No.65 米国はいかにして日本を滅ぼしたか(後編)

Our Worldではニューヨークのエコノミスト、マイケル・ハドソン氏に投稿を依頼し、米国の帝国主義的な金融政策がいかに日本を滅ぼすことになったかを説明してもらいました。今週は、先週に引き続きその論文の結論部分の抄訳をご紹介します。全文をご希望の方は、このOWの最後に記されている問い合わせ先まで「プラザ合意の論文全文を希望」の旨、ご連絡下さいますようお願いいたします。

米国はいかにして日本を滅ぼしたか(後編)

マイケル・ハドソン

 国際的にみると、日本が1980年代半ば以降における負債循環プロセスにおける主な促進者となった。米国当局を助けた代償は、国際的にはヨーロッパ諸国の一部(特にドイツ)から深い不信と怒りを買い、また日本国内では、米国やヨーロッパ以上に巨額の負債と財政問題を引き起こした。

 日本とこれらの諸国の違いは、自国の解決策によって悪い菌を取り除こうとしていることだ。日本はどうだろうか。その答は、日本人がバブルをどう認識しているか、またその原因が日米外交と大蔵省・自民党の政治的なつながりにあることをどこまで理解しているかによって大きく違ってくる。

 日本の経験は、歴史上のどの金融バブルも結局は政府の負債から発生したという証拠になる。問題は以下のように要約できるであろう。公債があまりに巨額になり、金利の支払に回される税収入だけで、経済が崩壊する程コスト構造が膨らむ。この負債処理コストと税金は非生産コストであるが、確かに実在する。この負債は国の輸出の海外市場を減少させ、国内の黒字から金利などを処理した後に残る利益や新規の直接投資をほとんど奪ってしまう。

 1710年代の南海泡沫事件やミシシッピのバブルの頃に比べれば、現代の政府には多くの選択肢がある。1つの方法は、政府は公的資産、特に販売価値のある独占権を売却することができる。これらの資産に最高値をつけるために、政府は負債市場を作るよう世論を、また可能であれば通貨供給量を操作する。投資家が国債を購入できるように、またそれを望むように、中央銀行または財務省は、政府が売りたい公的資産(South Sea Companyの独占権など)または債券を買えるだけの資金を民間部門に提供するための流動性を生み出す。(政府は一般にこういった資産への支払には国債を受け入れ、それによって債券に対する金利の支払を避ける。)政府の負債と民営化した会社の株の交換が一旦完了すれば、政府は投資家に対する援助を中止し、バブルを崩壊し、すべての責めを個人投資家の貪欲な楽観主義のせいにすれば良い。
 クリストファー・ウッドは、日本が自民党政治家の下で大蔵省がバブル経済を作り上げたことを示唆したが、より大きな構図では、自民党を支持してきたのは銀行だけでなく米国政府だったのである。大蔵官僚と自民党の政治家は、日本の政界の中で米国のトロイアの木馬として行動している。日本の首脳陣は、主要な点が日本の国益からどう逸脱しようと、米国の利益を支持しているのである。

 この米国中心の政策のスローガンは「規制緩和」だった。緩和された規制は、日本の貯蓄を国内に維持することを狙って作られた制度であり、米国の財政赤字を資金援助するために外国に融資するのではなく、国内経済の近代化に資金を回すための制度であった。規制緩和は、米国企業に回す日本の公共支出を増やすために、「日本製品購入」政策を廃止することを意味した。この目的のために、日本は大規模小売店舗規制法を改正し、ウィスキーやオレンジ、牛肉の輸入税を削減することで米国のサプライヤーに恩恵を与えた。さらに、日本は自主規制の名の下、数量割当制を作るように命令された。これは、一種の市場規制であり、「市場秩序維持協定」を含む。この協定は日本の輸出業者が得る米国のマーケット・シェアを厳密に規定するものである。また、日本は都市基盤、下水、高速道路の建設に米国業者を利用するよう勧告を受け、またその一方で、米国産業の輸出業者が中国や他のアジア諸国から日本を閉め出すことにも同意した。
 これらすべてが規制緩和と呼ばれた。すなわち米国の利益を規制しないということである。規制緩和は実際には、日本がより米国指向に、つまり一言で言えば、米国に従属することであった。日本人が国内の金融機関に貯蓄した資金が日本の投資に向けられるのではなく、その貯蓄が長期的な影響など考慮されずに、どこでも金利の高いところへ流れるというものだった。

 日本がこのような状況で米国の圧力に屈し、金利を引き下げたならば、「規制緩和」の状況下、日本の貯蓄家は最大限の見返りを得るために少しでも金利の高い米国に即座にその貯蓄は流れていく。これは、病的な規制緩和のとらえ方であり、視野の狭さを示している。あたかも市場原理に従うことが何よりも重要であり、日本の投資の増加であれ、米国の投機家への融資による博打であれ、市場がどこに向かっていようが全く関係ないかのようである。

 政治的な虚無主義が登場するのはこの時点である。国際的に、政治的な虚無主義は他国からの干渉に対して、国家の自己免疫システムが働かなくなった状態と定義することができるであろう。日本の場合、他国からの力とは、米国の投資ニーズを満たすために日本の貯蓄をくすねようとする米国の外交である。

 1988年3月、米国の不動産および建設バブルが過熱するに従って、連邦準備理事会の議長、アラン・グリーンスパンは金利を引き締め始め、短期金利を約10%に引き上げた。グリーンスパンは、米国の資産や富の市場を日本のように過度にインフレにしたり、負債の重圧にあえぐような状況にするつもりはなかった。グリーンスパンの金融引き締め策は国際的に資金を引きつけ、円や他の通貨に対してドルを強化した。しかし、1988年は大統領選の年であり、レーガン・ブッシュ政権は、これに対し激怒したと伝えられている。

 日本の大蔵官僚は、自国の経済よりも間近に迫る米大統領選を懸念しているかのようであった。当時、ウォール街では、日本はまさに13番目の連邦準備地区(米国では国土を12の地区に分け、各地区に1行ずつ連邦準備銀行がおかれている)のようだとジョークが聞かれた。日銀の理事、南原晃の言葉はこの見方が正しいことを裏付けている。「米国は日本からの資金に大きく依存している。そこで、日本の金利が高ければ米国の金利も高くならざるを得ない。だからこそ、日本の公定歩合を急激に引き上げぬよう慎重をきたさなければならない。世界の金利競争を引き起こしかねないからだ」(ソロモンの『The Confidence Game』より引用)。金利上昇をグリーンスパンが支持したにもかかわらず、その責めをまるで日本が受けているかのようである。特に選挙の前に、米国の株式市場暴落の引き金を日本が引きたくないと述べることによって、日本の金融当局は、日本の犠牲の上に米国が収入以上の暮らしができるよう、世界の最善の利益のために行動を取っているものと考えたのである。
 

民主党議員が、日本叩きに夢中になるのも無理はない。日銀は共和党の政治活動委員会(政治資金を集める組織)となったのだ。「市場では次のような噂が流れた。ベーカーと宮沢がまた二国間取引を行い、1988年11月のブッシュの当選を助けるために、日本は金利上昇はもとより、その他米国経済やドルの妨害になるような政治行動は避けるよう注意することになった。決定的証拠はなかったものの状況証拠がこの取引を裏付けている。このような取引の前兆として、すでに1988年1月には、竹下首相がレーガンに対して、ドルを支えるために日本の金利を上げないと誓約している。竹下の約束は日銀当局をひどく怒らせたが、日銀にはドイツ連邦準備銀行、あるいは連邦準備理事会のような独立した力もなく、それに抵抗することはできなかった」(ソロモンの『The Confidence Game』より)。
 

日本人はジョージ・ブッシュに肩入れすることで、民主党を敵に回しただけでなく、ベトナム戦争とその延長である東南アジアでの活動費用の大半を日銀が資金援助したと、米国人に思い込ませることになった。高額所得者に対するレーガンとブッシュの所得税減税に対する日本の資金援助は米国の財政赤字を奨励することになり、この財政赤字は通常であれば(日銀と大蔵省の支援がなければ)、間違った減税政策の代償として高金利や金融破綻につながっていたはずだ。そうなれば、米国は富裕者の所得税を増税しなければならなかったであろう。また日本は米国の軍事費の援助だけでなく、階級闘争にも資金援助を行い、それに対して多くの人は日本が間違った側に味方していると感じた。
 

日本は米国とその外交政策を資金援助することで、世界中の右派政府を支援した。ドイツや他のヨーロッパ諸国は日本を敵対視するようになり、米国の労働組合や第三世界も同様の反応を示した。日本に関する伝説が生まれ、それを日本が打ち破るには30年はかかるであろう。日本は自国の利益を無視し、米国の金融衛星国となるという、他の諸国とは全く異なった行動を取ったのである。
 

当時、日本企業や政府機関の投資の損失につながる基礎を大蔵省や自民党が築いていたとは、ほとんどの日本人が気づいてはいなかったことは確かである。日銀理事の鈴木淑夫は、日銀は資本の流出を促すために、低金利を維持すると公言したが、まるで、自国よりも、他の諸国の財政赤字や民間投資を資金援助することが、本質的に好ましいことのようであった。日銀総務局長の若月三喜雄は、「生命保険会社に米国債を継続して購入し続けるように要請した。多くの行政指導が行われた」と説明している(New York Times, 1/21/94, “The $6 Trillion Holein Japan”s Pocket”より)。最終的に、日銀を完全に屈服させるには、わずかな圧力で十分だった。ソロモンはこのエピソードについて、「1988年2月に、日銀の研究部門は、公定歩合を緊急レベルの2.5%から引き上げることを提案したが、米国からの圧力により、その提案を取り下げるよう日銀の高官から言われた」と書いている。
 

日本からの支援のお陰でドルは1988年9月にピークに達したが、11月の選挙までに急落は避けられなかった。為替トレーダーは、ブッシュが無事に当選すれば過熱した日本経済が減速し始めると見た。「ブッシュの勝利の後、それを祝うドルの回復の代わりに、ドル売りが見られ、中央銀行の介入が必要になった。この逆説的な市場の反応をアナリストはどう説明したのだろうか。ベーカーと宮沢の間に交わされたと見られる取引の結末として予測されたドル売りだった」。
 

選挙では、日本は米国の第51州であるかのように、資金的な一票を投じた。「米国と日本の首脳は、日本からの借金で、米国人が1980年代に収入以上の暮らしができるよう、魂を売り渡すような歴史的な政治取引を行った。米国だけが対外債務がすべて自国の通貨であるという覇権国の特権を利用することが可能であり、債務の返済が、政治的、経済的にあまりに厄介になるとすぐにインフレを誘発することができたのである」とソロモンは述べる。民主党員は、日本人が議員や米国経済を買収していると非難し、また共和党の政策を資金援助していると非難する者もいた。

道義
 

米国の投資銀行は現在、過剰な負債を抱える不動産と、ドル建て投資の円換算の目減りを救済するために日本経済を再びインフレ化するように日本に働きかけている。プラザ合意による不動産バブルと株式市場の急騰の治療は、さらにインフレを引き起こすことで対処しようというものである。
 

日本のバランス・シートが1991年のバブルの崩壊以来、ひどい状況にあるという事実から、このような提案が生まれている。このひどい状況には2つの理由が起因する。まず第一に、米国との経済・政治関係を安定化させようという見込みのない目的から、1985~1990年に日本は金利を低く抑えた。日本の低金利は、国内の不動産および株式市場のバブルに資金を流し、それが崩壊すると、金融機関の預金の負債に対して保証された担保(銀行の住宅担保の持ち分)の価値が銀行の貸付額を下回るという状況が残った。第二に、日本が非現実的に金利を低く抑えた結果、国際的な影響が表れ、婉曲的に「道義的勧告」と呼ばれる大蔵省の強い要請とともに、日本から米国への投資が促進された。
 

新しいバブルを膨張させることで、金融機関のバランス・シートを立て直そうとすれば、日本にはどんな悪影響が生まれるだろう。まず第一に、このような政策は、戦後まもなく日本が体験した経済的従属関係に逆行することになる。円安にすれば、米国資産にさらに多くの投資を流出させることになるだろう。これで再度、日本経済以上に米国経済が救済されることになる。
 

また、米国の外交担当者に言われた通りのことを行うことは、長期的に見た場合、米国にとっても必ずしも助けとはならないことを指摘しなければならない。1986~1988年に共和党の選挙運動を助けたことによって米国の状況は改善しなかったし、ましてや日本を強化することにも決してならなかった。米国やバブル主導者側につくことで、ドイツ連邦銀行や他のヨーロッパ諸国の信頼を失い、そのため米国の国粋的経済戦略家に対抗した代替戦略を開発するために、ドイツと組んで、対米債権国ブロックを組織することもできなかった。1986年に日本は、日米枢軸でドイツに対抗する米国高官のなすがままになり、日本は世界経済のバブル促進役となったのである。日本の納税者はこの過程において少なくとも5,000億ドルの損失を背負わされた。これは、納税者が賛成・反対の意志表示さえできなかった「隠れた税金」である。
 

アドバイザ気取りで多くの人が、10年前のベーカー戦略に事実上等しい戦略を取ることを日本に提案している。そのような提案が出されること自体、プラザ合意の衝撃が完全に理解されていないことを物語っている。米国が提案するように、バブルの衝撃を再び経験することになる金融の自殺行為を日本がまた真剣に検討できるという事実を知り、次のような政策上の疑問が沸いた。

* 日本は、依然として為替レートの損失が増加する中で、かつては強固だったバランス・シートをいかに立て直すのか。ドル安で価値が目減りした貯蓄をどうやって取り戻すのか。
* 治療薬として、元々の病気をさらに悪化させる方法をとるつもりか。つまり負債をインフレで消すために金融をさらにインフレ化するつもりか。
* 今後、海外投資は主要産業に焦点を当てるのか、それともにわか成金主義で、けばけばしい子供じみた対象を狙うのか。
* 米国財務省への融資に自国の貯蓄を回すという循環をストップして、アジアで円本位制を確立しようとする日がくるのか。
* 自民党と米国国務省の絆が破れ、日本の大蔵官僚が、「メード・イン・アメリカ」のお墨付きが必要なくなることがあるのか。

 究極の疑問は、日本経済が自国の企業や国民のためにあるのか、それとも外国の、特に米国の経営者や政府のためにあるのかということである。日本はこれまで自国の国粋主義の再燃を慎重に避けてきたが、現実は米国主導の国粋的な世界金融秩序の波に飲み込まれることになったのではないだろうか。