今回は「砂漠の狐作戦」後も続いている、米国および英国によるイラク攻撃に関する記事をお送りします。昨年12月のイラク爆撃終了後も、ほとんど連日続いている米軍のイラクへの対地攻撃はもはや日常茶飯事となり、世界各国がこれをいつものことと眺めているのは我々の感覚が麻痺してしまったからではないでしょうか。米英のイラク攻撃を「無慈悲な秘密電撃戦」と評する、以下の『インディペンデント』紙の記事は、年明け以降の米英のイラク攻撃の意図を暴露するもので、我々の感覚を正常に戻してくれるものと思います。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
米英の無慈悲な対イラク秘密爆撃を暴露
『インディペンデント』紙 1999年2月21日
ロバート・フィスク
米英によるイラク空爆は、ほとんど報道されることもなく、また世論の事実上の無関心の中、年明け5週間で70回を優に超えた。これだけで、クリスマス前の米英による「砂漠の狐作戦」を上回る被害をもたらしている。サウジアラビアやクウェートを発進する兵士たちは、直接脅威に晒されずともイラクの軍事施設に先制攻撃を行ってよいとする新たな交戦規定を与えられた。
空爆は非難や世論の沸騰を避けるよう、巧妙に計算されたものだが、フセイン体制を転覆しようとするワシントンの狙いと符号する。イラクのミサイル施設は警告なしに攻撃を受け、レーダー基地は攻撃を行わなくとも、存在そのものが湾岸に駐留する米軍に脅威を与えるという理由から、次々と標的にされている。
例えば2月初め、米軍機はファーウ半島にある、ロシア製のシアサッカーと呼ばれるC-802対艦ミサイル基地を攻撃した。米国のスポークスマンは、このミサイル基地が湾岸を通る船舶に脅威を与えうるために攻撃したと発表したが、軍事専門筋によれば、ミサイル発射の気配はまったくなかったという。
連日のようにイラクを爆撃しながら、その攻撃目標については紋切型の情報提供しか行わない米英の政府高官は、フセイン打倒のために爆撃を漸次的に行うことでマスコミの関心を引かないよう配慮している。その結果、今回の米英のイラク空爆に関する記事は毎回小さな記事にしかならないが、1年前であれば同様の内容が一面トップを飾ったであろう。非難めいた声が発せられたのは米軍ミサイルが住宅地に落下した時だけであったが、それもサダム政権のプロパガンダに利用されるのを恐れてか次第に弱まっていった。
事実、最悪の爆撃であった米国のAGM-130ミサイルによるバスラ住宅地への爆撃では、イラク自身による当初の推定よりも、はるかに悲惨な結果をもたらした。1月25日の爆撃直後の報道では死者11人と発表されたが、その後の報道で死者17人、負傷者約100人に変更された。
バクダッドの国連人道コーディネーター、ハンス・フォン・スポネックが編集した国連報告書によれば、16メートル間隔で落とされた2発のミサイルが住宅密集地を攻撃し、最初のバスラに落ちたミサイルは女性1人、子供5人を含む死者を出し、また2番目のアブカシブに落ちたミサイルでは女性5人と子供5人が死亡した。つまり、犠牲者のほとんどは子供だった。バスラへの攻撃を認めた米国防総省の報道官は、犠牲者について、「我々は民間人を狙っていない」と繰り返した。
今年になって、米軍を挑発し米国の湾岸同盟諸国を威嚇するというフセインの策略が、米英政府に事実上秘密裏にイラクに戦争を仕掛ける口実を与えた。フセインはイラク北部および南部にある米英が指定した飛行禁止区域を無効であると言明し、イラクの防衛隊に米英軍機を爆撃させた。またサウジアラビアとクウェートに対しては米軍機に空軍基地を継続使用させれば、報復攻撃の用意があると警告した。イラクからの攻撃に対する湾岸諸国の懸念が高まる中で発せられたこの警告は、湾岸諸国をいらつかせた。またフセインは、イラクを空襲する爆撃機を撃ち落としたイラク兵士に賞金を与えるとしたが、受け取ったものは誰もいない。フセインの防衛隊の技術レベルは、米英をはるかに下回るからである。
空爆は、年明け2週間の5回の攻撃で始まった。1月11日、米軍機はトルコの空軍基地から発進し、イラクのミサイル施設を攻撃した。同日、オルブライト国務長官の湾岸諸国訪問についても発表された。その目的は何千人ものイラクの子供たちの命を奪った経済制裁の継続と、サダム政権転覆計画への支援をアラブ諸国から得ることだとされた。
1月末までほぼ連日のように米軍の空撃が繰り返され、それにイギリスの戦闘爆撃機が加わった。1月31日には、米英のジェット機8機がイラク南部の通信施設を攻撃している。
2月4日の米国側の発表は、米英軍機はそれまでに、計40のミサイル施設を破壊し、これだけで昨年12月の被害を上回ったと事実だけを伝え、補足説明は行わなかった。米英両国は、この攻撃が国連の支持を受けたものかどうかには触れず(国連の支持はなかった)、空爆が「暴力による脅しの文化」を作り出しているとした、イギリス労働党左派のトニー・ベン下院議員の警告はまったく無視された。
2月11日、ボスニア紛争で国連部隊の指揮をとった英国のマイケル・ローズ元将軍はロイヤル・ユナイテッド・サービス・インスティチュート(英国防衛研究所)での講演で米英の攻撃を非難して、「西欧諸国の最先端技術が第三世界の人々に死と破壊をもたらしている映像がテレビで放映され続けているが、一般国民はこれをいつまでも容認はしないだろう」と述べた。
しかし、この発言はほとんど無視され、米国の高官はフセイン政権打倒のための反対勢力を形成しようと、さらにはアラブ諸国から支持を得ようと、無益な努力を続けた。サウジアラビアおよびクウェートに対するイラクの警告にもかかわらず、湾岸諸国はそうした米国のすべての策略に敵意を示し、現イラク政権が崩壊し、クルド人、スンニ派、シーア派に分裂することを恐れている。
米軍機に基地を提供する湾岸諸国は攻撃すると、フセイン大統領が脅した時、オルブライト国務長官は米国の強行姿勢を暗示する発言を再度行い、イラクが米国の湾岸同盟国を攻撃すれば、米国はイラクに報復するといいきった。しかし、何に対する報復だというのか。度重なる軍事制裁に苦しむイラクに対して、オルブライトは今よりも悲惨な空爆を仕掛けるとでもいうのか。米国は、イスラエルがレバノンで犯したのと同じ過ちを湾岸で犯したようだ。
1982年以前、イスラエルは大量侵略の脅威を与えるだけで、レバノン人もパレスチナ人も同様に怖じ気づかせることができた。しかし、一度侵略が行われ、イスラエル軍にも大量の犠牲者が出ることが明らかになると、イスラエル軍による軍事攻撃の威嚇はその威力を失った。
今、米軍についても同様のことがいえる。昨年クリスマス前の米英の空爆は、査察を拒否するとどうなるかをフセインに思い知らせることが目的だった。しかし、査察団はイラクに戻っておらず、査察団のバトラー委員長がイスラエルとの協力関係を認め、査察団はもはや事実上存在しない。また、爆撃は、フセイン政権を跪かせることにはならなかった。それどころかフセインを挑発する結果となり、彼は米国の軍事行動を煽っている。
米国は何の目的で爆撃をするのか。イラク北部からミサイル兵器が一部撤収されたものの、バスラ近郊のイラク軍は強化された。バグダッドでは、民間人がさらに6人死亡した。1人は2月10日、ナジャフの近くの空襲で、残りの5人は2月14日のイラク南部の空襲で殺された(後者は22人の負傷者も出した)。2月4日、米国の高官は、飛行禁止区域はここのところ平穏であると発言したが、そのたった2日前に、米軍ジェット機がファーウ半島の対艦ミサイル基地を爆撃している。
これらすべてが、戦争は始めることよりも終わらせる方がいかに難しいかを証明している。おそらく、バグダッドだけでなく、ベルグラードの状況も深刻化している今、セルビアの地図に目をやる米国の戦略家も同じことを感じているに違いない。
攻撃スケジュール
1月11日 米ジェット機がイラク北部のミサイル施設を攻撃。
1月12日 米軍機がイラク北部のレーダー施設を攻撃。
1月13日 米国がイラク北部のレーダー基地を攻撃したと発表。
1月14日 米ジェット機がイラクの防空システムを攻撃。スポークスマンは、F-16戦闘機のパイロットがHARMと呼ばれる対レーダーミサイルを爆撃したのは、F-16戦闘機がイラクのレーダー照射を受けたためで、その後F-15戦闘機が地対空ミサイル施設に精密誘導爆弾を落としたと発表した。
1月24日 米国がイラク北部のミサイル施設を攻撃。
1月26日 米国がイラクの北部および南部を攻撃。バスラ周辺への空爆で市民17人が死亡、そのほとんどが子供であった。米国はミサイルの1つが誤射されたことを認めながらも、民間人を狙ったものではないと報告した。
1月28日 米空軍はイラク北部の防空施設を攻撃した。
1月30日 イラク・モスル近郊の防空施設計6ヵ所を攻撃した。
1月31日 米英軍がイラク南部の通信施設をミサイル攻撃。フセイン大統領は米英の戦闘機を撃ち落としたイラク兵に賞金を与えると発表。
2月 2日 湾岸に停泊中の空母USSカールビンソンから飛び立った米軍機がファーウ半島のロシア製対艦ミサイル施設を攻撃した。
2月 2日 イラクはサウジアラビアのパイロットが空爆に加わったと述べた。
2月 4日 ウィリアム・コーエン米国務長官は、イラクがミサイル兵器を撤収していると述べた。
2月10日 米軍機がナジャフ近郊の防空施設を攻撃し、1人を死亡させた。
2月14日 イラクはサウジアラビアおよびクウェートに対して、米英戦闘機に空軍基地を継続使用させれば攻撃すると警告した。それに対して、米国政府もイラクに報復すると警告した。
2月15日 イラクは、イラク南部の空爆で5人が死亡、22人が負傷したと発表した。
[『インディペンデント』紙より許可を得て、翻訳転載]