今回は『Corporations are Gonna Get Your Mama(企業があなたの母親を奪う)』という最近読んだ本の中から「企業の力と生活の質」と題した章の抄訳をお送りします。
米国企業のトップ500社の資産は1980年から1992年の間に1兆1,800億ドルから2兆6,800億ドルに増加する一方で、同時期、従業員数は1,590万人から1,150万人に減少しているといいます。また、米国企業が1992年に使った広告料1,340億ドルは、その年に支払った税金1,310億ドルを上回っているという数字もあります。
こうした数字の背景には米国企業のグローバル化があります。以下、米国企業がグローバル化の名のもと、いかに国民の生活を犠牲にして利益を増大していったかが細かく分析されています。是非お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
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企業の力と生活の質
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ケビン・ダナハー
グローバリゼーションとダウンサイジングについて何かしら耳にしない日はない。マスコミはあたかも「自由市場」という、人格を持たない力が世界中の人々を継ぎ目のないキルトのように編み込んでいくかのように報じている。そのために我々は、成長と効率をもたらす市場の勢力に政府が干渉しさえしなければ、物事は順調によい方向へ向かうであろうと信じ込まされている。
それでも「グローバル競争」で職がなくなっているという状況を我々は知っている。地球環境が、地球温暖化やオゾン層破壊から、絶滅の危機に瀕する生物種や水質汚染まで、あらゆる面で脅かされていることも知っている。さらに、貧富の差も拡大している。より少数の大企業がより多くの世界の生産資源を所有し、その一方で何百万人もの人々が家族を養うことすらできずにいる。こうしたことから多くの人々がグローバル経済が失敗したと感じている。そしてこの感性を信じることこそ賢明といえよう。
それでは、我々のこの不安な気持ちの裏にはどのような現実があるのであろうか。
1. 米国企業が海外に進出することによって、米国労働者を海外の労働者と真向から競争させることができるようになった。これによって、米国労働者の賃金と生活水準が低下する一方で、企業収益は増加している。
2. グローバル企業は技術の活用により、人員を削減することができる。そのために、職の安定を失われた従業員の間に不安が広がっている。
3. グローバル企業が1つの国に依存しなくなった結果、税負担でその国に貢献しようとする意識が薄れてきた。そのため国の税基盤が縮小し、政府の歳出が歳入を上回るという財政危機が生じている。
4. 「国際競争」を理由に、企業家層は残りの国民の生活水準を犠牲にして、大多数の国民の懐から自分の懐へと富を移動させている。
しかし、この容赦ない経済のグローバル化に対抗して、草の根民主主義のグローバル化が誕生している。個人または市民団体が、私利・私欲ではなく、社会正義や持続的な環境を求める社会を作り始めている。
我々が求めているのはただ1つの市場か、それとも公正な市場か
第二次世界大戦後、米国が工業国として圧倒的な力を有していたことを考えると、米ドルが基軸通貨となり、米国が世界銀行や国際通貨基金(IMF)といった国際機関の形成に最大の影響力を示したのは当然のことであった。
この圧倒的な立場によって、米国の多国籍企業は巨大な規模に拡大した。現在、『フォーチュン』誌500社の多くの年商は、ほとんどの第三世界国家のGNPを上回り、またフィンランド、デンマーク、ノルウェーといった工業国のGNPよりも高い。
大企業の活動範囲が世界規模になった結果、企業は国家の必要性や要求に無関心になった。『ビジネスウィーク』誌は次のように指摘している。「国境を越えた貿易と投資の流れはこれまでにない水準に達し、巨大多国籍企業は国境をほとんど意識せずに、効果的な意思決定を行っている。本国から完全に開放されている企業はほとんどないが、“国籍のない”企業がこれから増えていくことは間違いない」
企業が世界中のいかなる国の労働者でも使えるようになると、企業が特定の国の社会福祉政策を遵守する必要性は低くなる。グローバル企業は政府にさまざまな補助を求める一方で、企業は自由貿易、規制緩和、小さい政府を要求するであろう。また政府が真の民主主義を達成すれば大企業にとってそれは最も深刻な脅威となり、「政府を解体すべきだ」と企業は主張する。次の表はここ10年間に、米国企業が国内での雇用を削減する一方で、海外での雇用を拡大していったことを示す統計である。
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米国多国籍企業における雇用の増減
(1983年―1992年)
米国の雇用 海外の雇用
– 783,000 + 345,000
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そして企業の総収益に占める海外事業収益の割合が急増している。
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米国企業の総収益に占める海外事業収益の割合
1950年 1960年 1970年 1980年 1990年
4% 7% 10% 19% 20%
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その昔、ジェネラル・モーターズ(GM)社にとってよいことは米国にとってもよいことであるといわれた。しかしこの表現もグローバル化とダウンサイジングの時代にはむなしく聞こえる。GM社は1993年以来、7万人以上の従業員を解雇し、現在最も富裕な米国企業に位置づけられ、1995年の売上は1,680億ドルを越す。これは最低賃金で働く米国人1,900万人の年収の合計に等しい。
グローバル化によって米国企業は賃金抑制力と労働組合への抵抗力を手にした。インフレ調整後の実質賃金の平均は1970年代初頭から下降している。1992年には、米国経済における民間の非農業分野での平均週賃金は1970年代初期のピーク時より19%も下がっている。米国労働者の約4分の1は1968年の最低賃金以下の収入しか得ていないのである。
労働組合員の減少傾向は下の表で明らかである。これには因果関係が不明である。なぜなら、労働組合の力が弱まれば企業の行動を抑制することが困難になり、その結果グローバル企業の行動が自由になる。それによって企業は海外の低賃金労働者と米国内の労働者を競合関係に置くことが可能になり、さらに組合は弱体化するのである。
米国民間部門における労働組合員率の減少
1945年 1953年 1962年 1970年 1974年
33% 35% 32% 28% 26%
1978年 1982年 1986年 1990年 1994年
23% 19% 14% 13% 12%
不安を感じる労働者
グローバル化によって政治的および経済的な生活をリストラすることは、産業革命と同じくらい重大なプロセスかもしれない。
1996年2月25日の『ニューヨークタイムズ』紙の社説は次のように記した。「有権者は明らかに企業のリストラと低賃金労働者を海外に求める企業の行動に苛立ちを覚えている。1991年から1995年の間に、約250万人の米国人がリストラで失業した。その一方でCEOたちの年収は平均労働者の約200倍にも増加した」
1996年2月26日の『ニューズウィーク』誌は「企業の殺し屋」と題してダウンサイシジングに関するカバーストーリーを掲載した。「ウォールストリートの株価が上昇し続ける中で、メインストリートは大企業が解雇した失業者であふれている。完全に何かが狂っている。かつて、大量解雇は恥ずべきことであった。今日、企業が解雇する労働者の数が多ければ多いほど、ウォール街はそれを称賛し、株価は上昇する」
過去15年間に、多国籍企業は基本的に欲しいものはすべて手に入れてきた。共産主義の崩壊、自由貿易協定、規制緩和、減税、労働組合の弱体化、賃金の低下である。しかし利益と株価が上昇する一方で、大部分の米国人の生活水準は急降下している。
ここには危険な力学が働いている。AT&T社がコスト削減、収益増大のために1995年9月に4万人を解雇すると発表すると、同社の株価は即座に跳ね上がった。AT&T社の経営トップの給与の一部は自社株から成るため、解雇で数千人もの米国家庭が崩壊することで経営者は個人的に潤っているのである。
我々を苦しめる技術
マスコミがダウンサイジングによる失業を誇大報道している中で、重要な事実が無視されてきた。米国で起きている失業は、すでに100年前から米国企業が行ってきた、技術向上に伴う労働者のリプレースによるところが大きい。
米国の製造部門が順調に生産高を増やしているにもかかわらず、製造部門の労働者数の割合が過去30年間に33%から17%以下に減少したことを考えると、この傾向は明白である。これが続けば大部分の製造業の職はなくなるであろう。
これまで、製造分野で失われた雇用が、サービス分野で創出されるといわれてきた。しかし、現実はそうではない。第一に、サービス分野の賃金は製造分野よりも低い。次に、サービス分野においても技術が労働者の代わりをする。何階層にも及ぶホワイトカラーのオフィス労働者はすべてが、最新のコンピュータ技術を使用する、少数の熟練労働者のチームに取って代わられている。数千人の郵便局員が光学スキャナーとコンピュータ化によって余剰となった。1983年から1993年の間に米国の17万9,000人の銀行の出納係はATMに取って代わられ、今後数年間にさらに多くの銀行員が技術にリプレースされるであろう。
技術が必ずしも悪いというのではない。しかし、新しい有意義な職を用意する計画なしに、単に労働者をくびにするために技術革新を行うと、結果として、労働者の間に不安感が生じ、やる気を奪い取ってしまうことになる。米国の郵政公社が労働者にハイテクによる高速化を何年間も課し、それで過去最高に利益を上昇させたのと同時に、米国の郵便局員が世界で最も疎外されていると評判が悪くなったのは単なる偶然であろうか。
米国政府は定義を変えることによって失業を隠している。常識的な失業の定義は、職を求めていても職に就くことができない者を指し、この定義に基づけば1994年の失業者数は1,590万人で、労働人口の12.5%であった。ところが、公式に発表された1994年の失業率は6.1%であった。こうなったのは、絶望して職探しを止めた600万人を失業者に含めず、またパートタイムで働いている約3,000万人を完全就業者として数えたためである。
経営者にはもはや労働者が必要ないのかもしれないが、消費者は必要なはずである。最近ベンディックス社に解雇された熟練労働者は次のように語る。「経営陣は工場の仕事をすべてロボットにさせようとするであろうが、ロボットは何も買わないことを忘れている」
それぞれの企業がますますグローバル化する市場で収益を上げることばかりを考えていけば、会社が儲かるためにはいかなる理由をつけてでも社員を解雇するであろう。企業のミクロ経済レベルではこれは意味がある。しかし労働者を削減するというこのミクロ経済の意思決定が積もり積もって、マクロ経済レベルで景気停滞を招き、さらにそれに伴いさまざまな社会問題が発生するのである。
カジノ経済
グローバル化した経済のもう1つの重要な原動力は、巨額の資本が「実体経済」に対する生産的な投資から、「カジノ経済」に対する投機的な投資に移ったことにある。
これは実に論理的なことである。投資できる資金を数百万ドル持っているとすれば、基本的に選択肢は2つある。すなわち、工場の建設などの実体経済に投資するか、金融資産に投資するかのいずれかである。金融資産とは、株、債券、ミューチュアル・ファンドなどの金融商品を指す。こうした金融資産への投資では雇用も有益な製品も創造されないが、生産設備への直接投資のような面倒な手間は一切かからず、結構な利息を稼ぐことができる。こうした投機的な投資は、実体経済に対する投資に比べてより流動的、つまり換金がし易いという特徴がある。
近年、我々はデリバティブ(金融派生商品)市場という、新しい形態の投機が急増するのを目にしてきた。これは実体経済から、株や債券、為替といった基本資産から「価値」を引き出す投資であり、基本資産の価値がある一定期間に上がるか下がるかの賭けに過ぎない。
デリバティブ市場がいかに重要になったかを見るには、それを商品貿易の世界総取引額と比べるとよい。世界の年間の商品貿易額は約4兆ドルである。一方のデリバティブ市場では、わずか2日でこれと同じ額の取引がある!
資本市場のグローバル化と実体経済からカジノ経済への投資の転換によって、政府が国家経済を統制し、国民の職を保護する力が弱まった。米国政府や他の国の政府は、グローバル化した資本がどこにでも移動できることから弱みを握られているといってよい。企業は法人税が高かったり、規制が厳し過ぎれば、海外へ移転するといって政府を脅すことができるのである。
政府を破産させている企業
給与をもらって雇用されている労働者が減れば、政府が徴収する所得税は干上がり、それと同時に失業保険や食料切符といった社会保障費が増大する。
政府の歳入が減少し歳出が増加すれば財政赤字が過去最高に膨れ上がり、政府の負債が増える。米国政府の負債は1996年初期には4.9兆ドルにも上った。その米国債の所有者に支払う金利(1995年は2,320億ドル)は米国政府の最大財政支出項目の1つとなっている。この支出がなければ財政赤字はなくなる。
連邦予算に関する議論において、議会とマスコミは歳出に注目してきたが、歳入も同じくらい重要なのである。保守派は、社会保障プログラムへの過剰支出が国家財政危機の主な原因だといって多くの米国人を納得させた。しかしより重要な問題は、米国政府を支配する裕福な企業が、公正な税負担をしていないという点にある。
共和党も民主党も、「自由市場」と経済のグローバル化を全く批判せずに支持している。しかし、この経済の巨大化のプロセスそのものが、政府の財政危機と長期的な債務超過の背景にある。企業がその規模を拡大すれば、法人税減税と商品や資本の国際移動に対する規制緩和を求めて政府にロビー活動をする力も強くなる。それに加えて、コンピュータや通信技術の進歩によって、資本家は数十億ドルもの資金を瞬時に世界のどこへでも移動させることが可能になったため、政府が国際取引を監視したり徴税したりすることが、さらに困難になっている。
企業の税負担が減った結果、その減少分は誰が埋めているのか。その大部分は労働者に転嫁された。1950年代初期、家族や個人が1ドルの税金を払うところ、企業は76セント払っていた。1992年、家族や個人が1ドル払うところ、企業はわずか21セントしか払っていない。
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企業が払う州、地方、連邦の法人税
(家庭や個人が1ドル払うところ、企業が
いくら払っているか)
1950-54年 1955-59年 1960-64年 1965-69年
$0.76 $0.53 $0.44 $0.41
1970-74年 1975-79年 1980-84年 1985-92年
$0.31 $0.31 $0.20 $0.21
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世界最大の債務国
すべての税負担が今の労働者だけで負担されるわけではない。赤字支出を通して資金調達されるものもある。つまり国債を発行して資本市場から借金をするのであり、その返済は子や孫の世代に回されることになる。
現在の国家債務の大半を占める、記録的な財政赤字を生み出したのは共和党大統領、レーガンとブッシュであったことを考えると、今になって共和党が財政赤字や国家債務を騒ぎ立てているのはおかしい。レーガンが1981年1月20日に大統領に就任した時点では、国家債務は1兆ドル以下であった。それがブッシュ政権の終わりの1993年1月20日には、4倍の4兆ドルにも膨れ上がっていた。3兆ドルの債務が増えたことで、納税者が債権者に支払う金利は(平均7%の金利として)2,100億ドルにものぼる。これは、1996年の財政赤字額、1,720億ドルを上回っている。もしレーガンとブッシュが軍事費を増大させず、また法人税の大幅減税をしなかったならば、1996年には財政赤字はなかったのである。
あらゆる政党のエコノミストが指摘するように、国家の生産的な潜在能力につながる教育やインフラに投資されるのであれば、政府の負債は必ずしも悪いとはいえない。しかし、負債が軍事費や企業の福祉のために浪費されれば、より不平等な社会が作られてしまう。
財政赤字と負債の急増が長期的にもたらす影響の1つは、国家の階層構造において富が上位層に移動することである。1980年代、米国の納税者は米国債を所有する富裕な企業や個人に金利1.1兆ドルを支払ったことになる。1990年代には国債の利払いで約2兆ドルが社会の富裕層へ再配分されることになる。
誰が払って誰が儲かる?
米国では、政府は労働者から受け取る税金を増やしながら、その一方で企業の利益を満たすための奉仕活動を増やしている。それは、一般国民よりも大企業の方が政治家に与える影響が強いためである。
ドナルド・バーレットとジェームス・スティールの書いた『アメリカ:誰が税金を払っているのか』という本はグローバル化の実状を暴露している。「企業の海外進出が増えるにつれて、外国政府に支払う税金も増加する。そして、米国企業が海外で払う税金が増えると、米国財務省への納税額は減少する。そして企業が応分の負担をしなければ、差額は労働者が払うしかない」
1918年に制定された外国税額控除は、海外に進出する米国企業を支援するために作られた。これによって米国企業は、外国政府への納税額を米国への納税額から控除することができるようになった。さらに、多国籍企業は「移転価格操作」をすることもできる。つまり、税金の高い国にある関連会社の帳簿には経費を上乗せして(これで税控除を受ける)、税金の低い国により多くの利益を発生させるのである。しかし、個人や地元企業はこのようにして税金の支払いを逃れることはできない。「もし企業が1950年代と同じ率で1990年代も税金を払っていれば、米国政府の財政赤字の3分の2は一夜にして消滅する」
税金を富裕層から一般庶民へ転嫁させる方法はさらに2つある。「1つは、社会保障税率を大幅に引き上げ、それを社会保障ではなく一般の政府プログラムに使い、その一方で最も裕福な国民の税金を何十億ドルも減税する方法である。もう1つは、一度米国政府が引き受けたプログラムの数十億ドルもの費用を州や地方政府に負担させる方法である。州税や地方税は連邦税に比べて、中流から最下位層の負担が重くなっている」。社会保障のような信託基金勘定と一般歳入を混同させるやり方は、ベトナム戦争の時に始まった。これで赤字が数十億ドルも削減され、実際の戦争費用を隠すことになった。
企業の福祉
企業は応分な税負担をしていないにもかかわらず、毎年合計で1,670億ドル以上の膨大な企業福祉を手にしている。この金額は通常「福祉」と呼ばれるプログラム、例えば住宅補助、食料切符、扶養する子供のいる家庭への補助といったものに費やされる費用の3倍にもなる。企業福祉には多くの形態がある。
税制改革:米議会予算局によると、特別事業税条項は年間連邦政府に約700億ドルの負担となっている。1つの税法、例えば1986年の税制改革法だけで、1994年には、米国人口のわずか0.2%の最も裕福な人々への減税によって、納税者負担が2,000億ドルも増加した。
国防総省:武器、食糧、その他の製品を購入するペンタゴンの2,650億ドルの年間予算は、企業にとって巨額の補助金となっている。こうした巨額の軍事支出がなければ、電子産業や原子力産業はどれほど儲けが減るのだろうか。
農業関連産業:毎年何百億ドルもの税金が農業関連産業(アグリビジネス)へ回される。支払い額は生産規模に基づくため、トップ1%の生産者の取り分が下位80%の生産者の取り分に匹敵する。さらに、大企業は政府から輸出補助を受けている。パイやマフィンを作るピルズベリー社はそれを海外へ輸出促進するために290万ドルを手にした。サンキスト社はオレンジの輸出促進のために1,000万ドルをもらった。自己資本36億ドルのカーギル社は1985年以来、12億9,000万ドルの補助金を受け取っている。
林業:1994年、国有林に道路を作るために米国政府は1億4,000万ドルを費やした。この道を使うのは木を切って運び出す木材会社だけである。
福祉の偽善についての議論は『ビジネスウィーク』誌に次のように記されている。「社会福祉は政府に依存する人を作ると信じる共和党も、もはや企業福祉が強い経済を構築すると主張し続けることはできない」
米国は第三世界のようになる?
グローバル化によって、米国はどうなっていくのであろうか。『ビジネスウィーク』誌は次のように記している。「高収入家庭と低収入家庭の格差は1980年頃から徐々に拡大し、1985年以降は毎年記録を更新している」
政治家が何といおうと、「成長」によって物事はよくなるどころか悪化している。「1977年から1989年の間に、米国全世帯のわずか1%に当たる年収35万ドル以上の家庭が、米国の収入全体の72%を得ており、その一方で、下位60%の家庭の年収は減少している」
大多数の国民の所得が減少している主な理由は実質賃金が低下の一途を辿っている点にある。1992年、米国経済における民間の非農業分野の平均週賃金は、1970年代初期のピークを19%下回った。米国労働者のおよそ4分の1の実質賃金は、1968年の最低賃金にも満たない。全く職に就けない人口の5~10%の人々を加えると、米国ではかなりの数の国民が貧困線以下の生活をしていることになる。
企業収益と経営者の給与は急増した。企業の収益は1993年から40%上昇し、『ビジネスウィーク』誌によれば、米国大企業362社のCEOの給与は1995年に30%上昇して、平均374万6,392ドルとなっている。
しかし、所得データでは、貧富の差を的確に示すことはできない。株式、債券、預金、不動産などの所有に見る富の方が、社会における真の力をより的確に測定できる。下の表が示すように、米国の株式、債券、不動産といった資産の所有は、きわめて不平等である。確かに何百万人もの米国人が株を所有している。しかし、株式の大部分(81.2%)は、わずか10%の米国民の手にある。20世紀財団が1995年に行った研究によると、1970年代末から、米国の貧富の差は増加しているという。1990年代になると、米国のトップ1%の金持ちが、下位80%の富の2倍を所有しているという。
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きわめて不平等な米国の富の分配
トップ10% 下位90%
の家庭 の家庭
不動産(住居を除く)の保有81.8% 18.2%
株式の保有 81.2% 18.8%
債券の保有 88.0% 12.0%
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共和党の説とは反対に、米国の主流派を悪化させているのは大きな政府ではない。むしろ、政府が財界によって支配されているという事実のためにメインストリートが悪化している。そして財界はますますグローバルになり、特定の国家にいかなる忠誠の義務も持たない。この窮地を我々はどうしたらいいのか。打つべき手は多数ある。