No.272 道理に合わないクリントンのバルカン政策

『オーランド・センティネル』紙から、チャーリー・リースが書いたコソボに関する論評を、今回より5回にわたってお送りします。米国の政策を批判するものですが、新ガイドライン関連法案が国会で審議されている今、日本の行く末を考える上で有益な示唆を与えてくれるはずです。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

道理に合わないクリントンのバルカン政策

 

『オーランド・センティネル』紙 1999年3月30日
チャーリー・リース

 ユーゴスラビアに対する攻撃は、法的にも、道義的にも間違っている。確かに国家はしばしば、戦略的、戦術的国益のために不法なあるいは非道義的な行動をとることがある。しかし、クリントン政権のバルカン政策が極めて不可解なのは、そもそも米国がこの攻撃から何の利益を得るのか不明な点にある。ロシアの外相の発言はいい得て妙である。「NATOの空爆は、常識では考えられない」

 イギリスの著名な政治家であったエドモンド・バークは、米国にある植民地とイギリスとの和解を求める演説において、武力行使に反対する3つの理由を掲げた。第一に、武力の効果は決まって一時的なものであるということ、第二に、武力行使に失敗すれば、調停の可能性がまったく消えてしまうこと、そして第三に、武力によって救うはずだったものまで破壊してしまうことが多い、というものであった。

 バルカンにはこの3つの原則がすでに当てはまる。クリントンは3年前、ボスニアに米軍を派遣したが、当初18ヵ月間の予定だと説明した。今、NATO当局はボスニア撤退までに少なくともあと5年は要するという。合わせて8年たった後に、紛争は解決されるのだろうか。

 おそらく解決されないであろう。セルビア人、クロアチア人、モスリム人は、依然として互いに相容れない目標や要求を掲げ、再び武器をとる可能性は高い。さらに、一方的かつ不合理な攻撃を受けたユーゴスラビアの指導者達が、その後、御しやすくなるとでもクリントンは考えているのだろうか。もし考えているのならば愚か者だ。そしてコソボには救うべき何が残されるというのだろうか。さらに何の権利があって、米国とNATOはユーゴスラビアの内政干渉をするのであろうか。そのような権利などあり得ない。

 トルコがクルド人住民の自治権を認めることはないであろう。すでに3万人のクルド人が殺されているが、だからといって米国はトルコの首都アンカラを空爆するつもりなのだろうか。中国もまた、チベットで大量虐殺に等しいことを行ったが、米国は貿易においてその中国に最恵国待遇を与えている。旧ソ連、アフリカ、アジア内部でも民族紛争が続いている。米国はこれらすべての国々に空爆を行うつもりなのであろうか。

 クリントンのバルカン政策はまったく道理に合わない。ロシアとの平和的友好関係の望みを絶つ可能性もあり、極めて危険である。

 結局、クリントンと外交政策担当者は、自分達には到底理解できない状況に足を踏み入れた愚か者の集団としか私には思えない。この政権がいかに稚拙な行動をとっているか、1つの簡単な例を引き合いに出すことができる。ロナルド・レーガン以前の米国政権で、自分達が提示した条件を満たさなければ、具体的にどのような軍事行動に出るかと相手を脅した政権などなかったではないか。

 条件を飲まなければ「由々しき結果」が待っていると警告を与えるだけで、それが何であるかを明かさないのが外交の慣例である。それによって、交渉を行う上で柔軟性を持つことが可能になり、未熟な現政権が陥ったような状況を避けることができるという意味を持つ。空爆すると威嚇しておきながら、実際にそれを行わなければ馬鹿にされるからといって、米国政府の大の大人が、あたかも小学生のように、空爆を開始しなければNATOの威厳と信用が傷つく、と発言したのを聞いて私は自分の耳を疑った。つまり、NATOの空爆はエゴを守るために始まったものなのである。何たることであろうか。

 政治家や政権が、自分と異なる哲学を持っていても我慢できるが、彼らが無能であることを考えると空恐ろしい。あなたの命を奪う殺人者が愚か者であるように、国を戦争に巻込むのはたいてい無能な政治家達だからである。

[著者の許可を得て翻訳・転載]