No.223 金融戦争は中央銀行の消滅を導く(後編)

   今回も、オタワ大学の経済学の教授マイケル・チョスドフスキーの国際金融危機に関する分析の後編をお送りします。彼の分析によれば、アジアの通貨危機を招いた張本人である国際的な銀行や証券会社が、IMFから救済を受けた国から債務が返済されることによって最終的な受益者になるとしています。また、国際金融戦争により国家の主権が奪われ、中央銀行が機能しなくなり、国家はもはや金融戦争に立ち向かえなくなっていると分析しています。是非お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。 

金融戦争は中央銀行の消滅を導く(後編)
マイケル・チョスドフスキー

IMFの救済を資金援助するのは誰か

 投機的な攻撃を繰り返し受けた後、アジア諸国の中央銀行は自国の通貨を守るためのむなしい試みとして、先物為替市場で数十億ドルの契約を結んだ。中央銀行の外貨準備高は完全に枯渇し、通貨当局はIMF救済措置のもとで巨額の金を強制的に借りさせられた。しかし、1994~95年のメキシコ危機でも明らかなように、IMFの救済金はアジア諸国を救うためのものではなく、事実、その資金が韓国、タイ、インドネシアといった国に流れることはなかった。その資金は「機関投機家」への返済のためのもので、数十億ドルが戦利品として機関投資家の手に必ず渡るように支払われたものだった。こうしてアジア諸国は金融界の主人に手なずけられ、「虎」と呼ばれていた国が役立たずのアヒル(レイムダック)に転じたのである。こうしたアジア諸国は、巨額のドル建て債務を抱え、西暦2000年以降まで金利の支払いで身動きがとれない状況になった。

 しかし、この数十億ドルの救済資金はいったいどこからきたのか。IMFはその一部しか出資していない。1995年のメキシコ救済を始めIMF主催の救済策のために、米財務省を含むG7諸国は巨額の資金提供を求められ、これらの国の公的債務は急増した。皮肉なことに、救済策の資金調達のために発行される公債は、投機活動に関与したウォール街の銀行とまったく同じ銀行が引き受け、保証した。  

 つまり、救済資金の調達のために公債発行を保証した者たちが、最後に(韓国やタイの債権者として)その戦利品を手にするのであり、彼らが救済金の最終的な受益者となる(つまり救済金は機関投機家のための「安全網」なのである)。救済という名目で提供された巨額の金は、もともとアジア諸国の国家通貨の崩壊を促した金融機関への債務を返済させるためのものなのである。この悪循環の結果、一部の金融機関が限度を超えた金儲けに走った。彼らはまた、世界中の政府や政治家への支配力をも高めた。

経済の劇薬  

 1994~95年に起きたメキシコ危機以降、世界の銀行や資金運用者が投機的奇襲を仕掛ける「金融環境」を形成する上で、IMFが重大な役割を果たしてきた。世界の銀行はIMFの内部情報へのアクセスを渇望している。投機的な攻撃を最後まで成功させるには、IMF救済措置の取決めのもとで「経済の劇薬」を一度に投入する必要がある。その取決めの条項についてウォール街の六大市中銀行(チェイス、バンカメ、シティコープ、JPモーガンなど)と五大マーチャントバンク(ゴールドマン・サックス、リーマン・ブラザーズ、モーガン・スタンレー、ソロモン・スミス・バーニーなど)が助言している。また韓国の短期負債の場合、ウォール街の最大級の金融機関が97年12月24日のニューヨーク連邦準備銀行における高級協議に呼ばれている。  

 世界の銀行は国家通貨の衰退に直接関与している。アジア通貨危機のわずか2ヵ月前の1997年4月、世界の290の銀行や証券会社の利益を代表するワシントンのシンクタンク、国際金融協会(IIF)は、必要であれば為替レートを上昇させる圧力に対抗するよう新興市場の通貨当局に求めていたという。

 IMFに対して正式書簡で送られたこの要求は、通貨を暴落させる環境をIMFに促進させたことをはっきりと示している。インドネシアはルピア下落のわずか3ヵ月前にルピアを変動相場制に移行するようIMFから要求されている。米国人の億万長者であり、元大統領候補であったスティーブ・フォーブスの言葉を借りれば、「IMFが危機を助長したかとの質問に対していえることは、IMFは国家経済の開放と透明性を提唱している一方で、IMF自体の運営についてはCIAと同じくらい秘密主義である。タイとの秘密会談で、悲劇的な一連の出来事を即座に誘発させる通貨切下げを推奨した。また、IMFの処方が病を悪化させたかどうかは、アジア諸国の通貨がこれだけ安くなってしまったことを見れば明らかであろう」

資金移動の規制緩和

 銀行や投機家が破壊的な攻撃を仕掛ける金融の戦場を規定するのは、国境を越えた通貨や資本の移動を規制する国際ルールである。銀行や多国籍企業は、世界規模の経済と金融の富を獲得するために、投機や不正な資金をも含めた国際資本の移動に対する規制を完全に取り除くよう圧力をかけてきた。

 その要求に屈服して、1998年4月にはワシントンでIMF暫定委員会が資本移動に対する規制の緩和を正式に採択した。共同声明には、「IMFの目的の1つである資本移動の自由化を実現するために、また必要に応じてIMFの支配圏を広げるために、IMF条項を修正する」とある。  

 IMFのカムデシュ専務理事は「多数の発展途上国が、その資本勘定を開放すれば、投機的な攻撃に遭うかもしれない」と認めたものの、IMFの加盟国が健全なマクロ経済政策と強力な金融システムを採用することによって、それは避けられると何度も繰り返した。  

 資本移動の規制を緩和するというIMFの決定は内々に行われ、ほとんど報道もされなかった。この決定が行われてから2週間もたたない内に、OECDが進める多国間投資協定(MAI)に反対するデモが行われている。この協定は海外からの投資に関する国家の規制を無効にし、基本的人権を損なう権利を銀行や多国籍企業に認めるものである。MAIの採択は民主国家の政府が銀行や多国籍企業に降伏することを意味する。  

 IMFにとってタイミングは最高だった。MAIの採択が一時見送られていた間、海外投資に関する規制緩和がより好都合なルートで正式に開始されることになったからである。実際、IMFの条文の修正案は、海外投資を規制する政府を無力にするものである。これはまた多国間投資協定に反対する世界的な市民運動をも無効にするものである。こうして海外投資の規制緩和は、OECDやWTO主催によって多国間協定を結ぶ手間をかけなくとも、たった一筆の修正で達成されることになる。

グローバルな金融の監視組織の設立  

 グローバルな富の奪い合いが進展し、金融危機が危険な水準に達するにつれて、国際銀行や投機家たちは国家レベルの経済改革の政策作りとともに、自分たちの利益になる金融構造の形成に、より直接的な役割を担うことを望んでいる。米国の自由市場主義の保守派はIMFの向こう見ずな行動を非難した。彼らが要求しているのは、IMFが国際政府間組織であるにもかかわらず、米国がIMFに対してより大きな支配権を持つことである。彼らはまた、IMFが民間金融部門に対して数十億ドルの救済資金の提供を割り当てておきながら、IMFにはより中立的な役割(ムーディーズ等の格付け機関のように)を求めている。

 世界の大手銀行や投資会社が1998年4月に秘密裏に討議し、その結果がワシントンの国際金融協会(IIF)を通じて発表された。銀行からの提案には「民間部門諮問委員会」と呼ばれる金融の監視組織の設立が含まれ、これがIMFの活動を定期的に監視するという。そして、世界の大手金融機関がほとんど加盟するIIFは監視組織設立へ向けて、国際機関とも協力すると述べた。

 この世界の銀行のイニシアチブに呼応して、IMFは危機管理における民間部門の関与を強化する具体的な措置を求めている。これは、いわばIMFと銀行の権力分担と解釈できるかもしれない。  

 また、国際銀行組織は、シティバンクの副会長ウィリアム・ローズとモルガン・スタンレーの会長デイビッド・ウォーカーを含む世界でもっとも権力のある金融家によって組織された「新興市場の金融運営委員会」という独自の組織を設立した。これら一連の動きの隠れた目的は、IMFを政府間機関から、世界の銀行の利益のためにより効果的に奉仕する官僚機関へと変身させることであり、銀行や投機家がIMFがメンバー政府と行う交渉の詳細にアクセスすることである。それによって銀行や投機家は、IMF救済策ができる前や後に、抜け目なく金融市場に攻撃を加えられるようになる。透明性の必要を説く銀行が求めているのは、IMFが秘密情報を漏洩することなく国家政府との交渉に関する貴重な情報を提供することだという。しかし、彼らが本当に求めているのは、自分達だけが内部情報を手にすることである。  

 現在進行している金融危機は、世界全体にわたる国家機関の消滅につながるだけでなく、1944年のブレトンウッズ会議で戦後に作られた機関の段階的な解体である。現在のIMFの破壊的な役割とは全く対照的に、これらの機関が設立されたのは国家経済の安定を守るためであった。米財務長官ヘンリー・モーゲンソーは1944年7月22日のブレトンウッズ閉会時にこう述べた。「われわれがここに集まったのは、第二次世界大戦につながった競争的な通貨の切下げや貿易に対する破壊的な妨害という経済の悪魔を排除する方法を考えるためであった。そして、われわれはそれに成功したのである」

[著者の許可を得て翻訳転載]