No.252 デリバティブ取引がいかに「実体経済」を妨害しているか

 前回に引き続き、デリバティブ取引がいかに円の急騰に影響を与えたかということについて、ニューヨーク在住のエコノミスト、マイケル・ハドソンによる分析をお送りします。この分析から、投機資金の移動が実体経済にいかに悪影響を及ぼしているかが理解できると思います。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

デリバティブ取引がいかに「実体経済」を妨害しているか

マイケル・ハドソン

 先物取引とは、商品その他の物をあらかじめ設定した価格で売ることである。この行為はすでに紀元前2000年からバビロニアで行われ、農民は収穫物を提供する義務と引き換えに、土地やその他の資源、後には貨幣や融資などを手にした。これは農民たちに安定した収入を提供した。

 今日、生産者たちが収穫の前に作物を売るのは即金を手にすることよりも、価格の変化による不利益を回避することが大きな目的である。(バビロニア人たちは宮廷が標準価格を保証してくれていたため、こうした問題はなかった。)食糧生産者、石油会社、他の鉱物採掘会社は産出したものを前売りすることで、収入の流れを一定に保つことができる。同様に、輸出業者も通貨の変動から身を守るために貿易で獲得する外国為替を事前に売る契約を結ぶことが可能である。輸入業者から見れば、穀物や原材料などの輸入品を国内通貨でいくらにするかを確定するために、事前に設定した為替レートで外国為替を買い付ける権利を購入することができる。国際貿易ではそうした事前契約が過去何十年にもわたって行われてきた。

 しかし、現在では生産や貿易のニーズをはるかに超える量の先物取引が行われている。通貨や証券取引に対する大部分の投機は、有形製品の販売を促進するためでも、収入を安定させるためでもなく、単に外国為替、債券、株式の価格の変動を利用した博打であり、利益を得ることだけが目的である。より複雑なデリバティブ取引では、特定の株式や通貨の上下動そのものに対してではなく、特定の株式や為替レートが他の株式や通貨といかに連動するかに対して賭けを行う。こうした相互取引では事前に購入される株式や通貨と、事前に売却される株式や通貨は異なる。

 オプション・トレーダーは株式や通貨を特定価格で売買するための権利を手にするために、その価格の一部をオプション料として支払う。決済日が来ると、市場価格と事前に決めた約定価格の差で、オプションの価値が決まる。空売りは所有していない株式、債券、為替を売ることだが、空売りの契約をした者は決済日までに、その株、債券、通貨を購入して用意し、契約相手である買い手(通常は証券会社)にその日の価格か、または両者の合意した価格で売却する。

 空売りでは、株や通貨を約定価格よりも低い価格で買うことができた場合に売り手は利益を得る。購入価格をわずかでも下げることができれば、元手が小さくても巨額の利益を得ることができる。しかし、価格が上昇すれば空売りの売り手は証券を手に入れ、買い手に渡さなければならない。価格が下がらず上昇した場合は買い手が得をする。価格がわずかしか下がらず、その下げ幅がリスクに対して支払う料金を下回っても、やはり買い手が得をする。

 多数の投機家が空売りをした場合、価格が上昇すれば彼らはみな買戻さなければならない。それは価値の下落を見込んでいた証券の買い注文の殺到につながりうる。潜在的な損失は無限である。というのは売る契約をした株や通貨が値上がりすれば、空売り筋は提供すると約束している物を買う時に販売価格との差を埋めなければならないからである。そのコストは、投機家が権利を買うのに支払った比較的わずかなオプション料の何倍にもなりうる。ウォール街では、「自分のものでないものを売り、それを全部提供できなければ豚箱行きだ」とささやかれている。

 空売り筋が持ち高を解消せざるを得なくなれば、価格が急騰するかもしれない。空売り筋が証券を売った人に返すために証券を買わざるを得なくなる。たった数パーセントの価格の上昇であっても、証券会社はわずかな利益率で取引きした顧客に追加保証金を請求するであろう。投機家がそれ以上の資金を投じなければ、証券会社は損失を被らないようにその契約を売却するであろう。証券会社は顧客が提供すると約束したものを購入し、状況が悪くなる前の(あるいは空売り筋が予測した価格まで回復するまで待たずに)決済で差額を顧客に請求するため、追加保証金を払わない顧客は契約の売却により前払い金を失うことになるかもしれない。

 長年、ニューヨーク証券取引所は銘柄別空売り月間リストを公表していた。株価の下落を予測する投資家の空売りが急増すれば、市場が強気にあると考えられた。それは売り手が債権者に返却するために株を買い戻さなければならなくなるからである。(円の急騰も空売り筋が1998年夏に行った空売りを埋めるために日本円を買いあさったためだった。)

 ある時点で、遅くとも決済日までに、取引きの一方はオプション取引の対象である株か通貨を、売るか買うかしなければならない。投機が実際の市場に影響するのはこの時である。空売りによって起こる最も深刻な問題は、株や通貨が値下がりすると見込んだ投機家の予測がはずれて価格が上昇した時である。彼らは方針を変えて買いに転じるが、供給が限られていれば価格は急騰する。

 空売り筋がこのように窮地に陥ったために、1998年4月~6月には円が急騰した。国際投機家は、日本の貯蓄と金融市場が金融ビッグバンによって米国その他の外資系企業に開放されたことに目を向けた。日本の預金者の多くがこの機会を利用して、預貯金を国内の円建て資産から、ドル、ポンド、マルク建ての外国株や債券に変換することは明らかだった。そこで投機家は円の空売りをした。この資金の調達先が日本の銀行であった。

 一方、投機家は国際的な金融危機は最悪の状況を脱したと信じ、経営難の米国企業の社債(ジャンクボンド)と米国債の金利差が縮まると見ていた。98年8月まではすべてが計画通り進んでいるかのようだった。しかし、そこでロシア危機が起こり世界恐慌の危機が再燃した。IMFの融資プログラムは信用を失い、国際投資家はアジアおよび中南米(特にクルゼイロが明らかに高すぎるブラジル)から引き上げ始めた。リスクが再び意識された結果、投資家は米国債へ、つまり「質への逃避」に走ったのである。

 このことは多数の大手ヘッジファンド、中でも最もレバレッジが高かったLTCMとA.H.ショーを困難に陥れた。米国債とジャンクボンドの金利差が縮まることを見込んで、何千億ドルも借金して投資を行っていたからである。市場がそれとは逆の方向へ向うと、ヘッジファンドが投じていた資金は瞬時に消滅し、日毎損失が増加した。銀行はヘッジファンドに対し、予測がはずれた博打に対する手付金を増やすか、掛け金を売却し、すべてを解消するよう伝えた。

 ヘッジファンドが米国の債券市場で持ち高を解消する唯一の方法は、所有する資産をすべて売却して損失を補填することだった。彼らは状況が正常に戻り、最後の決済日までには金利差がなくなることを期待し、すべての契約を処分した。その中に円の対ドル為替レートが一定まで下がったときに円を売るとした契約も含まれていたのである。

 このために為替市場が混乱に陥った。多くの投機家や銀行が円の空売りを行っていた。他の投機家が持ち高を解消する中、買い注文の急増を目にしたトレーダーたちは、これ以上は自分達の収益が上がらないと考え、彼らも自分達の契約を処分するために円買いを開始した。その円買いが円の価値を下落から高騰に転じさせた。

 状況はすぐに雪だるま式に悪化した。空売り筋は持ち高の解消に走ったが、それが可能なのは利益が得られるからだった。過去の悲観論者たちは、円を狂ったように買いあさり、わずか1ヵ月余りのうちに円の価値を20%も急騰させた。8月には1ドル=145円だったのが、9月には115円まで上昇した。

 この激しい円の動きは、もちろん貿易に関連した基礎的条件によるものではない。日本でも米国でも、石油価格の下落以外、輸出入価格はそれほど変化していなかった。変動の原因は完全に金融部門にある。厳密には、巨額の負債にまみれたヘッジファンドと、そこに融資した欧米や日本の銀行がもたらしたものなのである。

 LTCMの2人のノーベル賞経済学者は、オプション取引の数学モデルが市場をより流動的にすることで経済をさらに繁栄させるとして博打を正当化した。そして、コンピュータを何台も使い利回り曲線上の価格の歪みを探し出すことで、その曲線をなめらかにするとした。ここでは、投機家は安い市場で買い、高い市場で売ることが前提となる。

 しかし、為替投機家やヘッジファンドは通貨を次から次へと売り浴びせ、中央銀行の外貨準備を枯渇させた。オプション市場では、円の対ドル為替レートや社債の米国債に対する価格の乱高下の幅が最小限になるどころか、変動率はますます高くなっている。なぜならば、結局勝利を収めるのは最大の掛け金を持つグループであり、投資ニーズを上回る世界の余剰貯蓄はもはや中央銀行ではなく、ギャンブラーの手中にあるからだ。

 繰返すが、オプション取引は農家や輸出業者を価格や通貨価値の変動から守るために生まれたものだった。しかし、それがヘッジファンドの投機へと進化するにつれて、ますます危険な変動が世界の外国為替市場や証券市場に出現した。

 為替レートはもちろん資本の流れに左右されてきたが、これほど不安定な状況になったことは今までなかった。国際金融市場には過剰資本が渦巻いている。より多くの貯蓄がオプション取引に流れ、その取引きの勝者は直接投資家が払えない高額の金利を払えるほどの利益を手に入れる。投機取引の損失が実体経済およびその生産ニーズのための融資を減少させていることで、賭博が有形の資本形成を阻んでいる。金融投機は市場の流動性を高めるどころか、それを奪っているのである。

 空売りという言葉から想像できるように、これは根本的に短期的なものである。空売り筋は期限内、通常は3ヵ月以内に契約を処理しなければならない。これは決して長期的な投資ではない。しかし、経済学の学者にとって資本は本来長期的なものである。時間をかけ、遠回りの生産過程あるいはリスクの結果、金利や収益が生まれると考えられている。しかし、金融投機にこの論理は当てはまらない。金融投機は投資を飲み込むこと以外、生産過程との接点はほとんど持たない。

 日本やアジア諸国の企業は、貯蓄を投機家に奪われ、銀行からの貸し渋りに遭っている。投機家は誰よりも多くの利益を生み出す。しかし、巨額の富を生み出す投機家がいる一方で、同額の損失を出している取引相手も存在することを忘れてはならない。