No.282 世界唯一の超大国、その耐えられない傲慢さ

 今回はイギリスの『インディペンデント』紙から、米国の外交政策がいかに理不尽で傲慢なものかを示す記事を取り上げます。ヨーロッパと米国の間では1995年以来、バナナ戦争が繰り広げられています。「バナナ戦争」は、EUがアフリカやカリブ海の旧植民地諸国からの輸入バナナに特恵関税を適用して優遇していることに対して、それ以外の中南米諸国に自国資本のバナナ農園があるアメリカが「WTO協定違反だ」と提訴したことから始まったものです。米国は1954年にCIAを使ってグアテマラにガズマン政権を樹立させ、ユナイテッド・フルーツ(チキータ・バナナの前身)が所有している土地をグアテマラから接収しました。無理矢理接収した土地にある、こうした米国資本のバナナ農園からのヨーロッパ向け輸出は米国の輸出と見なされているといいます。米国はハンドバッグやコーヒーメーカー、入浴剤、まくらカバー、シーツ類、リトグラフ、電池、紙類など関税分類上の9品目に対して、3月3日にさかのぼって100%の関税を課すことを決定しました。

 米国の横暴ぶりは貿易問題に限ったことではありません。以下、是非お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

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世界唯一の超大国、その耐えられない傲慢さ
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『インディペンデント』紙  1999年3月9日
ガヴィン・エスラー

 米国支配の20世紀において、米国の勝利は英国のためにも世界のためにも良いことだった。フランスの著名な歴史家アレクシス・ドゥ・トクヴィルはかつてこういった。アメリカは立派だ、なぜならアメリカは善良だから、と。しかし、アメリカの善性は陰り始めている。米国は外交において、良くて無神経に、悪くて傲慢になってきた。もっとも顕著な例が大西洋を挟んだバナナ戦争と、米国の空港からコンコルドが締め出されかねない航空機エンジン論争である。
 貿易摩擦は常に厄介な問題だが、英国人は心が広いのか、このバナナ戦争でもいずれ米国が正しいと証明されることになるのではないかと懸念している。イギリスは欧州連合の官僚に懐疑的であり、実際、数週間のうちにWTOが、欧州側が国際貿易規則に違反しているとの判決を下すかもしれない。ただし、最終判決はまだ下りておらず、すべての文明諸国の礎である法の手続きはまだ完了していない。[ →WTOの仲裁人グループは4月6日、EUはWTO協定に違反し、米国に年間1億9,400万ドルの損害をもたらしていると認定した。]WTOの判決前に、カシミアセーター等への制裁関税で脅しをかける米国の行動は、まるで巨大なゴリラが癇癪を起こしているかのようである。クリントン政権は、欧州に「規則に従うべきだ」などと戯けたことをいっているが、結局主張したいのは、この世に通用するのは米国の規則だけだということに他ならない。
 米国の国益を、あたかも差し迫った国際問題であるかのように装うのは、目新しいことではない。しかし、それが特にあからさまになってきたのはクリントン政権からである。カリブ海のバナナ生産国に対するその態度は異常である。3月5日、セントルシア(西インド諸島南東部にある国)の首相は、米国の行動が島の経済を崩壊させることを危惧していると発言した。英国の外交官は失業したカリブ人が、生活のために麻薬の密売に走るのではないかと、何ヵ月も前から密かに懸念してきた。英国のある古参の上級外交官は、バナナ戦争におけるロンドンとワシントンの論争が彼の知る限り最悪のものであり、1983年の米国のグレナダ侵攻時の両国の対立に匹敵するという。また、米国人はとにかく理不尽だと付け加えた。
 セントルシアの首相発言の直後、私は、この論争の中心にいるワシントンの米通商代表部のスポークスマンを取材した。彼はカリブ海のバナナ生産者についての懸念を否定し、米国はそこに住む人々よりも、その地域の経済的利益についてよく理解しているといってのけた。これはまさに1世紀前に英国がインドを統治していた時代と同じ恩着せがましい態度であり、他国に対する米国の無神経さは極めて根深い。
 3月初め、米国海兵隊パイロットのリチャード・アシュビー大尉に無罪評決が出た。彼が操縦する米軍機は1年前、イタリアのスキーリゾート、カバレーゼでゴンドラのケーブルを切断し20人を死亡させた。最高速度時速827km、高度600mで飛行すべきところ、アシュビーは、谷底からわずか108mのケーブルに、時速993kmで激突している。しかし、米軍法会議の陪審は彼を無罪とした。「彼が有罪でないとしたら、誰に責任があるのか教えて欲しい」とイタリアの首相マッシモ・ダレーマは不満を露わにした。カバレーゼの町長、マウロ・ギルモッチは評決に対して「正義の甚だしい侵害であり、良識を踏みにじった評決であると同時に、遺族に対する侮辱である」と述べた。
 イタリア人はアシュビー大尉をイタリアで裁きたかった。しかし、米国防総省はNATOの地位協定を適用し、アシュビーをノースカロライナへ移管した。これがもし、米国コロラド州のアスペンやベイルでイタリア人パイロットがアメリカ人20人を死亡させたのだったら、イタリア人パイロットが無罪になることなどあり得ないだろう。米国はたとえNATO同盟国であっても自国兵士が現地で裁かれるのを嫌うので、国際紛争に関わる自国兵士が訴追を受ける可能性のある、いかなる国際人権条約にも署名しないであろうことは想像に難くない。
 米国のとった行動に憤慨したのは英国とイタリアだけではない。ドイツもまた、米国の態度に憤りを感じた。ドイツ法務大臣の強い抗議にもかかわらず、ドイツ生まれの殺人犯ウォルター・ラグランドが、アリゾナ州でガスで処刑された。法務大臣は、米国の死刑執行は国際条約を無視したものであり、死刑はあまりに残酷だと非難した。
 大英帝国的主張がなくなってすでに久しいイギリスの国民は、白人には有色人の未開発国を指導すべき責務があるとした19世紀の考え方や、イギリス海峡に霧が出れば欧州大陸が孤立したと報じる当時の新聞記事が、いかにイギリスの傲慢さを表していたかを今や笑い話にしている。しかし、20世紀末になって、英国パーマストン首相時代の帝国的で狭量な無神経さを現在米国がすべて踏襲している。
 1998年、不倫揉み消し疑惑が山場にさしかかると、ビル・クリントンは彼独自の武力外交を編み出した。クリントンはアフガニスタンのテロリスト基地とスーダンの薬品工場を巡航ミサイルで攻撃した。米国政府は、スーダンの工場が化学兵器を製造していたという確たる証拠をついに見つけられなかったにもかかわらず、工場を爆破したことについて一切謝罪していない。
 唯一の超大国である米国政権に謝罪させるなど無理なことであり、問題児の多い遠く離れた国々で、米国が無法を働いていることについて、メディアが激しく抗議することもない。米国はほとんど毎日のようにイラクを空爆しているが、その片棒を担いでいるのがイギリスである。少なくとも17人の民間イラク人が殺され、イラクからの主要な原油パイプラインが破壊され、トルコは窮地に立たされた。サダム・フセインを攻撃目標にする時、米国は今世紀何度も行ってきたように、悪に立ち向かう正義であると自国を位置づけてきたが、キューバのフィデル・カストロが40年たった今も政権に就いているのと同様、対イラク政策も失策だと結論づけることができる。そしてイラクの暴君を失脚させるために米国に手を貸すことがイギリスの国益だとしても、心配の種は残っている。
 アラブ人にはイギリスの果たす役割が、実際は米国1国のショーにもかかわらず、それをまるで多国間の問題に見せかけるためのものだと映っている。世界史上最強の超大国とて、必ずしも正しいわけではない。ただし間違いを犯してもそれを認めることは滅多になく、たとえ正しいとしても、抑制できない米国の力から生じる傲慢さを見せつけられるのは耐えられないであろう。自信に満ちたクリントン政権は諸外国を、ロナルド・レーガンの1982年の中南米訪問時と同じように見なしている。「驚くと思うが、中南米の国々は皆それぞれ違うのだ」。信じられないことに、レーガンはこうのたまったのであった。

[『インディペンデント』紙の許可を得て翻訳・転載]