No.172 参院選について思うこと(6)

 今回は第4段階の投票、「積極的に投票する」とは何かについて論じます。是非お読み下さい。今回の参院選をきっかけに、国民自らがこの腐敗した政治を変えることができるよう、そして日本が抱えている諸問題の解決に向けての第一歩を踏み出すことができるよう、心より願ってやみません。皆様からのご意見をお待ちしております。

参院選について思うこと(6)

 現在日本が直面している無数の問題の責任は、マスコミでも、日本の教育制度でも、官僚でも政治家でもなく、日本国民にあると私は思う。マスコミにも欠点はある。しかし、国民にはそれを正す権限はなく、変えられないことについて思い悩んでも無駄である。日本の教育制度に関して言えば、自分の国を愛するよりも憎むように、また日本人であることやその文化を誇りに思うのではなく、恥ずべきことだと教えている今の日本の教育制度はひどいと思う。マッカーサーに押し付けられた、こうした教育制度を戦後50年以上も後生大事に守ってきたのは文部省であるが、この問題をすべて文部省のせいにしたり、また他の問題を官僚のせいにしても始まらない。なぜならば、こうした官僚を立法、行政の両面で統制できるのは、我々国民ではなく、内閣であり、国会議員だからである。我々国民にできるのは、その国会議員を選挙で選ぶことだけである。したがって、官僚を非難するよりも前に、まず国民の義務である投票を怠っている自分自身の行動を振り返ってみるべきである。

 日本が多くの問題を抱えるようになったのは、国民がその義務を怠り、選挙や政治に無関心になったからである。1950年代から70年代にかけて、日本が高度経済成長や社会的安定を享受していた時期には、ほとんどの選挙の投票率が70%以上であった。そこで政治家も、多くの有権者の票を獲得しなければ当選できなかったために、国民の要求に応えようと真面目に努力した。このため、当時は有能な政治家が多かったように思う。しかし、1980年代以降、投票率が低下し始め、国民が民主主義の基本的義務を果たさなくなると、政府は腐敗し失策が増え、経済は停滞し始め、社会問題が広がった。日本が今、半世紀中で最悪の状況にあると同時に、投票率が最低に落ち込んでいるのは偶然ではないと私は思う。

 しかし、我々が憲法に書かれている国民の義務を果たし、選挙で投票をすれば、ほとんどすべての問題が簡単に解決できる。前回までに、この義務を遂行する3つの段階、「とにかく投票する」、「知識を持って投票する」、「戦略的に投票する」、ということについて説明してきた。今回は、第4段階の「積極的に投票する」ことについて述べる。

 このシリーズの読者は、7月12日の参院選には必ずや投票に行くであろう40%の中の1人であると思うので、読者自身に投票を呼びかけることは無意味なことなのかも知れない。我々の問題は、いかにして残る60%の人々に投票をさせるかということだからである。投票に行かない60%の有権者は、全国では約6,000万人にのぼるが、その6,000万人すべてを投票に行かせようと考えれば、実現不可能なことのようにも思える。しかし、個人のレベルでできることを考えると、問題はずっと小さくなる。投票している約4,000万人が、投票に行かない者を1.5人ずつ、7月12日に投票するよう説得すればよいのである。そうすれば来る参院選の投票率は100%になる。これは、必ずや日本に革命をもたらし、日本社会の問題の大半が即座に解決されるであろう。投票率が突然、劇的に増加すれば、選挙で選ばれる政治家の態度にも同じように劇的な変化をもたらし、有権者すべての利益を考えるようになるからである。

 1.5人など現実にはあり得ないので、7月12日には、投票を国民の義務と考えている人々がそれぞれ2人ずつ有権者を投票所へ連れて行くようにしよう。これはそれほど難しいことではない。両親、兄弟、配偶者、子供、いとこ、叔父や叔母、甥や姪、隣人、友人、学友、同僚、恋人……、その中から日ごろ選挙に行かない2人を見つけるのはたやすいはずである。そして見つけることができたなら、投票するよう説得するのである。これほど簡単なことはない。

 日本そして日本国民の運命は我々の手中にある。国民がその義務さえ果たせば、何者にも我々の運命を支配されたり、命令されたりすることはないのである。

 もちろん、2人以上誘ってはいけないという制限はない。圧力団体が政治家や役人に支払う賄賂に比例して、日本社会が腐敗の度合いを深めるように、国民の利益を代表する政治家を当選させ、特別権益を支持する政治家を落選させる票の数に比例して、社会は浄化されるのである。7月12日には最低でも2人、できればそれ以上の有権者を投票所へ連れて行くことによって、「積極的に投票」しようではないか。