国民の幸福という日本の目標
日本が超大国になろうとしても決して成功しないであろう。なぜなら成功すれば結局、小さな島国日本には勝つ見込みのない戦争になるからである。したがって、大国になろうとする試み自体が無意味であり、危険なことなのである。しかし、国民が理解しかつ受け入れられる明確な目標を日本が打ち立てない限り、一部の人々が利己的な目標を日本国民に押しつけようとするであろう。そして日本は、それがもたらす脅威に直面することになるであろう。
こうした脅威はすでに存在する。国民を裏切り米国のいいなりになることでその権力や地位を得た政治家たちは、米国による日本防衛を保証するものでは決してない日米安全保障条約により、米軍の日本占領を許した。その売国奴達は今、日本の防衛に少しもプラスにはならない日米ガイドラインを施行し、日本国憲法を完全にないがしろにしては、米国の軍事的野望を世界中で助ける奴隷的な役割を日本に担わせようとしている。
日本の輸出の半分は大企業30社によるものである。その30社は、日本が超大国になるためには規制緩和や民営化、グローバル化といった海外からの要求を受け入れるべきだと主張している。彼らの狙いは自分達が海外市場を搾取する交換条件として、外国の大企業が日本を搾取できるよう日本市場を開放させることである。また、日本の20の大銀行はまるで日本を世界の金融大国にしたいかのように、東京を金融センターの1つにすべきだとか、円を国際通貨にすべきだとか発言している。しかし、彼らの狙いは、最も短期間で最大の収益が得られる場所に自由に日本の個人金融資産を動かし、そこで博打を行う「自由」が欲しいだけである。また、自分達が海外金融市場を自由に利用できるようにするために、外国の金融機関にも日本を生け贄として差し出すべきだというのである。
日本は、1950年代から70年代の「経済的奇跡」を遂げた時の目標を思い出し、それを再度日本の目標として打ち立てる必要がある。当時の目標はいたって明確で、大半の国民に理解され受け入れられていた。そして、その目標に提案や政策、計画や行動を照らし合わせては、それが正当か否かを判断していた。その目標とは「日本国民の幸福」というきわめて単純なものであった。
高度経済成長期の代表的な経営者の1人、松下幸之助は日本の目標とそのために企業がなすべきことを以下のように簡潔に述べている。
(1) 日本の目標は日本国民の幸福である。
(2) 企業の役割は日本国民の幸福につながる製品やサービスを提供し、また国民がそうした製品やサービスを購入するために必要な収入が得られるよう、幸福につながる雇用を提供することである。
松下幸之助はさらに、利益の追求は企業の正当な目標ではないとも述べていた。企業の存続に必要な研究開発費や設備投資の分しか利益を取ってはならない。それ以上の利益を得られるならば、その分製品やサービスの価格を安くしたり、あるいは社員の賃金や手当てを引き上げるべきであるという。
松下幸之助の時代に比べると今の日本の状況は惨澹たるものである。では、なぜ現代の日本人はもっと謙虚にその高度経済成長期と今とを比較し、その格差が当時の目標や秩序から逸脱したことに起因しているという事実から目を背けようとするのであろうか。
2つの時代を比較すれば必ず以下のようなことに気づくはずである。
(1) 松下幸之助をはじめ高度経済成長期の指導者達は、企業の目標は顧客であり労働者でもある国民に仕えることだと考えた。また、利益の追求は企業の正当な目標ではないとした。「人材」という言葉を多用することもなかった。
(2) 現代の経営者は、国民や消費者や従業員を搾取することを企業の目標とはしないまでも、少なくとも権利であると捉えている。また利益の追求こそ企業の目標だと考えている。国民は消費者として売上増加のためのマーケティング戦略の餌食となった。また、人は「人材」となり、土地やエネルギー、原材料と同様に経費削減のために搾取されるものとなった。
国民の幸福を再度日本の目標として打ち立てれば、提案や政策、計画や行動を判断する際の基準となり、不当な目的を排除することができるはずである。具体的な例を示そう。
(1) 日米安全保障条約は、米国による日本占領の継続を認めるだけで、米国による日本防衛を保証するものでは決してない。これが日本国民の幸福に寄与しているかどうかを考えれば、この条約を存続させるべきか、無効にすべきかすぐに判断できるはずである。
(2) 安保が米国の日本の防衛を保証するものでないならば、沖縄やその他の米軍基地における米軍の占領をこのまま継続させることを許すべきであろうか。基地周辺の住人は米軍基地の存続に断固として反対している。
(3) 安保だけではない。日米ガイドラインにおいても、米国は日本の防衛に対するコミットメントを全く示していない。それにもかかわらず、関連法案を整備するなどしてガイドラインを施行に移せば、日本が米国の軍事的野望を助ける奴隷になることは間違いない。なぜ、政府自民党はこのガイドラインを実施に移そうとしているのであろうか。
(4) 国内総生産に占める輸出の割合は10%に満たない。さらにその輸出額の約50%は、わずか30社の大企業で占められている。大部分の国民が輸出に関係のない企業で働いているにもかかわらず、国際競争力を高めるという名目のために賃金削減や終身雇用制の撤廃などを受け入れる必要があるのだろうか。
(5) 大国を目指すことによって利益を得るのがごく一部の日本人や大企業だけで、雇用の安定や所得にはマイナスの影響しかもたらさないのであれば、なぜ日本人は規制緩和や民営化、グローバル化を認める必要があるのだろうか。
(6) 日本人はいわゆるビッグバンによる様々な金融の規制緩和を中止するよう要求すべきなのではないか。この金融大改革の名のもとに進められる規制緩和こそが、史上最悪の倒産や失業、経済的な理由による自殺をもたらしている資本の流出の主な原因なのである。
(7) バブル時代の博打のつけに他ならない不良債権処理に、なぜ国民の税金を投入することを認めなければならないのであろうか。
(8) 日本国民は法人税のさらなる削減を認めるべきであろうか。法人減税は企業の利益追求をさらに煽り、高度経済成長期の先達の価値観からはさらに遠ざかる。また法人減税を認めれば、我々一般国民やその子孫の税負担が増えるであろう。
(9) わずか0.1%を占めるに過ぎない所得3,000万円以上の国民の所得税減税を認めるべきであろうか。その税収の減少分は、法人税減税同様、他の国民やその子孫の税負担の増加によって賄われることになるのである。
国民の幸福を再度日本の目標として確立すれば、政府から提示された政策が適切なものであるかどうかをそれに照らし合わせてみることができる。そして、言語道断な政策が提案されたとしても、日本人の幸福が奪われる前にそれを拒絶することができるであろう。