No.166 通貨危機:責任はIMFではなくアジアにある

 5月22日、23日に開催された“読売国際経済シンポジウム”の内容の抜粋を、エコノミストのマイケル・ハドソンに送り、それに対する彼の見解をまとめてもらいました。アジアの経済危機を我々アジア人がどう捉えているかを示すこのシンポジウムについて、ハドソンに客観的に分析してもらいましたので、是非お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

通貨危機:責任はIMFではなくアジアにある

 5月24日付けの読売新聞は、「調整期のアジア経済と日本の課題」をテーマにした“第28回 読売国際経済シンポジウム”(5月22日、23日開催)の講演・討議内容を掲載した。記事の冒頭に「アジアの通貨危機克服のために構造改革などで国際協調が不可欠との認識で一致した」とあるが、この「構造改革」という言葉は、民営化政策、貧困者に対する富裕者の階級闘争、緊縮経済といったお決まりのプログラムを意味するIMFの暗号となり、また「まずアジアを非難せよ」という政治的見解を表すものでもある。

 このシンポジウムの第一セッションでは「経済危機の主因と克服の条件」について討議された。政策立案者が何かの原因について討議する時、その議題には、自分達が望む解決策につながるような言い回しが自ずと使われる。‘自民党の広報機関である読売新聞社’が解決策として望んでいることは、IMFによるさらなる緊縮政策であり、主に米国資本やドイツ資本などの外資が日本企業を所有できるよう開放することであり、また富裕者への課税率を引き下げ、貧しい消費者に税負担を転嫁し、米国、ドイツ、IMFの要求にさらに屈することである。

 このシンポジウムに参加したパネリストたちは全員、日本がさらに米国に近づくこと、厳密に言えば、日本人が理想化した米国に近づくべきだということで同意した。しかし、そうなれば日本は第三世界化するであろう。「国際協調」と婉曲的に表現されているが、実際にはそれは従属である。(実際、米国の外交用語においては、他の国が米国の指示通りに行動すれば「協調」であり、指示以外のことを行えば「協調」ではないのである。これは小学校の教師が生徒に「協調性を持て」というのが「言うことに従いなさい」という意味になるのと同じである。)

 電通総研社長兼所長の福川伸次氏は昨年7月のタイ・バーツの下落にいたるまでのアジアの経済危機の原因を分析し、今回の危機はバーツの価値がドルとともに上昇し、タイの輸出価格を吊り上げたことに起因していると単純に結論づけている。タイがバーツ切り下げを行ったことがインフレの引き金となり、消費が減少して経済危機が悪化したというのである。

 ここで福川氏は、タイの銀行や企業が、国内銀行よりも金利が低いがためにドルで融資を受け、それを自国通貨であるバーツに換金したということについて全く非難していない。(この時、ドルを介在させず、つまり国際収支に何の影響も及ぼさずにタイの銀行がその信用供与を与えることもできたはずである。)タイ国内で使う資金であれば、なぜドル融資が必要だったのかという根本的なことについては、福川氏は全く言及していないし、受け取ったドルをタイの中央銀行が即座にバーツに交換しなかった点についても非難していない。福川氏の分析では、ドルの貸し手である外資系の銀行は完全に受動的立場であり、悪いのは融資を受け過ぎたタイ人である、という見方になる。

 元韓国蔵相の司空壱氏は、「通貨危機に陥ったアジア諸国では、金融機関が外国からの短期資金借り入れに依存し過ぎ、自国の企業、特に不動産プロジェクトに信用供与をし過ぎた」と指摘した。確かにこれが問題となった。韓国の不動産ブームは国内の低コストの信用供与に端を発したのではなく、韓国経済の規制緩和が招いたものである。規制緩和により韓国の企業は海外で資金調達が可能になり、海外から借り入れたドルをウォンに換金し、この過程でウォンの価値を急騰させた。そして同時に不動産投機に走り、不動産バブルを招いたのである。さらに司空氏は、「特に韓国では、政府が主要金融機関に対し暗黙の信用保証を与えたため、無軌道な融資を誘発し、金融機関にモラルハザード(企業倫理の欠如)をもたらした」と述べた。

 台湾行政院経済建設委員会主任委員の江丙坤氏は、「政府が十分な監視を行わずに資本取引を自由化したことが原因となって、不動産バブル、株式市場バブルを生んだ」と問題の原因を正しく指摘し、読売新聞と自民党が主唱する自由化と規制緩和という政策に、的確に非難の矢を向けた。また日本総研香港駐在首席研究員の呉軍華氏は、「日本から始まった戦後アジア型の発展モデル、つまり輸出振興型のモデルが限界にきた」と述べた。これに続いて、元在日米国商工会議所会頭のトーマス・F・ジョルダン氏は、アジアの成長モデルを非難し、米国モデルを賞賛する方向へ論議を転じた。ジョルダン氏はアジアに対して、規制緩和や、米国や他の外資系の銀行に対して市場を開放するよう海外から圧力があったことは無視し、「今回のアジアの金融危機は、何人かの政治家が言うように外国政府や投機家によってもたらされたのではなく、アジアの構造的な問題と経済政策の失敗が背景にある」と述べた。

 つまり、アジアは米国の忠告に従わなかったというのがジョルダン氏の主張であった。こうして非難の矢はつかみどころのない、定義が難しいものに向けられ、読売はこれを「政治、経済、技術のグローバル化の真っ只中にある世界経済の未曾有の変革」という、何を意味するのかよくわからない言葉で表した。

 ここで討議の流れは一変し、「透明性、グローバル化、自由市場機構の原則のもとで、そうした変革はもはや元に戻すことはできない」ということでパネリストの意見は一致した。つまり、もはやアジアは、リーダーである米国に従う以外に道はなく、安定した成長をもたらすよう経済の舵取りを行い、階級闘争を避け、自国経済の支配を維持しようとすることは不可能であるというのである。アジア諸国は管理を誤ったのだから外国投資家に身売りし、アジア経済の運営を欧米やその他外国人に任せるべきだというのがジョルダン氏の提案であった。

 江氏はこの危機を乗り越える1つの方法は、日本、中国、台湾、シンガポールがアジア開発銀行と協力し、金融危機に陥ったアジア諸国が発行する国債を保証することだと提案した。この提案は、日本の護送船団方式をアジア全土に拡大することで、もっとわかりやすくいえば、日本政府とその金融機関が、インドネシアやタイなどの泥棒政治や、不良債権にあえぐ韓国の銀行すべての保証をするということであり、米国やヨーロッパの銀行の不良債権を全額返済できるよう、日本が保証するというものである。これで外国の銀行は潤うかもしれないが、日本経済は最終的な保証人として犠牲になるであろう。

 呉氏は、日本経済は自国経済に資金を回すのではなく、東アジア諸国に資金を還流させるべきだと主張した。また、中国は海外に市場をさらに拡大できるよう、自国の通貨を切り下げるべきではないと付け加えた。

 ジョルダン氏と江氏はともに、国際資本取引を自由化することを肯定した。しかしこれこそ、アジアに金融危機とバブルをもたらした元凶なのである。

 ジョルダン氏は世界の為替ディーラーの取引額が1日1兆3千億ドルにのぼり、これは全世界の国内総生産の合計の約4~5%に相当すると指摘している。つまりほとんどの資金はIMFのマネタリストが主張する「財やサービス」の取引には、使われてはいない。しかし読売新聞は、「パネリストたちは、構造改革を促進する駆動力として、IMFの役割が重要であることを認めた」と記している。

 この読売新聞主催のシンポジウムは、外国から融資を受けられるよう経済を解放せよとIMFが中央銀行に迫ったことによってアジアに経済危機が起こった、ということから始まり、最後にIMFを肯定し、さらなるIMFの貢献を求めるという矛盾した結論で終わっている。

 結局、アジアの通貨危機は「反復強迫」という心理的なものかもしれない。トラウマに悩むこの被害者は、回復へ向かうことを期待して繰り返し傷つけられることを求めている。IMFによって傷ついたアジアは、被害者となった自分を責める心理状態に陥り、加害者ではなくまず自分たちを責めているようである。