No.265 日本の不況に対する解決策の提案(3)

このシリーズの最後として、今回は日本の不況に対する私の解決策を実施するための財源について提案します。

以下で提案する解決策を政治家に実行させるためには、政治献金を行う富裕者や権力者、さらには政治家自身の利益を優先させるのではなく、政治家が国民のための政治をするよう仕向けるしかありません。そしてそのためには、そうなるように選挙で票を投じるしかないのです。政治的指導力を悪い方向へ導くのも、良い方向へ導くのも国民の投票にかかっています。これまで通りの政策を政治家にとらせて、米国や大企業の利益のために日本を治めさせるのか、それとも国民の幸福のために国を治めるよう現状を改めさせるのか、国民に与えられた好機は来たる4月11日、4月25日の統一地方選挙です。今回の地方選挙で自民党議員に投票し、できる限り多くの自民党議員を当選させることで、日本経済をどん底に追い込んだ彼らのこれまでの政策を称え、日本経済をさらなる崩壊へ導くよう奨励することも国民の1つの選択肢です。あるいは政治への無関心を装い、選挙を棄権することも組織票の多い自民党を助ける次善の策となるでしょう。

一方、日本経済を不況から救い、日本の技術や資源を社会消費に振り向けることで第二の高度成長を遂げたいと考えるのであれば、これまでの自民党の失策を罰するという意志を見せつけるべく票を投じなければなりません。それによって、日本経済を回復させる、根本的な政策変更を政治家に行わせるのです。地方選挙で大敗すれば、自民党議員および他の政治家は、主権は国民の手にあり、彼らの政治生命がいかに国民のための政治を行うかにかかっているということに気づくでしょう。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

日本の不況に対する解決策の提案(3)

 

本シリーズにおいて、私は日本が大量生産に象徴される産業革命の限界に達したこと、そして国民が個人で消費できる以上に、規格品やサービスを生産・流通する永久的な能力を築き上げたことについて述べてきた。提供される製品やサービスに対し消費が足りないために企業の倒産件数は記録的な数字となり、また労働者に対する需要が不足するために、失業率は戦後最高となった。

社会が消費を上回る生産をする時、過剰分は消費されないため、それがすべて消費されるまでは新たに生産する必要性はない。いかなる社会においても、生産能力をフルに活用するための方法は、民間(個人)消費、政府(社会)消費、純輸出(輸出-輸入)、および設備投資の4つであり、このいずれにも該当しなかったものは在庫増加分となる。この売れ残った在庫品をまず売却しなければ、生産を増やしても生産者の利益にはつながらない。近い将来、過剰消費によってこの在庫が一掃されない限り、工場や労働者を生産的に、かつ利益を出しながらフル稼働させることはできないのである。

日本は在庫を増やしたくはない。なぜなら今ある在庫が消費されない限り、企業の生産を増やしても利益の拡大にはつながらないからである。また、日本からの純輸出(輸出-輸入)の増加を世界は望んでいない。日本に対する世界からの経済的圧力のほとんどが、日本が抱える世界最大の貿易黒字(純輸出)に対するものであることからも明らかである。また生産が消費を上回る日本社会においては、設備投資を増やしてもその使い道はない。OWメモ「日本の不況に対する解決策の提案(1)」(No.263)で述べたように、個人消費を増加させる唯一の方法は、消費税を撤廃し所得税の累進性を高めることで、所得に占める消費の割合が最も高い人々の可処分所得を増やすことである。これは、自民党政権がここ10年間行ってきた政策とはまったく逆でもある。また、生産設備の遊休化を回避し、失業や倒産その他の経済問題を避けるためにも、日本の生産能力に見合った消費をする唯一の方法が、社会消費の拡大なのである。私は前回のOWメモで、次の2つの理由から、日本が社会消費を増やすべきであると述べた。

(1) 個人消費では、個人に限定した幸福にしかつながらない。個人消費を増やすよりも社会消費を増やした方が、大半の国民の幸福につながる。
(2) 消費税撤廃によって低所得者の個人消費を増やす他に、生産・流通能力をフル稼働させるための方法があるとしたら、それは社会消費の拡大しかない。社会消費を増やすことが、倒産、失業、その他の経済的困難を食い止め、現在の不況を終わらせ、経済の停滞が永続するのを避ける唯一の方法なのである。

日本の優れた技術や能力を社会消費のための生産や流通に適用すれば、二度目の高度成長を築くことができる。

では、その財源だが、社会消費の財源を捻出する方法は2つしかない。まず1つ目は、我々の子孫の許可を得ずに借金を増加させ、それを子孫に返済させるという不当な方法をとることである。現代の日本人は、このやり方で資金を捻出することを当然と考え、何の罪悪感も感じなくなっている。高度経済成長期の日本はほぼ無借金で、当時の国と地方を合わせた長期債務残高は国内総生産(GDP)のわずか5%であった。しかし、浪費家である今の世代が日本を引継いでから、日本の借金は雪だるま式に増加し、現在の日本の公的債務は560兆円にも達した。GDPの112%、国民1人当たり448万円、納税者1人当たり1,400万円にもなっている。

もう1つの方法は、個人消費が、その利益を享受する個人が支払いを負担するのと同様に、社会消費増加分も自分達の増税で賄う方法である。もし正直な人間であれば、560兆円もの長期債務のうち、今の世代しか恩恵に与かれない部分については自分達で返済しようと考え、そのために増税を行うであろう。ところが、政府は金融機関の博打の負債を返済する一方で、高額所得者や大企業に対する減税を行い、それによって99年度予算において71兆円もの新たな借金を上積みすることを決定した。しかし、銀行への公的資金投入は、現在の日本経済を立て直すためであり、すなわち今の世代のみ、とりわけ富裕者と権力者が恩恵を受けるものである。子孫が恩恵を受けるのでなければ、彼らに借金返済を押し付ける正当な理由はまったくない。子孫に返済させる分は、彼らも利益を受けるであろう交通・通信などの公共設備の費用に限定されるべきであり、しかも彼らの利用する割合だけにするべきである。

こうした過去の借金を清算してから、社会消費の費用を賄うためにさらに増税を行うべきなのである。

こうした増税の提案に、読者は驚かれるかもしれない。しかし驚くこと自体が、返済するつもりがない負債を積上げること、すなわち子孫の金を盗むことにいかに日本国民が慣れきっているか、そして国民からの支持を得るために減税を提唱する指導者たちの言葉にいかに麻痺させられているかということの表れである。

まず第一に、日本が今や米国を追い越して、世界最大の公的債務を抱えようとしているという事実に目を向けるべきである。現在の為替レート換算で、日本の国債残高は約2兆5,000憶ドルに達しようとしている。一方、米国債の残高は2兆2,000億ドル未満に下がるといわれている。1999年、先進国18ヵ国全体の新規国債純発行額(新規国債発行額-満期国債償還分)のうち、日本の占める割合が全体の90%であったという統計も、投資銀行のJ.P.モルガンから発表されている。

第二に、日本が世界一の借金大国になろうとしている理由の1つは、日本の税収が他の先進国よりも低いことが挙げられる。日本の税収はGDPの29%であるが、他のG7およびOECD諸国の平均は38%である。言い換えると、日本が世界一の借金大国なのは税金が低いからであり、自分達で費用を賄わず、借金で財源を賄おうとしているからなのである。

第三に、前回のメモで指摘したように、日本の社会消費はGDP比10%に過ぎず、他の先進国の平均のほぼ半分に過ぎない。GDPに占める税収の割合を他の先進国並に増やせば、社会消費のGDP比も他の国並みに引き上げられるはずである。それによって社会消費が約50兆円増加すれば、不況から脱出できるだけではなく、二度目の高度成長を実現することも不可能ではない。

第四に、個人消費を抑制しないように増税することは可能である。次の2つの政策を実行することを私は提案する。

(1)所得税の累進性を高める

高度成長期における所得税率は現在よりもずっと累進性が高く、政府が所得税の累進性を緩和するにつれて日本経済は衰退していった。

以下の表が示すように、家計所得が増えるほど消費に回る所得の割合は減少する。低所得層に減税を行えばその消費が増え、経済が刺激される。また高額所得層を増税すれば、消費には回らずに貯蓄されるであろう所得を徴収することができる。博打に回される余剰貯蓄を社会投資に向ければ、経済を刺激すると同時に、社会の幸福につながるはずである。OWメモ「日本の不況の原因に関する考察(4)」(No.260)で指摘したように、生産が消費を上回ることによって生じる「貯蓄」が、社会の利益となるのは、将来消費財の増加につながる(ただしそれは、消費者が消費したいと思うものでなければならない)工場やその他の生産財のために使われる時だけである。日本は消費を上回る生産能力をすでに所有しているため、貯蓄を生産能力増強のために使う方法はほとんど残っていない。だからこそ、日本の貯蓄の多くが株や債券、デリバティブ、土地、国内外の通貨を対象とした博打に向けられている。貯蓄で博打を行うことがいかに危険であるかは、住専問題や、大銀行の負債を返済すべく投じられた60兆円の公的資金などによって、日本はすでに学んでいるはずである。博打はゼロサム・ゲームで、勝者がいれば必ず敗者がいる。勝者は配当を手にし、敗者は政府を買収して、国民の税金でその負債を返済させたのである。貯蓄で博打をやり、その博打の借金返済に国民の税金が使われるよりも、博打で浪費される前に税金として徴収し、社会全体のために使う方が、社会はより幸福に、また経済はより健全になるだろう。
年収(円) 世帯の割合  消費支出が
年収に占める
割合
———–  ——–   ——–
2,000,000    2%     129%
2,500,000    5%     100%
3,000,000    9%      87%
3,500,000    15%      81%
4,000,000    21%      78%
4,500,000    27%      70%
5,000,000    33%      67%
5,500,000    40%      64%
6,000,000    46%      62%
6,500,000    52%      58%
7,000,000    57%      59%
7,500,000    62%      57%
8,000,000    66%      55%
9,000,000    74%      54%
10,000,000    81%      52%
12,500,000    91%      48%
15,000,000    95%      44%
15,000,001以上 100%      33%

(出所:『総務庁統計局の家計調査年報平成9年』)

(2)法人税の増税を行う

博打に使われるであろう余剰貯蓄を税金で徴収して、社会消費を拡大するために、財源としてもう1つ考えられるのは法人税であり、法人税を高度成長期並みに増税することを私は提案する。

日本の税収で見ると、1965年までは所得税収を100とすると法人税収は96であった。以降、政府が法人税を一貫して削減していった結果、所得税収を100とした場合、法人税収は69にまで落ち込み、65年以降も法人税収が所得税収の96%であった場合と比べると83兆円税収が少なくなっている。この額はこの間に発行された赤字国債の総額、83兆円に等しい。したがって、日本の国債残高の30%に当たる赤字国債は、法人税減税分を埋め合わせるために発行されたと言い換えることができる。

日本の金融制度の支払能力を回復するためには、法人税率も以前のレベルに引き上げるべきであり、それによって増えた税収を社会の幸福と健全な経済のために必要な社会消費に向けるべきである。

所得税の累進性を高めることと同様、法人税率の引上げも、消費に回されずに貯蓄された分を経済活性化に利用できる。日本はすでに生産が消費を上回っており、生産能力増強のために貯蓄を使う必要はない。税金で徴収しなければ貯蓄に回されるであろう余剰資金は、株や債券、デリバティブ、土地、通貨を対象とした博打に使われる。法人税についても所得税と同様、博打の借金に企業の税金が使われるよりも博打で浪費される前に税金として徴収し、それを社会全体のために使う方が、社会はより幸福に、また経済はより健全になるであろう。