No.251 デリバティブの総崩れにより円がどれだけ被害を受けたか

 今回と次回は、デリバティブ取引がいかに円の急騰に影響を与えたかということについて、ニューヨーク在住のエコノミスト、マイケル・ハドソンによる分析をお送りします。この分析から、投機資金の移動が実体経済にいかに悪影響を及ぼしているかが理解できると思います。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

デリバティブの総崩れにより円がどれだけ被害を受けたか

マイケル・ハドソン

 1998年8月~9月に米国市場でデリバティブが総崩れした後、日本の銀行の融資先が主に米国の通貨投機家であったことが明らかになった。彼らに融資することによって日本の銀行は円の為替レートを歪めるプロセスを後押ししたのである。本稿では、今日の世界金融市場において、オプション取引やデリバティブなどの難解な手法が、円の為替レートの下落やその結果として日本の貿易および直接投資の縮小にどのような影響を与えているかについて論じる。

 1998年8月~9月、ヘッジファンドが国際為替取引を混乱させたのは投機的な博打によるものではなく、その博打がはずれたことにあった。米国の社債の高金利に対する危険プレミアム(債権者が、債務の不履行というリスクを引き受けることに対する報酬をいう)の低下と円安とを見込んだ博打によって窮地に陥った多数の投機ファンドは、持ち高を解消するために何千億円もの日本円および何千億ドルにものぼる財務省証券(米国債)をあわてて購入しなければならなくなった。その結果、円の対ドル為替レートは約20%上昇し、日本の輸出入は混乱に陥った。これに関連した取引きが米国債の価格を押し上げて金利を劇的に引き下げ、世界中の金融市場の流動性を失わせた。タイ、マレーシアをはじめとするアジア諸国の通貨の暴落から1年以上たった今、この金融危機は投機資金の移動が貿易関連の支払いをどれほど上回っているかを示すものである。

 この混乱によって、これまでオプション・トレーダーの間に限られていた金融の専門用語が一般の人々にも知られるようになった。その一つがデリバティブである。これはヘッジファンドなどが巨額の株式や通貨などを売買する権利を使って行う取引きで、これらの権利(オプション)の投資価値は元になる株式価格の変動から派生する(日本語では金融派生商品と呼ばれる)。オプション保有者はこれら株式や通貨を約定価格で売買する権利に対してオプション料を支払い、この「権利行使価格」から派生する市場価値が大きくなればなるほど、保有者にとってオプションの価値が高くなる。

 この投機活動は博打と同じである。コンピュータ・プログラムが世界中の債券、株式、通貨の中から、過去の経験に基づく正常価格の割合を算出し、それに対して賭けを行う。しかし、これは競馬のような博打とは幾分異なる。競馬の場合賭けが勝敗を左右することはないが、オプション取引やそれに関連した金融投機は、金融制度そのものに影響を与えて、為替レートや株価を歪め大きな傷痕を残す。

 その影響がいかに深刻なものかを知らしめたのが1998年9月のロング・ターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)の事実上の破綻であった。社名とは裏腹に同社のオプション取引は古典的な意味でのキャピタル(資本)、すなわち生産・流通手段、あるいはそうした活動向けの投資ではない。オプションやデリバティブは実体経済とはほとんど関係がないからである。資金の投資先はすべて金融部門で、他の分野に回される資金を奪うと同時に株式、債券、為替の価格を乱高下させる。

 また、ロングタームという名称とは逆に短期志向である。歴史的な平均に基づく統計上の正常値を「長期」とでも定義すれば別だが、短期傾向はヘッジファンド取引では当然といえる。エコノミストがゲーム理論と呼んだLTCMの博打戦略は、世界金融市場を比較的安定した投資対象の相対価格として捉えることであった。

 特定の株式や通貨の大量売買により、統計上の小さな揺れである歪みが起こり、絶えずその相対価格は変動する。これらは説明不可能な事態に起因する歪みではなく、単に通常の需要と供給の変動によるものである。多数のコンピュータによって、常軌を逸した箇所を突き止めるために歪みの大きい波を検索するが、それは過去の経験に基づいて行われる。正規化された利回り曲線上に見られるそうした歪みは、低価格の市場では「買い」、需要の急増を見る市場では「売り」の対象となる。

 先にも述べた通りこうした取引きでは、貯蓄は生産手段どころか貿易の資金調達にさえ流れない。すべてゼロサムゲームであり、大量の株式を購入する権利は、取引相手から見ると、事前に設定した約定価格でその株式を売る義務となる。つまり一方の利益が他方の損失になるだけで、取引きのプロセスの中で何も有形なものは生まれない。生産過程から遊離したデリバティブによる投機が、究極の金融資本主義という地位に祭り上げられたのである。

 通常ならそうした裁定取引はごく微少な現象となる。しかし、このような変動に対応した取引きは取引量が巨額でなければ利益は生まれない。ヘッジファンドの重要な特徴は大規模取引きにあり、その規模は中央銀行が対抗できないほどにまで膨らんでいる。ヘッジファンドの中には中央銀行に対抗して売り浴びせる力を持つところもある。こうした投機的な貯蓄規模が、特に通貨市場で大きくなり過ぎたことがアジア通貨の乱高下の元凶であった。例えば1992年、ジョージ・ソロス率いるクォンタム・ファンドが巨額のポンドを外国為替市場で売却したため、イギリスはポンドを切り下げざるを得なくなり、その結果、ソロス氏とその仲間は十億ドルもの利益を上げた。

 ヘッジファンドは私募形式の投資による共同出資で、パートナーシップの協定により運営されるため諸法の適用が免除され、投資機関の投資に適用される多くの規制に制限されない。一ヘッジファンドの出資者の上限は499人以下で、大規模取引きを行うためには各投資家が極めて裕福でなければならず、純資産5百万ドル以上の大口投資家であることが加入の条件である(LTCMの場合、最低1,000万ドルの投資が要求された)。

 投資家の豊かな財政状況を見て銀行は巨額の融資をし、それによってヘッジファンドは自己資本を極めて大規模な額にまで膨らませることが可能になる。例えば、LTCMの場合、40億ドルの直接投資資本を元本に、数千億ドルもの資金を借入れていた。借入れ額が1兆ドルを超えていたという報道もある。

 こうした取引額は実際の生産および消費需要をはるかに上回る。市場間の裁定取引、つまり価格が低い市場で買い、需要が高い市場で売ることによって、価格の変化をよりなめらかにし、あるいは価格を安定させるといわれてきたが、むしろこれによって市場はさらに不安定になった。通常、変動が生じるのは決済の時である。しかし、これはノーベル賞委員会がデリバティブ取引の高度な数学モデルを編み出した2人のエコノミスト、スタンフォード大学教授のマイロン・ショールズとハーバード大学教授のロバート・マートン(2人ともLTCMに雇われた)にノーベル賞を与えた時には見過ごされていたようである。

 世界中の金融市場を形作る力を手にするためにヘッジファンドにもう1つ必要だったのは、国民の貯蓄を産業や他の有形資本形成に直接融資する金融制度ではなく、裕福な投機家たちに貸付ける制度であった。同時に、非生産的な貯蓄の利用に対する各国政府の課税を阻止する必要もあった。さもなくば、そうした非生産的な投資が抑制されてしまうからである。

 このような観点から見ると、ヘッジファンドおよびデリバティブ取引の激増は歴史的に見ても特異なことである。時代がもたらした現象ともいえ、現代の自由な価値観、さらには民間投資を有形資本の形成から切り離した規制緩和の精神の表れともとれる。結局、規制緩和の哲学では、社会の安定を犠牲にしても富裕者をさらに富ませることを政府に優先させることが重要であり、それより次元の高い目標を目指させるようなことがあってはならないのである。

 皮肉なことにヘッジとは元来、有形の長期資本投資に必要とされる、確実でスムーズな支払および収入の流れを提供するために考案されたものであった。