No.232 東アジアの経済危機は資本主義の衝突が原因だった(後編)

 チャルマーズ・ジョンソン氏がアジアの金融危機について、冷戦経済を含めて、総合的な分析を試みていますので、前回に引き続きご紹介いたします。この問題に関する多くの分析が一面的であるのに対し、ジョンソン氏はあらゆる角度から東アジアの状況を捉えています。是非お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

東アジアの経済危機は資本主義の衝突が原因だった
(後編)

チャルマーズ・ジョンソン

 アジア型経済モデルは東アジアに一様に当てはまるものではなく、それ自体1つのモデルに過ぎず、この広大で多様な地域の複雑な経済の現実を表すものではない。また縁故資本主義だけでは東アジアで起きていることを説明することはできない。そして英米型の経済理論とリビジョニズムとの論争においては、今回の経済危機はどちらかといえばリビジョニズムの研究結果を立証している。今回の経済危機の理由について、両者の間には次の3つの大きな違いがある。その3つとは、「流動性逼迫」、「産業設備の過剰」そして「東アジアにおける冷戦経済体制の終焉」である。
 経済危機の原因が流動性逼迫によるものだとする説では、東アジアの危機は基本的に「実体経済」の危機ではなく金融問題であるとされている。グローバル化された金融制度には巨額の資金があふれ、またタイ、インドネシア、マレーシア、韓国の借り手に初歩的な慎重さが足りなかったことも手伝って、1994年頃からこれらの国々は海外の金融機関から借金を始め、その額は何千億ドルにも達した。そして、豪華なマンションやオフィスビル、さらに過剰設備からすぐ潰れることになる輸出産業へ投資した。また、状況をきちんと分析せずに、輸出産業が成長し続け永遠にその国の産業として存続すると信じていた。ただし、スポーツシューズの例に見られるように、現実には韓国からインドネシアに、また現在では中国やベトナムに製造拠点が移っている。これらの国々のビジネスマンたちは右肩上がりの経済の中で、借金返済の資金繰りが苦しくなった銀行や大企業は政府が救済してくれるものと信じていた。

 しかし1997年7月、海外の金融機関はタイをはじめアジアの顧客の多くが借金を返済できないということに気づいた。こうして他の海外投資家も、管理のずさんな企業に対してだけでなく健全な企業に対する投資まで引き上げ始めた。金融市場がグローバル化され欲しいデータを誰にでも瞬時に送ることが可能になり、また効力のある安全バルブの欠如から危機がアジア中に広まった。こうして世界第2位の経済大国であり、国民1人当たりGNPでは世界第1位、また世界の長期資本の主要提供国である日本にさえ銀行の取付けが起こる可能性が生まれた。海外投資家やシティコープ、J.P.モルガンなどの大銀行が融資を行ったのは、メキシコに対して1976年以降4度も国際的な救済が行われたことから、米国の帝国の一部である限り、米国政府あるいはその代理であるIMFなどの国際機関が介入し、必ずや不良資産は補填されると期待したからである。

 この危機が悪化したのは、だまされやすい借り手と一人よがりの貸し手によってだけでなく、大国の変化が完全に見過ごされてきたためである。東南アジアの対米輸出に中国が占める割合は、過去10年間で6%から26%に増加した。さらにもっと重大なことに1994年に中国は通貨を35%も切り下げし、それによって中国からの輸出は韓国や他の東南アジア諸国と比べ競争力が異常に高まった。

 1995年夏、競争力の高い中国の出現と同じようなことが起きた。米国財務省と日本の大蔵省が手を結び、翌年のクリントン大統領の再選と引き換えに、いつもの輸出増でバブル後の金融危機脱出を取引きしたのである。財務省長官のロバート・ルービンと大蔵省事務次官の榊原英資はドルに対する円の価値を下げることを決定し、それによって日本の輸出競争力を大幅に押し上げようとした。その代わりに、日本は米国に資本を供給し続け、米国の金利を政治的に望ましい低レベルに抑えようとした。クリントン政権はまた日米自動車会談で妥協することに同意し、日本の高級車への制裁関税を取りやめた。米国政府は週に数十億ドルにものぼる米国の対日赤字について口を閉ざし、代わりにこの地域に脅威などまったく存在しなかったにもかかわらず日米同盟の焦点を安全保障に戻した。

 1995年4月から1997年4月までの間、円の対ドル・レートは60%も低下した。中国と日本によるこの動きは、東南アジア諸国の日中に対する輸出競争力を弱めた。ドル連動制であったタイは深刻なまでに高くなったドルのために崩壊した。過剰投資が招いた過剰設備と日本と中国からの競争によって、韓国やASEAN諸国の輸出成長率は1995年初頭の30%から1996年半ばには0%に落ち込んだ。国際収支の危機は避けられないものとなった。

 1997年夏に借金の返済期限がきた時、借り手が経済学の教科書通りの反応を示していれば債務不履行か、あるいは破産宣告となったであろう。そうなれば債権者は深刻な痛手を負い、市場の教え、つまり自分が犯したリスクは自分で責任を取るということを学んだであろう。海外の銀行は東アジア諸国への融資を再交渉し、返済期限を延ばし、利子を上乗せしなければならなかったであろう。欧米や日本の銀行はすべての債権を取り戻すことはできなかったかもしれない。しかし、そうなれば金銭的な損失を被るのはG7諸国であってアジア諸国の国民ではない。東アジアの経済改革は米国の命令ではなく、市場の力によって行われたであろう。多くのアジアおよび米国の銀行家、政治家は打撃を受けるかもしれないが、東アジア諸国の国民は長い間引き延ばしてきた改革の必要性を認め、意欲的にそれに取組んだであろう。

 しかし現実には、流動性危機は完全な経済危機にすり変えられた。当初日本人は仲間のアジア諸国の負債を返済するために、少なくとも資金の一部を提供すると述べた。日本はアジア諸国への融資に限定した、日本率いる多国籍の金融組織の設立を提唱した。日本がこれまで約束しながら実現しなかった国際的主導権を握ろうとしていると察知した米国は即座に反対した。もしこれに成功していれば、日本は米国の冷戦体制の束縛から抜け出すことができたであろう。日本は余剰資本を世界最大の債務国である米国に回し続けるのではなく、アジア諸国を救うために使い始めていたであろう。米国人が日本の預金者に頼ることなく巨額の借金の資金調達することになれば、米国の金利は二桁に上昇する。こうして、1997年11月19日、マニラ会議で日本が提案したこの新しい機関は静かに葬られた。アメリカの交渉代表者であるローレンス・サマーズ財務副長官は「後始末は国際通貨基金(IMF)が行う」と発表した。日本の榊原は、IMFにはできないと自分たちは思う、とそっとつぶやいた。榊原が正しかった。

 IMFは1971年のニクソン・ショックまで続いた固定相場制を維持するために設けられたブレトンウッズ体制の機関である。IMFはデフレの主犯であり、世界で最も無責任な組織であるという者もいる。また、米国に衛星国から資金を集め、米国の国益を満たす様々な国際経済活動に資金を投じることを可能にする米国の手先の機関でもある。

 IMFはアジアに乗り込んでタイに170億ドル、インドネシアに400億ドル、韓国に570億ドルを提供すると約束した。その代わりに、これらの国に緊縮予算と高金利を要求し、同時に地元の企業を底値狙いの海外投資家に売却するよう求めた。IMFはそれが「アジアの虎」の経済を健全にし、正統派の英米型資本経済に変えるのだと主張した。

 しかし、このフリーサイズのIMFの治療法がすべての国に効くわけがなかった。IMFの経済的空想家は、東アジアについて何も知らないだけでなく知る必要もないと信じていた。文化または文化的差異という概念に欠けたIMFは、何百万もの非課税基金を持つ主婦たちの投資協同組合を破壊し、またインドネシア政府がスハルトの縁故者だけではなく食料や燃料にも補助金を出していたことも知らなかった。アジア諸国の論説委員が「第二のアヘン戦争」と題して米国の帝国主義を叩き始めたのも何ら驚くべきことではない。その間に、欧米のアドバイザーによって共産主義後のロシアにもたらされた社会の混乱が、アジアにも訪れるかのように見えた。

 第二の説明は経済危機が過剰在庫によってもたらされたとするものである。これは第一の説明と直接関係するものだが、先の流動性逼迫より不吉な意味合いを持つ。違いは、第一の説明が「流動性逼迫」によるアジアの短期的な負債問題に焦点を当てているのに対し、第二の説明は金融問題があろうとなかろうと、アジア経済が良好なファンダメンタルズに基づいていないとするものである。貯蓄に励み、子供の教育に熱心で、米国よりも優秀な官僚を登用するかもしれないアジア人ではあったが、自動車、造船、鉄鋼、石油化学、半導体といった間違った産業に過剰投資していた。この説明では明らかに日本がアジアの問題の一部に捉えられている。

 日本や欧米の多国籍企業もまた、熟練労働者を低賃金で雇える地域に製造基盤を移転させたため、労働者が地元で製造するものすべてを消費することは不可能だった。しかし、状況はG7の民主主義国家の消費者も同じで、経済の低成長や失業などでそれ以上消費を増やすことができない状況にある。IMFが対処しようとしている金融上の問題は、より深刻な状況の前触れに過ぎない。根本的な危機は、景気後退や最終的に大恐慌につながる需要の構造的な崩壊なのである。ウィリアム・グレイダーがその著書『One World Ready or Not』でこう記している。「高賃金職を低賃金国に輸出するのは目先の経済的利益をもたらす。しかし、同時に、それは高賃金消費者を低賃金消費者に置き換えることでもある。この交換はすべての体系を衰退させることになる」

 IMFの対応のまずさが東アジアの景気後退をもたらしたということと、誰も欲していない、また消費できないほどの過剰設備が景気後退を招いているということとはまったく別のことである。1997年の経済危機がコストを回収できないほどの製造設備の過剰を示しているとすれば、世界に必要なのは今日IMFが東アジアで追求している政策とはまったく逆の政策、つまり新しい需要の創造であって需要のデフレではないのである。

 第三の説明は東アジアにおける冷戦の終結である。なぜ東アジアにこれだけ過剰設備が生まれたかといえば、冷戦初期から米国がアジアの共産主義に対抗する壮大な戦略の一部として日本と韓国の経済が組み立てられてきたためである。台湾、香港、シンガポール、タイ、フィリピンを含む東アジアの他の地域もまた、米国の資本主義の前哨地点であり保護国であると同時に、最近米軍基地を閉鎖した諸国である。冷戦時の取引きとして、これら諸国を米国の衛星国として維持し続けるために米国は、アメリカ市場への自由なアクセスを認め、重商主義政策や保護主義を認め、さらにしばしば特別価格での技術移転にも譲歩した。その見返りに、アメリカが手にしたのはこれらの国の反共の表明と軍事基地建設の権利であった。今でも日韓両国に10万人の米兵が駐留し、米国の第七艦隊が東アジアの海域を巡回している。

 ソ連が東ドイツの国民にベルリンの壁を崩壊させることを許した1989年、冷戦は終焉した。当時、東欧のソビエト帝国で起きたことが1997年に東アジアの米帝国でも起こり始めたのかもしれない。その違いは、東欧ではソ連の衛星国がロシアとの関係を切りたいと考えたのに対し、東アジアの米国の衛星国は米国との取引き関係を継続したいと考えている点にある。日本と韓国は国内に米軍基地を置くことを許し、どの同盟国よりも寛大としかいいようのない費用を負担している。東側と西側の衛星国制度で共通するのは、ロシア人も米国人も衛星国を維持することがもはや不可能になっている点である。ゴルバチョフは後に自分の決断を後悔したかもしれないが、東ドイツ、ポーランド、旧チェコスロバキアにソ連軍を配置することはもはやできないと1989年に決断した。米国人は東アジアに米軍を駐留させ続ける余裕がないことにまだ気づいてないが、日本または韓国は財政上の制約か通貨の下落の結果、米軍の駐留費用の負担やペンタゴンが売りたがっている米国製の武器一式の購入は継続できなくなる。タイ政府はすでに米国製のF/A-18戦闘機8機の購入をキャンセルした。米国のアジア諸国に対する経済改革の強要が成功すればするほど、アジア諸国は米国から独立していくであろう。

 では何をしたらよいのか。それはこの経済危機の理由としてどの説明をとるかによって決まる。最初の「流動性逼迫」であれば答えは意外に単純である。IMFが問題を悪化させ惨事を招く前にそれを阻止し、資本移動に基本的な制約を設ける。つまり、投機的資金の不安定な動きを止めるのである。短期ローンに対する2~3%の課税でも同様の効果は期待できる。政府規制で株式の購入よりも直接投資を優先させることも可能である。適切な規制により短期的投資を抑制し、地元企業に外貨の負債の累積を躊躇させるような体制を築くことも1つの方法である。今までのところ中国は通貨の兌換性が低いためにこの通貨危機から比較的隔たってはいるが、ここで述べたような統制を将来採用することになるであろう。

 「過剰設備」という説をとるのであれば、米国は市場の力を最大限に活用し、多国籍企業に投資先の地域の労働賃金の引き上げをさせるべきである。それによって、労働者が米国人労働者と同じような新製品を購入できるようにする。大恐慌をもたらした需要の崩壊が最終的に克服されたのは、第二次世界大戦向けの需要増があったからに他ならない。今回は戦争よりも、貧困者の所得を引き上げることで彼らの需要を喚起すべきである。

 また第三の説明を受入れるのであれば、米国は冷戦の終焉を最終的に受入れなければならない。これによって経済力の強い日本や韓国などに、次世紀の真の挑戦に取組まざるを得なくさせる。その挑戦とは、朝鮮半島の統一、台頭する中国を考慮した調整、南アジアおよび東南アジアの人種・宗教問題の阻止、環境破壊の緩和である。米国が普通の国への変貌を遂げない限り、帝国主義的な拡大を続けたソビエトが直面した崩壊へと行き着くことになるであろう。確かに米国は韓国のような国には経済改革を、インドネシアのような国には政治改革を強要すべきであるが、日本の改革と独立が促進されなければまったく意味がない。さらには、どれだけ海外からの資金や圧力が与えられようが日本の改革にはつながらない。日本の政治制度を活性化させるためには、日本を米国のいいなりにしておくような関係を断ち切るしかない。これが実現すれば、地域全体の新たな急成長を復活させ、繁栄を招くことになるであろう。さもなければ世界的な不況が現実となる可能性はきわめて高いといえよう。

[Cambridge Journal of Economics 1998, 22より許可を得て翻訳転載]