No.117 規制緩和に関する読者からのご意見と回答

今回は日本の読者の方々からお寄せ頂いたコメントと、それに対するエコノミストのマイケル・ハドソンの回答をご紹介します。お忙しい中、貴重なご意見をお寄せ頂きまして誠に有り難うございました。紙面の都合上すべてをご紹介できないことをお詫び申し上げますと共に、今後ともより多くの方々からご意見を賜りますようお願い申し上げます。

規制緩和に関する読者からのご意見と回答

読者A: 規制緩和の実行に際しての判断基準は、公正、機会均等、自己責任の観点から設定するべきであると考える。経済の成長によって経済圏が拡大するにしたがって、規制緩和は当然必要である。日本の場合、護送船団方式の銀行・証券・保険、談合体質の建設・電機、行政指導の鉄鋼・運輸、独占権の電力・ガスなど、規制緩和対象の業種は枚挙にいとまがない。購買力平価が160円/ドルと、為替の110円/ドルに比べて、50%近く隔たりがあるのは規制による障害コストとも言える。海外旅行で日本人が化粧品、衣料などを購入するのも、規制によるコスト差の理由からである。ニューヨークにおけるヨーロッパ諸国から輸入された価格と、日本でのヨーロッパからの同一品の価格を比較すると歴然としている。アメリカなどからの規制撤廃に対して、日本国民が反発せず受け入れているのは、感覚的に規制を緩和することを望んでいるからである。最近の犯罪を見ると、規制の存在が行政の権力の源となっており、構造的な悪影響が顕在化してきた。
 規制緩和をすることによって、従来規制によって保護されていた者が、失業、倒産、賃金低下などの不利益を被ることはある。この不利益を回避、減少させることは必要である。この役割は社会的制度による対応で行うことになる。しかし、規制緩和を、このような不利益があるから、実行しないということにはならない。
 規制を設けた時点では、公正、機会均等、自己責任であったことも、時間の経過とともに既得権化していき、その結果として公正、機会均等、自己責任を歪めることになってしまう。規制に関する法規制は、時限立法とするのが望ましい。もちろん、安全、環境、健康などの面から、規制を継続すべき対象はある。

ハドソン:  悪い規制や過剰な規制、汚職がらみの規制が目に余る傾向があるというご指摘はごもっともですし、そのような規制は白紙に戻す必要があると思います。しかしそれを行った場合、ある極端な状況からもう1つの極端な状況に移行する場合が多いのです。
 「規制緩和の実行に際しての判断基準は、公正、機会均等、自己責任の観点から設定すべきである」という点については私も賛成です。しかし残念ながら、広報官は不公正で不均等な政策を提唱することが多々あるのです。過去にこれを鵜呑みにして規制緩和を支持した世界中の有権者達は、その広報活動が約束していたこととは全く逆の結果がもたらされたことに気づきました。そのためイギリスでは150年前にトーリー党が最悪の敗北を経験し、またつい最近ではフランスでも保守党が破れるに至ったのです。さらに、ロシアではエリツィン政権に有権者が圧倒的な反発を示したのも同じ理由からでした。チリでは選挙の結果、1988年にピノチェト将軍が失脚しましたが、チリを動かしているのは、腐敗した民営化から誕生した金融グループであることに、今も昔も変わりはありません。アルゼンチンでも、米国中心のIMFと世界銀行に押しつけられた民営化と規制緩和政策に反対して暴動が起きています。
 これらの国々の有権者は、米国やヨーロッパの規制緩和により、その主催者やスローガンが謳っているような経済成長ではなく、国民90%の所得が残りの上位10%の国民の懐へ移動するということを学びました。その結果、再度規制を求める政治圧力が生まれ、民営化プログラム後の独占価格で不当搾取される状況から社会を守ろうとする動きが高まっているのです。
 1980年以降日本で行われてきた民営化と規制緩和における失敗や行き過ぎを吟味しない限り、日本が抱えている問題によって何がもたらされるのか理解することはできないでしょう。中でも規制緩和は、日本にとって特に不公平な結果をもたらすことになるでしょう。なぜなら日本の最大の貿易パートナーである米国は、世界で最も規制の多い国だからです。米国は保護主義の最も強い農業大国であり、同時に他の諸国に対して「マーケット・シェア」協定の交渉を行い、米国に一定のマーケット・シェアを保証することを要求しています。
 規制緩和の結果もたらされるのは混乱です。米国の航空業界が規制緩和された時、初めは航空運賃が引き下げられましたが、多数の航空会社が倒産に追いやられ、買収され、結果として以前よりもずっと堅固な独占体制が生まれました。国際電話業界でも、米国とイギリスの電話会社は分割・民営化されましたが、約束していた選択肢を消費者から奪いとり、現在、再統合化に向かっています。イギリスの水道業界の民営化、同様に民営化されたバスや鉄道業界も悲惨な結果になりました。規制がなくなり、こうした会社の経営者は何億ドルものストックオプションを自由に獲得し、さらにサービスの向上もほどんどないまま電話料金だけ値上げするということも勝手にできるようになったのです。
 悪党は規制緩和を望みます。なぜなら好き勝手なことができるからです。特に保険会社は規制緩和によって略奪的になりました。極悪の犯罪に従事する最大規模の米国の保険会社は、今、日本市場への参入を狙い、米国で行ったことと同じことを日本にも適用しようとしています。日本での行動を非難されれば、それを反米的だとして日本に外圧をかけるよう国務省に要求してくるでしょう。
 円のドルに対する購買力平価は物品については確かにご指摘のとおりです。しかし物品ではなく、株価と債券価格において日本と米国の購買力が基本的に「平衡」であることは見過ごされていると思います。為替レートは日本の政策に対する米国の規制の反映であり、日本が円の価値を抑えるために、その貯蓄を米国の財務省証券などに投資せざるをえないような状況に日本を追い込んだ結果もたらされています。これは自由市場による平衡ではなく、外交上の強制以外の何物でもありません。現代の米国の金融不安は必ず海外にも波及します。それは、世界中が貯蓄をドルで保持しているためであり、この政治的な規制により米国は金融上のただ乗りが可能になります。真の規制緩和とは、米国にも他の国と同じ金融上および市場のルールを適用させることなのです。
 結論として、日本の有権者が本当に規制緩和を望んでいるのであるとすれば、それは規制緩和による現実的ではない効果が約束されていると勘違いしているからであり、また日本がまだ規制緩和を実際に体験していないからなのではないかと思います。多くの日本人が、イギリスやフランス、米国やロシアと同様に、予測とは異なる結果に驚くことになるでしょう。日本の与党がサッチャーやレーガン、チリのピノチェト将軍と同様の政策をとれば、有権者から激しい反発が起こると予想されます。
 米国経済が強くなったのは、主に反トラスト法の施行と、世界でも最も公平で開かれた経済を長年にわたり維持してきたことによるということを忘れてはなりません。しかし、1980年以来、その公平さと開放さは急激に失われてきました。結局は、規制も規制緩和も、既得権益と不公平な状況をもたらすのです。私の理解が正しいとすれば、あなたは規制も規制緩和も常に結果を監視すべきだとおっしゃっているのではないでしょうか。それによって、規制と規制緩和が極端な方向に進むのを避け、できる限り良い状態を維持するよう目指すべきだという主張に受け取れます。

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読者B:  最近の議論の中で、少し気になった点について私の意見をお送りしたいと思います。最近のお話は、うがった感じ方をすれば、豊かな者が自分の豊かさを守ろうとして守りきれなかったことに対する不服を唱えているように聞こえなくもありません。それは、いくつかはっきりしない論点があるからだと思います。私の感じた3つの点についてご連絡したいと思います。
 まず、現在の問題点を招いたと主張される米国のいくつかの政策について、現在の状況の議論はありますが、なにゆえそのような政策をとらなければならなかったのかという根拠がはっきりしていないように思います。米国が、自分達が豊かでうまくいっていることに楽観して、ヒューマニズムからそのような政策をとったのであれば、非常に重要な警告として我々も認識をしなければなりません。あるいは、おっしゃるように、米国の中の大資本が自分達の得るものを増やすためだけに、政府や大統領に働きかけてそのような政策をとらせたのであれば、それも重要な警告です。そうではなくて、その当時の経済環境からやむをえずそのような政策をとらなければならなかったというのであれば、現在の問題点は、結果としてのひとつの副作用が現れているだけなのかもしれません。
 第二に、もしそのような政策をとらなければ、米国経済全体はどうなっていたかということです。第三に、米国の中で雇用やビジネスが失われたということですが、それは、グローバルな目で見れば、米国より更に貧しい海外のどこかで新しい雇用やビジネスが生まれたことになります。そしてその規模や影響力は、米国内よりはるかに大きいもののはずです。海外のより貧しい国・地方でのそのような活況はマイナスと判断されるのでしょうか。それとも、グローバルな大企業が、自分達の利益を守るために海外の貧しい国の指導者や政府を抱き込んで、米国内で米国内の企業や労働者に分配されていた収入を、海外にまわしてまとめてかすめとっているだけだということでしょうか。そうであれば、それも非常に重要な警告です。しかし、そうであるなら、それらの国々の住民はどうすれば良いのでしょう。昔からの伝統的な生活をずっと守っていれば良いということなのでしょうか。また、もし、そうであれば、そのような国にとって文明というものは毒薬にすぎないものになります。しかし、それを持ち込んだのは、米国を初めとする西欧諸国そのものです。どのように考えるのでしょうか。その責任も、単に、大資本が自分達の利益をより増やすためだけにグローバル化を行っただけなので、その責任も大資本にあるということなのでしょうか。それらの国々は、すでに持ち込まれてしまった毒薬に気づいて、昔からの暗いが静かな生活を守りなさいということなのでしょうか。果たしてそのようなことが客観的に理解でき、また可能なことなのでしょうか。それは、言い換えれば、弱い国々は文明との接触をいっさい絶って貝殻のように閉じこもれということを言っているような気がします(ちょうど、北朝鮮のように)。
 以前の税制に関する議論は、私にはずっと分かりやすかったように思います。私の理解では、そこでは、自由な経済活動は良いが、それがある特定のところに富として固定してしまうことが良くない。そのための、重要な施策は税制であり、今の税制は間違っているとの論理展開と考えられたからです。

ハドソン:  あなたのご指摘はまさに経済と社会哲学の本質だと思います。「米国が、自分達が豊かでうまくいっていることに楽観して」とおっしゃっている部分ですが、その豊かな状況は日本や中国など、海外の富が米国に流入したために生まれたものなのです。それと同時に、野心的な熟練労働者の移民や海外投資、そして世界の通貨制度も米国の豊かさにつながっています。米国が楽観的であるとすれば、それは米国が米国寄りの政党を諸外国の政権に就かせることに成功したからでしょう。これにより、海外の資源が地元に留まらずに絶えず米国に集まってくるようになったのです。
 この種の豊かさは文字通り搾取であり、なぜこれが「ヒューマニズム」と言えるのか私には理解できません。ただし、確かに世界中で起こっているダウンサイジングや労働組合の解体、さらには秘密工作を「ヒューマニズム」として正当化したプロパガンダが行われています。しかしこれは、中米の独裁政治、チリのピノチェト政権、ロシアのエリツィン政権、その他右翼独裁政治など、親米的な全体主義の軍事政権が「民主主義」と同義語になったのと同じです。
 米国の言い訳を鵜呑みにしてはいけません。米国が行っているのは、子供のためだと言って親が子を折檻するのと同じです。例えば、米国の外交官は、「世界を救う」といった人道的なイメージを好んで植え付けようとします。しかし、非合法な選挙を行う国民を救うと言っては内国干渉を行う米国は、世界の「姑」のような存在になってしまいました。例えば、ニカラグアとグアテマラを土地改革を支持する国民から「守る」、メキシコ国民の統治からメキシコを「救う」、イラン国王のために1954年にモサデクをまず失脚させ、さらにホメイニのために再度イランを「救う」、ピノチェトの軍隊のためにチリを「救う」などと言って、他の諸国に次々に介入してきました。
 「もしそのような政策を米国がとらなければ、米国経済全体はどうなっていたか」というのは、良い質問だと思います。まず第一に言えることは、日本や中国、ロシアに頼らずに、米国は自国で財政赤字を補填しなければならなかったでしょう。米国の消費者は、日本の車や電子製品など、日本からの輸出をもっと購入したはずです。さらに日本は、高すぎる不動産やその他不必要な事業にドルを浪費せずに、米国に不可欠な主要産業の支配権を買い取ることができたでしょう。そして農産物やその他の市場で米国に一定のマーケット・シェアを保証する必要もなかったでしょう。世界にはより多くの選択肢が存在し、より公正になっていたはずです。
 中南米は独裁者を追放し、続いて土地改革を推進し、真の意味でより民主的な国になっていたでしょう。日本の左翼政党はより強力になり、米国の秘密工作組織になるような宗教団体が作られることもなかったでしょう。
 米国の労働者がダウンサイズされ、労働組合がつぶれ、平均賃金が下がったからといって、他の国にプラスになるわけではありません。実際には、1930年代の保護主義的な関税戦争がそうであったのと同様に、全体としてマイナスになるゲームが繰り広げられています。今日の経済侵略は脱工業化を果たした米国が他の工業国に対して米国を支持するように働きかけるものであり、これは世界全体の負担となっています。事実、メキシコのマキラドラ地区では労働者が劣悪な条件で働かされ、アルゼンチンからロシアに至る国々で国際投資家の利益を増やすために労働者が犠牲になっています。世界経済の構造そのものが不公正な方向へ歪曲されているのです。
 では、貧しい国の国民は一体どうすれば良いのかとの適切な質問ですが、貧しい国はいかに自分達が搾取されているのか、その状況を把握しない限り、今と違う社会を求める必要性を真に理解することはできません。そして団結することによってのみ、これまでとは異なる状況を生み出すことができるのです。
 最終的にこれは他国に犠牲を強いている米国ばかりでなく、日本を含む犠牲となっている国々の責任でもあります。米国の犠牲になっている国の政治リーダーは、有権者の利益よりも米国の利益を優先することで、政治家としてトップの座に上りつめようとして米国の支持者達と悪魔の契約を結んでいるのです。またこれは大資本家だけの責任ではありません。体制に屈している貧しい有権者達も同罪です。
 ご指摘のように、現在、世界経済に持ち込まれているのは毒薬です。世界の貯蓄が不動産や株式市場のバブルや米国の財政赤字の補填のために流れ、より多くの労働者を生産的に雇用する生産手段への投資が減少するのは、経済にとって毒薬です。さらに、米国の利益ではなく、自国の国益に基づいて行動する外国のリーダーたちを失脚させるための米国の秘密の政策も毒薬なのです。
 富の追求は一種の中毒であり、こうした国々が平和な生活に戻るのは容易なことではありません。このことを、古代ギリシャは2500年前に、またメソポタミアは4000年前に理解していました。我々は、少数の人の利益のために多数を犠牲にする傲慢とも言える富に対して、何としても抑制する手だてを学ばなければなりません。
 ローマが負債の間接費や階級闘争で滅びたのと同じように、今日の世界の文明は崩壊の危険をはらんでいます。すべてのトレンドが衝突する方向に向かっているのです。脱工業化社会における米国の考え方は、米国に無料の食事を提供することを狙ったものであり、それは米国や他の国の国際投資家の利益を生むために他国より搾取したり、自国の労働者を犠牲にすることで支えられています。新しい文明化を、より包括的で、貪欲さを抑えた経済哲学に基づいて創造する必要があるのです。
 文明化の方向性という奥の深い問題に比べれば、税金の問題は理解しやすい問題です。現在の税制はピラミッドの頂点の富を自由にするものです。このように社会の最も裕福な階級は税負担を残りの国民に転嫁していますが、これはちょうど米国が自国の税負担をアジアに押しつけているのと同じことであると言えます。

 Our Worldで議論されている問題は、2000年からの文明化の本質に関する議論なのです。ご意見をお寄せ頂きありがとうございました。

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来週、7月30日(水)のOWレポートは誠に勝手ながら、お休みさせて頂きますので、よろしくお願い申し上げます。次回は、8月6日にお送りする予定です。