No.156 日本の特別減税について

先週、日本政府は98年度に4兆円、99年度に2兆円の所得税の特別減税を決定しました。また法人課税についても税率を今後3年以内に国際水準並みにすると橋本首相は発表しています。この日本政府の経済対策に関して、私から質問を投げかける形で、ニューヨークのエコノミスト、マイケル・ハドソンに回答してもらいました。

日本の特別減税について

耕助:米国政府、IMF、EU、さらには自民党や日銀は、なぜ日本に所得税減税を要求しているのか。彼らの主張は、日本の景気対策のためには国内の個人消費を刺激する必要があり、そのために所得税減税が必要だというのだが。

ハドソン:日本は所得税だけでなく法人税も減税する。その法人企業の中には、日本にある米国子会社も含まれるのである。

耕助:そうだった。米国企業は日本で販売する製品やサービスの多くを日本で製造している。したがって、日本政府に圧力をかけて所得税、法人税を減税させれば、日本にある米国企業のコストが削減され、利益が増加することになる。

ハドソン:日本版ビッグバンによって、日本企業の収益の大半が円安傾向を食い止めるために米国の資本市場に投資されることになるだろうと米国のエコノミストは見ている。(ビッグバンの結果、価値が下がると思われる円建て投資と比較して、ドル建て投資の価値は上がる可能性が高い。)円安傾向は大蔵省と米国のアドバイザーが仕掛けたものである。[これを執筆中の4月13日、日銀は円安を食い止めるために100億~120億ドルの日本の貯畜(財務省証券)を売却し、円を買い支えた。貿易黒字がありながら円安になるのは資本の流失が原因である。この資本の流失にともなう円安を食い止めるために日銀が財務省証券を売却し、それで得たドルを円に変換している。これは米国から買い支えるように言われて行ったものである。日本はこうした資本の流出がなければ、外貨準備の一部である財務省証券を失う必要は全くないのである。]
確かに米国の労働者は「アジアからの低価格の輸入品」に不満を漏らすであろう。しかし、低価格の輸入品は米国内の雇用を抑制し、賃金レベルを下げるために、金融分野はそれを望んでいる。そして、米国では金融の利権の方が労働者の利権よりも優先される。米国の金融界は、日本の貯畜で米国の株式市場および不動産市場が膨張することを望んでいる。もちろんその結果、日本の株式市場および不動産市場はさらに暴落するであろう。
日本人であれば当然、大蔵省や自民党の政策がどれだけ日本のためになるかを考えるだろう。しかし大蔵省や自民党の目的は日本の国民を助けることではなく、米国を助けることにある。日本の政策を分析するためには、米国の金融戦略家が何を望んでいるのか、日本がいかに米国の戦略にはまったのかを常に考える必要がある。日本の有権者、預金者、労働者がこの事実に気づかない限り、大蔵省や自民党が国民のための政策をとることはないであろう。

耕助:国内の個人消費を喚起することが良い政策ならば、所得税や法人税ではなく、なぜ消費税を引き下げないのか。

ハドソン:その通り。しかし、米国が本当に狙っているのは日本の個人金融資産がさらに増えることである。ビッグバンによってその大半が米国の株式市場や債券市場に流れることを見越しているからである。

耕助:つまり、米国が日本に内需拡大を望んでいるのは表向きで、実際には、ビッグバンで米国に流れる日本の個人金融資産がさらに増えることを望んでいる、ということなのか。だから消費税ではなく、所得税や法人税の減税を要求しているのか。

ハドソン:その通りである。日本を危機的状況に陥れ、米国の財務担当者が介入できる状況を作って、日本に従来通り従属的な役割を果たさせることが米国の目的なのだ。

耕助:日本人の個人消費をこれ以上増加させるのは賢明な策だと私は思わない。

1. 社会の目的は国民を最も幸福にすることである。
2. 企業の目的は国民の幸福につながる製品やサービスを提供することと、その製品やサービスを購入できるよう雇用を創出することである。
3. 企業の目的は利益追求ではない。企業が取っていい利益は、研究開発や設備投資などに必要な分だけである。それ以上の利益を取ることは高利貸しと同じであり、企業はその分値下げをするか、あるいは社員への報酬を増やすべきである。

こうした基準から考えれば個人消費を刺激する必要は全くない。日本の消費はすでに世界でも最大規模であり、ほとんどの日本人には(住宅を除けば)自分の幸福につながるもので買いたいものは何も残っていない。だからこそ、1,200兆円もの個人金融資産が蓄積されたのである。
日本政府は減税ではなく社会消費を増やすべきである。医療、特に高齢者のための医療、教育、共働き夫婦のための保育所、生涯教育と訓練、きれいな空気と水、公園や娯楽施設、その他国民の幸福につながるサービスやインフラなどをもっと充実させるべきである。社会消費への支出は経済活動を活性化することにもなる。

ハドソン:まさにそれこそ日本政府がすべきことである。税金を全く支払わないで済ますために、公共支出に反対するようにと、自由論者たちが国民を説得し始める前までは日本でもこうした政策がとられていた。しかし自由論者の考え方の問題点は、公園や医療制度、教育制度を整備するために個人はお金を出さないということである。それをやるのは政府しかない。しかし、そのためには資金が必要なのである。
今世紀初頭には、政府は金持ちに対する累進課税でその資金を集めた。今日、金持ちはその税率を下げるよう訴えている。その戦略は公共支出全般を国民に反対させるのである。こうした公的サービスを望まないように国民を再教育すれば、公的支出に対する要求が弱まり、富裕者の税金を減税しやすくなる。(古代の経済理論、宗教理論では、富は中毒性を持つとされ、少数の人間に富を集中させると腐敗につながりやすいと考えられた。しかし、こうした歴史は、もはや日本の大学でも米国の大学でも教えられていない。)

耕助:成長し続けない経済は健全ではない、という考え方は近代経済学の欠陥である。イギリスとアメリカの経済理論はアルフレッド・マーシャル以来、経済を物理的なメカニズムだとする間違った前提に基づいていた。マーシャルとその継承者達は経済をモデル化し、分析するために、数理機械論や数理物理を利用した。しかし経済は生きている。経済をモデル化し、分析するために数理が必要なのであれば、生物や生命科学の数理を使うべきである。

ハドソン:同感である。4000年前のバビロニア人は複利で増える負債資本を倍増させて計算した。そして支配者が秩序を立て直すためには、経済制度の外で行動しなければならないと結論づけた。このために富の過度の集中を妨げ、大半の家庭が赤字にならないようにし、さらに誰でも自分の土地を手にすることができるようにした。
近代経済学は生物学的金融の比喩を拒み、代わりにエントロピー・モデルを前提にしている。このモデルによれば、経済システムにおける不均衡さは自然におさまり、悪化するのではなく自動的に通常の状態に戻るとされる。政府がその均衡や公平さを取り戻す必要はなく「市場」によって自動的に立て直されるというのである。不均衡な状態は慢性的にはなり得ず、不安定な経済は自動修正されるとする数理的証明にはノーベル賞が与えられている。

耕助:物理的または機械的なものには継続的な成長が好ましいことであり、可能なことなのかもしれない。しかし、有機体における過剰な成長は病の徴候であり、致命傷となり得る。経済にも人間の体と同様に適切な大きさというものがあり、それ以上の成長は不健全である。特に、製品やサービスが国民の幸福に必要な以上に生産、消費されれば不健康であり、環境を破壊したりすることになる。
アルフレッド・マーシャルが経済に物理モデルを適用したのは、継続的な成長を望む不労所得生活者が残りの国民を犠牲にして、彼らだけがさらに金持ちになれるようにするためだったのか。

ハドソン:私の見方では、マーシャルは単なるお人好しであり、それを見込んでノーベル賞が与えられたに過ぎないと思う。

耕助:ということはマーシャルの「陰謀」とする私の見方は間違っていたようである。

ハドソン:マーシャルはヘンリー・ジョージの主張に動揺し、ケンブリッジ大学の図書館からジョージの本をすべて取り除かせた。ヘンリー・ジョージはベストセラーになった『進歩と貧困』の著者で、不労所得生活者が土地から得る自然増加益に課税すべきであり、生産的な活動や成長につながる消費への税金は減税すべきであると説いていた。ジョージのこの主張に、マーシャルは狼狽したのであろう。
マーシャルをはじめとする反古典派経済学者は、金儲けに生産的、非生産的の区別はなく、すべての所得は働いて得た所得であるとしたのに対し、ジョージは所得および富の多くは働いて得たものでないと主張した。中でもジョージが問題視したのは、地代と不動産や他の占有権から得る投機的な価格上昇(資産価格のインフレ)であった。
金融業者や銀行家、土地の投機家がマーシャルや新古典派(つまり反古典派)の経済学を支持したのは当然である。古典派経済学者が不労所得を寄生的であるとしていたのに対し、その後の経済学者は全くそうした主張を行わなくなった。
実際、19世紀後半にも、金融に関する議論はかなり行われていたが、マーシャルやその後の経済学者は全くそれに参加しなかった。この「陰謀」の張本人はデイビッド・リカルドである。彼は債券仲買人でありながら、お金が単なるベールであるかのように考え経済を分析した。この前提がマーシャルの経済学、さらにはその後のイギリスの大半の経済学の中心的な考え方になった。
我々が目にしているのは、主客転倒的な状況を作り出すために、IMFや米国の金融外交を通じて、かつては金融の末端にあったものが経済情勢の邪魔をするという状況である。経済理論は金融から始まるのが妥当であり、金融が単なるベールであると仮定すべきではない。しかし、現在、そのことを踏まえた経済理論は存在しない。

耕助:マーシャルの後継者や、イギリスおよび米国の主流派経済学者達は、今日まで、経済が生きた有機物ではなく機械であるとする間違った仮定を固持してきた。それによって、仲間である国民を犠牲にして自分達だけ裕福になり続けるために経済成長の継続を望む不労所得生活者や高利貸しを、意識的にしろ無意識にしろ、こうした経済学者が代弁することになったのではないか。それとも、高利貸しや不労所得生活者の力や影響力が強かったために、こうした見かけ倒しの経済学が正統派の経済学よりも浸透することになったのか。

ハドソン:不労所得者はビジネス・スクールや右派のシンクタンクを設立して、自由論者のマネタリズムを推進した。しかし、左派はこうした勢力に対抗しなかった。

耕助:私は日本の政府が地価の下落を必死に食い止めることで、恐ろしい間違いを犯し、日本国民を裏切っていると確信する。日本政府が地価をさらに下落させれば、より多くの日本人がマイホームを購入したり、また日本企業が施設を充実させ競争力や生産性を向上させることができる。

ハドソン:それによって日本国民の福祉が向上する。しかし、政府が地価をさらに下落させられないのは、過大評価されている金融機関の保有資産のかなりの部分を消滅させることになるからである。不動産価格が他の国と同様に下がれば、銀行の資産は預金債務以下に減少してしまう。不動産投機家に賄賂として多額の融資が行われたが、日本政府は不動産価値を下げることで銀行やその株主を罰するのではなく、むしろこうした賄賂で支えられた融資を日本の貯蓄基盤にしたいと考えている。
問題は政府が真実を示し、銀行や株主がとった不正あるいは無能な行動に対して責任をとらせるかどうかということである。銀行が無能ではなく、日本の貯蓄が実体のある資産によって支えられているかのように見せかけ続けるべきなのか。それとも単なる見せかけのバランスシートではなく、より現実的なところから日本の政策を開始すべきなのかが問題である。

耕助:政府は公的資金で銀行を買い取り、国営銀行として運営することはできないのか。

ハドソン:政府は銀行を買い取るために一銭も払う必要はない。こうした銀行の自己資本はすでに事実上ゼロあるいはマイナスになっている。政府はそれを直接所有するか、あるいは新しい銀行を創設すれば良いだけである。
しかしこれとは全く逆のことが実際には行われようとしている。銀行を救済するために郵便貯金を株式に投資しようとしている(この多くが米国の株式市場のバブルを膨らませることになるであろう)。日本国民の貯蓄が、少数の人々が所有する投資や投機を支えるために浪費されるのである。これが日銀と大蔵省の基本的な考え方である。

耕助:貨幣の流通のために銀行の機能が必要なことはわかるが、なぜ民間の銀行でなければならないのか。

ハドソン:必然的な理由はない。しかし多くの国の国営銀行で汚職が蔓延している。フランスでもメキシコでも、国有化された金融機関の銀行家は自分の仲間に融資を行った。問題は抑制と均衡、そして、犯罪の定義と適切な罰の設定にある。
民営化論者が国民の支持を得たのは官僚に汚職が蔓延ったためである。これだけ汚職事件が多発している大蔵省に国営銀行を任せられると思うか。

耕助:(汚職のない政府によって)倒産した銀行を国営化することがなぜ危険なのか理解できない。私は何か見落としているのであろうか。

ハドソン:まず第一に、支払い不能の銀行を国有化すれば、その銀行が残した不良債権の責任を政府が負わなければならなくなる。すなわち、政府が税金を使って、銀行の預金債務とその預金を支えている銀行資産の市場価値の差を埋めなければならない。政府には金融機関が負の正味資産をどれだけ抱えているか検討もつかないはずである。政府が銀行業務を行うとすれば、新たに開始すべきである。
銀行をいったん倒産させ、政府がその銀行の残った資産で預金者(株主ではない)をある程度まで救済するというのが最善の方法である。その程度とは、大半の日本人が必要と考える額の貯蓄である。言い換えれば、預金者の90%以上はすべての預金を払い戻すことができる。ただし外国の銀行や大口の預金者には自己責任をとらせる。彼らは自分達が預けた預金で銀行が博打を行っていたことを熟知していたのであるから当然である。ただしほとんどの預金者は自分達が博打を行っているとは知らず、銀行は預金者のために存在すると信じて疑わなかった。
第二に、地価の下落がバランス・シート上で銀行や保険会社を支払い不能に追い込んだ場合、これらの金融機関に何が起こるかを見落としている。事実、多くの金融機関でこれが現実となっている。過去8年間、政府は金融機関に自力で負債から抜け出すことを期待した。しかし、それにもかかわらず金融機関は不良債権をさらに積み上げてきた。したがって、政府が今それをやめさせたとしてもさらに悪い状況にはなり得ない。不動産や株式の価格を通常のレベルまで下落させるための代償と考えられる。
第三に、日本の政府は日本の貯蓄を利用して経済環境および社会環境を改善することができる。下水道や給水本管などの都市インフラを構築する。(自民党は米国の業者を使うように米国政府から圧力を受けているが、自国の国民の貯蓄を守りたいと考えるのであれば、日本の企業あるいはコストが最も安いアジア諸国の業者を使うべきである。)
米国からの要求を退け、日本やアジアの業者を使って都市インフラを整備することになれば、米国は怒り、脅迫めいた手段に出るかもしれないが、日本国民はそれに動じてはならない。問題は、自国を立て直したいとどれだけ真剣に考えているかである。

耕助:日本政府は米国政府に対して「大きなお世話だ。日本の内政に口出しするな」と言うべきである。

ハドソン:そのためには、米国の国益となる経済政策を支持してきた極端に親米派か、お人好しであるがために登用されてきた日本の政治家や官僚達を総入れ替えしなければならない。日本のための政策をとらせるには、大蔵省や東大卒以外からリーダーを選ばなければならない。それには外国のアドバイザーが必要かもしれない。黒澤明監督の『七人の侍』のように侵略者から日本を守ってくれるサムライが今の日本には必要である。米国の戦略が何であるかを説明でき、日本がそれに対抗する適切な戦術がとれるように助けてくれるサムライである。あなたの分析と提案は、マネタリズムに洗脳された自民党政権を終わらせ、新たな政治支配を確立することが前提となっている。

耕助:確かにそうである。

ハドソン:まずはじめに、東京大学から輩出される金融外交官は、自分達の役割を実世界で果たすための教育を受けていない。日本は米国の有名な経済学を採用したが、米国はこの学問を輸出専用として、外国人に見せかけの世界を信じ込ませるために利用してきたのである。米国自身はそうした経済学には書かれていない行動をとっている。それは教科書には書かれていないが、海外の貯蓄と富を絞り取り、米国の資金運用者や企業の乗っ取り屋を儲けさせるために非常に効果的なものなのである。
日本はまずこうした二重基準を知るべきである。米国は自由貿易や経済効率を信奉してはいない。彼らが重視しているのは特別権益とマーケット・シェアの確保である。米国の外交官は、日本経済が自国経済を歪めても米国の経済を必ず豊かにする保証がほしいのである。それがバブル経済につながり、アジア経済の崩壊を引き起こした。
これに代わる状況を作り出すためには、米国の対日輸出増のために日本経済を刺激するような米国からの要求を拒絶すればよい。そうした「成長」は単なる「経済需要」に過ぎず、それどころか余分な「脂肪」である。内需を増やせば、国家を超えた裕福な政治インサイダーによる独占を招き、経済を不安定にするだけである。
今後10年間に日本に期待することは、個人消費や製品需要を刺激するためだけのために減税を行うのではなく、すべての日本国民が利益を享受できるような社会消費支出を増やす方向へ向かうことである。
国民のお金を使って土地や株の値段を上げて、銀行や不動産の投機家、外国人投資家に金儲けをさせることは不公平である。この経済政策の失敗をあるがままの形で示し、過剰インフレの不動産と株の価格を下落させるべきである。少なくとも、株価と不動産価格を下落させた場合の結果と、郵便貯金を金持ちの貯蓄を増加させるために投資した場合の結果とを比べてみるべきである。それと日本がとれる選択肢に従って、将来の日本経済のシナリオを描いてみるべきである。
投機家は日本の消費者やサラリーマンの犠牲の上に利益を手にした。金持ちをさらに金持ちにすることは自然なことではない。事実、経済を生物学的に捉える人々は、そうした状況が長くは続かないと知っている。大蔵省は不可能な夢を追っているのである。
大手金融機関をつぶすことは、たとえバランス・シートには表れていなくとも日本の預金者がすでに被った損失を形として表すことである。日本がその損失を引き受け、過去の間違いがどれだけ大きな損失につながったかを見極めるのが早ければ早い程、不均衡や混乱を避けるために新しい方向ヘ向かって早期に再出発することができる。