No.104 消費税増税について(2)

先週に引き続き、消費税増税に関して「VOICE」誌(96年12月号)に掲載された消費税賛成論に対するアメリカのエコノミスト、マイケル・ハドソンの反論をご紹介します。

<消費税13%のすすめ>

日下公人 (ソフト化経済センター理事長・多摩大学教授)

日下:いまや世界経済はメガ・コンペティションの時代に突入し、もちろん日本経済もその渦中にある。したがって、どこの企業も世界中を見渡していちばん税金の安いところへいつでも引っ越していく。個人でもそうなってきている。だからいかなる理由があろうとも、世界常識より高い税金をとっていると、レーガン流にいえば、タックスペイヤー(納税者)は外国へ逃げだし、タックスイーター(税金補助依存者)だけがその国に残り、国は滅びるのである。

ハドソン:だとすればなぜ増税をすすめるのか。労働者に増税すれば生活費が高くなる。その結果生活水準が下がるか、または企業の賃金アップが必要になる。日本が増税分を相殺するために賃金レベルを上げれば競争力が弱くなるし、賃金を上げなければ生活水準が下がり、経済活動が打撃を受ける。
消費税13%といえば以前の税率の4倍であり、4月1日からの新税率5%の2.6倍である。消費税13%となれば賃金労働者の可処分所得がかなり奪われる。これは雇用主のコスト削減にもつながらない。コスト削減どころか、企業は現行の賃金レベルを維持するか、あるいは労働者の家計を助けるために賃金アップを迫られることになるだろう。
これまでに、消費税がコスト削減や競争力の増強につながると述べたエコノミストは1人もいない。実際、その逆である。ただし富や土地に課税すれば生産コストの上昇にはならず、日本の競争力向上を可能にする。
国際比較では資本コスト、つまり金利も重要な要因である。貯蓄を産業投資や労働者のレベルアップに環流すれば、土地バブルや企業の土地コストの増加を見る国に比べて競争力は高くなる。しかし、日本が地租の代わりに労働者や産業に課税すれば、競争力は低くなる。つまり、重要なことは税金が高いか低いかではなく、何に課税するかなのである。企業に課税するか、それとも寄生に課税するかで大きく異なる。

日下:それでレーガンは一生懸命大減税をした。その結果、貧富の差は増大したが、アメリカ経済はみごとに活性化した。

ハドソン:今日、あなたのように考える米国人はほとんどいない。レーガンこそ米国経済を破滅に追い込んだ張本人だと米国人は思っている。レーガンは公的債務を1兆ドルから4兆ドルに増やした。またレーガンが行った大減税と規制緩和は、企業に高金利のジャンクボンドの発行を奨励し、民間の負債も急増した。乗っ取りを避けようとする企業は、乗っ取り屋がその気にならないようにするためにわざと負債を増やした。ジャンクボンドのスポンサー役となった有名なミルケンやボウスキーは刑務所に送られた。彼らの活動によって、乗っ取られた企業は負債を積み上げ倒産した。ジャンクボンドの金利は企業の生産コストを押し上げることになった。
こういった企業は借金を抱えなければ、配当金や法人税を支払わなければならなかったはずである。しかし、ジャンクボンドの保有者に支払う金利は税控除であったため、企業の税負担は減少した。その結果、税収が減った政府は借金を増やすことになった。公的債務には利払いが伴う。その利払いのためには当然増税しなければならなかった。さもなければ負債がさらに増加する。しかし、企業や金持ちの税金は逆に軽減されたのである。
債権者に対する利払いや減税は米国の貯蓄を増やしたが、直接投資にはつながらなかった。貯蓄の大半が不動産抵当ローンに環流した。全体として新しい融資が負債を生み、その結果米国ではビジネス・コストが上昇したのである。
結局、レーガンは日本と同じような不動産バブルをもたらした。銀行融資を利用した投機家が不動産価格を釣り上げた。不動産購入者は家や事務所、工場用の高価な土地を借金して購入し、その金利を支払わなければならなかった。
レーガンの政策は米国経済の競争力の向上にはつながらなかった。工場などへの直接投資よりも不動産投機や株式市場の乗っ取りを促進したのである。企業は雇用を増やすどころか、ダウンサイジングを行なった。大半の米国人の生活水準は低下したが、不動産の投機家達は最も裕福になった。製造業は製造拠点を海外に移転し、米国経済を空洞化させた。これが日本の手本になり得るのであろうか。
日下氏の言う「活性化」とは、不動産投機家や企業の乗っ取り屋、つまり米国人の中で最も裕福なトップ10%のチャンスが増えたことを意味する。残りの90%の国民は経済状況が悪化したと感じている。レーガン政権の1981年以来、状況はまったく変わっていない。
米国人はレーガンの税制政策で失った市場をすべて日本が勝ち取ったことに気づき、そこで日本が米国と同様の金融病にかかるように仕向けたのである。この戦略はイギリスの植民地政策者が、アメリカ先住民であるインディアンに与えた「贈り物」と同じだった。この贈り物とはコレラ患者が纏っていた毛布で、いわゆる細菌兵器だった。これでおそらく半数のインディアンが駆逐されたと考えられる。
今度は米国人が日本に米国病をうつそうとしている。企業に課税する一方で、土地や不動産投機、その他の不労所得による寄生を資金援助するという米国病である。米国人はレーガンの政策で豊かになったなどとは考えていない。より多くの米国人を貧しくすることで金持ちがより裕福になっただけのことである。

日下:アメリカを真似したのが中国で、「足の強い馬が先に行けばいいじゃないか。先に金持ちになればいいじゃないか。やがてみんなにもそれが回ってくる。悔しい人は自分も走ればいいじゃないか」とトウショウヘイが言って、貧富の差を認めたら中国経済は大発展した。貧富の差をつけるなといっていると、全員が下へ沈んでしまう。

ハドソン:「貧困による平等」は好ましくないという見方は正しい。しかし多くの人は米国人のいうゼロサム・ゲーム、つまり誰かの犠牲の上に富を築いている。
賃貸料を高くし、建物の値段を上げれば地主は儲かるかもしれないが、その建物の居住者のコストは高くなる。融資を増やし、金利を請求すれば、経済に加えるよりも、そこから奪うものの方が多くなり、成長を蝕む。資本が過剰になった経済は国内市場を失い、社会不安で経済が不安定になる。そういった国は不労所得の経済になり、決まって停滞する。これこそ、米国が抱える問題である。
中国は米国を真似ていると考えたかもしれないが、米国や日本とは異なり、中国では不動産が主な個人資産にはなっていないし、不動産抵当ローンの負債の累積もない。中国政府が望めば、労働者や資本に課税する代わりに、不動産賃貸料の上昇分を税金として徴収することができる。これによって政府は労働者や産業資本家を犠牲にせずに財源を確保することができるであろう。

日下:ただし、誤解なきようにいえば、私は、あまり貧富の差がつくのは、いいことだとは思っていない。しかし、差をつけたりなくしたり、またつけたりするのが人間の歴史である。貧富の差があまりひどくなれば暴動が起こるから、金持ちから高額の所得税をとったり財産税をとったりして低所得者に配る。

ハドソン:社会が豊かになったと思っていたら実際は空洞化が進んでいた。貧しい人の教育レベルを上げずに下層階級を作り出せば、反社会的な団体が生まれ、後からつけが回ってくる。ロシアの現状を考えて欲しい。ロシア人は何十年もの間貧困を強いられてきたため、共産主義が崩壊した1991年、誰もがすぐに裕福になりたいと考えた。しかし、富をいかに生み出せばいいのかわからなかった。ロシア人もアルバニア人も資本主義とは人を騙して金持ちになる方法だと思っていた。将来の投資計画などまったく考えず、その結果、人々は共産主義時代よりも貧しくなってしまった。現在、ロシアでは自殺が死因の5%を占めており、これは世界で最も高い。
ロシアは米国の手本に従っていると思っていた。ロシア政府は株式市場や投資の不正を防ぐために経済を規制したり、生産的な産業に投資を促したりはしなかった。働かずとも市場の力だけで、複利の魔法によって金持ちになれると考えた。重要なことは、ロシアやアルバニアは米国に言われるままを行い、経済を破滅させた点である。そして、米国や他の国の投資家はロシアの地価を高騰させたり、あるいは企業を買収して営業を停止させ、労働者を解雇し、その土地を贅沢な目的に使用している。例えば、クレムリンの近くの高級地にGUMデパートやイズヴェスタ新聞があるが、この2企業の株を購入する外国人はここに高級ホテルを建設したいと考えている。ホテルの職はウェイターやフロント係などのサービス業である。脱工業化はロシアでも進展している。

日下:しかし、人間には、能力差や努力差があって、また貧富の差が発生する。このようなことを長い間繰り返してきているが、ここ30年の歩みは、世界中が企業誘致に熱心で、その結果、税金が同じになる、規制が同じになるという方向へ進んでいる。
だから日本も「社会的弱者を救う」とか「きめ細かな調整」とか、そんなことをいっている場合ではない。とりあえず税金は全部アメリカと同じにする。規制も全部アメリカと同じにする。香港やニュージーランド並みならなおいいが、とりあえず一番取引が多いアメリカと同じにする。土俵を同じにして、スタートラインを同じにして「ヨーイ、ドン」と走って、日本人は金メダルがとれるか銀メダルがとれるか、オリンピック方式でやってみればいいのである。私は日本人ならやれると思っている。

ハドソン:日下氏の提案は、日本の税金を米国と同じように効率悪くするということである。これは不動産や株式投機を自由にさせ、産業界に犠牲を強いることなのである。このような政策の結果、日本は1985年から1991年まで不動産バブルを経験した。日本が米国を真似れば真似る程、経済の脱工業化が進む。
香港の場合は公有地税をかけているため特別である。香港の税制は米国とはまったく異なる。そして香港は米国よりもずっと繁栄している。あれだけ小さく人口密度の高い国でも、一国の貯蓄を不動産投機ではなく産業開発に振り向ければあそこまで発展することができるのである。一方のニュージーランドでは外務省が海外からの提案を採用し、破滅的な状況を招いた。ほぼすべてのニュージーランド人の生活水準が低下し、豊かになったのは海外投資家だけである。ジェーン・ケルセイが『Economic Fundamentalism』(London: Pluto Press, 1995)の中で、1984年以降、自由企業制をとる原理主義者がニュージーランド経済をいかに破滅に追い込んだかを説明している。ニュージーランド人のように高い電気代、水道料、電話代を支払わせれば、日本の消費者も反乱を起こすに違いない。

日下:政府のお金の無駄使いに対して、ともかくサラリーマンは、月給天引きで何かを取られるのには、もうみんなで反対しなさいといいたい。だいじなのは、サラリーマンの月給袋からの源泉徴収ももうやめて、必要なものは消費税で払う。サラリーマンの源泉徴収所得税というのは約20兆円前後であるから、同額の20兆円を消費税でとればサラリーマンは無税になる。消費税は、農家の人も財産もちの高齢者も暴力団も宗教団体も全員払うわけだから、サラリーマンの家計は楽になる。

ハドソン:日本のサラリーマンは税金を払わなくても、米国のように罰金を払わされたり、刑務所に入れられたりはしないのか。ここで問題にしているのは公平さである。賃金所得者は月給天引きで毎月税金を取られる。しかし、投資家や地主は税金の支払いを遅らせ、さらに税制の抜け穴を利用するためにあらゆることを行っている。日本が財政赤字を抱えている真の理由はここにある。政府が富裕階級に応分の税金を負担させていないからである。
米国でもヨーロッパでも、また他の先進国でも同じ理由で財政赤字が存在する。こういった国は富裕者に対する贈り物を隠すために、国有企業の売却、民営化を行った。その結果、最も裕福な家族や金融機関が、政府に税金を支払うどころか、かつての公的財産を所有することになったのである。
消費税について考える時、米国の問題を検討すればそれが競争力の増加につながるかどうかは明らかである。米国では連邦から州や地方に回される税収が激減し、そのため州税、地方税を増税しなければならなくなった。地方税は主に不動産から徴収されてきた。しかし、不動産業界の富が増大するにつれて、その政治的影響力が強まり、税負担を労働者や製造・商業部門に転嫁させている。その結果、地方政府は不動産の賃貸料に対する税収で予算を均衡させる代わりに、地元の産業や小売に消費税を課している。これは地元の労働者の賃金や製品価格を押し上げることになる。労働者は消費税の高い地域から低い地域へ移るだろう。しかし、税金を地租にすればこういったことは起こらないのである。消費税を上げれば日本は米国が経験しているのと同じ問題を背負い込むことになるだろう。

日下:消費税1%につき2兆円くらいだから、あと10%上げて20兆円消費税でとって、サラリーマンの源泉徴収は無税にする。そうすると会社の経理の人は要らなくなり、サラリーマンの家庭はほしいものを買う。消費税が上がるとなれば、急いで買う。そこで、大消費ブームが起こる。その結果、景気は回復しさらに個人消費関係の新産業が発達して、雇用もやがて増えることであろう。

ハドソン:消費税は決して消費の増大にはつながらない。消費税増税前のかけ込み消費は短期的なものである。賢明な産業資本家は、繁栄のゲームは終わったと考え、海外に資金を移すだろう。

日下:こういうふうに所得税ゼロの大減税をすれば、大蔵省がお金の行き先を決めるのではなく、国民一人ひとりがお金の行き先を決めることになる。配分を国民一人ひとりがする。自分が働いたお金を自分が使うのだから、文句を言われる筋合いはない。
いままでは、賢明で優秀な官僚と善意に満ちた国会議員が、行く先を考えて配るという体制だったが、賢明さや善良さは証明されなかったのだから、一度本来の姿に戻す必要がある。だから一度ここで所得税はやめて、本人に返したらどうですかといいたい。働いた人に返して、その人たちが欲しいものを買う。

ハドソン:政府官僚は、お金の賢明な使い方を知らないかもしれないが、裕福な投機家達も同じことである。真の問題は誰がお金をもらい、誰がそれを使うかではなく、使い道である。産業活動を促進し、投機を抑制するのが優れた税制である。

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<すでに消費税30%>

大前 研一 (経営コンサルタント)

大前:いままでの消費税議論は間違いだらけである。たとえば欧米では10%が普通だという学者的な議論がある。しかし、日本の物価は欧米と比べて非常に高い。われわれの給与でどれだけの物が買えるかという実質購買力でみた場合、ニューヨークで100円で買えるものが、東京では140円出さないと買えないという結果になる。

ハドソン:円の価値が下がったのは物品価格や貿易収支の影響ではなく、株価や債券、不動産価格の下落による。これは貿易赤字よりもずっと巨額の株式や債券取引の赤字につながった。

大前:こうしてわれわれが強いられている必要以上の負担は、国家の運営が悪いために生じている。これは消費税と同じであって、すでに30%以上の消費税がかかっているとみてもいい。

ハドソン:小売価格が高いのは不完全な市場に起因するという意味で、確かにそうかもしれない。ただし税金との重要な違いは、小売価格が高い場合は民間部門がそれを手にする点である。政府に、つまり公共政策に資金が流れない。

大前:5%にするとか、欧米並みの消費税になどと論じるのはこうした状況を改善して物価を欧米並みに近づけてからの話ではないか。もうひとつ重要なことは、消費税のシステムの問題だ。たとえば今度、5%になるのに際して、益税防止のための制度が見直されることになっているが、逆に会計上のルールが複雑になり、細かい経理の帳簿を税務署がチェックするようになる。いまだにカーボンコピーを見るような19世紀的な税務当局の徴税体制を直さずにこれをやったら、時間の無駄、労力の無駄、紙の無駄がそうとうに出る。同時に、商人が音をあげトラブルも増え、大半の人はごまかさざるをえないだろう。
益税の問題を解決するには、インボイス方式で売りと仕入れとの関係をクリアにして、その間の付加価値に対して理屈なしに3%なり5%かけるという付加価値税の概念に戻るほかはない。そうすれば、電子化もできて無駄もなくなる。
そもそも、なぜ益税みたいな問題が出てくるのかというと、創意工夫ができるようなシステムになっているのが悪い。たとえば、ミンクのコートや自動車など特定の品目は贅沢税が適用され、レストランでも、一人当たりの料金が一定額以上だと別の税金がかかる。そういうことだから、「伝票をわけて書いてくれ」とか「7人いたことにしてくれ」ということをやるようになる。
税収を上げたいのなら、取るものと取らないものを区別するとか、特例を設けて違う率を適用するということをいっさいやめて、一律に税金を掛ける。そして創意工夫の余地はなくすことだ。

ハドソン:これでは税金を区別しなさ過ぎる。価値観を無視し、生産的な収入・投資と非生産的なものを区別しないことになる。税金の中で悪い影響が最も少ないのはどれかをなぜ決めないのか。この問題を考え、答えを提供することで、ビル・ビッカリーは昨秋、ノーベル経済学賞を受賞した。彼は一生をこの研究に捧げ、最も悪影響が少ない税金は地租であることを証明したのである。不動産に対する税金は事業を抑制する税金よりも好ましい。
不動産の投機家が資金力に物を言わせて政治制度を買収し、他者に税負担を転嫁しようとすれば状況は悪化する。政治制度に対するこの種の投資は汚職であり、立法者に対する賄賂は税控除が許されるべきではない。贈賄者は刑務所に送られるべきである。
日本が欧米から学びたいと考えるのであれば、欧米の自滅的な経済体制を作り上げ、ロシアでその過ちを繰り返している人ではなく、最も優秀な欧米人から学ぶべきである。明治維新は米国の工業化を真似るために、米国から最高のエコノミストや弁護士を招くことから始まった。また第二次世界大戦後、日本は米国の開発から多くの貴重な教訓を学んだ。今日、米国もヨーロッパも破壊的な経済政策で歪んでいる。日本は集団自殺をすべきなのか、それとも何世紀にもわたり地租で支えてきた政府の政策に見られる伝統的な価値観を大切にすべきなのか。日本には、公共政策からの恩恵を最も多く受ける富裕者や地主の税負担が最も重いという誇るべき伝統的な税制があったはずである。日本は米国やヨーロッパの過ちを繰り返したいのか。それとも伝統的な価値観を保ち、3000年目に向けて新しい時代を築いていくべきなのであろうか。