半導体の日米貿易交渉に携わり、その時の体験を『日米逆転』に綴ったクライド・プレストウィッツが、7年間におよぶ不況と金融破綻の結果、日本がようやく変化し始めたと『ファイナンシャルタイムズ』紙の社説に記しています。かつて日本の成功は日本独自の経営手法や日本人の特異性にあると論じられてきましたが、日本も景気が悪くなれば外資に自社株を売るし、市場も開放する。こうした状況こそ日本にとっても、世界にとっても良いことであると、プレストウィッツは結んでいます。
プレストウィッツの主張は正しいのでしょうか。このOur Worldでは、ニューヨークのエコノミスト、マイケル・ハドソンの論文などで示したように、日本が今のような状況に追い込まれたのは、1985年のプラザ合意以降、日本が米国主導の金融政策に従ってきたためであると主張してきました。日本がビッグバンや規制緩和と称して行っていることが、実は、バブル崩壊後底値になった日本の株や不動産を米国企業に差し出すためのお膳立てに過ぎないことに、日本国民は一日も早く気づくべきだと私は考えます。以下のプレストウィッツの主張は、今の日本が海外からどう捉えられているかを、端的に表していると思います。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
YESと言える日本
クライド・プレストウィッツ
日本がようやく変わり始めた。その変化の触媒となったのが、経営難の日本企業を買収する外資系企業である。
日本のデフレ不況に多くの政策立案者が苛立つ中、わずかながら、変化の兆しが現われ始めた。その一例が、3月初めに、ドイツの自動車部品メーカー、ロバート・ボッシュが日本の燃料噴射装置メーカー、ゼクセルの経営支配権を獲得したことである。ほとんど注目されなかったが、この買収は画期的な事件であった。第二次世界大戦開始以来、日本の自動車関連企業が外資の支配下に入るのは初めてのことである。
さらに驚くべきことは、長い間日本の最優良企業であり、政府の産業政策立案者の寵愛を受けてきた日産自動車が売りに出され、ダイムラークライスラーの傘下に入るかもしれないことである。[→結局、その後日産はルノーと提携した]。日本の自動車業界を開放させようと、米国の貿易交渉者が過去30年間にわたってあらゆる説得工作や威嚇をもってしても達成できなかったことが、日本の7年間にわたる不況と金融機関の破綻の結果、成し遂げられようとしている。
さらに重要なことは、日本人がこれを嫌がるどころか、このことに気づいてさえいないという点であろう。10年以上も前に、米国の企業乗っ取り屋であるT・ブーン・ピケンズが、トヨタ自動車系列の自動車用照明メーカー、小糸製作所の筆頭株主となり経営権を要求した時、トヨタ系列だけでなく日本の総意として国内主要産業への外資参入に「NO」を唱えた。
『「NO」と言える日本』がベストセラーとなったのもこの頃である。その数年前には、IBMが国際部門のスタッフの多くを東京に移転させるという発表が日本の新聞紙上を賑わせ、IBMの上級管理者の来日を暗に1953年のペリー提督の黒船来航や1945年の占領司令部のマッカーサー元帥の進駐になぞらえる記事が書かれた。
その当時と今とを比較すると、日本は劇的に変化した。ゼネラルモーターズ(GM)の部品製造部門から独立したデルファイは、1998年には日本の自動車メーカーに10億ドルの部品を販売しているが、この数字をさらに50%増加させる計画だといい、それは主に買収を通じて行うという。
さらに驚くことは、テネコ・オートモーティブの例である。日本の自動車市場参入に関する熾烈な交渉の先鋒であった同社が、1998年、日本で最も影響力の強い経済団体、経団連の一員として認められた。
こうした動きは自動車業界に限ったことではない。GEキャピタルは日本全国で、価格は下落したものの将来性のある不動産や企業を計画的に買いあさり、メリルリンチは旧山一證券から個人向け営業部門をすべて買収した。
実際、大蔵省の高級官僚に聞いたところでは、外資に日本市場の株や不動産を買ってくれるよう大蔵省が頼み込んでいるという。
日本の馴れ合い的、排他的取引関係や商習慣が変わることがあるのか、あるいは現実に変えられるのかと長い間苛立たしく思ってきた者にとってこの状況は、変えられるだけではなく実際に変わり始めていることの証拠である。さらにこのことは、米国財務省や他の国の財務担当者にとっては、日本経済の好転が最も期待できる徴候である。
日本はさらなる金融緩和と財政赤字の拡大によって景気を刺激すべきだという海外からの強まる要求は、両者の苛立ちを高める以外に何の効果ももたらさなかった。事実、米財務省のある高官は「日本の経済大国としての地位は終わった」と発言したとされる。
同時に、世界史上最大の財政赤字を抱えながら、目に見える効果を未だほとんど出せない日本の指導者は「これ以上、我々に何をしろというのだ」とぼやいている。
日本国内でも、また海外でも正しく認識されていないのは、日本経済の構造があまりにも歪んでいるため、さらにひどく歪ませるくらいの極端な政策をとらない限り、標準的なマクロ政策くらいでは効果は出ないということである。一般の日本国民は、場当たり的な応急処置で古い機械を動かし続けてももはや無駄であることを承知している。
古い機械が新しいものと交換されることが明らかにならない限り、日本国民が自信を取り戻すことはないであろう。そして、この新しいものというのが、やり手の外国人投資家の登場や、日本の産業の聖域への外資参入なのである。問題は、これが永続するのか、それとも、伝統的な国粋主義的見方や政策が再燃するのかという点である。
確かに、石原慎太郎を筆頭に、今回の経済危機はアジアの高まる影響力を抑えるために米国が仕組んだものだとする右翼からの批判も見られる。しかし、こうした不協和音は日本の一般国民や主流の政策策定者を説得するまでには至らず、そうなる可能性も低い。
日本株式会社などと揶揄された日本経済の特異性が文化的なものであり不変なのか、それとも政策や御都合主義の次元のものであり、新しい環境に適応すべく変更できるものなのか、長い間議論されてきた。
長期的な経済効率や国際礼譲 (他国の法律・習慣の尊重)の観点から常に問題視されることだが、日本市場の外資参入に対する閉鎖性、また主要国策産業における国内企業の優遇という政策は、敗戦直後の国家的アイデンティティの再構築および主権回復の努力の一環であると考えれば理解もできる。しかし、こうした政策が予想以上に成功して以来、文化という衣に包まれ、それによって特異性や不変性といったオーラを発し始めたのである。
日本経済が成功している時であれば、その成功は日本内部の国家的な美徳によるものであり、補助金や税金、癒着によるものではないという説明にも納得がいった。市場開放を求める外圧に対しても、日本文化への攻撃だとしてその圧力をはね除けることも可能であった。結局、どの国に対しても文化を変えろとはいえないからである。
しかし、1990年代に日本経済が停滞し始めると、かつての成功が引き起こした新しい環境に、旧モデルでは効果的に対応できないことに気づいたのである。それに気づいたことで、文化による説明が実はどの国にも当てはまる考え方であることが明らかになり、日本は今までには考えられないことを行い始めた。そして、規制緩和にも、消費者ニーズにも、また外国からの投資にもすべて「YES」といい始めたのである。日本がYESといえばいうほど、日本も世界も快方に向かうであろう。
* プレストウィッツは元米国の貿易交渉担当者であり、現在は経済戦略研究所の所長である。
[著者の許可を得て翻訳・転載]