国民の幸福(2)
日本の目標が明確でないために、いかに政府の政策が間違った方向に進んでいるか、そして国民の幸福がいかにないがしろにされているかを、前回に引き続き具体的な例を挙げて示そう。
3. 生産性
現在、日本の生産性は10年前と比べて60%増、また20年前の4倍、30年前の16倍となった。これは喜ぶべきことであり、これだけ生産性が上がったのであれば、少しの努力で多くのことを楽しめるようになってしかるべきである。しかし、多くの人にとってこれが不幸となりつつある。コンピュータやロボット、その他の技術的進歩によって、少ない労働力でより多くのものが生産できるようになったからである。我々はその成果物を労働者と機械の所有者とで分配している。機が労働者に取って代わったことにより、労働者の取り分は減る一方で、かたや機械を所有する資本家の取り分は増大している。国民の大部分が労働で生計を立てていることを考えれば、我々の社会は多くの労働者を犠牲にしてほんの一握りの資本家を豊かにしていることになる。これは個人の問題ではなく、社会の構造的な問題なのである。
もしこれが個人の問題だとすると、賃金収入で生活している大半の人々は労働者同士、さらには技術の進歩と競争していかなければならないだろう。強い者、速い者が弱者やのろまな人間を犠牲にして取り分を増やし機械に対抗し続けるであろうが、現在の技術進歩が続けばいずれは機械に取って代わられ、結局は機械の所有者である資本家の取り分が増えるだけであろう。
技術が社会の構成員にどのような影響を与えるかは、社会が技術をどのように利用するかに左右される。技術によって、ジャングルのような競争社会で強者が弱者を征服する二極化の社会の形成を促進させることもできるし、技術の進歩の恩恵を社会の構成員全員が共有できる方向へ導くことも可能である。政府の目標が日本国民の幸福であったなら、技術の進歩に基づく生産性の向上が国民の利益になるよう政府が推進するはずであろう。しかし、現実はどうであろうか。
4. 教育
現代は、急速に変化している。それゆえ現時点で仕事に必要な知識や技術も、次から次へと時代遅れのものとなりつつある。しかし、あくまでも20代前半までの若者を対象としている日本の教育制度は、平均寿命が80歳を超えた日本の社会に適応できるのであろうか。働くために必要な知識や能力だけではなく、現在の教育制度は日本国民に自分自身でいかに学び、考えるか、ということを教えているだろうか。国家や政府の目標が日本国民の幸福であれば、教えるべきことはたくさんあるはずである。人生の意義や、どのようにそれを見つけ出し、いかに有意義な人生を送るかといったこと、そして社会や他の国民から受ける恩恵やそれに対する義務、民主主義の意味や民主主義社会の一員としての義務、また社会をうまく機能させるために自分たちは何をすべきかということなどを日本の教育は教えているのだろうか。国民の幸福を目標とする政府であれば、国民をただ単に従順で有用な人間にするだけでなく、物事を批判的に考え、学び、判断できるようにする教育を行うのではないだろうか。車の運転は他人を危険に晒してはならないという責任が伴うために、運転技術を教える教習所があり、運転免許の取得が義務づけられている。国民が民主社会の運転手であるとすれば、選挙での投票は免許取得と同様に国民の義務であり、国民がその義務を果たさなければ無免許運転と同様に民主社会を危険に晒すことになる。
5. 防衛
政府の第一の義務は、国民の安全を守ることである。日本は国内の治安は良いが、海外からの侵略に対しては無防備に等しい。日米安保条約により日本は米国に保護されていると国民は信じているかもしれないが、この条約の中には米国による日本の保護を約束する言葉はまったく含まれていない。日本政府は世界第3位の防衛費、また国民1人当たりでも世界第4位の防衛費をすでに費やしているのであるから、それを米軍のためではなく日本国民のために使えば、海外からの攻撃に対する防衛力を高めることができるはずである。日本国憲法に反することを行う必要もまったくない。日本の国土と領海の防衛に限定した国防に徹するのである。さらに、家庭や学校が自国を守るという道徳観を若者に教えることができずに、いじめやオヤジ狩りに走るような人間しか育てられないのであれば、国家が教えるしかない。例えば義務教育終了後2年間、自衛隊に入
隊させ国防の任務に就かせるというのはどうだろうか。
1996年9月10日、沖縄県民は10対1の大差で米軍基地撤退を望む意思表示をした。それにもかかわらず日本政府はその投票結果を無視し、沖縄県民の土地を没収する法律を強引に成立させ、米軍の駐留を継続させた。日本国民の幸福を第一に考える政府であれば、日本の防衛を約束していない米軍に日本駐留を許し、日本の米軍基地から他の国の攻撃に向かわせたりすることはないはずである。
6. 自給率
先の太平洋戦争で日本は経済封鎖に遭い、死活にかかわる物資の供給を断たれた結果惨敗したにもかかわらず、日本政府は食料自給率を過去20年間に100%から40%未満に押し下げた。その結果、日本の食料自給率は北朝鮮と同じ状態になっている。エネルギーについても同様である。国民の幸福を目標とするのであれば、政府は食料自給率を上げ、また省エネや代替エネルギーの開発によりエネルギー自給率も上げるよう努力すべきではないだろうか。
7. 生活環境
日本の都市部の街並みは醜い電柱や電線がむき出しで、けばけばしい建物であふれている。また、多くの人々は通勤のために毎日2時間近くかけ、混雑した電車にゆられ会社と家を往復している。水質汚染や大気汚染もひどい。新鮮な食材で調理された食事ではなく、ファーストフードやコンビニの食事で済ます人も増えている。これが国民1人当たりの所得が先進国の中で最も高い国にふさわしい生活様式なのであろうか。日本人の生活環境をオーストリアやデンマーク、ノルウェー、スウェーデン、スイス、イタリアなどの国と比較して欲しい。これらのヨーロッパ諸国は経済的には日本よりも劣っているが、国民の幸福を第一に考えている。また、伝統や文化遺産の保護についても日本よりはるかに積極的である。日本は京都や奈良の文化遺産を保護するよりむしろ破壊しているとしか私には思えない。
8. 先端技術
日本が先端技術の優位性を維持できれば、輸出で外貨を稼ぎ国内で賄えないものを輸入することができる。諸外国は日本の技術や部品、工作機械がなければコンピュータや飛行機、武器などを製造できない状態にある。こうした技術的な優位性を維持することができれば、日本は規制緩和やグローバル化、グローバル・スタンダードなどを採用する必要はない。しかし、その技術的な優位性を維持するには、優秀な学生に金融やマーケティングではなく科学や技術を勉強するよう奨励しなければいけない。そして世界一の高度な技術の開発・生産を継続させるのである。日本政府は国民の幸福のために、そうした政策をとっているであろうか。
こうした政策を日本政府がとっていないのは、日本国民の幸福という目標が掲げられていないためである。日本は高度経済成長の時代の目標を再度明確に打ち立てるべきである。