このメモは米国在住の筆者、杉田成彦氏による最新の米国事情および様々な日米比較分析をテーマとした寄稿文です。
ビル・ゲイツ幻想
杉田 成彦
アメリカの教育には、ピンからキリまでの値札が付いている。見返りのいい所にだけ買い手が押しかけ、さらに値をつり上げる。しかし、費用を負担できない人びとは、能力のあるなしにかかわらず、教育を受ける機会を失っていく。アメリカの公教育の荒廃と衰退は「金次第」に成り果てた教育システムの当然の帰結である。実際、ニューヨークでは、公立校の再生ではなく、荒れた公立校の生徒を私学に引き抜く補助制度が、ウォールストリートの資金によってなされている。公教育を見限るこの補助に、市長が太鼓判を押している(『ニューヨーク・タイムズ』紙、97年11月26日)ということに、アメリカ教育の方向が見てとれよう。
「一人っ子の私は、お金のかかるいい学校に行かせてもらえるから“super smart(秀才)”になれる」アメリカの小学生の言葉だが、「教育=金」という図式は、今やアメリカの子供にとっても常識なのだ。現在、アメリカの主だった大学では、年間の学費が3万ドルを優に超えている。アメリカの一世帯当たりの平均年収は約3万5千ドル(96年)だから、とうてい普通の家庭が払える金額ではない。学費が高い大学ほど羨望の的となるブランド信奉は「シーバスリーガル効果」と呼ばれ、高収入の職を得るための証明取得願望がこれを支えている。事実、80年代以降の名門校の学費値上げは、各校が談合を通じて決めた横並びの額であり、説明のつかない掛け値であるという(『タイム』誌、97年3月17日)。
「塾に通わなきゃ進学できない日本だって同じである。塾も私立校も安くない」という声が聞こえてきそうだが、公教育を基本とする日本の教育システムは、アメリカとは異なる。日本では、質の高い教育を低額で受ける機会を、誰もが持っている。塾や私学も、一部の金持ちの独占物というわけではない。日本の平等な高等教育への機会は、門地で制限をするイギリスや、高額の所得が決定要因となるアメリカとは、根本的に違うのである。
いじめや登校拒否、青少年犯罪の増加など、確かに日本の教育は多くの問題を抱えている。しかし「日本の教育からはビル・ゲイツは生まれない」などと、アメリカの教育システムを手本にした安易な教育改革論を唱えるのは、どうかと思う。私は、常々「アメリカの教育は創造性を育み、日本の教育は丸暗記」という定説に疑問を抱いている。例えば、私がお手伝いをさせていただいたアメリカの州立大学での国際関係学の授業では、アメリカの大学生が世界史の出来事をほとんど知らないことに驚かされた。基本的な歴史の知識なしに、今日の複雑な国際関係の分析と評価は不可能である。また“読み書きソロバン(算数)”に弱いアメリカ人学生の多さを嘆く教授は、とても多い。
市場経済の理屈に基づくアメリカの教育は、公教育を衰退させ、知識を一部の人間の独占物にしつつある。この過程は同時に「自己の欲求の達成にしか関心がなく、周囲の世界と自分とを結び付けない若者」の生産を加速する。この自己中心性こそが、アメリカの創造性の正体である。これは細分化の進んだ現代社会での金儲けには役立つが、今日の課題に必要な総合的な視点を持った人材を育てない。実際、他人や社会の状況、あるいは地球環境や国連などに対するアメリカ人の無関心さは目に余る。多角的な視野のある優れた創造力の持ち主を育てるためには、堅固な基礎学力が欠かせない。日本の教育改革は、公教育による機会均等を根底に、きちんとした基礎知識を誰もが得られ、その上で各人の得意分野を磨けるシステムを目指すべきだ。安易なアメリカの物真似は、日本の教育を崩壊へと向かわせる。
アメリカの新世代の秀才たちは「30歳までに大金を作って、あとは森の中で暮らしたい」などということを平然と口にする。そこには、自己の能力を社会のために使いたいという意志は、微塵もない。それに比べて、日本の若い起業家たちの言葉は対照的だ。21歳のインターネットビジネスのオーナーは「日本のネットワークの形成」のため、自分の給料を会社の資金に回し「みんなで協力して日本のインターネットビジネスの市場を開拓する必要がある」と訴える。また同業の23歳の起業家は「相互扶助の精神を偽善ではなく本心で維持しながらどうメシを食うか」が課題だという(『AERA』誌、96年1月22日)。あるいは、リサイクルショップを興した23歳の社長は、仲間や周囲のおかげで事業が可能になったと「金儲けには左右されずに社会のために貢献したい」(『読売新聞』紙、95年11月29日)と語る。ここには他を配慮し、周囲と自己との関係を視野に入れ、社会の向上のために自分の力を捧げたいという日本の若者たちの姿が、まだ健在だ。ビル・ゲイツの量産という幻想にうなされる前に、こうした立派な若者を、さらに支える教育改革を目指してもらいたいと思う。