日本の生産性は低くない
私は、日本の生産性が低いというばかげた指摘を聞くたびに驚かされる。生産性とは投入量当たりの産出量のことであり、投入量には、人、カネ、材料、設備などいろいろあるが、日本の生産性が低いと主張する人は、人の生産性について述べている場合が多い。
しかし、実際には、日本人は他の先進国の国民よりも生産性が高いのである。国民総生産(GDP)をその国の人口で割れば簡単に比較ができる。それによると日本の生産性は米国より30%、他のG7諸国よりも30%、他のOECD諸国よりも70%高いことがわかる。
さらに驚くことには、日本人の生産性が急激に上昇したことである。次の表は、GDP、人口、生産性(国民1人当たりのGDP)についてのここ10年間の平均を、それ以前の30年間の10年毎の平均と比較したものである。今日の日本人は10年前の日本人の1.6倍の生産性があり、20年前と比べると3.5倍であり、30年前とではなんと13.6倍にも生産性が上がっている。
GDP 人口 生産性 現在との
年 (兆円) (百万人) (国民1人当たりのGDP) 比較
(万円)
1958-1967 26 96 27 1:13.6
1968-1977 114 108 106 1: 3.5
1978-1987 282 119 237 1: 1.6
1988-1997 463 125 371 1: 1
日本人の生産性が驚異的に上がったことによって、考えなければならない問題が生じている。第一に、日本人の生活水準がこの生産性向上の度合に見合っているかという問題である。日本人は果たしてこの生産性向上の恩恵を受けているのであろうか。生産性が上がれば、国民はより多くの個人消費、社会消費、余暇(仕事量は減るが収入は減らない)を享受することで、生活水準を上げることが可能なはずである。では自分自身、または周囲の人々について考えてみて欲しい。個人消費、政府のサービスや余暇が、10年前と比べて60%増えたと感じるだろうか。20年前よりも3.5倍、30年前よりも13.6倍増えたと実感できるだろうか。もし実感できなければ、誰か他の人間が日本のこれほどまでの生産性向上の恩恵を享受しているのである。それは誰で、なぜそうなったのであろうか。
第二に、これからも続くであろう生産性向上が、国民にとって害ではなく利益になるようにするにはどうすればよいのであろうか。より充実した個人消費や社会消費、より多くの余暇が提供されれば確かに恩恵ももたらされるが、失業や所得配分の不均衡による害がもたらされる可能性もある。我々が生産するものを個人あるいは社会ですべて消費しきれなかったり、生産能力を自主的に調整して、つまり余暇を多くとるなどして消費需要に合わせていかなければ、失業の増加につながる。また、一部の人間が生産性増加を労働によるものではなく、土地や資本に起因するものだと主張して、生産性増加による恩恵を独占してしまえば、残りの大部分の国民が搾取されることになる。これによって所得配分が歪み、米国や南米諸国、第三世界の国々のような二極化した社会が作られる。また資本や土地の所有者が生産性向上を利用して、人員を減らしたり低賃金の労働者を利用するなどしてコスト削減を図り、それによって自分の利益を増やそうとすれば、日本人労働者の失業が余儀なくされる。
現在の景気低迷の大きな原因は、国家として、その生産性が驚くほど向上しているという現実に気づかなかったか、またはそれを直視してこなかったことにあると私は思う。そして、その生産性向上を日本国民の利益とするような政策をとらなかったために、日本国民が搾取される結果となってしまったのだと思う。
高齢化社会を必要以上に恐れるのは、生産性向上がもたらす利益に日本が気づいていない証拠である。日本の高齢化のスピードは生産性向上よりも遅いはずであるから、今より少数の生産性の高い若者で、今より多くの退職した老人たちを養っていくことが可能なのである。我々はこの現実を認識し、その現実に即した社会政策を立てていけばよい。そうした政策をとらなければ、長い余生を自分で支えるために高齢者は長期間働かざるを得なくなり、生産性が上がったために減ってしまった職を若者たちと奪い合うことになる。その結果、老若を問わず弱い立場の国民が、失業に追い込まれるのである。
メモ『国民の幸福(1)、(2)』(No.206とNo.207)において、私は日本政府が日本国民の幸福を目標とする際に、政府がとるべき政策について取り上げた。私の提案を実現不可能だと思う方は、日本の驚くほどの生産性向上を考えてみるべきである。こうした生産性向上を利用して日本国民のためのよりよい社会を作ることができなければ、日本は一体どうなってしまうのだろうか。陰謀を企む者によって、日本が再び大国主義へ向かう破滅の道へと歩み出してしまってもよいのだろうか。日本の強力な製造業者が、海外の製造業者や労働者を犠牲にして余剰製品を輸出し続け、それによって日本が世界からさらに孤立してもよいのだろうか。消費する以上に生産することで経済や社会を沈滞させ、多くの人が数少ない職を奪い合う競争社会で、国民が自分で自分の身を守らなければならない社会になってもよいのだろうか。それとも、強者や権力者がその力を利用して生産性向上による恩恵を思う存分享受する一方で、弱者が搾取されるジャングルのような弱肉強食の社会に戻るべきなのであろうか。