No.100 バランスシートで見る日本のバブル経済(前編)

 今回のメモは、ニューヨーク在住のエコノミスト、マイケル・ハドソン氏が日本のバ ブル経済を新しい経済理論である”バランスシート経済学”という視点から分析します。 是非お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

バランスシートで見る日本のバブル経済(前編)
マイケル・ハドソン

今回はOWの読者に、最近米国とイギリスで生まれた経済理論体系をご紹介しよう。これはバランスシート経済学と呼ばれるもので、収益や製品勘定に加えて、国家の資産や負債という貸借対照表に焦点を当てたものである。したがって、実体経済における貸付や負債という金融面の特質も加わる。この経済理論ではお金は、物を買うときに交換する個人の資産の固定支出としてだけではなく、金融制度で負債が生まれる過程にできる副産物である貸方として捉えている。この新しい理論は、戦後半世紀の間に各国の負債がいかに膨らんだか、そして現在の金融制度や税制が直接投資を奨励するよりも、不動産や株式市場の資産価格の上昇を狙っていることに焦点を当てている。
 バランスシート経済学では資産を2種類に分類している。1つは土地や天然資源、建物、工場といった有形資産で、もう1種類は金融資産である。金融資産とは銀行預金、年金基金、投資信託その他の貯蓄のことで、これらは抵当ローンや債券などの有価証券に投資される。このような金融資産は経済全体に張り巡らされ、互いに債権となり、経済の支払い能力とは無関係に利子を生み、さらに増加していく。バランスシート経済学は、ここに注目することで、これまで見過ごされてきた金融部門と非金融部門の間の不均衡の原因を浮き彫りにする。
 金融資産の第一の特徴は、金融資産が、その資産の属する経済の残りの部分に対して負債を負わせることである。バランスシート経済学では金融負債は国民貯蓄に相当する。つまり金融資産の大半が同時に債務者の負債になり、こうして金融は非金融から利子を絞りとることになる。
 金融資産の第二の特徴は、金利や配当収入よりもキャピタルゲインを選好みすることを助長する点にある。この現象が起こる1つの理由は、国の政策が財やサービスの生産で得られる所得に対してよりも、キャピタルゲインや金融のキャッシュフローに対して低い課税しかしないためである。このため就労所得よりも不労所得が奨励される。今日、設備投資への直接投資による収益よりも、キャピタルゲインと金利収入の方が上回っており、これは特に不動産分野で顕著である。ほぼすべての純不動産賃貸収入は負債処理に回されるため、不動産所有者は借金返済後のキャピタルゲインだけに期待をかけている。
 工業化時代における投資家の戦略は、財やサービスを生産するために労働者を雇い、設備へ直接的な投資を行うことであった。一方脱工業化時代の戦略は、不動産、証券、債券などの資産価値の上昇によるキャピタルゲインの形で収益を得る、間接的「トータルリターン」を求める方法である。バランスシート経済学ではこの2つの戦略を並置する。
 国の経済全体の資産と負債を調べ、キャピタルゲイン(または損失)や負債から派生する金利を洗い出せば、日本の負債が貯蓄の裏返しであることがわかる。つまり日本の貯蓄は直接投資に回されるのではなく、銀行や保険会社、さらには住専などの金融仲介業者によって不動産や証券市場に還流しているのである。
 つまり日本経済は脱工業化しつつあるのだ。有形(実物)の富や就労所得に対する利付き債権が、実際の生産手段(土地、設備、労働力)やその収益(賃貸所得、賃金、利益)よりも「実質的なもの」となり、少なくとも社会的に強くなったのである。問題は、現在の投資の大半が、経済の所得や生産手段に対する金融債権であることである。これらの債権は、債券や抵当ローンの形態をとり、その結果物理的な資産に課された利付き債権によって、国の所得が絞りとられている。
 このような金融のひずみはなぜ生まれたのであろうか。多くの日本人は高い貯蓄率や地価の高騰を誇らしく思うが、それと同時に不動産に付随する負債や、貯蓄の裏返しの負債がもたらす金融上の問題を考えることはない。金融の仕組みには皮肉な巡り合わせが作用しており、貯蓄率の高さが究極的な利益になるかどうかはわからないのだ。貯蓄の多くは銀行や保険会社、住専や信用組合に預け入れられており、金融機関はその貯蓄として預けられた資金を融資に回す。つまり貯蓄があるがゆえに、これら預金機関の借り手は莫大な負債を負うことになる。
 貯蓄と負債と資産とインフレは同時に増加する。つまり日本の貯蓄額の増加に比例して、負債額も増えている。これこそバランスシート経済学の主要な発見である。
 では、日本の貯蓄にはどのような良い面があったのだろう。1つには貯蓄を貸し付けることで資産価格が上昇した。また、負債を増加させ、金利と償還費用を生んだ。
 近代の貸付はその大半が依然として不動産部門の抵当ローンに流れている。このため貯蓄率の高い経済諸国の地価が急騰する。バランスシート経済学では、キャピタルゲインに現在のキャッシュフロー(所得と資本減耗引当)を加えたものを「トータルリターン」と定義している。こうすれば貯蓄と金融部門の投資パターンが「実体」経済の直接投資とは切り離されつつあることがわかる。金融部門と残りの経済との主な接点は、急増する民間および公共部門が負債の金利を支払うという点だけである。
 新規貸付の目的は、この借金漬けのプロセスを維持し、支払いの鎖が切れないようにすることにある。つまり効果的な金融管理は、債権と負債のインフレを資本市場、短期金融市場で封じ込め、財やサービス市場にその影響が派生することを食い止めることになりつつある。

貯蓄と負債はなぜ増加するのか
 貯蓄をしているだけで、なぜそれが増えるのか、多くの人々はよくわかっていない。それは銀行の預金、貸付、負債が金利を生むからである。その金利の大半はほぼ自動的に新しい預金や貸付に回される。こうして増える貯蓄は、生産部門が稼いだ利益や収入の蓄積ではないのだ。日本経済全体が貯蓄性行が高いというのは正しくないかも知れない。過去の貯蓄に対する金利が貯蓄を生んでいるということを忘れてはならない。裕福な不労所得者や機関投資家が国の貯蓄の大半を所有しているのであって、労働者や中流階級、非金融企業の貯蓄ではない。個人や企業ももちろん貯蓄をしているが多くの個人、企業が増やしているのは負債の方だ。銀行口座や退職金口座を持つ貯蓄家は同時に債務者であり、住宅ローンや銀行からの融資を受けている。
 全体として、つまり貯蓄から負債を引いた残りの90%は、最も裕福なトップ10%のものである。バランスシート経済学の分析では、トップ10%の富裕者が行う貯蓄のほとんどが、残りの90%の国民の負債とその金利に当たる。
 大半の人々が自分を貯蓄家だと考える。幾ら負債があるかより、幾ら貯金があるかということに目がいく。利子といえば銀行預金の金利を指し、自分が債権者に払う金利のことはあまり考えない場合が多い。しかし全国民の所得と支出を合計し、それを広く公表すれば、多くの人々が驚く実態が浮かび上がってくるだろう。
 貯蓄が増えるのは主に過去に行った貯蓄、特に最も裕福な階層の貯蓄による。さらに、これらの貯蓄の増加率は、直接投資による儲けを上回る(だからこそIBMは直接投資によって事業を拡大するのではなく、過去数年間に100億ドルを費やし自社株を購入しているのだ)。金融の貯蓄は毎年貸付に回され、金利を稼ぐ。ところが膨らみ過ぎた負債処理費の影響で景気が悪化し、企業の収益は下がっていく。
 金融部門の投資家(機関投資家も含めて)は短期間に最も高い収益を生むものを買う傾向にある。最初ジェームス・ワットやヘンリー・フォードに融資したのは銀行ではない。投資家が興味を示すのは、事業が軌道に乗って儲けが出てからだ。
 もちろん、ここで巧妙な広報活動も行われる。金融部門の重要な支出に選挙運動への政治献金や経済政策研究所、大学などの非営利団体への寄付金がある。これらの組織は金融プロセスの合法性を保護する役割を果たすのである。

資産価格インフレ戦略
 日本にとっては、バブル経済を理論的に説明するためにもバランスシート経済学は特に重要である。またバブルの後遺症対策のために提案されている政策の影響もこれを基に検討できる。
 最近大蔵省や自民党が提案している財政・税制改革や規制緩和は、資産価値を押し上げるための計画と見た方が良いかも知れない。日経株価指数を1990年代突入直前のレベルに近づけるために社会保障や年金基金が株式市場に投資される。また、地主に好都合な抜け道を作ったり、土地評価法を変更して地価税が引き下げられる。政府は不動産や投機に課税するのではなく、所得税や消費税、つまり労働者に対する課税で財源を確保しようとしている。さらに政府は財政的には破綻しているが選挙の役に立つ投機家が所有する土地の購入者として土地市場に参入しようとさえしている。
 資産価格インフレの方が、就労所得よりも重要になり、現在の投資家は、株式、不動産、芸術品など、純所得は生まないが時間の経過と共に価格が上昇する投資対象を求めている。
 金融階級はインフレを非難してきた。しかし彼らが真に反対なのは、財やサービスの価格、人件費の高騰である。なぜなら、金融階級がそれ以外に対して持つ利付き債権の威力が損なわれるからである。しかし、富の所有者は自分たちが所有する資産、つまり株や債券、不動産、企業の価格上昇には全く反対しない。事実、不労所得者の投資戦略はそうしたものの価格を押し上げることなのである。
 金融資産価格が膨張する一方で、賃金や物価は低下する。株や債券、他の金融資産に対する支出と、財やサービスの生産のための労働者の雇用の間には境界線が敷かれる。政府予算は個人の福祉支出やその他の権利、公共事業、軍事費を削り、その分富裕者支援のための支払に回される。大口預金者救済のための預金保険機構や、債務国が債権国に不良債権を返済できるようにするためのIMFや世界銀行への拠出金がそれである。また最も重要なのは、政府が富裕者の減税を行ったり、その富の成長に合わせた増税を怠った結果生まれた債務であり、それに対する利払い費となっているという点である。
 この結果として、新しい経済戦争が起こっている。マルクスの言う、雇用主と労働者の間の階級闘争ではなく、富の競争である。新しい金融闘争の大半は金融機関の間で起こっている。企業の乗っ取り屋たちは競って企業を乗っ取り、標的となった企業の年金基金から債権者への返済を行う。株式仲介業者は社会保障制度を民営化し、その貯蓄を株式市場で運用するためにロビー活動を行っている。金融部門は多重階層になっており、不動産や保険部門と相互に絡み合っている。
 金融の既得権益は、これらの金融部門内部に共通している。まず第一に、金融と不動産業者にとって高金利はすべての富の価値を下げるために反対である。高金利は金融投資家により多くの直接所得をもたらすが、今や収益よりもキャピタルゲインの方が重要なのである。金利が上がると、儲け以上に資産価値が下がってしまうのである。
 このため政策支持に関して従来の金融機関の立場は一変した。財政赤字の増加の最中に、政府は緊縮財政ではなく、通貨供給量を増やす手段として資本市場で国債を購入している。これは、製品や労働市場ではなく、資本市場を直接膨張させることになる。財政赤字に貯蓄が吸収されるどころか、政府の国債購入の結果、貯蓄は増加している。
 ほとんどの貯蓄は金利の再投資によって生まれる。一般的に、景気上昇時には金利が増加し、貯蓄の累積を加速化させる。実体経済では、膨らむ金利の支払に収益やキャッシュフローが消える。生産高は低下するが、株式市場、債券市場、不動産市場は成長を続ける。金融資産は毎年の金利の累増によって独りでに成長し、消費や直接投資の資金を奪う。実際、金利収入はさらに多くの金融資産購入の需要につながり、それによって資産価格はさらに押し上げられる。
 累積債務処理費によって経済環境の危険性が高まる。償還期限は短縮し、新しい債務に対する償還率が増加する。これは長期間の直接投資を不可能にするどころか、独自の収益で負債を返済することなど問題外となる。それにも拘らず、短期融資の方が一般に金利が低いことから、企業家たちは、短期融資に傾く。
 金利の上昇、債務償還期限の短縮、さらに収益と賃貸料を食いつぶす債務返済の結果、新規の直接投資や雇用の利益率は低くなる。直接投資や建設は滞り、新規雇用も次第に減少、さらに労働者のレイオフも始まる。このようなダウンサイジングの前に生産性が上昇したとすれば、それは資本や技術の増加によるものではなく、労働者の過酷な労働の賜物なのである。
 このようにして、金融部門は実体経済である財・サービスの生産部門と切り離されていく。債券と融資残高、つまり富に対する金融債権は、その国の債務返済能力(急増する金利と短期化する償還機関)よりも急速に拡大する傾向にある。
 債権者が返済を求めなければ、少なくとも外見上の「信用」は保たれる。抵当権を執行しなければ、帳簿上の不良債権を返済できるかのように維持し、自己資本を維持することができる。1982年のメキシコがちょうどこのような状況にあった。多くの人はメキシコが破産し、債務不履行宣言を行うと見ていたが、そのような措置はとられなかった。銀行は「いつも通り」であるかのように振る舞い、それが永遠に続くかのようだったが、それは不可能だった。この見せかけにより、銀行の帳簿係はメキシコに対する不良債権を償却せずに済んだ。ちょうどこれは日本の銀行が不動産や持ち株を時価に切り下げることを避けているのと同じである。
 このような金融バブルは何世紀にもわたって起こってきたことだが、日本のバブルが特異な点は、第一にバブル期における収益力と比べた資産価格があまりに高かったことである。第二に、バブルがはじけた1991年以降も、金融債権を取り戻すために、金融の負債が資産価格をはるかに超えたままであるという点である。
 このような不均衡がなぜ起きたのかを理解するには、日本のバブルで一体何が起きたのか詳しく検討する必要がある。1991年以来のバブル後の経済にどう取り組むべきかを述べる前に、バブルの原因を探らなければならない。日本の金融問題の原因を理解して初めてその再燃を防ぐ体制作りにとりかかることができるのである。
(後編へ続く)