No.274 我々は本当に第二次世界大戦という悲運の時代と遠く隔たったのか

 今回も前回に引き続き『オーランド・センティネル』紙から、チャーリー・リースが書いたコソボに関する論評をお送りします。米国の政策を批判するものですが、新ガイドライン関連法案が国会で審議されている今、日本の行く末を考える上で有益な示唆を与えてくれるはずです。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

我々は本当に第二次世界大戦という悲運の時代と遠く隔たったのか

 

『オーランド・センティネル』紙 1999年4月15日
チャーリー・リース

 第二次世界大戦の悲運の時代に起こったことについて話そう。1941年、ドイツ軍はヨーロッパを縦横に、すべての国を降伏させた。東はロシアとの国境から西は大西洋まで、そして北はイギリス海峡と北海から、南は地中海に至るまでドイツの戦争集団はすべての戦いで勝利を収めた。

 ドイツ軍がユーゴスラビアに侵攻した時、勝ち目がないと考えたユーゴスラビア政府が降伏したのも当然であった。クロアチアは熱狂的なファシズム信奉者となり、ユダヤ人とセルビア人を虐殺するために国内に独自の強制収容所を作った。アルバニアもファシズムを信奉し、当時セルビア人が大半を占めたコソボに軍隊を派遣し、約14万人のセルビア人を殺害した。現在の指導者を含むボスニアのイスラム教徒は、狂信的にナチの武装親衛隊を形成した。

 その時のセルビア人の行動は、まさに魔法のようだった。ユーゴスラビア政府が降伏して数日もたたぬうちにセルビア人は蜂起して政府を転覆させ、ヒトラーの軍隊に対して「我々は降伏しない」と宣言したのである。

 これは歴史上、人類の最も崇高な勇敢さを示す一例である。数では圧倒的に少数でありながら、降伏よりは死を選んだ民族、それがセルビア人だった。100万人以上のセルビア人が死んだが、それでもドイツ軍のソ連侵攻を後らせるほどの激戦となった。ヒトラーは後に、ロシアでの敗北はこの後れが原因であったと述懐している。

 第二次世界大戦から思うと、堕落した人間が指導的立場につき、大戦後の衰退期にある米国が連合国の一員として共に戦ったセルビア人を攻撃し、ナチの同盟国であり我々の敵であったアルバニア人を助けているというのは、何とも恥ずべきことだと私は思う。また、ドイツの戦争集団に立ち向かったセルビア人が、浅はかなNATOの攻撃に屈して足元で震え上がると米国政府が考えているとすれば、何とも愚かである。NATOの計画性のなさ、考えの浅はかさによって、彼らが助けようとしているアルバニア人自体がすでに人道的危機に晒されている。

 判断を誤ることで有名なクリントンは、いかなる妥協をも退けることで、米国をバルカン半島での地上戦に引きずり込もうとしていることは間違いない。軍隊を嫌い、卑怯にも徴兵を忌避した男が、第二次世界大戦の同盟国に対する戦いに進んで米軍を参加させようとしていると考えただけで胸が悪くなる。ヒトラーと同様、クリントンはセルビアを占領することはできても、セルビア人を征服することはできないことに気づくだろう。

 かつてのファシズム信奉者であり、共産国の中で最もスターリン主義色の強かった民族で、現在は元共産主義国家の中で最も腐敗し最も無能なアルバニア人のために、米国民の息子や娘たちを一体何人犠牲にしたら気が済むのか、気づくべきである。

 クリントンがユーゴスラビアに米軍を派遣する時、その撤退のための戦略を語らせても要領を得ない説明になるだろう。戦略などまったくないからである。ボスニアに駐留する米軍についての戦略すら持っていないのだ。NATO当局は、少なくともあと5年は駐留すると述べている。

 さらに、米国人は、1914年の時点で世界大戦開戦を企てていたヨーロッパの首脳など1人もいなかったということを思い起こすべきである。彼らが誰一人として考えてもみなかった、あるいは望んでもいなかった大戦は、様々な行動の連鎖に翻弄されて勃発したのである。

 今のバルカンは、安っぽい小国いじめに慣れたクリントンには、決して手に負える状況ではない。彼は危険なゲームを行っているが、それがどれだけ危険なものか気づいてはいない。神の皮肉な気まぐれに気をつけなければいけない。20世紀はバルカンに端を発した世界戦争で始まった。バルカンに始まる戦争で20世紀が締めくくられないことを祈るばかりである。

[著者の許可を得て翻訳・転載]