No.259 日本の不況の原因に関する考察(3)

現在日本を襲っている経済の病弊は、人類史上にないまったく新しい2つの災難によってもたらされたと私は考える。こうした災難を今までに経験した国はない。少なくとも、それに気づいた国はなかった。日本の指導者たちも、また彼らが信頼する経済の識者も、この災難を予測しなかったし、もちろん分析も議論もなされていない。日本経済をここまで追いつめている真の原因を認識することができないために、日本の指導者たちも識者たちも、時代遅れで効果のない、それどころかむしろ悪影響を及ぼす措置によって景気を立て直そうとしている。

前回では、日本が直面している2つの災難のうちの1つは、米国が日本に仕掛けている経済戦争であると述べた。今回は、もう1つの災難である、産業革命の終焉について分析する。

日本の不況の原因に関する考察(3)

 

日本は産業革命の終焉に達したと私は確信している。私がそういっても読者の多くにはピンとこないかもしれない。なぜなら我々の世代は、規格品やサービスを大量生産し販売する経済しか知らないからである。しかし、この種の経済は誕生してからまだ100年あまりしかたっていない。それ以前はずっと日本人も他の国の人々も、簡単な道具を使い個人または小人数で商品やサービスを作り出してきた。現代人のほとんどは歴史に疎く、直接体験したりテレビやマンガで見たことがないことには無知なので、経済といえば個人消費向けの規格品やサービスの生産を拡大し続けて、右肩上がりの成長を続けるイメージしか彼らの頭にはない。それは大量生産、大量販売、大量消費そして大量廃棄の経済である。日本人が米国に仕掛けられている経済戦争を理解できないのと同じく、違うタイプの経済を知らないことが現在の不況の原因を理解できない理由であり、また日本政府の政策がすべて失敗に終わった原因だと私は見ている。そしてこれからもうまくいかないであろう。

産業革命の終わりというのは、機械を使って、規格品やサービスを大量に生産し、販売することが限界に達したという意味であり、製品の製造や販売に機械を使用しなくなると言うのではない。大量生産型の製品やサービスへの需要はほぼ飽和状態となり、機械で大量生産した規格品やサービスに対する需要増は今後は見込めないだろうといっているのである。

しかし、それだけのことでも、現在の不況から抜け出し、将来の経済的繁栄を獲得したいのであれば、日本人の考え方や行動を根本的に変える必要がある。以下に、ジョン・A・ホブソンの『近代資本主義発達史論』(1894年)から不景気に関する記述を引用し、それに日本経済のデータを当てはめることによって、私がなぜ日本が産業革命の限界に達したと考えるのかを説明する。

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ホブソンは、不景気の徴候は卸値の下落であると指摘した。価格が下落するのは、売り手がその製品やサービスを当初の価格では売れなくなったためである。当初の価格で在庫を売却できる限り、価格を引き下げはしないであろう。(ここでいっているのは価格の一般的下落であり、市場占有率の拡大やその他の目的のために価格を下げることとは異なる。当初の価格では商品やサービスが売れないために起こる価格の下落である。)

すべての在庫を売却できるレベルまで値下げしても売り手が利益を得られるのであれば、その引き下げた価格で経済は落ち着くことになる。ちなみに、日本の卸売物価指数はここ7年ずっと下がり続けているが、経済はなおも安定していない。

経済が景気後退から深刻な不況に転じるのは、売り手が損失を被るレベルまで価格を下げなければ、在庫をすべて売却できない時である。こうなると、在庫を処分できても売り手は損失を被る。最も低廉な価格でも売却しきれない大量のものが生産され、市場は商品で充満する。そうなると生産と流通を削減するしかない。小売業者は卸売業者からの仕入れを、また卸売業者も生産者からの仕入れを削減し、生産者は使用する資本や労働者を削減しなければならない。生産量は既存の生産能力で生産できる量を下回る。

不況になると、生産能力が明らかに過剰な状態になる。その結果、労働者が解雇されたり、臨時雇いにされ、工場が閉鎖されたり稼働時間が短縮される。しかし、こうして生産を緩めても生産者に利益をもたらす価格レベルでは売却できず、市場は売れない商品であふれる。この過剰な商品が機械の動きを鈍らせ、生産速度を遅くさせるようになった時、弱小な製造業者はもはや銀行から融資を受けられず、かつ債務を返済できなくなり倒産を余儀なくされ、より強い会社も工場の一部閉鎖や労働時間の短縮、あらゆる形態の労働力の削減をする時が、不景気がはるかに永続的かつ最悪の状況になったことの確証である。真の過剰は、遊休設備や工場閉鎖という形で表れ、また大量の供給過剰が遊休資本につながり、大量の強制的失業者となって表れる。

ここまでの説明はホブソンが19世紀末に記述したものであるが、まるで20世紀末の日本を彷彿とさせる。日本では、倒産件数が過去2番目を記録し、負債額は過去最高となり、失業率も過去最高を記録している。労働者の年間労働時間の平均は1997年から21時間減少し、1998年には1,879時間になった。日本において労働時間が1,900時間を下回ったのは98年が初めてである。

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ホブソンによれば、不況の原因は、機械の急増で資本設備が過剰になり、現在の消費を維持するのに必要な量以上の生産能力が存在するからだという。生産財の流れを増加させるために作られる機械の数は消費増を上回るスピードで増加してきた。これだけの機械を常に100%稼働させ続けることは不可能である。その機械をフル稼働させて商品を作っても市場で売れないからである。その結果、必然的に遊休の生産設備が生まれる。それは大量の役に立たない資本の形態、すなわち供給過剰を表し、その使用されていない生産力は、大量の商品の供給過剰を表している。そうなると、過剰な機械の継続使用を阻む方向に経済的力が働く。機械の所有者が機械を稼働させ続ける余裕があるからといって、その経済の力に逆らって生産設備を使い続けても生産された商品に市場はなく、供給過剰をさらに悪化させることになる。

製造および運送用の機械の発達は、より多量の原材料をより迅速、かつ低コストで、生産および流通過程を通じて市場に送り込むことを可能にしている。しかし、それと同じ速度で消費者が消費量を増大させていくことはない。

日本に関する次の統計から、日本の生産能力が消費量を大幅に上回っているであろうことは容易に推測される。まず最初に、生産能力の増加について示す。

1990年代との比較 名目国民総生産 実質国民総生産

1990年代は1980年代の 1.6倍 1.4倍
1970年代の 3.7倍 1.9倍
1960年代の 14.2倍 3.7倍

次に、日本と他の先進国との国民1人当たりの消費額の比較である。日本の消費は他の先進国を大幅に上回っている。

国民1人当たりの   国民1人当たりの
国名       個人消費 比較  公的消費   比較
——     ——— —— ———- ——-
日本       $21,942  1.0  $3,541    1.0
カナダ      $11,540  1.9  $3,789    0.9
フランス     $15,845  1.3  $5,080    0.7
ドイツ      $16,413  1.3  $5,605    0.6
イタリア     $12,972  1.7  $3,444    1.0
イギリス     $12,499  1.8  $4,179    0.8
アメリカ     $18,733  1.2  $4,505    0.8
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日本を除くG7平均 $14,674  1.5  $4,434   0.8

ホブソンは、消費需要を超える生産能力に加えて、価格の下落から必然的に起きる貨幣所得の一般的下落は、これに相応する販売の拡張によっても埋め合わせられることなく、消費の収縮を招くと指摘している。

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日本の生産能力が遅かれ早かれ消費需要を超えると考えるのは、むしろ当然といえる。科学技術は絶えず進歩しているため、資源が枯渇するか、あるいは生産、消費、廃棄によって環境が破壊されない限り、生産能力もほぼ無限に拡大し続けられると思われがちである。

しかし、我々の消費需要はどうだろう。機械の利点は、定型の商品を迅速かつ大量に生産できることにある。しかし、人間にとって機械による大量生産の欠点は、消費者個々人はそれぞれ違うのに、機械はまったく同じ製品を大量生産するということである。消費者が没個性に甘んじ、同じ形、大きさ、色、材質の商品で我慢し、他者と同じものを消費し続ける限り、機械はそれを供給することができる。しかし、人は肉体的にも、精神的にも、知的にも他者と同一ということはあり得ず、たとえ日常品であっても、2人の人間の真の需要がまるで同じということはない。機械はまったく共通のものを消費者に押し付けることによって、消費者の個性を砕く傾向にある。機械の利用増は、消費者がこうした無差別な消費を継続するかどうか、さらには支出増をすべて消費に回し、消費を拡大し続けるかどうかにかかっている。消費者が共通の標準を受入れることを拒み、個々人のニーズや好み、さらにはその変化にもっと合致した消費を求めるようになれば、消費の個別化によって、生産においても個性が求められるようになり、機械は産業界から退くことになるであろう。

他の先進国よりも消費量の多い日本人が、大量生産に対する需要の限界に達していると考えるのは、早計であろうか。

さらに、資源や環境破壊についてはどうだろうか。日本の人口は以下のように爆発的に増加している。

日本の人口増加

1945年から1.7倍
1931年から2.0倍
1899年から3.0倍
1872年から3.7倍

日本の人口密度は他のG7諸国平均の13倍であり、他のOECD諸国平均と比べても11倍である。これだけ多くの人口が消費し続けることを、果たしてこのような小さな島国で今後も維持していくことができるのだろうか。

さらに、地球全体の人口も増え続けており、それに伴って消費も増えている。1996年版のブリタニカによると、全世界の人口は産業革命以来、約6倍に増加した。1950年以降ほぼ倍増しており、人類がこの世に誕生して約400万年と考えると、400万年かけて増えてきた人間の数がこの50年間で一気に増加したことになる。こうして爆発的に増加する人口が大量生産、販売、消費、廃棄を行い続ければ、地球の天然資源は枯渇し、大気や水はさらに汚染されるのは間違いない。

年 世界人口

年      世界人口
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紀元前 8000     10,000,000
紀元  0    300,000,000
1000    300,000,000
1750    800,000,000
1800   1,000,000,000
1930   2,000,000,000
1960   3,000,000,000
1974   4,000,000,000
1990   5,000,000,000