今回は、読者の方々からお寄せ頂いたコメントと、それに対する私の回答をご紹介します。
『産業革命』に関する読者からのご意見と回答
読者 A: 私の独善の解釈かも知れませんが、前々回のお話と今回のお話とで若干気になることがありました。言われることは非常によく理解できるのですが、それでは、その趣旨は、我々に昔の社会に戻れということなのか、現在まだ昔の良さが残されている世界(おそらくそれは発展途上国と呼ばれる社会が該当することになると思います)に、近代化するなということなのでしょうか。昔には良いところがあり、それを大事にしなければならないということは非常によくわかります。しかし、それを言う我々自身は、まさしくその良いところを台無しにして、繁栄を享受してきた者たちです。その我々が、まだ良いところが残っているからといって、まだ経験していない人たちに、我々の道を進んではいけないなどというのは説得力に欠けると思います。当然、彼らにとっては、先に進んでいた我々だけがうまい思いをしただけではないかということになるからです。おそらく、贅沢をしてきた先進の人の単なるエゴイズムではないかと感じられるでしょう。
我々のすべきことは、おそらく、今の我々の社会の悪いところも良いところもオープンにしてどのような方向に進むべきかを一緒に選択していくことではないでしょうか。そして、昔の生活が本当に重要であるのならば、どんなに厳しいことであっても、我々自身がまず率先して実行して見本をみせていかなくては説得力がないと思います。しかし、昔の生活に戻ること、それは、一部の過激な宗教家が実践しようとしていますが、あまり良い結果になったためしがありません。その点から考えても、私個人としては、一度快適な文明と甘い富の世界を味わった我々は、科学文明と資本主義の以前の生活には戻れないのではないかと考えています。おそらくこれからは、とことんまで、人間の能力と英知の限界がどこまであるのか、先に進めるだけ進むしかないのではないかと思っています。それは破滅に続く道かも知れませんが、そうではないかも知れません。果たしてどこに行き着くのか、我々の本当の能力が試されようとしているのではないでしょうか。
回答: もちろん私も社会の後退を望んでいるわけではありません。しかし、「進歩」と謳われていることすべてが、実際に社会を良くするものだとは思いません。ある国が侵略をする際に「防衛」という言葉でごまかすのと同様、日本で今日使われている「改革」は、健全な社会を崩壊するものであると思うのです。
トインビーは産業革命以前のイギリスでは、土地が公平に分配され、すべての人が自分で生計を立てることができていたところが、産業革命以降、全人口900万人のうちわずか2,512人が国土の半分を所有するようになり、大半の国民は絶望的な貧困を強いられるか、金持ちに依存して生きるようになったと書いています。どうしてこれを進歩と呼べましょうか。
日本は、世界で最も公平な社会で、最も生活水準の高い国の1つです。しかしその日本は、生活水準がずっと低く、最も不平等な米国社会を盲目的に模倣しています。これが続けば、日本社会も米国のように衰退していくでしょう。次のデータを検討してみて下さい。
1. 健康保険
日本人が世界で最も健康であるのは、すべての日本人が健康保険を持っているからである。米国では3,400万人(全米国人の14%)が健康保険を持たないため、適切な医療を受けられないでいる。
2. 治安
日本はOECD諸国の中で最も安全な国であるのに対し、米国は最も危険な国である。米国では15秒に1回暴力事件が起きている。以下は米国の犯罪統計である。
< 米国の犯罪件数(1日平均) >
殺人 65件
レイプ 299件
盗難 1,842件
暴力事件 3,000件
国民一人当たりの殺人発生件数が米国より高いのは、第三世界の国であるグアテマラ、コロンビア、ジンバブエの3カ国しかない。米国では警察に報告されているだけでも、レイプ事件が1日平均で299件も起きており、うち被害者の60%(180件)が18才未満、30%(90件)が12才未満となっている。
3. 犯罪者の数
このように治安の悪い米国では、刑務所にいる囚人や犯罪者の数もOECD諸国中最も多い。
< 囚人と仮釈放あるいは保護観察中の米国人の数 >
1993年 460万人
1994年 510万人 (昨年比10%増)
1994年の犯罪者数を例にとれば、米国の総人口の2%に当たる。米国で最も急速に成長する産業はコンピュータでも電子ネットワークでもバイオ技術でもなく、刑務所の建設なのだ。また1993年の失業者数が420万人であったことを考えれば、犯罪者数はそれを上回っているのである。米国の価値観を端的に表す事実を紹介しよう。
(1) ハーバード大学の1年間の学費と、囚人1人を1年間刑務所に収容するのにかかる費用はほぼ同額の250万円である。
(2) 1994年の統計で比較すると、4年制の大学へ通う米国人は910万人で、刑務所にいるか、仮釈放か保護観察のいずれかにある人の数は510万人であった。
< 国民10万人当たりの囚人の数 >
米国 ロシア 西ヨーロッパ
600 558 60-75
さらに、米国の囚人の数は1968年の187,000人から1995年の1,104,074人へと5.9倍も増加している。
4. 所得の分配
日本が安全で米国が危険な理由の1つは、日本はOECD諸国の中でも所得の分配が最も平等であるのに対し、米国は最も不平等であるからと考える。
< 所得階層、最上位20%と最下位20%の格差 >
<所得階層、最上位20%と最下位20%の格差>
米国 11倍
オーストラリア 10
ニュージーランド 9
スイス 9
カナダ 7
イギリス 7
フランス 6.5
イタリア 6
ドイツ 5.5
オランダ 5.5
ベルギー 4.5
スウェーデン 4.5
日本 4
社会が公平であると感じていれば、国民は法律に従い、互いに尊重し合い、社会的に振る舞う。だが、不公平であると感じれば、逆に法律を無視し、反社会的な態度を取る傾向にあるのではないだろうか。
5. 貧困
米国政府は4人家族で年間所得が133万5,900円に満たない家庭を貧困家庭と定義している。この定義によれば、3,360万人の米国人、つまり総人口の13.5%が貧困層に当たる。年間所得133万円は、日本の大卒の初任給の半分にも満たない。
6. 平均的家庭
米国の平均的な4人家族の1990年の年間所得は299万4,300円であった。これは日本の大卒の初任給の3分の2に過ぎない。
7. 平均賃金
フルタイムとパートタイムを合わせた米国の平均賃金(管理職を除く)は、月額16万1,752円、年間194万1,024円である。これは、日本の大卒の初任給の3分の2にも満たない。
8. CEO 対 従業員
米国で栄えているのは、金持ちの権力者なのである。
<最高経営責任者(CEO) 対 従業員(年収:円)>
国名 年 CEO 従業員 格差
—— —- ———– ——- —–
米国 1960 19,038,300 466,500 41倍
1970 54,878,700 693,300 79
1980 62,499,600 1,500,800 42
1992 384,224,700 2,441,100 157
日本 1992 48,440,000 4,600,000 11
9. トップ1%
1980~1990年に、米国のトップ1%の所得は最下位40%のすべての所得と同額であった。つまり、トップの250万人の米国人が最下位1億人と同じだけの所得を得ていたことになる。
1980~1990年に、 トップ 0.5% の米国人の富は、24%増加
トップ 1.0% の米国人の富は、12% 増加
トップ 5.0% の米国人の富は、 9% 増加
最下位 60.0% の米国人の富は、「減少」
現在、1%の米国人が米国全体の富の34%を所有している。
10. 税負担
税負担は米国よりも日本の方が公平である。所得の低い国民が払う税金は米国よりも日本の方が低く、また所得が高い国民が払う税金は米国よりも日本の方が高い。
<年収に占める所得税の割合>
(子供2人の4人家族の場合)
所得(円) 日本 米国 日本/米国
3,000,000 0.2 7.2 3%
5,000,000 4.2 12.6 33%
10,000,000 13.4 22.2 60%
20,000,000 31.4 29.4 106%
50,000,000 48.7 34.8 140%
11. 貯蓄率
< 所得に占める貯蓄および投資の割合 >
日本 19.2%
米国 12.9%
12. 米国では国民の1%に当たる250万人がホームレスである。
13. 米国では国民の1%に当たる250万人がコカインを常用している。
14. 18才以上の米国人の20%が英語を読めない。
15. 米国で1970年以降に結婚した夫婦の50%が離婚している。
16. 訴訟
米国の国民1人当たりの弁護士の数は日本の25倍であり、米国人は時間とエネルギーとお金を非生産的な訴訟に費やしている。
17. 環境汚染
米国の人口は世界の5%でありながら、全世界の年間石油消費量の33%、石炭消費量の42%を米国が消費している。
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米国は1945年以来、着実に衰退してきました。多くの米国人が、第三世界の国民よりもみじめな生活を送っているのです。日本が高度成長期から下降している理由は、次の2つにあると思います。
(1) 松下幸之助、土光敏夫、本田宗一郎の時代の価値観や習慣を捨て、米国の衰退の原因となった価値観や慣習を模倣し始めた。
(2) 日本の先祖が何世紀にもわたって築いてきた制度を崩壊し、米国を滅ぼし、全世界を略奪しようとしている海賊が推進する規制緩和や民営化、グローバル化などを模倣するようになった。
私は開発途上国のやり方に戻ろうと言っているのではありません。ジャングルのような野蛮なやり方に戻ることに反対しているのです。
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読者 B:あなたは、競争と分配の関係について一体どのように思われているのでしょうか。私は、分配の原資のことを考慮せずに、競争についてばかり討議するのは適切だとは思いません。産業革命が未だに続いているというあなたのご意見は、私も正しいと思います。しかし、現在の経済活動の方向がこのまま続くとは思いません。なぜならこの方向は地球環境を破壊してきたからです。地球がそうであるのと同じように、人間社会は一個の有機的存在です。わたしたちは生き延びるために、競争と分配との間の良いバランスを探っていかなければなりません。両者を別のものとして議論すべきではないと信じます。
回答:現在のような経済活動は環境破壊につながるため長続きしないという意見に私も賛成です。私は今の状況を次のように見ています。
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1. あまりにも多くの企業、特に大企業は、資本を集めるために株の取引に依存しすぎている。(日本のバブル経済がその典型であり、大半の企業が銀行から多くの資本を借り入れた。)
2. 株取引は博打と同じである。博打打ちは最も早く値が上がる株に資金を賭ける。博打と同じように株も欲が出る。儲ければ儲ける程さらに博打をしたくなる。そこで株で資本を集めようとする企業が博打打ちを満足させるためには、なるべく早く利益を上げなければならない。
3. 企業が早く利益を上げるには2つの方法がある。1つは売上を伸ばすことだ。社会のためになる製品やサービスを提供して売上が伸びればそれは社会のためになる。しかし、国民がその製品やサービスに興味を示さなくなったらどうするか。株式市場はますます貪欲になり利益を要求してくる。このため、企業は消費者に必要でない製品やサービスを買わせるために広告や宣伝で誘惑するのである。だがこれは社会の幸せにはつながらない。
また環境に与える影響はどうだろう。不必要な製品の生産に余計な資源を使い、自然が処理しきれない程の廃棄物を生み出せば、国民が製品から享受する幸せよりも、環境汚染や自然の枯渇で失う損失の方が大きくなる。ところが、株式市場の利益への貪欲さは止まるところを知らない。そこで、企業はマスメディアや政治家を味方につけ、企業活動による環境破壊を無視するよう働きかけるのである。
4. 企業が利益を早く上げるもう1つの方法はコスト削減である。企業にとって最も大きな負担は人件費である。そこで労働力を削減して利益を増やし、株式市場を満足させればよい。換言すれば、株式市場の投機や金利収入だけで生活できる1%の金持ちを満足させるために、企業は就労所得に依存する残りの99%に支払う人件費を削減するのである。
西欧、特に米国とイギリスの企業は、産業革命以来労働者を搾取してきたことで知られる。トインビー、カール・マルクス、ジョン・スチュアート・ミルらがこれについて詳しく言及している。
日本企業も1980年代に株に夢中になり始めて、残業費やボーナスの削減、賃上げの据え置き、定年の引き下げ、終身雇用制の撤廃、工場の海外移転など、必死に人件費削減策をとってきた。米国でもイギリスでも、一握りの不労所得者階級が社会の所得や富を奪い、自分達は博打の金利収入で生活する中、残りの労働者の生活が犠牲になってきた。
5. 株式市場を満足させるために生産を増やし、環境破壊が進めばどうなるのか。企業は次に破壊する新しい環境を見つけ、移っていく。また労働者に対する人件費を削減し続け、労働者が何も消費できないくらい貧しくなったらどうなるのか。企業は別の市場を探すであろう。J.A.ホブソンが今世紀初めに述べていたように(OWメモ『ホブソンの帝国主義論』(No.78)、『帝国主義の経済的寄生者』(No.85)、『帝国主義財政』(No.87)を参照のこと)、企業はいったん環境や社会からすべての利益を絞り取ってしまえば、次に搾取する別の環境や社会を探すのである。このような行動パターンをホブソンは「帝国主義」と呼んだ。今世紀初めのイギリスの帝国主義者達は、イギリス国民の自尊心や愛国心をうまく利用して自分達の目的を遂げた。現代の帝国主義者達は、国民の無知や愚かさに突け込み、昔ながらの帝国主義的行為に「グローバル化」や「ボーダーレス・ワールド」などという新しい名称をつけ、我々を騙しているのである。
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私が28年前に初めて日本に来た時、多くの日本人から、西洋人と日本人の最も大きな違いは、西洋人が狩猟民族であるのに対し、日本人は農耕民族である点だと、よく言われました。狩猟民族は帝国主義者と同様に、1つの場所ですべての獲物を食い尽くしたら、次の場所に移っていく遊牧民であり、農耕民族とは何世代にもわたり一カ所に住み、土地を開墾し、作物を栽培し、自然と調和して生きる民族です。果たして今の日本人は、農耕民族なのでしょうか、それとも狩猟民族なのでしょうか。