外国艦船の非核証明を外務省に求める高知県の「非核港湾」条例が県議会で事実上の廃案となったものの、一方で、外交、防衛問題は国の問題だとしてこれまで自治体が触れなかった部分を突いた橋本知事の動きに、いくつかの自治体が追随し、波紋が広がっています。
以下の『ジャパンタイムズ』紙の記事で、日本政策研究所所長のチャルマーズ・ジョンソン氏が、米軍を日本に置くこと自体、国民の命を危険に晒すことになるのだと指摘しています。国家と自治体の役割を議論する前に、米軍の存在自体を疑問視すべきなのではないでしょうか。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
自治権の非常事態
チャルマーズ・ジョンソン
(『ジャパンタイムズ』紙 1999年4月3日)
冷戦終焉後のこの時代に及んでもなお、米国政府とその同盟国は国家安全保障の名のもと、国民を日常的に死や破滅の危険に晒している。イタリア北部の住民は、何年もの間米軍機の低空飛行について苦情を訴えてきたが、イタリア政府はそれをただ無視してきた。1998年2月に米軍機がスキー場のゴンドラ用ケーブルを切断し、20人を死亡させるという事故が起きると、操縦していた米海兵隊のパイロットは地図が不正確だった、高度計が故障していた、同地区常設の米空軍部隊からその危険性について聞いていなかったと主張した。最低飛行高度300m(イタリア政府によると600m)のはずが、地上108mのケーブルに激突し、また最高飛行速度時速827kmのところを実際には993kmで飛行していたにもかかわらず、米国の軍法会議の陪審団は「訓練中の事故」であるとし、全員を無罪にした。
1975年以来、イタリア北部の町と同様、日本の地方都市も米軍の脅威から住民を守ることに努め、核兵器を搭載した米国軍艦の入港を拒否しようとする措置がとられてきた。まず神戸市が外国艦艇の入港に際して、核兵器を搭載していないことを証明する非核証明書の提出を求め始めた。米国はこれを拒み、代わりに日本の外務省に、その米国船は核兵器を装備していないと確信するという手紙を市当局宛てにファクスさせている。しかし、外務省はそのファクスが必ずしも真実ではないことを知っている。1997年にジョージワシントン大学が公開した国家安全保障公文書に、1969年4月29日付けの極秘文書があった(www.seas.gwu.edu/nsarchive/japan/okinawa/okinawa.htm)。そこには、「現在、日本は核兵器を搭載した海軍艦船の通過を黙認している」と記されていた。この文書の公開に合わせてNHKは1997年5月14日、特別番組を放映している。
日本の国会では、今、ガイドライン関連法案について審議されている。これが成立すれば、米国が安全保障上の「緊急事態」であると認めた場合、米軍が日本の港湾や飛行場を占領し、使用することを許すことになる。そのため日本の多くの地方自治体が神戸方式の証明書を要求し始めた。「海に浮かぶチェルノブイリ」ともいえる核搭載艦船に対して、なんとか統制力を持ちたいというこの要求はもっともだ。中でも最も重要なケースは高知県である。橋本元首相の弟であり左翼の扇動家でもない県知事の橋本大二郎は、高知港に軍艦を入港させる前に、核兵器を搭載していないという証明書を求める「非核港湾」条例案を県議会に提出した。彼はただ単に日本政府の非核三原則に則っただけだと主張する。
しかしいうまでもなく、外務省、防衛庁、そして自民党は、アメリカ大使館に促され、それはできないと橋本知事に回答した。そして政府は高知県を財政的に圧迫し始めた。それは昨年、大田知事を失脚させるために沖縄県に対し行ったことと同じだった。
おそらく、さらに興味深いことは、ベストセラーとなった『「NO」と言える日本』の共著で知られる石原慎太郎が、「NO」といえる東京をスローガンに東京都知事選に立候補したことであろう。石原氏が東京都民に「NO」と言わせたいことの1つが、横田空軍基地である。日本の中央政府は石原の提案に愕然とし、防衛庁幹部においては「米軍にとって横田基地がいかに重要であるかを考えると、代替基地の提供が保証されない限り、米国がそれを放棄することはないであろう」と発言している。
ただしこの発言は、米軍が海外で歓迎され続けるということが前提になっている。だが、米軍兵の傲慢かつ無鉄砲な行動や、米国防総省のますます一方的になる軍事的冒険により、米軍基地受入国を絶えず危険に晒しているにもかかわらず、そのような米軍歓迎などあり得るであろうか(米国は、イラク、アフガニスタン、スーダン、セルビアを空爆し、そしておそらく近いうちに北朝鮮もそのリストに加えると見られている)。米軍受入国の政府はいつか、自分たちの国土に「世界の警察官」を置かないほうが、国家の安全保証が高められると決定を下すであろう。そうした決定が下されるまで、イタリアで起きたような事故の危険に晒されるだけでなく、その国の国民や政府が認めない米国の軍事政策を実行する基盤を提供するという危険を冒すことにもなるのである。日本はそれを望んでいるのであろうか。
[著者の許可を得て翻訳・転載]