今回は、『ジャパンタイムズ』紙(1999年4月28日付け、および5月12日付け)に掲載された、中国北京からの投書をお送りします。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
クリントンの「思いやり戦争」の標的にされて
“怒りを表し、争いを解決するには、武器ではなく言葉を使うべきであると、もっと子供たちに教えなければならないということを、我々は理解している”
――アメリカ合衆国大統領 ビル・クリントン
これはユーゴスラビアへの空爆開始から約1ヵ月後に、クリントンの口から出た言葉だ。だが、これはユーゴスラビアについてではなく、コロラド州リトルトンの高校で起きた銃乱射事件に関してのことである。
国際法と国連協定を破り、ユーゴのセルビア人、アルバニア人の子供たちを殺しているクリントンが、よくもこうしたことをぬけぬけと世界を前にいえるものだと、私は感心する。
米国の高校で起きた、銃乱射事件で殺された子供たちは本当に気の毒だったと思う。血迷った生徒が罪のない仲間の命を奪う実に恐ろしい事件であった。しかし、同じようにユーゴスラビアでも、狂った人間によって子供や大人の命が奪われている。ユーゴスラビアの子供たちは学校へ通ったり友達と遊ぶ代わりに、毎日、防空壕の中で暮らしている。3才になるMilica Rakicは、ベオグラード郊外のBatajnicaの爆撃で殺された。彼女の小さな体は、NATOの爆弾の破片で粉々になった。イースターの朝、Kursumlijaの町で妊娠7ヵ月のMarija Tosovicは、彼女の生後11ヵ月の赤ん坊と共に重傷を負った。
これらはセルビアで殺されたり、負傷した人々のほんの一部にすぎない。コソボを逃げ出した難民が家に帰ろうとしても、「保護者」であるNATOの空爆を受けてしまう。NATOはこれを「遺憾」だとしながらも、依然としてユーゴスラビア全土の「軍事目標」を破壊し続けている。それには、学校、病院、コロンブスのアメリカ大陸発見以前に建設された修道院、掃除機工場、事業所、郵便局、テレビ局、鉄橋、旅客列車、難民、自動車工場、保健所も含まれている。
これが、世界の子供たちに「武器ではなく、言葉で怒りを表し、争いを解決することを教える」方法なのであろうか。
世界で最初の「思いやり戦争」へようこそ。ここでは誰もが皆、標的なのだ。
(中国北京、Damir Tejic)
NATO方式の検閲
ベオグラード中心部にあるセルビア国営放送(RTS)中央ビルが、4月23日未明、空爆された。NATOのいう「メディア戦争」という言葉の意味がついに明らかになった。今、メディアに対する真の戦争が進行している。この攻撃の残忍さと敵意のほどは人々に衝撃を与えた。国営放送は24時間放送であるため、このビルのスタジオや事務所内には常にジャーナリストだけでなく技術やサポート・スタッフがいることは周知の事実であったからだ。
西側メディアおよびNATOによるセルビアの放送局に対する軍事行動は、すでに数日間続いている。テレビの送信施設が攻撃され、いくつかの放送局が放送不能になった。セルビア内の情報がゆっくりと暗闇に葬られつつある。NATOによれば、放送施設に空爆が行われたのは、セルビア国営放送の報道があまりにも偏狭で、適切な手法で報道がなされていないために、放送区域を狭めるためだという。
しかし、破壊された送信施設は国営放送所有ではなく、国の施設であった。それらは、政府だけではなく一般用の接続にも利用されていた。その結果、多くの民間や非政府メディアの放送も遮断された。NATOはただ単に特定の1つの見解を消失させただけでなく、送信施設や接続設備を破壊することにより、人権運動の多くの目標をも打ち砕いた。
ミサイルが国営放送本部を攻撃する映像は、メディアの利害関係における、新しい、嫌気を感じさせる局面を切り開いた。テレビ局を標的にすることは、世界でもこれまでに例を見ない、野蛮な行為である。これはセルビアがCNNやBBC放送局を自由に破壊してもいいということなのだろうか。もし我々がNATOと同じことを行ったら、世界のメディアは何というだろうか。現在、ユーゴスラビアからニュースを伝えている外国人ジャーナリストが、本国の放送局がユーゴと同じ運命に直面したら、どのように感じるであろうか。
コソボ紛争におけるユーゴ陣営の声を聞く手段は、もはやインターネットしか残されていない。世界で唯一のこの無料メディアも、ユーゴスラビアと他の世界をつなぐ接続を切断することで抹消されてしまうのであろうか。世界の人々はこのコソボ問題について、両陣営のいい分を聞いて結論を出す機会を失うことになるのであろうか。今残された問題は、インターネット・メディアがNATOの標的になるのかどうかである。
暗黒メディアの世界にようこそ。
(中国北京、Damir Tejic)