No.264 日本の不況に対する解決策の提案(2)

今回も前回に引き続き、日本の不況に対する私の解決策を提案します。

日本の不況に対する解決策の提案(2)

 

私は規格大量生産に象徴される日本の産業革命が限界に達したと考える。過去2世紀、とりわけ過去半世紀における科学技術の偉大な進歩は先進諸国、特に日本国内に消費を上回る規格品やサービスを生産・流通するための永久的な能力を作り出した。

現在の日本の不況は、消費を上回る生産に起因する。社会が消費を上回って生産すると、過剰分は消費されない。したがってその過剰分がすべて消費されるまでは、生産をする必要はない。いかなる社会でも、生産された物は、民間(個人)消費、政府(社会)消費、純輸出(輸出-輸入)、および設備投資を通じて処理される。このいずれの方法でも消費されなかったものはすべて売れ残りとなる。この売れ残った在庫をまず売却しなければ、生産者は生産を続けても利益を得ることはない。つまり残ったものはすべて過剰生産であり、在庫を一掃し工場や労働者を生産的にかつ利益を出しながらフル稼働させるためには、過剰消費が必要になるということである。

生産 = 民間最終消費支出
+ 政府最終消費支出
+ 純輸出
+ 総固定資本形成
+ 在庫品増加

生産したが消費されなかったものが在庫であり、それを消費しない限り、新たに生産しても利益の拡大にはつながらないので、我々は在庫を増やすことをしたくはない。また、世界は日本からの純輸出(輸出-輸入)の増加を望んでいない。日本に対する世界からの経済的圧力のほとんどが、日本が抱える世界最大の貿易黒字(純輸出)に対するものであることからも明らかである。OWメモ「日本の不況の原因に関する考察(4)」(No.260)で述べたように、総固定資本形成が社会に利益を与えるのは、それが現在生産されていない製品やサービスの生産能力を増大させる時、すなわち社会全体の消費や満足度の向上につながる場合に限られる。生産が消費を上回る日本社会において、社会全体の消費あるいは満足度の向上につながるような生産はほとんどない。そしてOWメモ「日本の不況に対する解決策の提案(1)」(No.263)で述べたように、個人消費を増加させる唯一の方法は、消費税を撤廃し、所得税の累進性を高めることにより、所得に占める消費の割合が最も高い人々の可処分所得を増やすことである。しかしこれは、自民党政権がここ10年間とってきた政策とはまったく逆である。

生産能力に見合った消費を行い生産設備の遊休化を回避し、失業や倒産、その他の経済苦を防ぐ方法が1つだけある。それは社会消費を増やすことである。OWメモ「国民の幸福という日本の目標」(No.205)、「国民の幸福(1)(2)」(No.206,207)、「国民の幸福のための財源」(No.208)で、私は、日本が1950~1970年代の高度成長期に掲げた目標、つまり日本国民の幸せという目標に日本は戻るべきであると主張した。そして、個人消費では個人で消費できるものに限定された幸福にしかつながらないため、社会消費を増やす必要性を説いた。その中で私は、国民の幸福に不可欠な社会消費の例として以下のようなものを挙げた。

1. 地震保険
日本は地震国だが、地震に対する備えを完全に行うには巨額の費用がかかるために、全国民でそれを分かち合わない限り、個人や家庭単位で経済的被害に対して十分な対策をとることはできない。そこで提案したいのが、これを健康保険と同様に、全国民強制加入の地震保険にすることである。被災者に対する補償を全国民で負担すれば、各個人や家庭が負担する保険料は低く抑えられるはずである。

2. 公共インフラの整備
阪神大震災は、鉄道や橋、高速道路などの日本の公共インフラがいかに脆弱であるかを浮き彫りにした。もし地震がラッシュアワー時や企業の就業時間帯に起きていれば、被害者数や被害の規模はもっと大きかったはずである。将来、大地震が起きた時の被害を最小限に食い止めるためにも、日本全土の公共インフラを補強整備するためのプロジェクトを開始すべきである。

3. 不慮の事故
不慮の事故や病気が原因で、働けなくなる人が毎年数多くいる。そのような時、今の日本社会ではよほど裕福な家庭でない限り、貧困生活を余儀なくされる。なぜならば雇用主も政府もこうした人々にわずかな金額の援助しか与えておらず、また与えたとしても一時的に過ぎない。こうした不慮の事故や病気に対しても、全国民強制加入の国民皆保険で対応すれば、当事者の経済苦を軽減することができるであろう。

4. 高齢者の社会への貢献
現在の日本の定年制は、大量生産および寿命が短かった時代に作られたものである。今日、能力や意欲があっても、多くの定年退職者は長い余生を失業状態で送らざるをえなくなっている。これらの能力や意欲のある高齢者が、生産的に社会に貢献し続けられるような仕組みを用意する必要がある。

5.社会保障
過剰生産または過少消費による現在の不況の背景には、日本の年金制度に対する将来の不安から、国民が所得の多くを貯蓄に回している現状がある。日本の社会保障制度を、他の先進諸国並に充実させれば、日本国民の将来に対する不安が軽減され、所得の中からより多くを消費に向けるようになり、それによって日本経済が刺激されるであろう。

6. 生涯教育
現代は変化の速度が速く、現時点で仕事や生活に役立つ知識や技術も、すぐに時代遅れとなってしまう。しかし、依然として日本の教育制度は、基本的に22才までの若者を対象としている。国民が年とともに豊かな生活ができるよう、日本の教育制度を生涯教育に拡充すべきである。

7. 防衛
日本は防衛手段を持たない、世界で唯一の国である。女性や子供の命、また自分の国を守るのは通常、男性の役割であるとされているが、それを自覚してないのは世界中で日本の男性だけである。日本にあるのは日米安全保障条約だけであり、その巧妙な条約名から、日本人は米国が日本を守ってくれるものと思い込んでいる。しかし条約の中味を見ると、そうしたコミットメントは一切含まれておらず、現実は、米国による日本占領の継続を日本が認める占領強化条約に他ならない。自民党の唯一の防衛政策は米国のご機嫌取りにあり、米国へ隷属していた方が、独立国として自衛するよりも安全であるという大前提のもと、日本国民を犠牲にして米国の利益のために日本を統治している。日本が国際社会の一員になりたいのであれば、米国の植民地としてではなく、独立国として行動し始めなければならない。

8. 食料・エネルギー自給率
太平洋戦争で日本が負けたのは、1944年にレイテ湾の戦いで日本海軍が惨敗した後、経済封鎖に遭い、生活物資の供給を断たれたためだった。このことから、重要物資を輸入に依存し過ぎることは日本の防衛や安全保障、さらには独立そのものを脅かすという教訓を日本政府は学び取ってしかるべきであった。しかし、日本政府はその教訓を学ぶどころか、性懲りもなく食料自給率を過去20年間に40%未満に押し下げた。エネルギー自給率についても同様である。国家の独立、および国民の幸福や安全を取り戻すために、日本は食料およびエネルギーの自給率を上げる必要がある。

9. 生活環境
日本の都市部の街並みは、見苦しく、けばけばしく、騒然としている。また、多くの人々は混んだ電車で通勤に2時間近くかけ、狭いウサギ小屋と雑然としたオフィスを往復している。汚い水道水を飲み、汚れた空気を吸っている。このような状況を個人で改善することは不可能であり、生活環境を改善する唯一の方法は、社会消費なのである。

10. 自然や遺産の保護
日本は、他の諸国よりも恵まれた美しい自然と豊かで長い歴史を持っているが、自然や遺産の保護については他の諸国よりはるかに劣っている。国家遺産を民営化したり、それを購入できる富裕者の私利私欲の犠牲にするのではなく、社会的文化遺産として、それらを国民やその子孫のために保護する必要がある。

以上に述べたのは、個人で消費することが不可能であり、社会全体でなければそれを獲得したり消費することができないものの例である。

社会消費を増やすという考え方は、米国を模倣し、米国の命令に従うだけの米国迎合主義の政治家が繰り返すプロパガンダに冒された日本国民には、奇異に感じられるかもしれない。米国が小さい政府を標榜するのは、ごく自然なことである。ヨーロッパから新大陸に渡り、原住民を略奪して急速に新国家を建設したヨーロッパの海賊たちは、その国家的精神として当然のことながら海賊根性を定着させていった。組織的な規制や抵抗がないところでこそ海賊たちは栄えることができる。したがって、海賊行為に抵抗し、それを抑制しようと弱者が自己防衛手段として組織化した政府というものに、海賊たちが不信感を抱き忌み嫌うのも当然である。こうして、その子孫である現代の米国人の大部分も、自然と政府を信用しなくなった。

先進国の中で唯一、米国だけが日本よりも選挙の投票率が低い。したがって、米国政府が、日本政府よりも国民のことを考えず、国民を大切にしない政府になるのはむしろ当然といえる。ヨーロッパの民主主義諸国のほとんどの国民は政府に対してそうした不信感は持っておらず、選挙でも、自分達が信頼する、また国民のことを考え大切にする政府を求めて一票を投じている。

GDP比で見た社会消費の割合は、日本を除くG7諸国の平均では18.5%であり、また日本を除くOECD諸国の平均では17.5%である。日本はGDPの9.5%しか社会消費に投じていない。社会消費のGDP比を他のG7やOECD諸国と同等の17.5%あるいは18.5%にまで押し上げれば、日本の年間生産量を40~45兆円増加させることになり、現在の不況から脱出するには十分なはずであり、また第二の高度成長を遂げることさえ夢ではない。

松下幸之助、土光敏夫、本田宗一郎らの世代は、個人消費によって日本に初めての高度成長をもたらした。規格品を大量に製造し流通させる、世界で最も効率の良い産業界を作り上げることによって、日本の個人消費は他のG7やOECD諸国を50%も上回ったのである。日本はその優れた技術と能力を、社会消費のための生産および流通に利用することによって二度目の高度成長時代を築くことができるはずである。日本には、そのための富や技術、能力がある。それどころか、それらを完全かつ効果的に利用する道は、もはや社会消費しか残っていないと、私は確信している。

日本に今欠けているのものは、日本国民の幸福を日本社会の目標として打ち立てる政治的指導力と、日本の富や技術、能力をその目標達成のために振り向けようとする政治的意思だけである。そうした政治的指導力や意思を悪い方向へ導くのも、良い方向へ導くのも国民の投票にかかっている。政治家にこれまで通り、米国や大企業の利益のために日本を治めさせるのか、それとも国民の幸福のために国を治めるよう現状を改めさせるのか、国民が次に審判を下せる機会は、来たる4月11日と4月25日の統一地方選挙である。今回の地方選挙での選択肢の1つは、できる限り多くの自民党議員を当選させることである。日本経済をどん底に追い込んだこれまでの政策を称え、日本経済をさらなる崩壊へ導くよう奨励するためには、自民党候補者に投票するのが最善である。また選挙を棄権して政治への無関心を装うことも、組織票の多い自民党を助ける次善の策となる。

しかし、日本経済を不況から救い、日本の技術や資源を社会消費に振り向けることで二度目の高度成長を遂げたいと考えるのであれば、これまで自民党がいかに失策を重ねてきたかを彼らに思い知らせるような一票を投じる必要がある。それによって日本経済を回復させるための、根本的な政策変更を政治家に行わせるのである。自民党議員が地方選挙で大敗すれば、主権は国民の手にあり、自らの政治生命がいかに国民のための政治を行うかにかかっているということに政治家は気づくであろう。