No.94 読者からの質問とハドソンの回答

昨年10月23日に配信しましたOWメモ『マイケル・ハドソンの視点』(No.81)に関して、読者からご質問をいただきました。それに対して、ハドソンが以下のように回答いたしましたので、他の読者の皆様にも是非ご紹介したいと思います。経済の成り立ちや税制度はどのような言葉を使って説明されていても理解するのは容易なことではないと思います。このQ&Aで、ハドソン氏の見解を少しでも多くの方々に理解していただければ幸いに思います。またさらなるご質問があれば、是非お寄せください。皆様からのご意見をお待ちしております。

【質問 1】

「保険会社や銀行が、収入の大半を積立金あるいはキャピタルゲインの増加に充て、非課税扱いにすることで、法人税の支払いを免れている」とは、どういうことなのでしょうか。ここで言う収入とは、不動産収入のことですか。積立金あるいはキャピタルゲインの増加に充てるとはどういうことですか。ひょっとすると、剰余金や資本金の増加に充てるということではないでしょうか。しかし、そうであったとしても、それで非課税になるのでしょうか。剰余金に回そうが、資本金にしようが、利益に対して課税されるのではないでしょうか。

【回 答】

まず個人の場合を考えてみてください。個人の場合、貯蓄ができるのは税金を払った”後”、余裕がある場合に限られています。それに比べ米国では、保険会社や銀行などの金融機関は、税引き”前”に収益の中から蓄え分をとっておき、それを経費として処理することが税法上許されています。なぜなら、これら金融機関は、経済が悪化した時に保険加入者や銀行預金者を保護しなければならないため、”クッション”が必要だというのがその理由です。

ではなぜ個人の貯蓄も、景気が悪化した時の備えとして、同じように処理することが許されないのでしょうか。なぜ労働者や消費者は、金融機関と同じ扱いを受けられないのでしょう。私は、その理由を銀行、保険、不動産会社に比べて労働者や消費者の政治献金が少ないためであると見ています。

また重要なのは、米国では一般企業でさえ、税制上、金融業界のような優遇を受けてはいません。一般企業も、税引き前ではなく、税引き後の収益から積立や投資をしています。つまり現在の税体系は、投資家に、工場を建設させたり熟練工を雇用することよりも、銀行や保険会社を作ることを奨励しているのです。

また、ここで言う収入とは、不動産所得だけでなくすべての収入を指しています。ただし、住宅ローンは金融機関の主だった投資対象であるため、銀行や保険会社の収入が増えれば増える程、不動産業界への融資は増加します。すなわち、不動産価格の上昇が金融機関の蓄えを増加させ、それと同時に税制上金融機関を優遇したことによって不動産バブルが膨張したのです。

キャピタルゲイン(資産の値上がり益)の蓄積によって、保険会社や銀行が損失から身を守るためのクッションである資産の市場価値が増加します。しかし近年、この不動産部門にキャピタルゲインの損失が集中しています。これこそまさに、金融機関の優遇措置によって1985~1991年に不動産部門へ過剰融資が奨励された結果なのです。

キャピタルゲイン、つまり資産の値上がり益は、売却や処分をしない限りは、非課税扱いになります。通常の勤労所得であれば稼いだ時点で課税されるのに対して、キャピタルゲインの場合は、資産売却時まで税の支払いを引き延ばすことができることから、投資家は、不動産や株式バブルに乗じて、利益をできる限りキャピタルゲインの形で獲得しようと必死になります。逆に、労働者の雇用や製品の生産を通じて、直接収益を上げることには消極的になるのです。

キャピタルゲインは利益ではありません。それが実際に利益を生む生まないには関係なく、空き地やオフィスビルなどの資産価値の増加分のことをキャピタルゲインと言います。しかし、一般の企業が投資を増やしたり、在庫を増やせば、あたかも在庫が売られたかのように会計上、利益として扱われます。したがって、現在の税制はここでも、キャピタルゲインに比べて直接投資に不利な仕組みになっています。

【質問 2】

上記の説明から、冒頭の文章は、実は、「銀行や保険会社は、(未実現の)値上がり益の累積の結果として、蓄えの時価の増加という形で、税引き前に蓄えを利益の他にとっておくのと同じ効果を事実上得ることができる」ということだったのですね。この理解でよろしいのでしょうか。

【回 答】

その通りです。民間投資家は、例えば1~5年後に最高の金額になるものに投資する総合収益(トータルリターン)戦略に移行しています。投資家は富を増やすために、貯蓄するか、または普通株などの低利回り資産を購入・売却してキャピタルゲインを獲得するかのいずれかを選ぶことができますが、キャピタルゲインを選択する投資家が増えています。キャピタルゲインを、所得、つまり総合収益であるかのように扱うのです。

米国の不動産業界は、過去数十年間にわたりほとんど課税所得がありません。不動産開発業者は、5年、10年、あるいは20年後の不動産売却時の莫大なキャピタルゲインを当て込み、純賃貸所得(厳密にはキャッシュフロー)をすべて担保にして、銀行から借金をしています。そして、少なくとも1991年頃まではこのやり方で何とかうまくやってきました。見込み通り、地価が上昇したからです。

しかし、建物の所有者は、償却と称して建物の価値が下がっているかのように見せかけることが許されているため、建物を期待耐用年数にわたって償却するための資本減耗引当金が与えられています。この減価償却はかなり寛大なため、準賃貸所得を完全に上回る見かけ上の負債(資本減耗引当金)となるのです。

所有者が建物を売却する時には、さらにおかしなことが起きます。家主はその建物が消耗したかのように償却を行い、中には全く価値がなくなった建物もあるかも知れません。ところが、それを売却すると、立地条件が良かったり地価が上がっていれば、最初に購入した価格よりはるかに高い値段で売ることができるのです。

さらに驚くことには、それを新しく購入した家主が、その建物をもう一度最初から減価償却し始めるのです。つまり建物が売却されると、税法上それは全く新しい建物であるかのように扱われるのです。私が住むニューヨークには、築後75年、あるいは100年経過した良い物件がたくさんあります。それらは4~5回は繰り返し減価償却されているに違いありません。建物のリファイナンス(借換え)をしても、減価償却を再度開始する理由になり得るのです。こうして建物の売却の度に家主が獲得するキャピタルゲインは、最初の購入価格はもとより、減価償却された帳簿価格を上回っているのです。

つまり家主は、他から得た所得を上回る金額を会計上の損失と計上できることから、建物を所有することは、特別所得控除と同じ役割を果たしているのです。

不動産は国家に富をもたらす最大の構成要素であるために、この償却超過が原因で米国の連邦財政は赤字になるのです。さらに内国歳入庁は、他のキャピタルゲインと比較した、不動産の償却超過データを入手しているにも拘らず、それを報告書として作成してはいません。「利益が出ているという統計が出れば、政府がそれに課税する可能性が高くなる」と危惧して、これに気づかぬ振りをしようというのです。

私はこの問題を不動産ロビー団体のせいにしていることで非難されています。米国では、ご承知のように、選挙法の規制により、企業が寄付する選挙資金はすべて公開することになっています。不動産開発業者からの寄付は、連邦、州、地方と、どの選挙を取っても、例年、リストのトップに上がっています。選挙資金の寄付は他人の利益のために行われるのではなく、当然のことながらその見返りは寄付者へ税制優遇という形で戻ってくるのです。しかし不動産ロビーはこの理論を「誇大妄想的な陰謀」だとし、不動産業界の税制が優遇されているのは、単に議員が住宅建設を奨励しているためだと言うのです。(しかし、市場に出回っている住宅のうち、新築は全体の3%に過ぎず、残りの97%は転売です。この問題については、またの機会に詳しく触れることにしましょう。)

【質問 3】

「所得に課税して不動産収入に課税しないという政策をとると、貯蓄や投資は不動産投機や住宅ローン融資、その他の金融投機に流れることになる」と訳されていますが、「不動産収入」は、「不動産値上がり益」の誤訳で、正しくは、「不動産値上がり益に課税するのではなく、収益に課税することの問題点は、この政策が貯蓄や投資を不動産に振り向けてしまうことです」ということではないでしょうか。

【回 答】

その通りです。

【質問 4】

さらにあなたは次のようなことも明確に言いました。「保険会社や銀行が保有する資本ストックに関する税務会計上の評価法は、時価法ではなく簿価法に基づいている」と。ここで私の新しい疑問は、資本ストックについての簿価評価法は、保険会社や銀行だけに許されているのか、それとも、普通の会社や個人にも許されているのかということです。

【回 答】

「普通の会社」がどのように資産を申告するかというご質問ですが、この「普通の会社」というのがどの業界を指すかで答えが違ってきます。米国の場合、州によって税法が異なるからです。

不動産が償却超過であることは先に述べた通りです。ですから、企業の乗っ取り屋はバランスシートや正味資産を見て、企業が申告している正味資産が実際よりも低い、過小評価されている資産を見つけます。そして借金をしてその企業の株を買い、時価で不動産(や他の独占権)を売却し、そして銀行に借金を返済し、キャピタルゲインは自分のものにするのです。この種の取引は財やサービスの生産の促進にはつながらず、個人の「帳簿上の財産」を作るだけです。

企業の吸収・合併の場合、状況はさらに複雑になります。一般に企業が他社を買収する場合、市場価格がどのように変わろうとも、買収価格で所有権を保持します。これはもちろん経済を歪めることになります。1960年代末にCBSが、出版会社のHolt Reinehartを約2億ドルの普通株で買収しました(このHoltは私が一冊目の本を出した出版社でもあります)。しかし、結局CBSによる経営はうまくいきませんでした。多額の損失を出したため、親会社のCBSはHoltを売却しようとしましたが、その頃には有能な編集者たちは同社を去った後で、その秘書が編集者に昇進しているというありさまでした。 

CBSに出された最高の買収申込金額は2,000万ドルでした。CBSの重役の多くは、損失を削減するためにHoltを売却したがりましたが、売却すれば、帳簿上、1億8,000万ドルの損失が生まれることになります。そうなれば、CBSの株の帳簿価格が減り、株価を低下させることになります。そこで、CBSはHoltを長年、手放すことができませんでした。最終的には相当安い価格で売却することになったのです。

この種の吸収・合併が金融部門と異なるのは、金融機関にだけ架空の蓄え(資産の増加)が業務経費として計上することが許されている点にあります。

つまり、こうしてどの国の経済指標にも大きな問題が生まれたのです。つまり経済指標が実態を映し出さなくなったのです。バランスシート分析(国家の資産と負債、そして収益または損失)と損益計算書の間には人為的な差異が存在します。

新古典派理論は、財貨とサービス市場の収益理論と価格形成にのみ焦点を当て、それが経済全体であるかのように見せかけてきました。しかし、どの国の経済支出も、その大半は資産に向けられたものです。ニューヨークの手形交換所では、毎日、1兆ドル以上の小切手が処理されていますが、これはほぼ年間のGNPに相当します。古典派政治経済が一方でカール・マルクス、もう一方でヘンリー・ジョージの理論を極めた結果、脱古典派経済は資産から所得へと移行していきました。マルクスもジョージも、権力者の趣味に合わなかったのです。

【質問 5】

原文には、「こうしてチリ国民には”自由市場”に反対するどころか、賛成する以外に選択の余地がなかったのである。その一方でサッチャーとレーガンは貪欲を善しとする考え方を国民に教えるには、反対者を殺さずとも、洗脳すれば良い、と心得ていたのである。日本国民もこのような新しい考え方に洗脳されてしまうのであろうか」とありますが、ちょっと待ってください。「見えざる手」と言い、「自由市場」を提唱したのは、18世紀のアダム・スミスでしょう。決して新しい考え方ではありません。それに、反対者を殺そうとか洗脳しようとすることは、経済学説の正否とは無関係でしょう。

【回 答】

確かに自由市場を提唱したのはアダム・スミスですが、彼は他にも多くの理論を残しています。そして、スミスの学派と称する経済学者は、その多くを無視しています。例えば、スミスは、「地主は自分が種蒔きしていないものを収穫したがる」と指摘しています。さらに、国家債務を返済できた国はないとも述べています。最も重要なことは、スミスが生産的雇用や投資と、非生産的雇用や投資の違いをはっきり区別していたことです。しかしこの区別は現代の反古典派(新古典派)経済学からは完全に消し去られています。

今日の「自由市場主義者」は、アダム・スミスが考えもしなかった自由意志論者になってしまいました。米国では、政治家のために働く自由意志論者をよく「狂人」と呼びます。

ご承知のように、アダム・スミスの後の100年間は植民地化、鉄道助成金、武器購入、国営銀行など、公営企業や産業の公的援助が激増しました。しかし、19世紀に起こったこのような経験の多くが、レーガン、サッチャーの自己陶酔的な政権によって、逆の方向に向かっているのです。将来、1990年代を振り返った時、それは究極の自由主義時代であったと見なされるでしょう。

もちろんあなたの言う通り、反対者を殺すというのは経済理論とは無関係です。ただ、政治政策が今日の「自由市場」理論を支えているという意味で言ったのです。つまり今や贈収賄が「見えざる手」になったということです。ゼロサム経済では、ある人の利益は他者の損失になります。その結果、今日の経済が就労所得と不労所得を区別しないため、寄生的なものになっているのです。J.S. ミルを読めば、地代(不労所得)と利益(就労所得)を区別していることがわかります。この区別をもとに、ミルは政府に、産業や労働にではなく土地に課税するように提唱したのでした。ミルもアダム・スミスと同様、地主階級には冷たかったのです。しかし現代は、経済学者は不動産投資と工場などへの産業投資を機能的に全く区別していないにも拘らず、税制度は直接投資よりも、不動産投機(そして株式市場の投機)を奨励するようになっているのです。