No.198 大国無用論

大国無用論

今日の日本の最大の問題の1つは、人々が目標を見失っている点にあるのではないだろうか。今、日本には国民共通の明確な目標がない。なぜ私がこのように考えるかというと、これまでの日本には常に国家的な目標があったと思うからである。

明治維新の後、日本の指導者たちは西洋に追いつくことを目標に国を導いてきた。そして他のアジア諸国同様、欧米の帝国主義者に植民地化されないよう、国を強くすることを目指した。日露戦争の勝利でこの目標が達成されたとき、日本が次なる目標として掲げたのが、欧米の列強に対抗するために大東亜共栄圏を作ることであった。しかし、広島と長崎に原爆が投下されてその目標が幻となって消えた後は、日本はまた次なる目標を掲げた。その目標とは、製造業の競争力を高め、国民の生活水準を上げ、経済力で米国に追いつくことであった。そして、日本は、1980年代初めにはほとんどの製造分野で米国を追い越し、また生活水準でも米国を上回ったのである。

私から見て、日本がふらつき始めたのは、こうして米国に追いついてからのことのように思える。そして、それと同時に、日本には明確な目標がなくなったと考える。この両者の間に直接的な因果関係を証明することは難しいが、日本の指導者達が国民に受け入れられるような明確な目標を打ち出せないでいることが、80年代以降の日本の低迷に大きく影響していると思えてならない。これまで常に1つの目標に向かって一致団結して進んできたのに、突然その拠り所となる目標がなくなってしまったことで、日本国民は当てもなくさまよい歩くことになったのではないか。さらに、共通の目標がないということは、提案や政策、行動などを見極める判断基準がなくなったということでもある。

国民が納得する明確な国家的目標がないため、ごく少数の悪賢い人々にとっては、大部分の日本人の不利益になるような政策や行動がとりやすくなる。国に明確な目標があれば、それに照らし合わせてみることで、そのような政策は拒絶されていたに違いない。しかし目標を失った国民には、それを判断する基準すらないのである。現在の日本の停滞はここに起因するのではないかと思う。現在日本の政財界で主導的な立場にある人々は、日本を「大国」にすることを目指している。しかし、大部分の日本人が求めているのは、国民が暮らしやすい国ではないだろうか。

例えば、日本を米国に売り渡すことによってその権力と地位を手にした人がいる。彼らは、米軍の日本占領を認める日米安保は同時に、米国に日本の防衛を約束させるものであるという嘘を日本国民に信じ込ませることにより、安保の永続と日本(主に沖縄県)における米軍駐留の継続を支援している。さらに、世界中で軍事的野望を遂げようとする米軍を日本がいかに支援するか詳細に規定した「ガイドライン」施行のために、この関連法案を成立させようとしているのである。

軍国主義者や武器製造業者および輸出業者は、憲法第9条をないがしろにしてまで、日本の国連平和維持活動への参加をより拡大させ、アジアやアフリカ諸国における非常事態で在留邦人に危害が及びそうになれば、邦人救出と称してその国に自衛隊機を派遣している(ただし、決して西欧諸国に対しては行わない)。

日本の製造業界の技術や生産性は世界で最も高い。日本は国内総生産のわずか10%を輸出しているに過ぎず、その半分は30社の大企業に占められている。そしてその30社が、明確な目標を持たない日本という国家に途方もなく大きな政治的影響力を持っている。これらの輸出企業は、日本が「世界的な工業大国」であり続けるために必要とされる条件であるとして、米国やその他の国が要求する規制緩和、民営化、グローバル化を受け入れるよう政府に圧力をかける。この30社が自分たちの貪欲な利益追求を達成するために、日本政府がこの条件を受け入れ、外国企業のために日本市場を開放する必要があると考えているのである。

日本の大半の金融機関は国や企業、地域やそこで暮らす人々のために、国民の金融資産を守りながら、経済が潤滑に機能するようその資産を循環させ、また国民の生活や財産を効率的かつ低コストで保証している。しかし約20の大手金融機関は、欲深い高利貸しに成り下がってしまった。その目的は、最も早く、最も高い収益を上げられるところへ国民の預金やその他の金融資産を移動させ、できる限り多くの利益を得ることである。これらの巨大高利貸したちは日本を「世界の金融大国」にすると標榜しているが、これは見せかけであってその裏には強欲しかない。東京を世界の金融センターにし、円を国際通貨にしようとしているが、それによる資本流出が日本経済にどれだけ被害をもたらすかを省みることもなかった。自民党に巨額の政治献金を贈ってビッグバンを発動させたのも彼らである。自分たちが手っ取り早く高収益を上げるために、日本人の金融資産を世界中の賭博場で自由に賭けられるように、というのがビッグバンなのである。このビッグバンはまた、日本の巨大高利貸しが外国金融市場にアクセスできるようにすると同時に、外国の金融機関に日本市場へのアクセスも与えた。外国の金融機関に日本人が貯めた1,200兆円の金庫を開放することが日本経済にどのような損害をもたらすかなど、彼らの念頭にはない。さらに、強欲な高利貸したちは、自民党に政治献金を贈り、自分たちが1980年代後半のバブル期に作った博打の負債を国民の税金で肩代わりさせようともしている。

かつて日本を帝国主義に導いたもの、そして今日本を「世界的な大国」にしようとするこれらの試みはすべて、J.A.ホブソン(OWメモ『ホブソンの帝国主義論』(No.78)、『帝国主義の経済的寄生者』(No.85)、『帝国主義財政』(No.87)を参照のこと)が指摘するように、「少数の人々が、私利私欲のために公共の機関や資源を搾取すること」にほかならないのである。

そして大国になる試みはすべて初めから失敗する運命にある。日本は「グローバルな大国」になどなれはしない。軍事的にも、政治的にも、工業でも、商業でも、金融でも同じである。結局のところ大国とは相対的なものであり、大国になるということは他国を犠牲にして自国の立場を相対的に高めることで達成するものなのである。そしてそれは敵を作ることを意味する。日本が他国よりも軍事的、政治的、経済的に優位になれば、それだけ敵も増えるであろう。そして敵はおとなしく負けを認めず自分たちが失ったものを取り返すために必ず報復に出てくるだろう。政治的、経済的、または他の分野で日本に太刀打ちできないとなれば、軍事的手段に訴えることは間違いない。大国や連合軍相手に戦争するには、日本はあまりに小さ過ぎ、人手も足りない。地理的にも日本列島を封鎖するのは簡単だ。通常兵器で日本が優勢になったとしても、相手は核兵器で攻撃してくるであろう。核戦争になれば日本などひとたまりもない。今の技術を持ってすれば、1つの水素爆弾で日本全土と日本人を壊滅させるに十分である。

日本は決してグローバルな大国になることはできない。そうなろうとすることさえ、無意味で危険なことである。しかし、今の日本は、国民が納得し、一丸となって目指せるような明確な目標がないため、一握りの人々が自分たちの利己的な目標を日本国民に押し付けるという危険に直面している。