米国とイギリスは、イラクが国連の査察受け入れを拒否したとして、12月17日に開始した空爆を20日に終了しました。この空爆は他の国連安全保障理事国の承認を得ずに米英が一方的に開始したものであり、現に空爆開始後、中国、ロシアは強い反対を示していました。一方で、同じアングロ・サクソンであるオーストラリアの他、米軍基地が置かれている米国の植民地、日本、ドイツ、韓国が米英支持を表明したことは、帝国主義の宗主国、米国を喜ばせるための言語道断な行動としか思えません。
今回は、米英の空爆が開始される前に書かれたロイターの記事をお送りします。湾岸戦争で使われた劣化ウラニウムの影響および経済制裁がサダム・フセインではなく、イラク国民、特に子供たちをいかに苦しめているか、そして今回の爆撃がいかにその苦しみを倍増することになるかがこの記事から読みとれるはずです。是非お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
イラクの子供たちが制裁戦争で命を失っている
ロイター、1998年11月30日 サミア・ナコール
クロード・マンソーにとって、白血病に冒された息子が苦しみながら死んでいくのを見守るよりも、米国の空爆で即死した方がましだろう。「何を恐れるというのか。勝手に空爆して我々を皆殺しにすればいい」と、バグダットのサダム・チルドレン・ホスピタルですでに意識がない息子のアリを見守る母親はいう。アリの髪は抜け落ち、顔は黄色く変わり、腹部は膨張している。彼は医学的にはすでに死んだも同然である。「アリの体が薬を受付けなくなったので治療を打ち切られてしまった」とマンソーは涙ながらに訴える。
11月14日、病院に警報が鳴り響いた。米国の空爆が迫っているため地下に避難せよというものだったが、マンソーはその場から動こうとはしなかった。「米国の空爆が今日か明日かとおびえながら生活するくらいなら、ひと思いに殺して欲しい」とマンソーはいう。結局、イラクが譲歩して国連の兵器査察を受入れたため、米国の空爆は最後の土壇場で回避された。1990年のクウェート侵攻に対する8年にもおよぶ経済制裁を受けるイラク人の間には、こうしたマンソーのような自暴自棄的な態度が一様に見られる。
飢餓と病で命を失う子供たち
医師や親たちは、子供たちが食物や医薬品の不足で死んでいくのを、手をこまねいて見ているしかない。イラク原産の石油と食物とを交換する国連主導の人道的援助は、経済制裁の影響の緩和を狙ったものであったが、十分というにはほど遠い。
反対側のガン病棟では静かに眠っている母親に、手に点滴をつけた4歳の白血病の子供が抱きついている。
この病院に収容されている子供の多くが、呼吸困難、脳障害、嘔吐、下痢という症状を抱えている。 ハムディヤ・ジャバーの18ヵ月の赤ん坊は生まれつき奇形児で、こぶのある手足の痛みから泣き続けている。むかつく匂いが立ち込める中、擦り切れ、汚れたマットレスの上に横たわる赤ん坊の顔にはハエがたかっている。「病院の水道および衛生設備の最近の調査によれば、病院の衛生状態が悪いことが患者の健康に極めて深刻な影響を与えている」と、イラク状況に関する最新報告書でアナン国連事務総長が述べている。
注射用抗生物質から点滴剤にいたるまで、すべてが不足していると医師たちはいう。薬品、はさみ、麻薬が足りないために手術を中止しなければならないこともある。
たとえ子供たちに死期が迫っていても、親には満足な食べ物を買う金さえない。多くの親たちは闇市で薬を購入するために家財道具を売り渡した。「4才の息子カリルの命を救うためならすべて投げ出します。自分の物はすべて売り払い、あとは神に祈るだけです」と、アバスは目に涙をためながら語った。
カリルが白血病を発病した15ヵ月前から、アバスはバグダッドと自分が住む村とを定期的に往復している。バグダッドで、息子のために血液を購入し、それを病院に届けるのである。
薬を買うためにアバスはついに自分が経営する自動車部品店まで売却した。しかし、息子の闘病生活の継続とともに、売却益はすぐに枯渇した。息子の白血病は全身に広がり、脳死状態となった。「息子は瀕死の状態で、医者から見放された」とアバスはいう。
48才のファトメ・アウデは9才になる白血病の娘、ドウアに化学療法を受けさせるために定期的に病院に連れて行くことはできても、適切な食事を与えることができない。「娘には特別な食事が必要なのにそのお金がない。夫の月給はたったの3,000ディナール(1ドル70セント)なので」と彼女はいう。「知恵遅れの息子もいるが、一回の注射に45,000ディナールもかかる彼の治療代が払えない。薬を買うのを止めたために神経衰弱になってしまった息子は、泣きじゃくり、物を壊し、妹をなぐる。以前は政府が治療代を払ってくれていたが、経済制裁が始まってからそれもストップした」と彼女は説明する。
イラクにとって経済制裁は空爆よりも破壊的である
イラクの厚生省によれば、1990年以降少なくとも150万人のイラク人が国連の制裁に起因する疾病および栄養失調で死亡したといい、その70%が5才未満の幼児である。同省の官僚の報告によれば、1991年の湾岸戦争後、特に南部で子供のガンや遺伝的な奇形児が急増した。
これは、湾岸戦争で英米の軍隊がイラク軍をクウェートから撤退させるために使った、劣化ウラン弾のせいだとイラク側は主張する。「ガンや奇病が恐ろしいほど急増している。兵士の間には、リンパ腫や白血病が過去5年間、5~6倍に増大した。子供や民間人の場合で見るとその増加率はさらに高い」と、環境運動家のサミ・アルアラジはロイターに語った。
アバスは、ガンを「侵略の病」と呼び、イギリスと米国のせいだとしている。「米国とイギリスに対して、イラク人が何をしたというのだ。イラクの子供たちがどんな罪を犯したというのか。彼らが制裁したいのはイラクの指導者のはずなのに、彼らが殺しているのはイラクの子供たちだ。被害を受けているのは国民だけだ」
イラク人は、経済制裁は空爆よりも破壊的な影響をもたらしていると見ている。
「禁輸よりも戦争の方がまだましである。禁輸の被害者は戦死者を上回っている。戦争は兵士同士の戦いだが、禁輸はイラク国民すべてに戦いを強いる」
栄養失調、健康、教育、水道、衛生制度の崩壊は、イラク人を今後約30年間にわたり危険な状態にさらすと救援者は語る。
「これは米国が考案した新しい戦争手段だ。その手段とは飢餓である。爆撃は一時的なもので、時がくれば終わる。しかし、飢餓に終わりはない」