7月末から続いているロシアの経済的混乱について、その原因を示唆する情報を以下の『 The Nation』誌の記事が提供しています。ロシアの民営化を指導し、西側からの援助に中核的な役割を果たしてきたハーバードの元教授達が、いかにロシアに悪影響をもたらし、腐敗した資本主義を形成したかについて詳しく説明していますので、是非お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
ハーバードの連中がロシアにしたこと
ジャニン・R・ウェデル
The Nation(98年6月1日)
経済改革の後、ロシア国民の大半は暮らし向きが悪くなったと感じている。民営化は、少数支配者のための腐敗した資本主義を生み出すことになった。このような民営化構想を作ったのは、最近大統領特別代表を解任されたアナトリ・チュバイスであった。チュバイスが政策を実行できたのは、クリントン政権やモスクワの経済援助代表機関、さらに「国際開発のためのハーバード研究所」(HIID)からの熱心な支援のおかげであった。ハーバードの権威と米国政府とのコネを利用して、HIIDは米国の対ロシア経済援助プログラムの全権を握っていたのである。
モスクワ市長のユリ・ルシコフはチュバイスとそのマネタリスト政策を酷評し、チュバイスに誤った民営化政策を奨励したのはハーバードのアドバイザーであり、ロシア経済を悪くしたのはHIIDに他ならないと指摘した。このHIIDの活動は警告的な教訓を示している。海外アドバイザーには私利私欲がないという信頼を裏切っただけでなく、ロシアの改革派だけを支援する政策を行ったのである。
1991年にソ連が崩壊し、ハーバード大学教授のジェフリー・サックスと西側エコノミストたちはモスクワ郊外での会議に出席した。そこでは若いエリツィン派の改革派たちが、ロシアの経済と政治の構想を練っていた。サックスはエリツィンの経済改革の第一立案者であるイエガー・ガイダーと組んで、価格統制と補助金の大部分を短期間で廃止する「ショック療法」計画を推進した。この政策は2500%という超インフレを起こし、その結果、潜在投資資本であったロシア人の貯蓄の大部分を消滅させてしまった。ガイダーは1992年11月に、この失策を非難されて失脚している。
ここで登場したのが、エリツィン派の経済担当である自称資本主義者のアナトリ・チュバイスで、彼は市場経済の確立を目指した。旧ソ連での経験がなかった米国国際開発援助機関(USAID)は、ロシア経済の再構築を、各国の社会・経済改革を支援するために1974年に設立されたHIIDに引き渡すことを簡単に承諾した。
HIIDには米政府上層部に支持者がいた。元ハーバード大学経済学部教授で1993年にクリントン政権で財務次官に任命されたローレンス・サマーズである。サマーズは、ハーバード大学のデイビッド・リプトン博士(コンサルティング会社ジェフリー・A・サックス・アンド・アソシエーツの副社長)を東欧と旧ソ連担当の副財務補佐官に任命した。1995年にHIIDの理事に任命されたサックスは1996年、1997年にウクライナでHIIDが仕事を行えるようUSAIDに対してロビー活動を行い、USAIDから活動資金を得た。
ロシア生まれの移民で、30代前半でハーバード大学経済学部の終身教授になったアンドレイ・シュレイファーは、HIIDのロシア・プロジェクトの指導者となった。また、もう1人のハーバード出身者、ジョナサン・ヘイは元世界銀行のコンサルタントで、モスクワのプーシキン研究所でロシア語を学んだローズ奨学金受領者である。ハーバードのロースクールに在学中の1991年に、ロシアの新しい民営化委員会であるGKIの上級法律アドバイザーになり、翌年、モスクワでHIIDの長官に就任した。
HIIDがロシアでの仕事で最初にUSAIDから資金援助を受けたのは1992年であった。それから4年間、クリントン政権の支持を得てHIIDには5,770万ドルが与えられ、そのうち1,740万ドル以外はすべて競争入札なしだった。例えば1994年6月、米政府に代わってロシアの法律改革プログラムを担当するために、HIIDが2,000万ドルを受け取ることになった。1992年には210万ドルの資金援助しか得ていなかったHIIDにだけ、そのような巨額の資金が認められるのは極めて異例のことであった。
エリツィンのロシア政府が1991年末から1992年初めにソ連の資産を引き継いだ時、いくつかの民営化計画が浮上した。1992年には汚職を防ぐための計画が最高会議を通過したものの、チュバイスが議会を通さず大統領令を使って、少数の人間に資産を蓄積させるプログラムを実施し、汚職を増大させることになった。
HIIDのアドバイザーと西側からの支援によって、チュバイスとその取り巻きたちは民営機関のネットワークを作り、正式な政府機関やロシア政府を迂回することができた。このネットワークを通して、チュバイスの仲間であるマキシム・ボイコとドミトリ・バシリエフは、海外援助10億ドルの3分の1と、国際金融機関からの何百万ドルもの融資に対して全権を握っていた。
こうした援助のほとんどは、チュバイスとボイコの指揮のもとに1992年に設立されたロシア民営化センター(RPC)を通して提供された。これも大統領令で設立され、インフレーションとその他マクロ経済問題に関する政府の政策を遂行し、国際金融機関と融資の交渉も行った。HIIDの助けを得てRPCは、USAIDから4,500万ドルの支援を受け、EU、ヨーロッパの各国政府、日本その他からさらに何百万ドルもの支援を受けるとともに、世銀から5,900万ドル、欧州復興開発銀行(EBRD)から4,300万ドルの支援を受けた。これらはすべてロシア国民が返済しなければならない金である。この資金援助によってチュバイスと彼の一味は政治的にも金銭的にも強大になったのである。
HIIDはこれ以外にも援助で運営される機関をいくつか設立した。その1つは米証券取引委員会(SEC)に相当する連邦証券委員会(FCS)である。これも大統領令で設立され、チュバイスの支配下にあったドミトリ・バシリエフが運営した。委員会は強制力も資金力もほとんどなかったが、ヘイ、バシリエフ、その他のハーバードおよびチュバイスの取り巻きが運営する研究所を通してUSAIDから資金を調達した。その研究所の1つが、世銀とUSAIDが設立した「法に基づく経済研究所(ILBE)」であった。市場のための法と規制の枠組み作りを支援する目的で設立されたこの研究所は、ロシア政府のために法令の草案まで作るようになり、USAIDから2,000万ドル近くの援助を受けた。
HIIDのアドバイザーたちはチュバイスとロシア政府との緊密な関係を不当に利用し、自分たちの利益のために事業活動を行った。
USAIDはHIIDのプロジェクトの適切な監視を怠り、1996年には会計検査局によって「手ぬるい」と表現された。1997年初め、USAIDの監査官は、ロシアにおけるHIIDの不正な活動の証拠文書を入手し、捜査が始められた。USAIDが、ヘイとシュレイファーが「個人の利益」のために活動している証拠をつかみ、1,400万ドルの資金提供取消しにした結果、1998年5月、2人はプロジェクトを失った。2人は自分の地位を利用してロシアの証券市場や他の民間企業での投資から利益を得ていたとされる。ヘイとシュレイファーはいずれ刑事または民事裁判を受けることになろう。シュレイファーは現在なおハーバードの終身教授にとどまっており、ヘイはロシアでチュバイスの仲間とともに働き続けている。サックスは自分が助言した国に投資したことはないと主張し、米国政府の調査の対象には含まれておらず、HIIDの長にとどまっている。
米国の対露政策は議会による全面的な捜査を必要とする。重要なことは、個人の汚職の域を超えて、米国の政策が何千万ドルもの税金を使って、いかにロシアの経済を改革し民主主義を歪めてきたか、そして金持ちの少数支配者の勢力の増大を助けてきたのかを検証することである。
[『The Nation』誌(1998.6.1)より、許可を得て抜粋翻訳]