No.245 日本が経済的困難から抜け出すために支払うべき代償(前編)

 前回に続き、マイケル・ハドソンの論文をお送りします。公的資金の投入により金融機関を救済すると決定した日本に、マイケル・ハドソンがこの経済的困難から抜け出すための、いくつかの解決策を提案しています。是非お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

日本が経済的困難から抜け出すために支払うべき代償(前編)

マイケル・ハドソン

米国が日本に勧めていることは経済的自殺行為である

 米国は日本にインフレを起こし不動産価格および株価を押し上げるよう必死に説得している。それによって貸付の担保になっている資産価値が上がり銀行のバランスシートが改善されれば、銀行救済のために公的資金を投入する必要はなくなると米国のアドバイザーは日本に提言する。この提言のおかしい点は、なぜインフレが資産価値を上げるのかという説明が欠落していることである。確かに、現在の経済状況では資産価値を押し上げる方法は1つしかない。国債によって資金調達がなされるということは、国家債務の増加によって貨幣が作られるということである。こうして生まれた通貨によって、投機家や他の借り手は新規融資を受けやすくなり、資産価値が再膨張するだろうというのである。

 つまり、米国が提唱するインフレによる解決策とは、不動産を担保とする資金調達が増加するために不動産価格が上昇するというものである。しかし、これこそまさに日本の金融機関を行き詰まらせた原因ではなかったか。不動産の不良債権を増やせば、銀行のバランスシートはさらに悪化するのではないのか。そうなれば、銀行はさらに窮地に陥り、新しいバブルが再びはじければ、公的資金によるさらなる救済を求めるようになるのではないか。

 不動産や株式市場のバブルを再燃させるのではなく、直接投資や雇用を増やす解決策はないのだろうか。米国のエコノミストは、株ではなく直接投資で富を増やす方法を忘れてしまったのであろうか。そうだとすれば、それは米国が1990年代に財政赤字の大半をアジア諸国から流入する貯蓄で賄ったという、特異な豊かさのためであろう。一国家が、自国の生活を自国の費用で賄うのではなく、これだけ長い間(1971年に金兌換制度を廃止して以来)他の国に寄生した生活を続ければ、それが当然だと考えるようになる。そして寄生が新しい国際経済の病ではなく、むしろ健全な国家の生存方法だと勘違いするようになるのだ。実際には、米国がこれだけ勝手に負債を増やし続けることができたのは、まさにアジアの貯蓄のお陰である。

 しかし、米国と同じことができる国は他にはない。日本は健全な投資で貯蓄を支えなければならない。しかし、米国からの圧力でそれはできなかった。日本はレーガン大統領の再選を助けるために、1985年に経済をインフレ化するよう米国から指示され、その後、バブル経済に突入した。しかしバブルはいずれ崩壊する運命にあり、日本がアメリカから取り入れたものの中でこの不安定な経済哲学ほど危険なものはない。

日本の流動的な貯蓄がいかにして架空の存在となったか

 日本に大量の不良債権が存在し、それが他の人々の貯蓄を支えるものであるとすれば、日本にとっての究極の問題は、その健全な投資で支えられていない「不良貯蓄」をどうするかということだが、これは政治的に最も微妙な問題となる。食物は腐るというが、日本の貯蓄の約4分の1は腐敗、つまり不良だと報じられている。日本の貯蓄の投資対象であった抵当ローンや株式投資の価格は、1990年に不動産価格および株価がピークに達して以来下降している。

 日本は、これら目減りしてしまった資産に対する過剰貯蓄の債権をどう処理すればよいのか。1つの解決策は、金融機関が預金者の預金を払い戻せるよう、金融機関に公的資金を投入する方法である。この政策は、日本の金融制度が健全に機能し続けてきたという幻想を抱かせることになる。しかし、大半の日本人がもう気づいているように、日本の金融制度は過去10年位の間、すでにうまく機能しておらず、その貯蓄の大半は架空のものになっている。

 この現実は国家にとって最も認めたくない屈辱的なことであろう。しかし日本の金融問題について討議する時、この「架空資本」という言葉を使うとまさにわかりやすくなる。預金者が貯蓄のために銀行や保険会社、その他の金融機関に預ける預金の総額が、それら貯蓄の運用対象となる融資や他の投資の時価を上回れば、その上回った分だけ貯蓄は架空のものとなる。つまり預金者の債権が金融制度の債権支払能力をいくら上回っているかで、その経済全体の金融債権がその経済の債権支払能力をどれだけ超えているかがわかるのである。

 そうした架空の債権をきちんと把握し、架空ではなく実体のある債権にする方法は1つしかない。金融機関に公的資金を投入し、救済することである。これで、その金融機関の貸付残高および投資額の時価に対する預金残高の差を埋め、架空の債権を消滅させることができる。

 もちろん、国民の税金である公的資金の投入により問題を解決すれば、経済全体のコスト構造を膨張させ、国内の市場購買力を損なうことになる。金融機関の預金者への支払能力を高めるのと引き換えに、消費者や企業の購買力、ひいては雇用需要が減退する。

 金融部門(そして貯蓄)のために、このように製品やサービスの生産部門を犠牲にすべきなのだろうか。過去の貯蓄の価値を維持するために、現在と将来を犠牲にしてもよいのであろうか。低所得層の納税者は、富裕者の救済のために重税で苦しむことになる。

 これこそが米国の経済哲学であるが、日本もこれを採用すべきなのだろうか。

発想を転換する

 発想の転換をすれば、現在起こっていることの真相を正しく理解できるかもしれない。未来主義者や政策立案者向けに考え出されたこの方法は、提案されている政策変更がどのような結果をもたらすのかを導き出すために利用される。

 以下は、日本の状況にそうした発想の転換を適用したものである。

 日本が事実をありのままに認め、架空の貯蓄(日本の貯蓄全体の4分の1と推定される)を帳消しにしたとする。例えば、預金、保険証券契約金額、年金基金などが400万円ある者はその額を300万円に変更される。こうすれば過剰預貯金残高が抹消され、その過程で日本の金融機関の不良債権が清算され、貯蓄と負債の双方が4分の1ずつ相殺される。

 この政策の問題点は、日本の貯蓄の投資先を誤った銀行、保険会社、年金基金が最大の受益者となり、結果として恩恵を受けることになってしまう点である。日本がこの解決策を選ぶのであれば、破綻した金融機関を完全につぶし、新しい一連の規則を用意してから再スタートを切るのが望ましいのではないだろうか。

 日本の奇跡的な経済成長を呼び戻し、バブル経済を完全に過去に追いやるための最善の規則とは何なのか、考えてみるだけの価値はあるのではないだろうか。

1. 借入による資金調達ではなく直接投資を促進する

 欧米諸国の政治家は減税を推進し、それによって日本のように貯蓄率を高め、あわよくば奇跡的な高度成長をも遂げたいと考えている。しかし、日本に奇跡的な高度成長をもたらしたのは貯蓄そのものだったのだろうか。それとも、その貯蓄を直接投資に還流させた独自の方法にあったのか。工場や設備、機械、事務所、住宅の新規建設や研究開発への直接投資に向けられる貯蓄の割合が高ければ高いほど、長期的に貯蓄を支える基盤は強固なものになる。
 一方、特に不動産や株式、外国為替投機向けの融資に回る貯蓄が多ければ多いほど、貯蓄を支える基盤は脆く、かつ架空なものとなる。こうした見方を、経済政策の策定の指針にすべきである。

2. 貯蓄のより生産的な循環を奨励するよう金融制度を再設計する

 銀行が生産的な投資、つまり投機ではなく工場や事務所、雇用への直接投資の方が自分達の利益になると見なすような規制および財政環境を構築することを、金融改革の目標にすべきである。これを実行する方法の一つは、ある特定の行動を禁止することである。銀行は不動産であろうが、株式市場であろうが、さらにはデリバティブなどの高度な金融商品であろうが、投機向けの融資は行うべきではない。また、政府は外国からの借入れをすべきではない。

 こうしたことを全面的に禁止することが政治哲学上の理由からできないのであれば、好ましくない融資に対する支払準備率を上げることで、銀行の投機的な融資を抑制することができる。銀行に賭博師達への融資残高と同額の支払準備金を維持させることで、預金者の保護を義務づけられれば、一国の経済全体から見て決して勝者の存在しない非生産的な博打の利益をほとんど奪い取れるであろう。

 預金が負債へと還流するのを阻止する最も単純な方法は、利払いの税控除を廃止することである。税制上の優遇措置が借金を助長している。貸し手が得る利子が非課税であるということは、すなわち、他の納税者を犠牲にしているのである。

3. 企業活動を奨励するように税制を再設計する

 米国の圧力のもとで日本は自国の税制に欧米の税制の最悪の部分を数多く導入した。米国の影響で、日本は税負担を土地から産業や労働者に転嫁し、バブルのような投資環境を形成した。これによって、日本企業の生産や販売コストの中に税金の占める割合が増え、不必要にコスト構造を膨張させることになり、また国内の購買力を低下させる結果となった。伝統的に財政政策の基盤であった土地に対する税金を政府が軽減したために、その分投機家や開発業者が得る賃貸料収入が増え、彼らは銀行からさらに高い抵当ローンを借入れることが可能になった。土地への課税率を低くしたことは、不在地主に資産を抵当にその価値以上の借入を可能にさせたに過ぎない。

 逆に土地への課税を重くすれば、不在地主は銀行へ金利を支払う余裕がなくなり、銀行も不動産に対する過剰融資をあえて行おうとはしなくなるであろう。その代わりに貯蓄が産業や技術革新に回り、雇用増加やコスト削減をもたらす。また、産業の税負担が減り、その分投資へ向ける収入が増えれば、労働者は所得の中からより多くを消費に回すことができ、日本企業向けに国内市場が活性化するであろう。