昨年夏以来、アジアに通貨危機が襲い、これまで奇跡的な経済発展を続けてきたアジア諸国は軒並み海外投機家の餌食にされています。株や為替取引を行わない一般市民にとっては株式や為替の専門用語を使ったニュース解説は理解しにくいものですが、カナダ在住のエコノミスト、チョスドフスキーの書いた以下の記事は、今回の金融危機を経済・社会全体から包括的に捉えており、素人にもわかりやすく書かれています。ビッグバンを直前に控えた日本の読者は、こうした状況が日本でさらに加速化することを本当に望んでいるのかどうかを、この記事を熟読した上で再考していただきたいと思います。皆様からのご意見をお待ちしております。
世界規模の金融危機
マイケル・チョスドフスキー
(オタワ大学 経済学部教授)
1987年10月19日のブラック・マンデイはニューヨーク株式史上1日の下げ幅としては、ウォール街の崩壊と大恐慌の引き金となった1929年10月28日の大暴落を超える過去最大のものとして記憶されることになるであろう。1987年の大暴落では、月曜朝の取引開始後、ほぼ1時間で株価は22.6%下落した。ウォール街の暴落は全世界の金融制度を震撼させ、ヨーロッパ、アジアの株式にも波及効果をもたらした。
それから10年後の1997年10月27日、世界の株式市場が一気に暴落した。ニューヨーク・ダウ平均は554ドルも落ち込み、下落率ではニューヨーク株式史上、過去12位の7.2%を記録した。欧州でも、フランクフルト、パリ、ロンドンの株式市場で大幅安値を記録し大混乱となった。香港株式市場ではその前の週の木曜日にミューチュアル・ファンドや年金基金のファンド・マネージャーが香港優良株を投げ売りしたためにハンセン指数が10.41%下落した(10月23日「ブラック・サーズデイ」)。週明けの取引開始後も依然として安値を続け、27日には6.7%、また28日には香港市場最大の13.7%の下落率を記録した。
金融パニックが差し迫っていることを示す危険信号は、東南アジアの為替市場が投機的取引の餌食になり暴落した1997年夏頃には現れていた。ウォール街に重大な転機が訪れたのは1997年8月15日金曜日で、ニューヨーク株式市場は1日のダウ平均の下げ幅が247ドルと、1987年ブラック・マンデイ以来過去最大の下落幅を記録した。その時の状況は1987年の暴落と酷似しており、機関投資家が暴落した株を後から買い戻す予定で、大量の株を売却したのであった。先物やオプション取引などの様々な投機商品が、株価の急落に重要な役割を果たしたのである。
アジアの外貨危機
歴史的に見て現在の金融危機は潜在的により痛烈で、破壊的である。1987年には各国の通貨は比較的安定していた。現在の金融危機の特徴は、1987年、1929年の大暴落とは対照的に大規模な投機活動に晒されて、自国通貨の崩壊が世界で同時に起きている点にある。株式市場と外国為替市場の相互依存関係が現れたのである。いわゆる機関投資家達は株価操作だけではなく、中央銀行の外貨準備を略奪したり、政府の統治能力を弱めたり、国家経済全体を不安定にする力をもっている。マレーシアのマハティール首相は、「為替トレーダーの利益のためだけに一国の通貨の価値を意図的に切り下げることは、独立国家の主権の侵害である」といみじくも述べた(1997年11月3日、マレーシアのマラッカで開かれたG15会議における発言、香港の『サウス・チャイナ・モーニング・ポスト』(11/3/97)に引用された)。
1997年7月以降、タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピンでの為替投機を通じて、何十億ドルもの中央銀行の準備金が民間投資家の手に流れた。観測筋は投資銀行や株式仲介業者が株式市場や為替市場を意図的に操作していることを指摘している(中国政府任命の臨時立法会のメンバー、フィリップ・ウォンは、マンハッタンの株式仲介業者、モルガンスタンレーがカラ売りを行ったとして非難した。詳しくは『ホンコン・スタンダード』紙(11/1/97)の”Broker Cleared of Manipulation”を参照のこと)。そして皮肉なことに東南アジアの通貨当局を「救済」すると申し出たのが、発展途上国の中央銀行を略奪したのと同じ欧米の金融機関なのであった。例えば、投機取引で有名なINGベアリングは、1997年7月、フィリピンの中央銀行(CBP)に10億ドルの融資を申し出た。その後、CBPがペソの価値を押し上げるために先物市場で巨額のドルを売却したために、数ヵ月のうちに借入外貨準備の大半は再度国際投機家の手に渡ったのである。
経済の欺瞞
業界筋や経済学者たちは口を揃えて、経済のファンダメンタルズ(基礎的諸条件)が良好であるため今回の金融危機は心配ないと主張する。またG7の政府首脳は、「間違った信号」を送る恐れのある言動を避けている。ウォール街のアナリストは、大きな経済展望を理解できないまま、市場調整できずにいる。
その結果世論は、世界規模の成長や繁栄などといった満ち足りたイメージの集中砲火をメディアから受けている。自由主義に基づく市場の改革の勢いで、景気は回復すると言われている。緊縮財政、規制緩和、ダウンサイジング、民営化などによるいわゆる「健全なマクロ経済政策」が、厳密に吟味されることなく、経済的成功をもたらす鍵であると大きく報じられている。
事実は隠され、経済統計は操作され、経済概念はめちゃくちゃである。米国の失業率は下がっていると言われているが、低賃金のパートタイムに従事する米国人が急増している。株式市場の活況の裏には、世界的規模の経済の低迷、社会秩序の崩壊が進行している。株式市場暴落の構造的原因は言及されていない。
1997年10月27日に起きたニューヨーク株式市場の暴落は、さりげなく東南アジアの「構造的に弱い経済諸国」の責任にされた。つい最近まで新興経済国として「小竜」ともてはやされたこの地域は、今では「破産国」と呼ばれるようになった。金融危機の深刻さは軽視され、連邦準備制度理事会の委員長、グリーンスパンはウォール街を安心させるべく、国家経済の伝染性を金融当局の立場から指摘し、問題が国から国へと伝染しているのだと説明した。この10月28日のグリーンスパンの発言を受けてマンハッタンの株式仲介業者の間には、「ウォール街が香港風邪をひいた」とする見解が浸透した。
新しい金融環境
固定相場制に基づくブレトン・ウッズ体制が1971年に崩壊して以来、金融環境はいくつかの段階を経て変化していった。レーガン・サッチャー時代と呼ばれた1980年代初期の債務危機は企業の買収や合併、倒産の波を招いた。その結果、証券引受銀行、機関投資家、株式仲介業者、大手保険会社などを中核とした、新世代の資本家の統合が導かれた。
1987年のウォール街の暴落で不要なものが取り除かれ、「最適なもの」だけが生き残ることによって、こうした変化はさらに悪化していった。過去10年間に金融権力の集中化が進んだ。こうした中で「機関投機家」の力が膨れ上がり、一般企業の利権よりも強力な影響力をもつようになったのである。これらの機関投資家は、さまざまな手段を使って実体経済から富を自分たちの懐に入れている。彼らはしばしばニューヨーク株式市場の上場企業の命運も左右する。実体経済における企業の機能を全くもたない機関投機家は、大企業を倒産に追い込む力をもっている。
1995年までに外国為替の1日の取引高は1兆3,000億米ドルに達し、これは世界の外貨準備高の合計(推定)、1兆2,020億米ドルを上回っている(『サード・ワールド・リサージェンス』誌、1997年10月号、マーティン・コア著、”SEA Currency Turmoil Renews Concern on Financial Speculation”)。これは言い換えると、「機関投機家」の手中にある民間所有の外貨準備高は、中央銀行のもつ限られた能力をはるかに上回るということである。中央銀行が単独あるいは集団で何らかの行動に出たとしても、投機活動の大きな潮流に対抗することは不可能な状況になっている。
昨年末の通貨危機では、中央銀行所有の何十億ドルもの公的外貨準備が機関投機家によって略奪された。巨額の外貨準備が中央銀行の金庫から民間投機家の手に移ったのである。しかし、公的外貨準備の減少は今回の金融危機の一部でしかない。投機家が中央銀行の脆弱な金庫を攻撃する一方で、東南アジアの通貨危機が他の発展途上地域に波及し、メキシコ版の通貨切り下げの破壊的連鎖反応、そして何百万人もの同時貧困化を引き起こす危険をはらんでいる。すでに1997年11月初めには、サンパウロやブエノスアイレスの株式市場の急落に引き続き(10月27日、28日)、ラテンアメリカの通貨(これには米ドルに固定されたレアールも含まれる)は投機活動再燃の危機に晒されている。
富の集中
世界の金融市場・金融機関の再構築によって、巨額の富が民間に蓄積されるようになった。その大半は投機的取引だけで集められたものである。米国の億万長者だけを見ても、その数は1982年の13人から1996年には149人に増加している。会員数約450名の「世界億万長者クラブ」が所有する富は、世界人口の56%が住む低所得国のGDPの合計を優に上回っている(『フォーブス』誌、世界の億万長者、1997年より。この統計は申告されている富に基づくもので、富の集中はこれよりもずっと高いと考えられる)。一家の富が一国のGDPを上回っている場合もある。例えば、ウォルマートの所有者、ウォルトン家の個人資産は270億ドルであり、これは人口1億2千万人のバングラデシュのGDPとほぼ同じ規模である。
商品を製造する必要はない。裕福になるのは、一般の製造や商業活動とは切り離された、実体経済の外で行われることが増えている。『フォーブス』誌によれば、「1996年の億万長者の急増は、主に株(つまり投機)の成功に起因している」という(『デイリー・テレグラフ・ロンドン』紙、9/30/97、”Wall Street Warriors force their way into the Billionaires Club”)。その結果、投機的取引で蓄積された資金の一部は無数の海外の金融回避地の隠し口座に注がれる。この資本逃避によって何十億ドルもの資金が流出した結果、国家の税収が激減し、社会制度が麻痺し、財政赤字が急増し、累積債務が増加している。
これと対比して、財やサービスの直接生産者の収入は圧縮され、中流階級を含めた世界人口の多くが生活水準の低下を経験している。OECD諸国では、医療や教育制度が縮小され、賃金格差も広まっている。先進国、発展途上国ともに貧困が蔓延している。ILOによれば、失業の憂き目にあっている労働者は、世界の労働人口全体の3分の1、10億人にも達しているという(ILO、1996年11月、『Second World Employment Report』)。投機的取引による富の集中は、貧困と低賃金をもたらしている。
1920年代の失敗の繰り返し
ウォール街は数ヵ月の間、危険にも不安定な取引に迷い込み、それが1929年10月29日の大暴落につながった。クーリッジとフーバー両政権が信奉した自由放任主義がその時代の風潮であった。1929年初頭に、連邦準備制度理事会は、「安全な投機や価値の調定者としての役割を果たす権利をもたないし、またそうする意向もない」と宣言した。経済学の主流派はこの判断を強く支持した。当時、金融崩壊の可能性が真剣に考慮されたことはなかった。1828年、エール大学のアービング・フィッシャー教授は信頼すべき筋として「暴落のようなことは起こり得ない」と述べた。1929年10月の株式大暴落から数年間、経済的繁栄の幻想が続いた。1930年に、フィッシャーは「近い将来の展望は輝かしい」と自信をもって断言した。権威あるハーバード・エコノミック・ソサイエティは、「1930年の製造活動は確実に回復基調にある」とした(ジョン・ケネス・ガルブレイス著、『大恐慌、1929年』に引用されている)。
主流派経済学が金融の規制緩和を支持
現在、1920年代末期の狂乱時代と同様の満足感が漂っている。経済危機の根本的な原因を追求せずに、現在の主流派経済学は、アービング・フィッシャーのスローガンを一字一句同じように繰り返している。そして不況であることを認めようとしないばかりでなく、金融崩壊の可能性を全面的に否定している。シカゴ大学のノーベル賞受賞者、ロバート・ルーカスは、経済主体の意思決定は、いわゆる「合理的期待」に基づくとし、株式市場を間違った方向へ導くような系統的誤差の可能性はないと否定した。金融市場混迷の真っ只中に、ロイヤル・スウェディッシュ・アカデミーが1997年度の経済学部門のノーベル賞を、何千人ものトレーダーや投資家たちが利用したストック・オプションおよびデリバティブ(金融派生商品)評価のための公式を生み出した、2人のアメリカ人経済学者に授与したことはあまりに皮肉である(『シカゴ・トリビューン』、”Two Americans Share Nobel in Economics”、10/15/97)。
1987年の危機の後でも、規制政策が採用されることはなかった。米議会、政府、ニューヨークおよびシカゴ株式市場が設置した委員会は、1987年の暴落は、ミューチュアル・ファンドの機関トレーダーやディーラーを含む主要プレイヤーに反発型の対応をとらせることになった出来事が引き起こしたものであるとし、それ以外の説明はなされなかった。金融規制緩和と併せた「健全なマクロ経済政策」しか対処策はないとされた。またウォール街の金融辞書には、「投機」という言葉は登場しない。
ニコラス・ブラッディの指揮のもと大統領直属の対策委員会が設立された(ブラッディはその後ブッシュ政権の財務長官に抜擢される)。一般企業の利権を見劣りさせる機関投機家たちが、強力なロビイを形成して規制政策の範囲や方向性を左右するだけの力をもつようになった。対策委員会は既存の規制の「適正」を指摘する公平な態度をとった。
1987年株式暴落の後、1920年代の政策上のミスが繰り返された。政府は介入すべきではないという考えのもと、ニューヨーク証券取引所とシカゴ証券取引所は規制手続きを微調整するよう促されたが、それは主にコンピュータ・プログラム取引を禁止することであった(『フィナンシャル・タイムズ』、10/19/92、”Five Years On, the Crash Still Echoes”)。このいわゆる「回路遮断機」は、株式暴落を回避するのには全く役に立たなかった。1997年10月27日月曜日、ダウ平均が350ドル下落した後、30分間回路が遮断された。その30分間の取引中断後、パニックと混乱の前兆が現れ、株式仲介業者は大量株の投げ売りを開始し、市価の崩壊に拍車がかかった。次の25分間で、ダウ平均はさらに200ドル急落し、その結果二度目の「回路遮断」が行われ、ウォール街はその日の取引を終了した。
コンピュータ取引が株式市場をさらに不安定にする
1920年代と現代との対照的な違いは、世界中の主要株式市場がコンピュータによって24時間相互接続されている点にある。ウォール街の不安定な取引がヨーロッパやアジアの株式市場に波及し、急速に金融制度全体にその影響が波及する。
最近の経験から、コンピュータ・プログラムによる取引がいかに市場を不安定にしているかが明らかになっている。ニューヨーク証券取引所の「スーパードット」という電子注文ルーティング・システムによって、ダウ平均は数分間のうちに、数ドルずつ上下する。スーパードットは1日に30万件以上の注文を待ち行列なしに処理することができる。これは毎秒平均375件の処理量となり、1日の株取引量は20億株を超す。その処理スピードと処理量は1987年以来10倍も伸びており、それに伴い金融不安の危機も大きく増加している。
国家経済の行方
冷戦後の不確実性の時代において、世界規模の金融危機がもたらす社会的影響や地政学的な意味合いはさらに広大なものとなっている。世界的な貿易や金融制度のもとで国家経済が相互接続されているために、株式市場暴落の影響は潜在的にこれまで以上に破壊的なものになったのである。
さらに、マクロ経済政策が国際化している。債権者や国際金融組織の監視のもと、同じような緊縮政策が世界中で採用されるようになった。開発途上国や旧ソ連圏では通貨切り下げによって国家経済全体が不安定になり、それが社会的対立や民族紛争、内戦の勃発につながることも多い。
世界の主要地域で見られる景気停滞は、1987年の金融暴落以来10年間続いている。OECD諸国全体では、GDPの成長率が1.5~3.0%の間を低迷してきたが、これだけでは経済危機がいかに深刻かを評価することはできない。発展途上国における経済の衰退ぶりは、1930年代の米国の大恐慌を上回っている。サハラ以南のアフリカやラテンアメリカでは多くの国がマイナス成長を経験している。
また、旧ソ連の経済衰退は、1941年のドイツの占領後のソビエト連邦で経験した第二次世界大戦もたけなわの頃の生産高の急減よりもさらに悪い状況にある。ソ連のGDPは1942年までに戦前レベルと比べて22%低下した(”World Development Report”、1997年、P26、図2.1)。それに比べて、旧ソ連全体で、1989~1995年までの間に44%のGDPの激減を経験した(これは国連のヨーロッパ経済委員会編集のデータによるが、実際にはさらに低下率は高いという推定もある)。
危険な分岐点
世界的な購買力は大幅に減少している。高額所得者向けの高級品を除いて、基本的な消費財市場は下降気味である。言い換えれば、ここ数年の株価の急騰は実体経済の動きとは完全に食い違っている。株式市場が永遠に独自の道を進んでいくわけではない。企業心理は不景気の影響を受ける。スタンダード・アンド・プア社500種平均株価(S&P500)の株価収益率(P/E)は1987年10月の暴落以前のP/Eレベル、22.4%を上回る25.8%と危険なまでに高くなっている。
株式市場の活況は、多くの点で、ネズミ講商法と似ている。個人貯蓄を投資した人々は市場が上向きになれば金持ちになり、それを株式市場に投資し続けている限り金持ちでいられる。金融市場が滅びれば、株やミューチュアル・ファンド、年金、保険に一生かけて投資した貯蓄が消えてしまう。米国の成人人口の40%以上が株式市場に投資している。金融崩壊は大量の債務不履行を生み、これが金融制度全体を震撼させることになるであろう。さらに、銀行の倒産や年金基金、退職金積立金の崩壊をも招く。
金融の武装解除
金融制度に残った市場勢力は、金融大変動を先導する。主な投機商品(オプション取引、カラ売り、非取引デリバティブ、ヘッジ・ファンド、非受け渡し通貨取引、インデックス先物など)を綿密に吟味しなければならない。
ドイツ連邦銀行のレポートは1993年の時点ですでに、デリバティブ取引が連鎖反応を引き起こし、金融制度全体を危険に晒す可能性があると警告していた(『サード・ワールド・エコノミクス』、No.108, 1-15 March 1995, P10、マーティン・コア著、”Baring and the Search for a Rogue Culprit” )。しかし、国際決裁銀行(BIS)が推薦するようにデリバティブの開示と報告だけに規制を限定すべきではない。特定の投機商品の利用を禁止するためには、全世界に適用可能な、先進国および発展途上国の政府が認めた具体的対策を適用する必要がある。
電子注文ルーティング・システムに付随する危険も慎重に検討されなければならない。連邦準備制度理事会の委員長、アラン・グリーンスパンは、「現在の世界的な金融市場には、一世代前には考えられなかったような速度で、金融制度全体に間違いを伝送する能力が備わっている」と述べた(『国際決済銀行レビュー』、No.46, 1997)。
国際社会は危険性が高まっている状況を認識し、一刻も早く、一貫した構造の金融規制および政府間協調を実現しなければならない。
これは広範囲にわたる複雑な政治問題であり、国内における政治力のバランスを大きく変化させることになる。現在政権を握る者たちは、保守派であろうが、社会民主主義派、社会主義派であろうが、独占的な金融利権の保持という既得権益をもっている。1997年6月のデンバーサミットでは(ちょうどこの時にアジアの通貨危機が始まった)、G7の首脳は、支離滅裂で混乱した声明の中、危機管理の強化、透明性の向上、強力な諮問基準を呼びかけた(G7首脳および政府向け最終レポート、1997年6月21日、「金融安定化を図る」を参照のこと)。ここでは主要な証券取引所における投機活動がいかに不安定を招いているかについては言及されなかった。それどころか、G7声明の中で政治リーダー達は、欺瞞と経済的な偽りの世界を作り出した自由市場の利点をやたらと予告した。主に機関投機家の利益のためのG7の賛辞によって「企業心理」は意図的に押し上げられた。
「金融の武装解除」のためには、投機活動の波を減退させることに照準を当てなければならない(「金融の武装解除」という表現は、社会正義のための世界協会連合が用いた表現である。『サード・ワールド・リサージェンス』誌、No.56、1995年3月、”The Power of Global Finance”を参照のこと)。そして、「金融の武装解除」を行うには、不正資金や隠し所得なども含めたオフショア・バンキング構造もすべて解体しなければならない。
世界貿易機構(WTO)やブレトン・ウッズという二本柱を含む国際機関は、国内を犠牲にしてまで、マクロ経済や貿易政策を監視・規制する上で重要な役割を果たそうとすることから、その発展も必要不可欠である。
国際社会は、レーガン・サッチャー時代の名残である、支配的な新自由主義体制の失敗を認めるべきである。レイオフ、企業のダウンサイジング、規制緩和などと合わせた予算削減は、経済成功の鍵ではない。こうした措置は倒産を引き起こし、大量の失業を生む。それによって最終的に消費支出の伸びを圧迫させる。不況は不況の解決策にはならないのである。
株式市場そのものを規制することが必要であるが、それだけでは不十分である。金融市場は世界的な経済恐慌の中を生き延びることはできないであろう。経済制度の大改造やマクロ経済改革の再考を行わない限り、実体経済の拡張は起こり得ない。
しかし、こうした危機に対して解決策となる手法は存在しない。有意義な改革を、社会闘争を経験しないで実現できる可能性は低い。ここで問題なのは、社会の一部の人間に金融の富が集中していること、そして実物資源を独占している点である。実物資源の独占は、中央銀行の機能を弱める国際金融制度の中で、貨幣の創造も統制する。
世界的な闘争の重要な第一段階は、新自由主義項目の正統性を打ち破り、いわゆる「ワシントン・コンセンサス」を解体することである。後者は世界中の政府が支持している。つまり、金融の武装解除は単に狭義の国家規制ではなく、その実現のために金融市場の社会統制を民主的な方法で行い、政治権力の構造を劇的に変化させる必要がある。
社会的行動は国家政府や、米国の官僚の告発だけでなく、銀行、多国籍企業、為替投機家などにも照準を合わせなければならない。この闘争は広範囲に、あらゆる国のすべての社会階級を民主的に網羅したものでなければならない。国家および国際レベルで団結して行動する社会運動や組織はそれぞれの政府だけでなく、破壊的な経済モデルに立脚する様々な金融の主体に狙いを定めなければならない。
[本稿は、著者マイケル・チョスドフスキー氏の許可を得て、”Truth in Media”s Global Watch Bulletin , 97/11/9″より翻訳転載]