No.75 日本政府は外貨準備高をいかに浪費したか(後編)

OWメモのNo.64とNo.65では、米国の政治家が日本の政治家を威嚇し、騙し、さらには選挙の資金援助などを行ってきた一方で、日本の政治家が米国経済を助けるためにいかに日本経済を犠牲にしてきたかという、エコノミストのマイケル・ハドソン執筆による論文を取り上げました。

日本の国際金融統計が語るその実態

マイケル・ハドソン

日本の国際通貨のジレンマは、円高になったにも拘らず貿易黒字と国際収支黒字が増加し、外貨準備高が増大したという流れから最もよく見て取れる。エコノミストにとって過去40年間の外貨準備高の推移は、まるでシェークスピアの劇のように、驕り、偽善、搾取に満ちあふれ、あとは劇的な結末を待つばかりといった感がある。

米国がドルと金の兌換停止を宣言した1971年までは、円は1ドル360円であった。この為替レートで日本の輸出入および対外投資はほぼ均衡が保たれ、外貨準備高も1965年が18億ドル(6,570億円)、1967年が17億ドル(6,120億円)とほぼ一定していた(このドルの外貨準備高以外にも日本は貨幣用金を約3億3,000万ドル保有していた)。

1968年になると、主にアジアにおける米国の軍事支出増加に加え、消費財分野での輸出競争力の向上に勢いづいた日本は、外貨準備高を増やし始めた。表1が示すように、1968年には26億ドル(9,120億円)、1969年には32億ドル(1兆1,590億円)、1970年には43億ドル(1兆5,410億円)まで増加した。米国経済が軍事と民生の両分野の需要を前提とする財政政策を目指したために、財政が拡大して1971年8月のニクソン・ショックにつながり、日本の外貨準備高は3倍増の146億ドル(4兆6,020億円)にも達した。

米国の通貨切り下げによってドルが流入して円の固定相場制は終わり、1971年末までに1ドル314円まで上がり、1972年には302円、1973年には280円まで円は上昇した。

言い換えれば、1970年のドルによる準備高43億ドル(1兆5,410億円)を1ドル100円で換算すると、円ベースにして約72%も目減りしたことになるのである。

円高は日本に数多くの問題をもたらした。まず第一に、日本人の賃金、つまり労働力価格の国際価値(国際購買力)を引き上げた。また、ドル安は、日本の輸出業者の競争力を弱め、利益獲得のチャンスを狭めることになった。そして何よりも、日本の米ドル準備高の円換算の価値を大幅に削減したのである。日本が蓄積してきたドル保有高の円換算の目減り現象は過去四半世紀にわたって続いている。それにも拘らず、日本および他国の通貨当局は、米ドルの準備高に代わる手段を作り出すよう米国に要求しようとはしない。その価値は目減りし、なおかつ自国の納税者を犠牲にしてまで米国の国家財政を支援する米ドルを基準とした通貨準備に、どの国も我慢し続けているのだ。

表1は円換算で見た外貨準備高の目減り額を示すものである。[1]の列は日本の外貨準備高を米ドルで表しており、[2]はその外貨準備高の各年の増減額を示している。[1]に[3]で示すその年の円の為替レートを乗じた数字が、[5]に示された円換算で見た外貨準備高となる。これが米国の財務省証券(米ドル)に投資された金額である。[4]はその年1年間にドルがどの程度まで価値を下げたかを示している。例えば、1985年のドルの下落率は20%、1986年は21%となっている。このドルの1年間の下落率を前年末の外貨準備高(財務省証券保有高)に乗じて、前年末の外貨準備高がいくら目減りしたかを算出した[6]。この計算によれば、日本は財務省証券の購入によって、1985年に1兆3,370億円、1986年に1兆1,060億円の損失を出したことになる。このように見ていくと、1996年4月までの損失額の合計は、5兆4,190億円に達すると見られる。

表 1 日本の財務省証券購入による損失額

外貨  各年の 円の    ドルの 財務省    前年の
準備高 増減額 為替レート 年間   証券  財務省証券購入額
(億ドル) (億ドル)       下落率 購入額 に対する損失額
(兆円)   (兆円)
1   2     3     4   5     6
1965 18       360.90      0.657
1966 18  0.0   362.47   0%  0.649    -0.003

1967 17   -1   361.91   0%  0.612    0.001
1968 26   9   357.70   1%  0.912    0.007
1969 32   7   357.80   0%  1.159    0

1970 43   11   357.65   0%  1.541    0
1971 146  103   314.80   12%  4.602    0.185

1972 176   29   302.00   4%  5.303    0.187
1973 114  -62   280.00   7%  3.181    0.386
1974 126   13   300.95   -7%  3.795    -0.238

1975 120  -07   305.15   -1%  3.647    -0.053
1976 158   38   292.80   4%  4.612     0.148
1977 223   66   240.00   18%  5.362     0.832
1978 324  101   194.60   19%  6.307     1.014
1979 195  -129   239.70  -23%  4.679    -1.462

1980 246   51   203.00   15%  5.002     0.716
1981 282   36   219.90   -8%  6.203    -0.416
1982 233  -49   235.00   -7%  5.483    -0.426
1983 246   13   232.20   1%  5.712     0.065
1984 264   18   251.10   -8%  6.637    -0.465

1985 267   03   200.50   20%  5.357     1.337
1986 423  155  159.10   21%  6.724     1.106
1987 810  387   123.50   22%  10.000     1.504
1988 967  158   125.85   -2%  12.173    -0.190
1989 840  -128  143.45  -14%  12.044    -1.702

1990 785  -55   134.40   6%  10.550     0.760
1991 721  -64   125.20   7%  9.022     0.722
1992 716  -04   124.75   0%  8.935     0.032
1993 985  269   111.85   10%  11.019     0.924
1994 1259  273   99.74   11%  12.553     1.193
1995 1816  557   102.83   -3%  18.670     -0.389
4/1996 2045 229  104.80   -2%  21.432     -0.358
合計                           5.419

日本の外国為替差損は、ドル安が続くことによって急速に増大していった。例えば、1993年に、ドルは124.75円から111.85円へと約10%価値を下げた。1993年始めに(1992年終わり)日本は716億ドルのドル準備高を保有していたが、ドル安によって日本は9,240億円の損失を出している。

1994年にはドルの価値が111.85円から99.74円に11%下がった結果、外貨準備高は1兆1,930億ドルも減少した。これは1年間で1969年当時の日本の外貨準備高(1兆1,590億円)全額を失ったことに等しい。

しかし、日本がドル安を食い止めるためにドルを救済していなかったら、ドル安傾向はさらに最悪の状況を辿っていたはずである。日本は1993年に約270億ドル、また1994年にさらに約270億ドルを米国財務省に環流することでドルを支えてきた。この米国に環流されたドルは、日本の輸出業者や投資家が稼いだドルである。これらの収益を公益の支出用として大蔵省に回していれば、円の負債額の増加を食い止めることができたはずだ。しかしそれが米財務省証券の購入に使われ、結果として米国財務省に融資することになったのだった。日本が購入する財務省証券はさらに膨れ上がり、金を除く外貨準備高は1995年末には1,820億ドルで、1996年に入ってもその上向き傾向は変わらず、1996年4月には2,045億ドルにも達した。

日本の国際通貨のジレンマは、日本が米ドル準備高を蓄積すればする程、その為替損失が膨らむという事実に起因する。日本は下落するドルにますます縛られていく。なぜなら日本が自国の経済力を主張して、米国財務省の赤字を資金的に支えることを中止すれば、即座にドルの急落を意味するからである。1ドルが360円から100円になったことは、単純に考えて、1970年末に日本が保有していた財務省証券1兆5,410億円のうち1兆1,100億円を失ったことになる。

当時、日本が外貨準備高を米ドルの形で保有することがこれだけの損失につながると予測していた人はいなかったのかというと、もちろんいた。米国の銀行家やエコノミストはこの状況を予期していたのだ。筆者も1972年に出版した著書”Super Imperialism”の中で、当時のチェースマンハッタン銀行のエコノミストがむしろ滑稽に書いたその予測を引用している。また筆者は、米国の政策立案者と個人的に会った時に、彼らがほくそえみながら海外の中央銀行に米国が押しつけているジレンマについて語っていたことを証言することもできる。さらに、投資銀行ドレクセルバーナムの1972年の年次総会に一緒に出席した同僚のハーマン・カーンは、「米国がイギリスの帝国主義のはるか上をいっていることを君は示してくれたね」と私に述べている。

カーンと私は、このことをハドソン研究所の日本の顧客に説明するために東京を訪れたことがある。しかし、我々の顧客はこの問題についてはどうしようもない、と感じたようだった。なぜなら日本が余剰ドルを環流することをやめ、米国に対して単純に「ノー」と言えば、円の価値が上がり、見込まれた輸出が台無しになってしまうからであった。米国の貿易および通貨の戦略家は、こうして日本の進路をすべてふさいだのだった。確かに、日本がめざましい発展を遂げ、フランスのドゴールや他のヨーロッパの首脳と共に米国を孤立化させれば状況は変わっていたかも知れない。しかし当時はそのような第一歩を踏み出せる状況ではなかったのである。

ニクソン大統領がドルと金の交換停止を宣言した1971年の1年間に、日本は103億ドルの財務省証券を購入した。日本は輸出収入を財務省証券に環流することで、ドルに対して円を支えようとした。しかし、ドルの価値は当時の1ドル314円から現在の1ドル100円まで約68%も下がっており、円換算で見ると1971年の財務省証券購入額4兆6,020億円は、1兆4,726億円まで目減りしたことになる。

1993年末に、日本は財務省証券を985億ドル保有していたが、これは円換算にすると11兆円に等しかった。1994年の1年間で、ドルは約11%価値を下げ、その結果、前年末の米ドル準備高は1兆1,930億円(11兆円×11%)目減りし、円換算で約10兆円まで減少するはずだった。しかし実際には、日本はさらに270億ドルの財務省証券を買い足し、円換算の日本の外貨準備高(金を除く)は12兆5,500億円になったのである。

日本の外国為替の損失は、プラザ合意の年(1986~1991年)に急増している。プラザ合意の影響が強く出始める直前の1985年末には、1ドル200円で、当時の米ドル準備高は267億ドルであった。この金額は円換算で5兆3,600億円に相当する。しかし、1986年の1年間に21%ドル安の1ドル159円まで下がった。これによって米ドルの外貨準備高は1兆1,060億円もの損失を被ったことになる。しかし、日本は1986年にさらに財務省証券を155億2,000万ドル(2兆4,700億円)以上購入したため、これは円換算で1兆3,600億円の増加となり、米ドルの外貨準備高は全体で6兆7,200億円となった。このように、日本は現状維持だけのために財務省証券を買い続けなければならなかったのだ。日本のドル収入は増える一方だったが、ドル安の結果、過去に蓄積された米ドル準備高を円換算するとその金額は急速に目減りし、いくら毎年財務省証券を買い足しても、その大半が相殺されてしまった。しかし、日本がドルを米国に環流させ、米国への投資によりドルの形でそれを保有しなければ、ドルはさらに下落し、日本の製造業者は米国市場をすべて失っていたであろう。日本がこのジレンマを断ち切ることをしなかったのはこのような理由からであった。

金購入の代替案

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日本は、ドルではなく、もっと安定した通貨、例えば、日本円や金の形で外貨準備高を保有することもできたはずだが、米ドルで保有していたために、ほぼ5.5兆円もの損失を出した。日本の国際的な立場を利用して、アジアの貿易相手国や恐らくOPEC諸国に対しても円ブロックを形成することができたかも知れない。国際通貨の力を利用して、米国のように海外からの流入通貨を受け取る側になれば、日本国民から借金をすることも免れたはずである。(この話題についてはまた次の機会に詳しく触れることにする。)

日本円を基軸通貨にするために、日本は円に対して自由金との兌換性を提供しなければならなかった。1971年以前には、余剰ドルを米国保有の金と交換したり、あるいはロンドンや他の市場で直接購入することが可能だった。表2は、日本がこの手段を取っていた場合のコストと、ドルではなく金を購入していれば、現在どのような状況になっていたかを算出したものである。

表 2 「日本が財務省証券ではなく金を購入していた場合」

日本の  金の価値  金の価格 外貨  外貨準備高を
金の保有高 (百万ドル)(ドル/ 準備高の 金に変換した場合
(百万オンス)       オンス) 増減額  購入できる金の量
(百万ドル)(百万オンス)
1      2     3    4      5
1965 9.38   328   35.12   1,824    51.94

1966 9.42   330   35.19    -34    -0.97
1967 9.68   339   35.20    -98    -2.78
1968 10.17   356   41.90    858    20.48
1969 11.81   413   35.20    691    19.63

1970 15.22   533   37.37   1,067    28.55
1971 19.42   680   43.63   10,314    236.40
1972 21.10   802   64.90   2,942    45.33
1973 21.11   891   112.25   -6,209    -55.31
1974 21.11   905   186.50   1,259     6.75

1975 21.11   865   140.25    -664    -4.73
1976 21.11   858   134.75   3,796    28.17
1977 21.62   919   164.95   6,595    39.98
1978 23.97  1,093   226.00   10,066    44.54
1979 24.23 1,117   512.00  -12,885     -25.17

1980 24.23  1,082   589.50   5,114     8.68
1981 24.23   987   397.50   3,572     8.99
1982 24.23   935   456.90   -4,874    -10.67
1983 24.23   888   381.50   1,268     3.32
1984 24.23   831   308.30   1,827     5.93

1985 24.23   931   327.00    290     0.89
1986 24.23  1,037   390.90   5,538     39.75
1987 24.23  1,203   484.10   38,716     79.98
1988 24.23  1,141   410.25   15,755     38.40
1989 24.23  1,114   401.00  -12,771    -31.85

1990 24.23  1,206   385.00   -5,456    -14.17
1991 24.23  1,213   353.60   -6,442    -18.22
1992 24.23  1,166   333.25    -436    -1.31
1993 24.23  1,165   390.65   26,901    68.86
1994 24.23  1,238   383.25   27,336    71.33
1995 24.23  1,260   386.75   57,390    148.39
4/1996 24.23 1,230   391.30   21,245    54.29
合計 831.09

上記の表は、日本が毎年、外貨準備高を金に交換していれば(また、ドルが必要な場合にはそれを売却していれば)、8億3,100万オンスの金を購入することができたことを示している。1996年4月時点の為替レート(1ドル104.8円)および金の価格(1オンス391.30ドル)で計算すると、日本のこの時点の外貨準備高2,045億ドルをすべて金に交換すれば、5億2,200万オンスの金を買えることになる。したがって、この数字と先の数字を比べると、日本が毎年米ドルを金に交換していれば、現在までに3億900万オンス(8億3,100万 – 5億2,200万)、つまり約60%余分に金を購入できたことになる。

例えば、金が1オンス35ドルに固定されていた1960年代後半には、日本は5,200万オンスの金を保有できたはずだった。日本のドル準備高が増加した1968年にはさらに2,000万オンス、翌年にも同じ量の金を購入できたことをこの表は示している。

1971年に金の価格がドルと切り離されると日本のドル準備高の規模も拡大した。しかし、1971年の金価格はまだ比較的安く、1オンス43.63ドルであり、これで計算すれば金を2億3,600万オンス購入できたことになる。1978年に日本は100億ドルを外貨準備高に加えたが、これを金に投資すれば、1オンス226ドルで4,454万オンスの金が購入できたはずである。この時点で外貨準備高全額、つまり324億ドルですべて金を購入していれば、1億4,300万オンスの金が購入できたのである。

近年、日本の外貨準備高は急増しているが、日本の金保有高は2,400万オンスで一定している。この10年間、金価格はほぼ一定しており、その価格で計算すると、日本は1993年には6,900万オンス、1994年には7,100万オンス、1995年には1億4,800万オンス、さらに今年前半だけ見ても5,400万オンスの金が購入できたことになる。これだけでも金の保有高を合計で3億4,200万オンスも増やすことができたはずである。

もちろん、実際に巨額のドル準備高を金に交換し始めれば、パニックとまではいかなくとも、金の価格が上昇し始めるのは確実であり、金への交換は日本にとってより高価なものになるだろう。しかし、少なくとも、金の価格が現在よりもずっと安かった1960年代、1970年代にドル準備高を金に交換しなかったことが(当時ならそれによって金価格が上昇したとしてもそのコストはたかが知れていたはずである)、日本にどれ程の損失をもたらしたか、この表からも明らかである。

まとめ

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ここまでいくつか試算を行ってきたが、この辺で、日本がなぜ米ドル準備高を増やし続けるべきであると感じたのか、その理由をまとめ、さらに米国の通貨当局が日本に仕掛けた罠が日本にどれ程の代償を与えたか検討してみよう。

米国人は輸入品をドルで購入し、輸出品に対しても同様にドルで支払いを要求する。米国は一市場として世界最大かつ最も豊かな国であることから、こういった一方的な要求もすんなり各国に受け入れさせてきた。しかし、その結果、日本の輸入業者は、米国製品を購入するために円をドルに換えなければならず、また輸出で稼いだドルを国内の生産や投資に向けるために日銀で円に換えなければならない。したがって、日本の生産者や貿易業者が輸入や対外投資で使用する以上のドルを稼げば稼ぐほど、余ったドルは円に換金するために日銀に送られるのである。

日銀に集まったこの余剰ドルを日本は一体どのように処理しているのだろうか。こういった話題は、これまでメディアが取り上げることもなかったためか、大半の日本国民も余剰ドルがどこへ流れているか理解してはいないようだ。日本政府はこの余剰ドルを日本国民のために使うことができたはずであり、また使うべきなのである。前述の理由から金を購入できないとしても、余剰ドルを土地や鉱山、研究所、図書館、工場、企業など日本国民の財産の増加につながるような生産的な資産に投資することができたはずだ。現金に飢えるロシアから北方領土を買い取ったり、韓国にその余剰ドルを支払えば、問題となっている竹島の権利を韓国があきらめることもあり得たかも知れない。しかし実際には、米国外交官は日本の高官を脅迫し、米国の財務省証券を購入するよう仕向けたのである。

余剰ドルが日本から米国へ環流したために、米国の政治家は自国の有権者に増税したり借金をする代わりに、ただ単に財政赤字を膨らませていればよかった。政治家はそれで人気を得られるし、選挙の票を集めることができる。米国の政治家は殊勝ぶって、日本からのドルの環流によって米国政府の負担が軽減すると主張するが、それは単に負債を日本政府に肩代わりさせることに他ならない。そして、その負債を日本政府は消費税増税によって日本国民に負担させようとしている。つまり結局これは、米国が1776年にイギリスから独立を勝ち取った時のモットー「代議権なければ納税義務なし」の現代版で、「代議権のない納税義務」なのである。

日本は「普通の国」になろうとして、他の国と同じような罠にはまったのだろうか。それとも、ばかばかしくも自国の国益よりも米国の国益を優先しているのだろうか。

他の中央銀行ももちろん米国の財務省証券を購入してはいるが、日本の購入額は他の国を大きく引き離し、他の諸国の購入額の合計を上回っている。Federal Reserve Bulletinが毎月発表する統計では、海外の公的機関が保有する米国証券の金額は1994年末から1995年9月までに、5,206億ドルから6,194億ドルへ、約990億ドル増加した。

これは世界全体の増加分であるが、その約3分の2に当たる670億ドルがアジア地域で占められている(アジアの米国財務省証券の保有高は、この間、2,368億ドルから3,038億ドルに増加した)。これはアジア以外の地域が米国に1ドル環流したのに対し、アジアだけで約2ドル米国に環流したことになる。そして、アジアの中でも、日本の購入額がその大半に当たる550億ドルとなっている。1996年4月の最新の統計によると、日本の財務省証券の保有高2,045億ドルは、世界全体の保有高6,450億ドルの約3分の1に当たる。この事実を見る限り、日本は他の諸国とは異なった行動を取っており、むしろ米国財務省の手先として振る舞っているかのようである。

表 3 「日本が米国の財政赤字をどの程度援助しているか」

米国の歳入 米国の歳出 財政赤字  日本の
財務省証券  %
購入額
[単位:十億ドル]

1965  126    119     -7

1970  206    185    -21     1.1   -5%

1975  302    292    -10     -0.7    7%
1980  565    617     52     5.1   10%
1981  659     625    -34     3.6   -11%
1982  686    710     24     -4.9   -20%
1983  678    786    108     1.3    1%
1984  752    829     77     1.8 2%
1985  807   1,032    225     0.3    0%

1986  848   1,096    248     15.5    6%
1987  969   1,149    180     38.7   22%
1988 1,012   1,215    203     15.8    8%
1989 1,093   1,270    177    -12.8   -7%
1990 1,155   1,393    238     -5.5   -2%

1991 1,201   1,480    279     -6.4   -2%
1992 1,259   1,527    268     -0.4    0%
1993 1,238   1,492    254     26.9   11%
1994 1,331   1,532    201     27.3   14%
1995 1,447   1,607    160     55.7   35%

表3は、米国財務省が、特にここ数年間、財政赤字の補填をいかに日本に頼っているかを示している。

日本が米国の財政および民間金融にどれ程大きな役割を果たしているかを裏付ける統計が、Federal Reserve Bulletinの表3.17(米国の銀行報告による米国の外国向け負債)からも得られる。外国銀行の預金が1995年の1年間に、1兆185億ドルから1兆954億ドルへと770億ドル増加したが、その預金高の増加の半分以上に当たる450億ドル(643億ドルが1,092億ドルへ増加)が日本の預金高の増加によるものだと連邦準備理事会は発表している。一方米国の銀行の日本に対する融資額は36億ドルに過ぎない。

表 4 「米国の海外向け負債 (単位:十億ドル)」
1992   1993  1994  1995

ヨーロッパ          307.7  377.9  393.1  363.0
カナダ            22.4   20.2   24.7   26.2
ラテンアメリカおよびカリブ 317.2  362.2  423.8  440.2
アジア            143.5  144.5  155.6  240.8
(日本)           (58.4)(61.5) (64.3)(109.2)
アフリカ           5.9   6.6    6.5   7.6
その他            4.2   4.2    6.0   6.8
非通貨国際/地域組織  9.4   10.9    8.6   10.8
合計            810.3  926.7  1,018.5 1,095.4

米国政府は、米国の連邦予算赤字の4分の1をも、日本や他の中央銀行からの資金援助に頼っている。結論として言えることは、日本の余剰ドルを米国の政府および民間部門に還流することは、市場の力による自然な反応ではなく、政府の政策を反映したものであるということだ。日銀は、国内の金利を低く抑えることにより、海外に高金利を求める民間資金の流出を誘発した。1996年当初の日本の公定歩合は0.5%であったのに対し、ユーロダラーの金利は5.75%と日本よりも5%以上も高かった。利回りの幅がこれだけ離れていれば、世界の投機家は、低金利の日本で日本円を借り、その資金を高金利の国で投資して差額を手に入れることにより、金持ちになることができるのだ。

ここでの問題は、このような政策によって引き起こされた状況がさらに深刻になる中で、大蔵省、日銀、またその陰の与党政治家が、この問題に対してどれ程責任を負っているかという点にある。中でも最大の問題は、米国の借金を補填するその過程において、日本の公的債務が急増しているという事実である。これについては次回のOWで詳しく触れることにしよう。