No.243 猪瀬 直樹 氏 ご講演(弊社主催『基調講演』より)

猪瀬直樹氏によるご講演をご紹介します。

これからの日本の生きる道
日本国の研究

作家
猪瀬 直樹 氏

日本の約100年間の歴史を振り返りながら、今後の日本の進むべき道についてお話ししたいと思う。

● 日本がソフトで負けるわけ

1953年、街頭テレビという形で、プロレスというアメリカのソフトを活用したメディアが登場し、日本中で話題になった。大正時代から始まった日本のテレビ技術は世界にリードしていたが、太平洋戦争でいったんは壊滅状態に陥る。しかし、戦後、テレビ技術研究を再開させた日本は、持ち前の器用さで技術を向上させ、高品質な製品を安く作るようになり、1970年代にはアメリカの市場までも席捲してしまった。さらなる技術の向上が生み出したハイビジョンでも、日本は再び世界を凌駕した。ところが、ここにきて問題が発生する。日本はハイビジョンを世界標準、すなわちグローバルスタンダードにしようとしたが、時代の流れはアナログのハイビジョンではなく、すでにデジタルの時代へと移っていたのである。

日本の独占を恐れた欧米は、日本のハイビジョンに対抗するため独自の技術を作ろうと技術開発を進めていた。その流れの中でデジタル化が始まり、通信という分野が革命的に変貌していく。イギリス、フランスに次いで間もなくアメリカもデジタル放送を開始する。放送のデジタル化が始まっているのだ。遅ればせながら、日本は2000年から始まるという。デジタル化により、通信と放送がひとつになる。あらゆるものがパソコン画面に映るというソフトを考え出したのはアメリカである。結局、日本はアナログのハイビジョン・テレビというハード面では確かに勝ったが、ソフト面でアメリカに負けたのである。

アメリカと日本の関係の中で、なぜ日本がソフト面で負けてしまうのか、1853年に来航した黒船の話に触れておきたい。この黒船はその軍事力と技術力からハードとソフトをすべて兼ね備えたシステムとして象徴される。明治維新の際に官軍が幕府軍に勝ったのは、ソフトを備えていたから。ハードは鉄砲であるが、これは両者が同じように持っていた。人数も幕府軍の方が多いくらいであり、違いはソフトであった。官軍は洋服を着、2拍子のリズムをとりながら、整列行進していた。一方、幕府軍は着物を着、ほら貝を吹き、バラバラに飛び出して応戦した。つまり、音楽とファッションが違った。こんなことはどうでもいいように感じるかも知れないが、実際にはこれが決定的な差となるのである。それはまさしく欧米式のソフトであった。戦争では欧米の方が優れていた。なぜなら、国内における同一民族間の争いしか経験のない日本に対し、欧米は何千年と国をまたがって交戦し、戦争に勝つためのノウハウを徹底的に鍛え抜いてきたからだ。ハード面ばかりでなく、指揮命令系統を備えたシステム、つまりソフト面できわめた欧米に、日本はかなうはずがなかったのである。

● 取返しのつかない不良債権の山

軍事面だけでなく、あらゆる局面において、欧米人は優っていた。明治時代になると、日本人は欧米から一所懸命多くのことを吸収し、学び、自分のものにしていく。こうして日本以外の国は皆植民地になるという弱肉強食の時代において、日清戦争、日露戦争でも日本は何とか生き延びることができた。ぼんやりしているとやられてしまう。そのため、当時は富国強兵でいくしかなかった。日露戦争の勝利でようやく日本が世界に認知されるようになる。ロシアの脅威は取り除かれ、極東の安定は保たれたが、この結果、日本とアメリカが向き合うことになった。巨大な中国市場を狙っていたアメリカは、ロシアの南下によりアジアが奪われるという危険性を排除するため、日露戦争の講和において日本の味方をしたのだが、次第に軍国主義化していく日本に脅威を抱くようになり、日本の攻略法を考えた。こうして中国に対する利権争いが日米で起こり、太平洋戦争に発展した。日本は満州を占領し、中国大陸を侵略するが、実はこれはある種の不良債権を拡大しに行ったようなものである。闇雲に中国の奥地に攻め込み、不良債権の山を築いていった。この不良債権の山の処理に困って日米戦争に突入したのである。「シナで亡くなった10万人の英霊をどうする」という東条英機の言葉で続行された太平洋戦争で300万人の日本人が亡くなった。これは不良債権だとして切り捨てるべきであった。深入りせず、日本は上手な撤退の仕方も心得ておくべきだった。

● 補助金の無駄な使い道

日本政府および地方自治体は今や500兆円の借金を抱えている。コスト意識のない財政政策の結果である。水資源開発公団、森林開発公団、日本道路公団、住宅・都市整備公団などの特殊法人があちこちで不良債権の山を築いている。

現在、銀行に公的資金を投入するなどといっているが、郵便貯金などの財源を未来に投資するのであれば、景気回復のために必要といえる。しかし、穴のあいたバケツに無駄に投資するのは論外である。財政投融資という名目で特殊法人に補助金が湯水のように注ぎ込まれている実態を、国民は知っておかなければならない。

その一例が長良川河口堰である。河口堰の建設費は1,500億円かかっており、この上さらに導水路の建設に1,000億円以上が見込まれているという。長良川の河口堰の構想は、日本が重化学工業に邁進し、水資源需要の増大が予想されていた1960年にさかのぼる。企業が勝手に井戸を掘り、水を使うと地盤沈下が起こり、輪中といわれるゼロメートル地帯がより一層洪水の危機に瀕する。そこで河を深く浚渫して堰を作り、溜まった工業水を四日市などの工業地帯に買ってもらうというのが当初の河口堰計画であった。1960年代には確かにそれは良策であった。ところが、1970年頃には各工場の水のリサイクル率が上がり、水の需要が必要なくなってしまった。それにもかかわらず、長良川の河口堰から導水路工事が再開されたのである。無駄と知りつつ、この工事にさらに1,000億円を投入しようというのだから、愚かとしかいいようがない。

● 補助金と自然破壊

山形と新潟の県境にある朝日連峰の事例にも触れておこう。車1台がやっと通れるほどの細く曲がりくねった林道を車で1時間かけて登っていくと、山の尾根にたどり着く。すると、そこに突然アスファルトにセンターラインが引かれた幅7メートルもの道が尾根伝いに広がる。起点と終点のない、車もまったく走っていない道で、しかも途中は崩れている。1年の半分は3メートほどの積雪で覆われる。谷の部分にいたっては30メートルも積もり、その重みで道が崩れてしまう。毎年、同じところが崩れるため、その度に補修工事がなされ、車も通らないこの林道に毎年、税金が投入される。こうした大規模林道は全国に13ヵ所ほどあり、すでに1兆円のお金がその工事に注ぎ込まれたという。現在までの進捗率は40%。残りの60%にさらに1兆円以上が使われることになろう。

また、朝日連峰へ向かう途中、この林道の700~800メートル以上のところで、全部枯れている杉林を目の当たりにして愕然とした。伐採された広葉樹林の代わりに植え替えられていた杉の木が、一定の標高を越えた所で寒風と積雪に耐えかねて、立ち枯れていたのである。杉を植えたのは補助金が下りるからだという。林野庁は育たないと知りつつも標高上限を越えて杉を植えたのである。森の補水力を高める広葉樹の天然林に比較して、人工林の杉はその機能が弱く、おまけに立ち枯れしていては補水力など皆無だ。このため、あちこちで崩落し、沢が土砂で埋まってしまう。無残としかいいようのない状態だ。一体全体、日本は何をしているのか。このまま行けば日本の山林は荒廃してしまう。山林だけでなく、河川も田畑も、都市の水資源も枯渇し、とんでもないつけが国民に負わされるだろう。高い金利の財投を貸し込んできた大蔵省、巨額な赤字を抱える一方で税金を無駄遣いする林野庁。ここでは2つの事例を挙げたが、この図式は多かれ少なかれ他の省庁、公団や公社にも当てはまる。

● 抑止力なきシステム

会計検査院は、税金の無駄遣いを指摘するが、決算の立場から政策的な意見具申をすることはない。また、日本道路公団、住宅・都市整備公団などの特殊法人に対しては、会計検査院は調査を行うが、その下に群がる財団法人、社団法人、そのさらに下の株式会社への調査は行わない。内閣から独立した何の利権もない会計検査院がこれほどまでに非力であることに問題がある。フランスの会計検査院は日本の大蔵省主計局に等しい権力を持つ。事実、フランスの首相や大統領には会計検査院出身者が多い。それほど決算が重視されているからである。日本の会計検査院は予算の無駄遣いを見逃している。どう税金が使われているか監視する機能が日本には欠けている。さらに本当に監視するべきはメディアであり、国民一人一人なのである。インターネットで様々な情報が公開されている現在、監視することは可能である。

最後に、政治家がいる永田町、官僚がいる霞ヶ関に加えて、虎ノ門をもう1つのキーワードとして強調しておきたい。新橋から霞ヶ関ビルまでの虎ノ門一帯は、社団法人、財団法人の巣窟だ。今はまだ虎ノ門の問題点は注目されていないが、今後は虎ノ門が鍵となるだろう。

500兆円の借金、作ってしまったものをとやかくいっても仕方ないが、財政投融資と称して景気回復のためではなく、単にどぶにお金を捨てるようなことだけは何としても避けなければならない。アメリカからはグローバルスタンダードなど色々な要求が突きつけられている現在、われわれ自身もそうした国内のつまらないことで足元をすくわれないようにしたい。メディアはもちろん、国民自らが常に問題意識を持つことが何よりも大切であるといえる。

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<< 猪瀬 直樹 氏 プロフィール >>

1946年、長野県生まれ。作家。日本ペンクラブ理事・言論表現委員会委員長。『ミカドの肖像』で1987年、第18回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。日本の官僚システムについて書いた『日本国の研究』が、96年度文藝春秋読者賞を受賞。近著に雑誌ジャーナリズムの歴史を描いた『マガジン青春篇』がある。 劇画『ラストニュース』(画・弘兼憲史/全10巻)の原作も手掛ける。現在、『週刊文春』に『ニュースの考古学』を連載中。『土曜一番花やしき - インサイド98』(フジTV系)に出演中。