地球にやさしく触れるべきである」と信じてきました。しかし、残念ながらこのような考え方や、同様のGoldsmithの見方は人類の大部分には浸透していません。
耕助:
そうです。これは非常に残念なことです。
読者C:
伝統的に、科学は人類の宗教、信念、文化から派生してきました。科学的な実験は、我々がすでに正しいと分かっている質問に対する答えを証明するために計画され、実行されてきたのです。まず答えがあったということからも科学的な方法は決して科学的ではなく、従って科学の聖杯はそれ程神聖なものではないのかもしれません。
耕助:
25年前に「科学的な」経済学(計量経済学)で博士号を取得した私は、あなたのこの意見にこの上なく賛成です。旧約聖書の著者、プラトン、アリストテレス、アダム・スミス、マルクスやその他の経済問題に関する偉大な思想家達は素晴らしい洞察力と助言を与えてくれました。しかし、「科学的な」経済学者達は数学的なモデルに必要な仮定に当てはめるために実世界をあまりにも簡略化しますが、それによって物事が正しく捉えられることはありません。経済学者は、自分を一番高く買ってくれる人が望むデータや分析を生み出すために、自分の能力を悪用することがよくあります。私の父は、「うそつきの計算程数字がでたらめなものはない」とよく言っています。
読者C:
今日の社会では、至るところで道徳を教えなくなってしまったようです。聖書の黄金律や他の宗教における同様の掟も教えなくなりました。メディア(米国では主にテレビ)や同年代の友達を通じて不道徳な社会を学ばせ、それが子供 の社会観を形成しているのです。私の考えでは、これこそが今日の社会問題の大きな原因ではないかと思います。人間は全体の一部に過ぎないと我々が考えるようになれば、すべての人間に十分に物が行き渡る社会になると私は信じています。地球から必要なものだけを取り、Goldsmithが言うように、人類や地球の過去や未来の世代のことを思いやることによって我々は豊富なものを手にし、さらに世界を素晴らしい場所に維持することができるのです。これは自己の利益と同時に地球全体の利益につながります。
耕助:
その通りです。
読者C:
人口統制も人類を貧しくしている大きな要因です。人間の数が少なくなり、多くのケアが得られるようになれば、貧困は少なくなるのでしょう。しかし同時に、各人、各家庭は自分達で自分の世話をしなければならなくなります。実際には社会には依存者がいて、この傾向は米国の福祉制度でも明らかです。我々は各世代の道徳教育の中に、自分の生活費を自分で稼ぐことも加えるべきです。

耕助: 我々の世界は二極分化してきたように思います。一方は、貧困者、弱者、虐待されている人々に全く関心を持たない人々、そしてもう一方はただ乗りを望む人々です。我々は弱い人々に関心を持ちながらも、五体満足な人が生活費を稼ぐチャンスを得て、それを必ず実行させるように徹底していく必要があるのです。
読者C:
私は子供達に、所有欲中心の教育ではなく、精神的、肉体的、実体的な成長に重点を置いた価値観を教え込むべきだと思います。
耕助:
聖書や古典に基づいた教育を止めた時に我々は方向性を失ったのだと思います。こういった書物には過去2,500年間にわたる西欧の文明化の思想家の教えが収録されています。我々は、こういった思想家の2,500年間にわたる経験や考えを無視し、自分達の問題は自分達で解決できると過信した最初の世代なのです(あるいは二世代目かもしれません)。
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読者D:
あなたのニュースレターについてですが、否定的ではあるにしても、しばらくはあなたの主張は日本で受け入れられるでしょうが、これで長期的にうまくいくとは思えません。ある時点で、どうするべきかというあなたの主張によって生まれる肯定的な将来の見方も提示すべきでしょう。
耕助:
最終的にはそうするつもりですが、現在の私の目的は人々に問題の存在を気づかせ、それについて考えさせることです。問題の認識とその解決策の選択は別問題です。問題に気づかせることとその解決策の提示を一緒に行うと、その提案に反対の人々は解決策を拒否することによって問題の存在自体も否定しがちです。または解決策を押しつけるための脅しではないかと疑って、問題の存在を認めない傾向にあるからです。
読者E:
私は恐らく楽観的で幸福者なんだと思います。私にはあなたのニュースレターで取り上げているような否定的な内容をすべて信じることができません。
耕助:
あなたが楽観的で幸福だということに同感です。米国民の中にあなたや私と同じくらい成功している人がある程度でも存在すると信じられれば、私ももっと幸せで楽観的になれるのでしょうが・・・。
読者D:
あなたのその返事は難しくて理解できません。読者Eもあなたも、情報時代の始まりという社会的な革命に参加した人々であり、物理的に最も発達した場所で生活しています。世界でも米国でも、経済的、物質的に、あなた達と同レベルの人はほんの一握りしかいないはずです。
耕助:
私の考えを明確にしましょう。米国人の1%は所有する資本からの収入で、19%はその資本の管理や操作で、残りの80%は資本家が払う賃金収入で生活しています。1970年以来、トップ1%は所得も財産も、それも絶対値でも他との相対値でも、素晴らしい増加を見せています。19%も同じくうまくやってきました。しかし、残りの80%は所得も財産も両方とも減少しています。米国の現在の実質賃金は私が高校を卒業した1959年よりも低くなっているのです。
読者E:
あなたが事態を現状よりも悪く捉えるのは、遠くから見ているためではないでしょうか。あるいは、コップに半分水が入っているのをある人は半分も入っていると捉えるのに対し、別の人は半分は空っぽと捉えるという違いでしょうか。
耕助:
事態が悪く見えるのは、私の前半の人生における米国と、後半の今現在の米国を比べているためです。同じことが、私が日本に最初に来た25年前の価値観や習慣(私が若い時に見た米国の価値観や習慣と似ていた)を捨て、米国の最近の価値観や習慣を取り入れている日本を見た時にも言えます。
読者D:
客観的な指標はどれも、現在の米国人の状況はあなたの人生の前半の頃と比べて良くなっていることを示しています。健康、富、教育、旅行、働き口、芸術、戦争や恐怖からの自由、寿命など。
耕助:
それは真実ではありません。あなたが上げた指標をすべてチェックしている時間はありませんが、米国人の暮らし向きは過去よりも現在の方が悪くなっていることをこれまでのニュースレターで何度も指摘してきました。ここでは以下の4点だけ指摘しておきます。
私の若い頃には、就労者1人で中流家庭の4人家族を楽に養うことができましたが、今はそれは不可能です。
ほぼすべての指標において、米国人が受ける教育内容は低くなっています。
犯罪、麻薬、家庭の崩壊が増え、片親あるいは親がいない状態で育てられた子供が増えています。
我々は、自分達の子供が親よりも良い暮らしができる見込みが少なくなった最初の世代であると、米国では広く認識されています。
読者D:
確かに社会の中で暮らし向きが悪くなっている地域はあるでしょう。例えば、麻薬犯罪によるスラム街の死亡率の増加により、黒人男性の平均寿命は短くなっています。また、ブルーカラーは不況によって打撃を受けています。しかし、このグループが1950年代、1960年代に前例のない程劇的な所得の増加を見たのは、米国製品に全く競争相手がなかったためでした。第二次世界大戦によって主な経済大国はすべて破壊的な打撃を受けました。当時米国以外の国がどんなであったかを私は自分の目で確かめています。現在米国に起こっていることは、ただ単に世界がより競争力を高めたからに他なりません。
耕助:
第二次世界大戦の同盟国がヒトラーや日本軍との戦いに消耗しきったために、戦後米国が特別有利であったということには私も同意します。しかし、米国の衰退にはもっと重大な理由があります。米国では1970年まで、90%の資本が研究開発や設備、売掛金に投資され、残りの10%だけが株や債権、その他の金融商品の投機活動に使われていました。しかし、現在ではその数字が逆転しています。90%の資本が投機活動に使われて資本の所有者やそれを操作する人々に利益をもたらし、残りの10%のみが事業や長期的な投資に使われているのです。資本家や投資家は自分個人の利益のために投機活動を行っているのですから、彼らの財産や所得の取り分が莫大なものになるのはむしろ当たり前です。研究開発や設備、また自分達の事業そのものに投資しなかった結果、労働者の生産性や競争力が低下しました。同時に、世界で最も賃金の低い労働力を求めて、製造基盤を転々とさせています。これが賃金収入で暮らす80%の米国人の所得と財産が縮小している主な理由です。
読者D:
他の諸国の追随に加え、特別な保護期間も終わり日本も現在苦しんでいます。冷戦の終結とともに、米国は政治的な配慮から日本の規制の多い貿易慣習に目をつぶっている必要はなくなりました。日本はこれまでの素晴らしい伝統を修正しなければならなくなるはずです。しかし、終身雇用制などの日本の慣習の多くはいずれにしろまやかしに過ぎません。終身雇用制はある種の男性勤労者にしか適用されないのですから。さらに、女性の待遇を見れば、日本人女性よりも米国人のほうが過去も現在もかなりいいようです。
耕助:
子供だましの貿易のプロパガンダをまだ信じているのですね。IBM、アップル、HP、Xerox、コカ・コーラ、キャタピラー、3M、Budweiser、Reebok、Nike、リーバイス、ナビスコ、ケロッグ、Shick、Gilletteなど米国の主要なブランド製品が日本でどれだけ売れているか、よくご存じのはずです。米国が対日貿易赤字を抱えている理由は、(1)日本が購入している米国の外で製造された米国製品を計算に入れていないことと、(2)米国企業が日本で販売する約90%の製品が米国以外で製造されているためです。
また、日本の女性について上記のような発言をする前に日本女性とよく話してみると良いと思います。日本女性の多くは、米国人女性のように衣食住を確保するために働かざるを得なくて働いているわけではないため、職場における平等に対して米国人女性ほど切実さを感じていないのだと思います。それに、米国人女性の方が自分達より待遇が良いと考えている日本人女性はそれ程多くないはずです。
読者E:
決して完璧ではないかもしれませんが、米国では本来の民主主義によって多くの行動が許されます。その中にはすべての人々の幸福とはならないこともあるかもしれませんが、山火事が最終的にすべてを焼き尽くし自然に消え、世界は前進するのと同じように、行きすぎた行動は最終的に修正されるのです。
耕助:
私は賛成できません。民主主義はその国民が問題意識を十分に持ち、情報を得て、社会をよくするために十分努力をしない限りうまく機能しません。人々がバラ色のメガネをかけていたり、砂の中に頭を突っ込んでいては、民主主義は機能しないのです。
読者D:
ここでは2人とも正しいと思います。米国が世界で最もうまく問題を解決できるのは人々が参加するからです。システムはその中の部品が機能しなければ、それ自体自動的に修正されることはありません。
読者E:
私の考えでは、今日の世界は100年前よりもずっと良くなっていると思います。核戦争の恐怖が劇的に減少したことや、技術の進歩によってそれまでは地理的に離れていた人々をつなぐことが可能になったことがその例です。
耕助:
100年前と比べて世界は確かによくなっています。しかし、米国について言えば、25~40年前程よくないし、その国民のほとんどは当時よりも幸せではないと思います。
読者D:
幸福とは主観的なものであり、どの調査をとっても大半の米国民は25年前よりも幸せだという回答が得られると思います。戦争を忘れたのですか。第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争があったではありませんか。多くの戦死者や負傷者が出てその家族は苦しんだはずです。カーター政権の終わりには米国人の自負心は恐らく最低に落ち込んでいました。
耕助:
確かに幸福は主観的なものです。だからこそ私は幸福度に関する調査を全く信用しないのです。先に紹介した経済や社会指標から大半の米国人の暮らし向きが悪くなっていると考えますが、彼らの幸福度を知る術はないのです。
読者E:
否定的なことに拘泥するのではなく、もっとよく吟味すべきです。あなたの想像力の半分を肯定的なことを探すのに使えば、否定的なことを相殺できる例が見つかるはずです。
耕助:
私は保守主義者です。米国の建国者達の理想と若い頃の米国、また来日した頃に見た日本に大きな価値を見い出しました。私は我々がそこから離れていくことを食い止め、その理想に引き戻そうとしているのです。
読者D:
「価値」や「理想」という言葉を頻繁にお使いですが、私はその点については米国には全く変化がないと思っています。実際に、中央政府の役割などには問題はありますが、米国の自由と平等、そして正義に対するコミットメントは今も強化されていると思っています。これらの理想については活発な議論が繰り広げられています。私の場合、米国では移民者であるため、あなたが当たり前と思う多くのことを学び取らなければなりませんでした。そのため、私の見方は恐らくあなたとは違うかもしれません。あなたは昔をあまりにもバラ色に捉えている気がします。年を取ると若い頃がすべて良かったと思うものですが、実際にはそうではなかったのです。
耕助:
バラ色に関する発言以外は、その通りだと思います。
読者E:
米国がばらばらになっているという意見に同意できないので、私をこのレターのメーリング・リストからはずして下さった方が良いかもしれません。
耕助:
私もあなたの見方が正しければどんなに良いだろうと思いますが、現実にはそうは思えません。米国はばらばらになりつつあり、国民が民主主義における義務を果たし始めない限り崩壊すると思っています。米国がばらばらになっているのは、国民が民主主義の責任を放棄しているからです。
読者D:
米国は変化しているだけで、ばらばらに解体しているわけではありません。米国は依然としてどの分野においても世界のリーダーです。クリントンを選んだのがいくら大失敗であったとしても、世界におけるリーダーシップの役割は膨らんでいます。米国民は民主主義の責任を放棄したわけではありません。放棄した国民もいますが、あなたも含め、その他の人間は放棄していません。予言者にも役割はあるのでしょうが、あまり辛辣で歪んだ見方をしないで欲しいと思います。また日本での点数稼ぎのために米国をやっつけることもして欲しくないと思います。
耕助:
私が言っていることが辛辣、あるいは歪んでいるとは思って欲しくありません。私は全くそうは思わないのですから。それに日本での点数稼ぎのために米国をやっつけているのであれば、なぜわざわざ英語版を作ってあなたのような批判的で思慮深い友人に送るのでしょうか。
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読者F:
あなたのニュースレター「高度なスキルで高賃金、という未来が描く神話」を興味深く読みましたが、読者にもっと違った見方を提供できないのかと思って悲しくなりました。
耕助:
私が狙っていることは私の視点を読者に届けることであり、色々な意見を取り混ぜて紹介することではありません。
読者F:
あなたも私も資本主義社会の経営者です。少なくとも私はビジネスの利益と社会の利益の両方を作り出し、日夜、より多くの人に満足のいく仕事と成長のチャンスを提供していると信じています。顧客に素晴らしいサービスと、代価に見合った価値、そして、戦略的に重要な製品を提供していると自負しています。これはあなたも同様だと思いますし、自分だけ社会に貢献していると思い込む程うぬぼれてはいないはずです。
耕助:
あなたも私も、さらにその他大勢の経営者が顧客、サプライヤ、社員、株主、また地域に対して素晴らしい働きをしていると思っています。経営者には、教師や医者、聖職者、他の職業の人々と同様に、社会に貢献できる能力が具わっています。そしてそれを実行している人もたくさんいるでしょう。しかし、株主の利益や自分のボーナスを増やすために社会から略奪して、海賊のように振る舞っている経営者もたくさんいるのです。自分だけが善人の経営者だと思う程うぬぼれてはいませんが、すべての経営者が社会で公平な取引をしていると思う程めくらでもありません。80%の米国民が賃金収入で暮らしているのに対し、たった1%の人間は資本の所有によって利子生活をしています。1970年代までは、資本家達も自国民の労働者の生産性を上げるために90%の資本を研究開発や設備に投資していたのに、現在はその割合は10%に減り、残りの90%を株や債権などの投機活動に使っています。その結果、賃金収入で暮らす米国労働者の生産性や競争力は、低賃金で働くメキシコや中国、マレーシアの労働者と変わらなくなってしまったのです。そして、自分の利益やボーナスだけに関心のある海賊経営者達は低賃金労働者を求めて製造基盤を世界に転々とさせ、自国の労働者を貧困化させています。こういった手口は、私の資本主義に関する考え方でもなければ、アダム・スミスのものでもないのです。
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