8月15日 終戦記念日の深夜、私はテレビ朝日の『ザ・スクープ』という番組に出演しました。テーマは「日本のタブー?愛国心改造論」で、テレビ局から事前に愛国心に関する4つの質問が送られました。今日から4日間、その質問に対して私が用意した回答を皆さんにお送りしたいと思います。
愛国心に関する4つの質問とそれに対する回答(1)
質問1:戦後、日本人は日の丸、君が代に対して屈折した気持ちを持ってきました。「御国のために・・・」という言葉とともに、日の丸を振りながら、若者を戦場に送った苦い記憶がはりついているため「愛国心」という言葉にも何となくうさん臭いものを感じてしまってきたと思います。そういう日本人のメンタリティはどのように映りますか。
回答:私は英語で書かれた太平洋戦争に関する書物を数多く読んだが、読めば読むほど太平洋戦争の一番の侵略者は米国であると確信するようになった。なぜそう信じるようになったか、まず私が学んだ歴史的事実を以下に列挙した上で、上記の質問に回答したいと思う。
1. 今世紀初め、日本は西洋の帝国主義を真似て、アジアに日本の植民地を作ろうとした。これは道徳的にも戦略的にも間違いであった。日本は中立を守るか、あるいはアジア諸国が西洋の植民地政策から逃れられるよう支援すべきであったにもかかわらず、西洋の帝国主義下で苦しむアジア諸国を自らも植民地化することで、彼らの苦痛をさらに増大させたのである。日本は米国に対してではなく、アジアに対する侵略者であった。
2. 1930年代半ばまでは、米国は北東アジアにおける日本の帝国主義や植民地政策を奨励していたが、1937年前後になると日本が中国やイギリスの植民地まで支配するのではないかと恐れを抱き始めた。そこで、米国は日本を従属国として米国の支配下に入れるか、あるいは日本に帝国主義政策をやめさせ、日本列島内にとどまらせることにした。日本は米国の従属国にはなりたくなかったため、米国と対等の立場を要求した。その時点から、米国は日本に対する侵略的政策を開始した。
3. 1941年12月8日の真珠湾攻撃は、米国が経済封鎖と侮辱的な行為で日本を挑発した結果である。米国は、第二次世界大戦に参戦する口実が欲しかったので、これはまさに待ち望んでいたものであった。また日本の奇襲攻撃とされているが、実際には米国側は日本の攻撃を事前に知っていた。被害が大きい方が米国民から参戦への支持が得やすくなるために、故意にそれをハワイの軍部に伝えなかったのである。
4. 米国側の軍事記録によれば、太平洋戦争は、1944年10月のレイテ湾の戦いで米軍が日本の海軍を壊滅させた時にほぼ終結したとされている。しかし、日本が経済封鎖に遭い、戦争を継続できなくなったのはその後である。また、東京大空襲やその他の虐殺もその後に起こった。もちろん広島や長崎の原爆も同様である。こうした不必要な武力行使や殺人は米国も調印した当時の国際法で禁じられており、明らかに戦争犯罪であった。
5. 1945年5月8日のドイツの降伏以降、日本は天皇制の維持だけ受け入れられれば降伏しようと試みていた。しかし、米国は日本の申し出をすべて却下し、無条件降伏以外は認めないという最後通牒を送ったのである。そして、米国は原爆の完成を急ぎ、8月6日に広島で、また8月9日には長崎で、それぞれ違う種類の原爆を試した。つまり両地域の住民はモルモットにされたことになる。その原爆テストの終了後初めて、米国は日本の降伏を8月15日に受け入れたが、日本が要求していた天皇制を認めた上での降伏であった。つまり、長崎と広島に対する原爆は全く必要なかったのである。
上記のような事実と、今の日本人の「愛国心」の欠如とを考え合わせると、1945年から米国が行ってきた日本人に対するマインドコントロールが極めて大きな成果を上げているとしか思えない。普通、これだけの仕打ちを受ければ、日本人は米国を憎むのが当然である。しかし、米国のマインドコントロールは日本人に、米国人ではなく日本人、日本という国家、さらには君が代や日の丸を憎み、その代りに米国と星条旗を愛するように教えたのである。
日本人が日の丸と君が代から連想して当然だと私が思うのは、若者を戦場に送り出した時の苦い思いではなく、むしろ米国がいかに貪欲で、背信的、かつ残忍な戦争を日本に仕掛けてきたかということである。
つまり、多くの日本人が米国ではなく日本人を憎んでいるということ自体が、米国のマインドコントロールがいかにうまく日本の教育を統制し、主権国家の誇り高き国民ではなく、米国植民地の従順な住民になるよう日本人を唆してきたかを示す。
しかし、大半の日本人が戦後日本の指導者を信頼していたならば、米国のマインドコントロールはこれほど成功しなかったであろう。日本が今世紀初頭にとった政策は、アジア近隣諸国に対する帝国主義的な覇権を獲得し、これらの諸国を征服し植民地化することであったが、この政策は間違っていたと私は思う。そして次に、植民地化したアジア諸国とともに、米国のような巨大で強力な国に対抗しようとしたことはあまりに無鉄砲であり、この政策が日本を破滅へ向かわせたといえる。こうした日本の政策は、私が知る限り、日本国民によって民主的に決められたものではなく、一部の指導者や軍部に導かれたもので、大半の国民は虚偽であふれた軍国主義のプロパガンダと抑圧のもと戦争へと駆り立てられた。私のこうした理解が正しいとすれば、日本の指導者は自分達の政策が間違いであったことを国民に告白すると同時に、謝罪すべきであった。さらに、国民からの信頼を取り戻すためにきちんと責任をとるべきであった。しかし、日本の指導者はそうした行動をとったであろうか。また、日本国民は指導者がそれを行ったと思っているであろうか。もし思っていないとすれば、日本国民が戦後、日本人および日本の指導者、さらには日本という国を愛するようにならないのも当然ではないだろうか。
次のような状況を考えて欲しい。私が社員を夕食に誘ったとする。私の車で、私が運転していくと申し出る。ところが道中交通事故に遭い社員は重傷を負ってしまう。私は慎重に運転していたし、実際その事故は私の過失によるものではないとする。しかしそれでも、日本人の感覚や基準からすれば、私は社員やその家族に謝罪する義務を負っているのではないか。もし私が謝らなければ、彼らはどう感じるであろうか。
日本の指導者達が戦後日本国民に過ちを告白し、謝罪し、責任を取らなかったことが、米国のマインドコントロールが過去も現在も日本国民に大きな影響を与えている主な原因ではないかと私は思う。そうでなければ、なぜ多くの日本国民が愛国心をほとんど感じず、軍国主義に戻ることを恐れているのであろうか。
(注:私がここで述べているのは、他の諸国に対する謝罪や責任ではなく、日本国民に対する謝罪や責任についてである。)