以下は『By The Way』という雑誌に依頼されて、私が書き下ろした評論です。
日本は「やぶ医者の処方箋」を採用すべきではない
我々は混乱の時代に生きている。日本経済について言われていること、また行われていることは、ほとんど間違っている。日本経済に関心を持つ正当な理由のある自民党や大蔵省、さらに日本のマスコミは、米国経済が繁栄する一方で日本経済は衰退している、と主張する。そして日本に内政干渉する理由のない米国政府、国際通貨基金(IMF)、世界銀行も、まったく同じことを言っている。しかし、それらはすべて間違いである。繁栄しているのは米国経済ではなく日本経済であり、苦しんでいるのは一般の日本人ではなく、一般の米国人なのである。
日本や他の諸国が繁栄する一方で、衰退する米国
景気後退や「マイナス成長」といった奇妙な報道が日本のマスコミを賑わしている。しかし注意深く比較すれば、米国民に対する米国経済よりも、日本国民に対する日本経済の方がうまく機能していることがわかる。現在、米国経済は日本が1980年代後半に享受し、その後苦しむことになった状況と同様の短いバブルを経験している。しかし、米国経済は過去30年間以上にわたり着実に悪化し、それは今なお続いている。所得の分配に関する最近の調査結果にそれが如実にあらわれている。
例えば、『ビジネスウィーク』(97年9月1日号)は次のように述べている。「米国経済は依然として2つの階層に分断されており、多くの米国人は苦境にあえいでいる。平均時間給は1973年の過去最高11.35ドルよりも約8%低い10.49ドルであり(1,363円)、国勢調査局の統計によると実質世帯収入は、1990年代の景気後退期に実質で5%低下した。最新統計である1995年の世帯収入の平均は1989年よりも依然として4%低い」
米国の連邦準備制度理事会は1989年に、米国の賃金と手当ての減少を他の諸国の状況と比較した。「米国以外のすべてのG7諸国では、生産労働者の報酬が上昇した。1979~1989年の平均年収の成長率は日本では1.3%、ドイツでは1.9%、フランスは1.9%であった。また、1979~1992年に、平均的労働者の報酬は米国で6%減少したのに対し、フランスでは26%、ドイツでは35%、日本では16%増加した」
さらに、米国では富裕層と貧困層の所得格差が拡大し続けていることを示す統計もある。ニューヨーク大学のエドワード・ウォルフ教授の調査によれば、「米国の最も裕福な上位1%が所有する富の割合は1979~1989年の間に22%から39%へとほぼ倍増した」という。そしてOECDのレポートは、米国人の裕福な上位20%の年収が、最下位20%の年収の約11倍であることを示している。これは、ドイツ、フランス、イタリアの格差の約2倍にあたる。日本はこの格差が4倍であり、OECDの主要国の中でも所得の分配が最も均等であることを示している。
やぶ医者の治療
さらに悪いことには、経済のやぶ医者たちが健康体を病気だと誤診し、健全な経済にとっては害にしかならない「治療法」を処方している。彼らのいわゆる「治療法」は明らかに間違いであり、有害である。
マスコミ、自民党の政治家、大蔵省の役人は次の3つのことを主張している。(1)日本経済は病んでいる。なぜなら日本は十分な成長率を上げていない。(2)日本経済をもっと成長させるために、政府は個人消費を刺激する必要がある。(3)個人消費を刺激するためには、所得税と法人税を減税する必要がある。これらの処方はすべてにおいて間違っている。
経済の目標が成長であってはならない。いかなる社会においても、経済の目標はそこで生活している人々の幸福および安寧であるべきである。日本を「経済の奇跡」へ導いた、松下幸之助をはじめとする指導者たちは、度々次のようなことを説いた。(1)社会の目標はそこで暮らす人々の幸福である。(2)企業の役割は、国民の幸福につながる製品やサービスを提供することと、その製品やサービスを購入するための所得が得られるよう、雇用を創出することである。(3)企業が取って良い利益は、国民の幸福につながる製品やサービス、雇用を提供し続けるために必要な投資分だけである。(4)企業はそれ以上の利益を取る代わりに、その分値下げをするか、あるいは社員の賃金や手当てを増やすべきである。
英米の経済思想が、経済は成長していなければ健全ではない、そして経済の健全性が成長と比例するという考え方に取りつかれたのは、1世紀前にアルフレッド・マーシャルが数理経済学を広めてからである。マーシャルは経済を物理的なメカニズムであると仮定し、経済分析に機械的なメカニズムの数理を当てはめ始めた。
しかし、経済が物理的なメカニズムではないことは極めて明らかである。経済は生きた有機体である。経済を左右するのは私たちが消費者、労働者、官僚、政治家、その他の国民として行う意思決定や行動である。植物や動物などの生物と同じように、経済にも最適な大きさがある。過度の飲食で人間が太ったり病気になるのと同じように、消費過剰になると経済も病気になる。
ではどれくらいが十分なのか。日本は主要経済大国の中で、すでに最低の失業率、最高の平均賃金、最大の消費を達成している。そして個人消費の需要がほぼすべて満たされているからこそ、日本には世界でも最高レベルの個人金融資産1,200兆円が存在するのである。より良質の住宅を除いて、あなたやあなたの友人が買いたくても手が届かないものがあるだろうか。もしそれがないのであれば、個人消費を通じた経済成長がどうして日本の利益につながるのか。食べ過ぎが個人の健康を害するのと同様に、これ以上個人消費を増加させることは日本社会にとって害を及ぼすことになる。
イギリスや米国の高利貸しや不労所得生活者は、マーシャルの間違った考えを自分達の利益のために利用した。彼らは経済が本質的に機械的なものであるという幻想を経済専門家を使って社会に植え付けさせることによって、自国の経済政策に突出した影響力を持つようになった。今日、イギリスと米国の経済は、主としてこの偏った「成長」のもとに運営されている。その結果、両国では、比較的少数の不労所得生活者と高利貸しの利益は劇的に増大したが、大半の国民のための実質賃金や雇用の安定、さらには手頃な価格の公共および民間の製品やサービスは大幅に削減された。このひどい詐欺的行為の最新の手法が、金融業界の規制緩和であり、高利貸しへの規制の排除である。高利貸しは、聖書からプラトン、シェークスピア、またアダム・スミスからジョン・メイナード・ケインズに至るほとんどの経済学者を含む主な西洋の権威者が強く非難してきた職業である。なぜならば高利貸しは少数の富裕者にその他の国民すべての略奪を可能にさせるからである。
学識ある世界の指導者達のほとんどが、英米病の危険性を目にして、それが自国に波及するのを防ごうとしている。残念ながら、自民党はその無知さ、または貪欲さからか、はたまた日本を日本国民のための主権国家としてではなく、米国の植民地として管理すれば政権を維持できると考えてか(おそらくこれらすべてが理由であろう)、積極的にこの英米病を輸入している。規制緩和、グローバリゼーション、ビッグバン、「富裕者のための減税とすべての国民には消費税増税」といった政策を通じてそれを行っているのである。
個人消費の刺激が良い考えであったとしても(決してそうではない)、自民党の所得税および法人税減税計画は、景気対策のための良い方法ではない。消費税減税は個人消費を刺激するかもしれないが、所得税や法人税の減税は個人消費を刺激しないであろう。法人税減税は、政治家を政治献金で買収し、また天下り先を提供して腐敗した官僚を買収する企業に利益をもたらすだけである。さらに、所得税減税によって潤うのは裕福な政治家や高級官僚、企業のトップ経営者、さらには(減税支持が広告収入につながる)マスコミ機関なのである。
日本の健全な経済を「治療する」ために、所得税減税という有害な処方箋を適用しようとする行動の裏にあるのは、無知ではなく貪欲さであろう。政府に消費税を上げさせた富裕層のための減税を国民に受け入れさせるために、日本経済は「病んでいる」と国民に信じ込ませるための策略なのかもしれない。橋本首相や買収された自民党の仲間達が富や高額所得に対する課税率を下げる時、彼らが特に自分達の税金を減らしているということを私たちは認識すべきである。昨年公開された自民党衆議院議員の個人資産は、平均で1億1,500万円以上であった。
さらに、日本に減税を行う余裕はない。経済協力開発機構(OECD)によれば、日本の国と地方の債務残高がGDPに占める割合はすでに93%に達しており、これと比較して米国は64%、イギリスは62%、ドイツは67%、フランスは63%に過ぎない。減税すれば負債が増えるだけである。孫の代まで返済しなければならない程、借金を積み上げるつもりなのであろうか。
日本の所得税率がすでに世界で最も低いことを考えると、所得税減税は特に無責任な行為である。OECDによれば、以下の表が示す通り、日本の平均所得税率は主なOECD諸国の中でも最低に近い。
OECD先進諸国の平均所得税率(1990年)
デンマーク 25.6%
スウェーデン 21.6%
フィンランド 17.8%
ニュージーランド 17.8%
カナダ 15.2%
ベルギー 13.8%
オーストラリア 13.3%
ルクセンブルク 12.1%
ノルウェー 12.0%
アイルランド 11.9%
オランダ 11.2%
スイス 11.0%
米国 10.7%
イギリス 10.4%
ドイツ 10.3%
オーストリア 8.8%
アイスランド 8.7%
日本 8.4%
フランス 5.2%
(出所)OECD, Financial Statistics
橋本首相が「日本の所得税率を国際水準まで引き下げたい」と主張する時、彼はそれが事実に基づいた発言ではないことを知っているのである。
自民党と政府のすべきこと
日本国民をさらに幸福にするよう、自民党と政府が経済を好転させるためにすべきことは2つある。まず第一に、地価の下落を食い止めることをやめるべきである。ほとんどの日本人は職場に近い、より良質の住宅を手に入れたいと考えている。また企業が事務所や工場に法外な費用を払わずに済めば、大半の日本企業の競争力はもっと高まるであろう。さらに、個人や企業が今より良い住宅や施設を購入できるようになれば、電化製品や事務機器、その他の什器の新たな購入が増え、経済がさらに刺激されるであろう。しかし、自民党と政府は地価の自然な下落を食い止めようと必死になっている。彼らは、(土地を住む、働く、生産する場所と捉える)国民や企業よりも、(土地を金融資産として捉える)高利貸しを優遇しているからである。
第二に、自民党や政府が日本国民の幸福につながるよう経済を改善するためにすべきことは、個人消費の促進ではなく、社会投資を増やすことである。個人で購入できる製品やサービスについては日本国民はすでに満足しているが、社会で購入しなければならない製品やサービスはむしろ欠乏している。例えば、日本政府の災害対策への投資や、被災者の金銭的困難を軽減するための資金援助プログラムなどは十分ではない。事実、阪神大震災から3年以上経過した現在、なお2万4,000世帯が仮設住宅で暮らしている。国民健康保険と同等の国民地震保険のようなものがあれば、被災者の金銭的苦労は軽減されるであろう。健康保険についていえば、自民党と政府は医療費を削減するよりも、高齢化に対応するために医療への投資を増加すべきなのである。
社会投資でもう1つ重要なのは防衛である。日本は世界の主要国の中で唯一無防備な国である。自民党と政府は、日米安保条約というもので日本が保護されていると国民に信じ込ませてきた。しかし、この短い条約を読めば米国が日本を守ることなどまったく保証していないことは誰の目にも明らかである。この条約は、米軍が日本を引き続き占領できるという認可書にすぎない。過去25年間の米国の行動を見れば、日本を守るために自国民の血を流すようなことを米国市民が政府に許すはずがないということは誰にでもわかるはずである。日本は他の国と同様に、自国の防衛能力を構築すべきである。それには自衛隊の増強だけではなく農業の再建も含まれる。自民党と政府は日本の食料自給率を過去30年間の間に、約70%から30%にまで低下させた。表面上、これは米国の貿易交渉者をなだめるために取られてきたように見えるが、実際には、日本を米国に従属させ続けることで政権を維持しようとした自民党が、米国に魂を売るというファウスト的な行動の一環として行ってきたのである。
結論として、高利貸しを支援し、富裕者の税金を軽減するのではなく、政府は社会投資を増やすべきである。水と空気の浄化、公園の増設・充実、環境保全、文化的遺産の保護、国民の生命と主権の保護のために投資すべきである。こうした社会投資すべてが、国民の雇用やビジネス・チャンスを増やすことで経済活動を活性化し、国民の安寧、安全、幸福を向上させるのである。