No.177 参院選について思うこと(11)

 前回は、自民党、その支援者、そして自民党のプロパガンダ機関である大新聞などが日本の景気が悪いと報道するのは、我々一般国民に危機感を煽り、銀行や高利貸し達の博打のつけを税金で支払わせるためであり、また、法人税や高額所得者の所得税率を下げて消費税を上げさせるためであると述べました。彼らは日米安全保障条約をもとに、日本は米国に守られているのだと国民に信じ込ませたのと同じように、日本の現在の経済状況についても日本国民を騙しているのです。日本経済は健全であり、病んではいません。日本人は衣食住にも満ち足りており、ほとんどの人が快適に健康的に生活しているではありませんか。子供たちに十分な教育を受けさせることもできれば、消費が飽和状態になろうとも、依然として約1,200兆円の個人金融資産が存在しています。日本経済が抱える問題は2つ、それは過去最高の失業率と途方もなく高い住宅費で、その原因を作ったのは他でもない自民党政権です。昨年自民党政権は消費税を3%から5%に引き上げ、個人消費を落ち込ませました。一般労働者を犠牲にして巨大多国籍企業を優遇する政策、つまり無謀な規制緩和や民営化、グローバル化といった政策を次々に推し進めてきました。それによって残業代は削減され、終身雇用が捨てられ、海外に製造拠点が移され、日本の多くの労働者が職を失うことになりました。さらに自民党政権は銀行のバランスシートを改善するために、地価の下落を食い止めるのに必死になっています。銀行の博打のつけを税金で肩代わりしなければさらに景気が悪くなると国民を脅すだけで、結局、自民党は失業率や地価を下げるための政策を全く講じていないのです。  経済に関する選挙の争点の1つとして、今日は金融の問題に焦点を当てたいと思います。金融は専門家に任せておけばよいと日本の国民は考えているようですが、金融の問題は極めて重要であり、大蔵省だけに任せておくべきではないと、私は思います。では一体誰に委ねればよいのかというと、民主主義社会においてそれは国民であると思います。日本の金融問題に正しく、かつ正直に取組むに違いない信頼できる代表者を、有権者が選挙で選ぶのです。そのために有権者は、誰が真実を述べ誰が嘘をついているのか、誰が正直に正しく行動し、誰がそうでないかを知るためにも、問題を十分理解しなければなりません。

参院選について思うこと(11)

 誰もが自由に博打を行うことができて、勝ちはすべて自分のものに、負けはすべて政府が補填してくれるような社会をあなたはどう思うだろうか。例えば、私が競馬に行き、倍率2倍の馬に10万円を賭けるとする。もし私が賭けた馬が勝てば賭け金の10万円と配当金20万円を手にすることができる。また、賭けた馬が負けたとしても、賭け金10万円は後で戻ってくる。政府が税金で払ってくれるからである。賭博者にとってこんな天国のような社会があるだろうか。賭博者に融資を行う銀行にとっても天国ではないだろうか。今、株式や為替、不動産取引などで博打を行った賭博者達のため、そして賭博者に融資を行った銀行のために自民党が作ろうとしているのは、そうした社会なのである。

 政府はすでに住専の不良債権処理のために国民の税金6,850億円を使った。今、自民党は残りの博打の負債を抱える銀行を救済するために、再びその何倍もの税金を投入しようとしている(政府は選挙前に、その金額を明らかにしようとはしない)。なぜ自民党がこのようなばかげたことをやり通せるのか。その理由はただ1つ、有権者の多くがあまりに怠惰で無関心なために、自分たちがどんなにひどい目に遭っているかを理解していないし、その原因を作った議員を罰するために選挙に行こうともしないからである。

 博打とはどのような仕組みになっているのか。賭博者からの賭け金を運営者が集め、競馬やカジノの運営費を差し引き(運営者の利益も含む)、その残りが幸運な勝者に支払われる。博打をしない人がこれに巻き込まれることはない。カジノや競馬場の運営者が、博打に無関係の通行人や傍観者を捕まえて、無理矢理、博打に負けた人の損失分を払わせるようなことは決してあり得ない。しかし、今、自民党がやろうとしていることはまさにこれと同じことなのである。いわゆるバブル期に株、為替、土地の投機で博打を打って大損をした者、およびその賭博者達に融資を行った金融機関を救済するために、その博打に全く無関係の一般国民に損失分を負担させようというのである。

 これら博打の負債を国民に押し付ける時、自民党が言及するのは、博打の「負債」だけであり、「儲け」については全く触れていない。博打には、敗者がいれば、必ず勝者がいるはずである。1円の負けは、1円の勝ちが存在することを意味する。株価が上昇することを期待して、私がある株を3,000円で買ったとしよう。しかし、実際には株価が下がった場合、下がることを見込んでその株を私に売った人の勝ちとなる。あるいは、円安ドル高になることを見込んで、私がドルを130円で買ったとする。ドルの価値が120円に下がってしまえば、私は1ドルにつき10円損をしたことになる。しかし、円高を見込んでドルを売った人は逆に10円得をしているはずである。博打にはこのように、負けがあれば勝ちがあり、勝者の取り分は敗者の損失となる。そして、博打に参加した当事者、および賭博の運営者の間だけですべてが完結する仕組みになっている。

 もう1つの例を想定しよう。今度は銀行から借金をして競馬に賭ける。自分の賭けた馬が勝った時は、配当金から借金と利子を銀行に返済した残りが自分のものとなり、負ければ政府が税金を使って銀行への返済を行う。競馬で勝てば、賞金である配当金から利子分を引いた残りが自分の手元に残り、銀行もまた利子を稼ぐことができる。負けてもすべての返済は税金で賄われ当事者は何も損をすることはない。

 これが株や為替、土地で博打を行う人々と、その博打の賭け金を融資する金融機関をメンバーとする自民党カジノの仕組みである。これこそ、住専への不良債権処理のために6,850億円の公的資金を投じることになった背景であり、残りの博打のつけの清算にさらに何倍もの公的資金が必要とされる所以である。

 賭博者達は、複数のダミー会社を設立して博打の度に銀行から融資を受けることができる。博打で勝てばその会社が借りた借金と利子を返済し、残りの利益は自分のものにする。博打で負ければ、そのダミー会社に負債をかぶせて倒産させ、銀行には不良債権だけが残る。

 きちんとした金融機関であれば、債務者であるダミー会社の所有者が誰であるかを知っているはずである。ではなぜ、博打を行った張本人であるその所有者に、博打で手にした利益の中から負けた分を返済させようとしないのであろうか。答えは簡単である。借金を踏み倒す者は、返済を迫れば暴力を振るうような者が多い。そんな者から取りたてるよりも、政治家や官僚を買収して納税者に借金のつけを払わせた方が簡単だからである。

 大蔵省はなぜ、借金を踏み倒す者達に博打の勝ち分の儲けから不良債権を返済させるよう、金融機関に要求しないのか。もしそれが不可能なら、その金融機関を潰せばいいではないか。大蔵省がそれを行わない理由は、それを行うことによって自分達の監督不行き届きを暴露することになるからである。そして破綻した銀行の役員とともにその責任を取ることで、自分の一生を台無しにしたくないからである。

 なぜ与党である自民党は、賭博者への放漫融資の責任を銀行に取らせるよう大蔵省に指導しないのか。それはその方が楽だからである。自分たちの支援者に不愉快な思いをさせるよりも、自分達が監督指揮の義務を怠った官僚から批判を受けるよりも、さらには、暴力団から借金を取りたてるよりも、国民の税金を使って博打のつけを払わせる方が簡単だからである。国民は従順で、あまりにも怠惰で無関心で、選挙で投票すらしないのだから。もしあなたが自民党の議員であったとしたら、同じことをしたのではないだろうか。投票にも行かず、無関心な国民であれば、こうした仕打ちを受けるのはむしろ自業自得だとして、自分の行動を正当化した方が楽だと思うのではないだろうか。

 自民党がこのようなカジノ的な政策を取り続けられる理由はただ1つ、日本のほとんどの有権者が、自分達がどれ程ひどい目に遭っているかを理解しようともせず、また政府にその責任を追及しようともしないからである。来る7月12日の参院選には、この言語道断とも言える状況を変えるために是非選挙に行って欲しいと思う。いつも投票している人であれば、これまでは選挙に行かなかった2人の仲間を連れて投票所に足を運んで欲しい。そうしない限り、日本は変わらない。