No.284 日本株の買収を狙う米国の戦略

 新しい企業会計基準が2000年度から導入され、企業年金の積立不足額が開示されることなどに伴い、日本政府は企業年金の積立不足解消と企業の持ち合い株式解消の一石二鳥の効果を狙って、企業年金に母体企業が現金だけでなく株式などの有価証券現物も拠出できるよう規制緩和を行いました。また金融機関に対しても、持ち合い株式の売却により流動性を高めることが提案されています。

 ニューヨークのエコノミスト、マイケル・ハドソンは、この持ち合い株式の解消が日本に及ぼす影響を分析し、外資系企業が日本企業を買収できるよう、日本の貯蓄を使って米国に融資を行うことと同じだと結論づけています。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

日本株の買収を狙う米国の戦略

 マイケル・ハドソン

 日本ではこの3月、さらに抜本的な金融制度改革が提唱された。顧客や債権者、サプライヤとの株式の持ち合いを解消させるために、銀行にその持ち合い株式の売却を開始させる案が浮上したのである。

 政府自民党は、これによって日本経済が日本固有の制度を捨てて近代化することになる、つまり、より米国に近づくことができるのだと説明した。株式持ち合い制度の解消が説得力を持って受け入れられたのは、活況を呈する米国経済と、不況に喘ぐ日本経済という対照的なイメージができあがったためである。

 しかし、日本の報道機関は、外国人投資家に好かれるよう日本経済を近代化すべきだと迫る米国の、その行動の裏に潜む真の動機を見落としている。確かに、銀行の流動性を高めるため、株式の売却によりキャッシュ・ポジション(銀行の預金資金)を引き上げるべきだと米国が日本に指摘するのは、一見もっともであるかのように思える。また金融機関だけではなく、一般企業も持ち合い株式を年金基金に拠出し、高齢化の進展に合わせ、退職者への年金給付の必要に応じその株式を手放すという案も賢明な方法に思えるかもしれない。しかし、こうした大幅な制度改革にあたっては、誰がその受益者になるのかを考えてみるべきである。

 これによって実際に恩恵を受けるのは誰なのか。米国の政府高官は、日本経済の回復を助けるために助言しているだけで、他には何の目論見もないと主張するかもしれない。彼らの期待が、日本が海外からの、とりわけ米国やアジアからの輸入に対して、米国同様の広大な消費市場となることにあるのも確かである。それによって、アジア諸国が米国その他海外の債権者に債務を返済できるようになることも期待している。最近の一連のG7蔵相会議で米国の外交官が日本の代表と合意したのは、円安に後押しされた日本企業の輸出増で日本が不況から抜け出せるのなら、米国は1ドル=140円まで円安を容認するというものだった。しかし、この裏にはもう1つの目的があった。それが、日本経済が回復するのであれば、米国の投資家は主要企業、特に銀行、証券会社などの金融機関の株を保有したい、というものであった。

 いったん株主として所有権を手にすれば、外国人投資家はその日本企業の経営から利益を得たいと考えるようになる。つまり米国の経営哲学は、会社を社員の共同体と捉えたり、社員、顧客、下請けの利益のために経営すべきだという考え方に基づいてはいない。米国の定義によれば、そうした経営方法は資本主義ではないし、金融資本主義とは絶対いえない。

 日本経済は米国型資本主義への変貌を遂げるのだとされている。この「すばらしい新世界」においては、意思決定は以前にも増して、日本人ではなく米国の株主や提携相手によって行われるようになる。これは、投資戦略や企業活動一般に劇的な変化がもたらされることを意味する。

 日本の金融機関が、所有する新旧の取引相手の持ち合い株式を売却すると決定したと仮定しよう。日本独自の株式の持ち合い制度によって、日本企業の株式のうち4分の1が銀行に、また4分の1が下請けや系列企業によって保有されている。逆に、一般企業も銀行株の4分の1以上を保有している。こうした緊密な関係があるからこそ、市場を短期的な利益追求ではなく長期的な事業拡大のために利用する計画経済が可能になり、研究開発や設備投資などの長期的な投資計画を顧客のニーズに合わせて行うことができるのである。この持ち合い株式の買い手は誰になるのか。日本の株式市場が過去最高値の4分の1まで下落し、低迷していることを考えると、日本の投資家でないことは確かである。外国人投資家、特に米国の投資家がその株式を買い取るであろう。

 現在の日本の金融危機は、心理的な危機感をもたらし、日本の金融制度は失敗したのだという挫折感を日本人の心に植え付けた。しかし現実は、日本にバブル経済をもたらし、破滅へと導いた1985年のプラザ合意以降、日本の金融制度は攻撃にさらされる運命にあったのである。米国政府高官は、この日本の精神的な弱みに乗じて、今こそ日本に特異性を捨てさせ、より米国に近づくよう最大の圧力をかける好機だと考えた。日本企業の株式を米国や海外の投資家に売却することは、企業の意思決定に関する法的権力を新しい株主に委ねることに等しい。

 これと同時に計画されているのが、日本の年金基金の積立金不足を補うために、日本企業の株式を海外の投資家に一斉に売却することである。1990年以来、金利や株価の下落により日本の企業年金基金の多くが巨額の積立金不足に陥っている。つまり、退職者に支払う企業年金の給付額が、債券や株式の運用収益だけでは賄えなくなった。企業によっては、最近の退職者に給付する企業年金をすでに減額したところもある。ゴールドマン・サックスの推計では、企業年金基金の積立金が日本全体で80兆円不足しているという。2000年から導入される新企業会計基準の下では、日本企業は企業年金の積立不足額を開示しなければならない。その不足分を補うために、設備投資や雇用などの直接投資に向けられるはずの企業収益を、短期収益を目指して株式や債券などの金融商品向けの間接投資に投じなければならなくなる。

 このような状況の中、米国のエコノミストは、現在約133兆円と推定される持ち合い株式を年金基金に拠出すべきだと日本に助言した。退職者に給付する年金資金を、株式を売却して集めるのである。しかし、誰に売却するかといえば、これも海外投資家となるであろう。日本企業が保有する主な株式は銀行株である。しかしそれでも、誰が日本の株式を所有しようが問題ではない、外国人投資家に日本の株式を売却すれば日本の株式市場が浮揚し、日本の銀行が潤い(貸出しが増える)、また年金基金が増える(退職者に支払える年金給付額が増える)のではないか、という見方もあるだろう。

 株式の所有権とは、日本の大手企業や銀行の経営権の所有を意味する。米国の企業経営の特徴は、利益が下がれば労働者がレイオフされるという点にある。日本の失業率は戦後2%台であったが、それが4.4%に倍増した。米国のエコノミストは、日本企業の年次報告書を検討し、日本の労働人口の約10%をレイオフすれば、日本企業の収益は上がると見込んでいる。失業者が増えれば、政府が支払う失業手当も増え、日本政府の財政赤字はさらに増大するであろうが、これはまた別問題であり企業経営者の関知するところではないというのが米国流の考え方である。

 低収益に対する米国のもう1つの対応策は、低収益事業の売却である。米国で近年、企業の合併・買収(M&A)が急増したのもこのためである。株式持ち合いという日本独自の制度の解体により、売却先が外資であっても事業の売却やM&Aが容易に行えるようになり、経常収益や配当金の支払いを犠牲にして長期的投資戦略を重視する企業でさえも、容易に米国式企業乗っ取りの対象となるであろう。日本政府の最近の提案すべてに共通することは、日本の株式を外国人投資家による買収に対して開放することである。これは日本の伝統的英知、さらには、ヨーロッパや日本、米国にも浸透している典型的な経済原則さえも覆す恐れがある。

 その結果、株式、不動産、その他資産のキャピタル・ゲインが高くなればなるほど、国民所得に占める直接投資の割合は低くなるという傾向が出てくるであろう。これは投資家が、新工場の建設や雇用増よりも、株式市場や不動産での投機の方が、より多くの収益を上げられることに気づくからである。競争相手を直接買収したり、株式や不動産の所有を増やすために資金を投じた方が手っ取り早く儲けられるのに、採算がとれるかどうかわかない市場のために生産手段を構築するというリスクをなぜあえて冒す必要があるだろう。低収益事業を売却して生産性を上げたり、労働者をさらにレイオフして純利益率を上げた方がいいに決まっている。より大きな視点で捉えた場合、長期志向よりも、短期志向でいった方が収益率が高くなり、その収益は主に株や債券、不動産のキャピタルゲインという形になる。資産価格のインフレを望む者たちは、キャピタルゲインは新規直接投資を減退させるよりも、促進するのだと主張する。株式市場が高騰すれば、株式初公募による、直接投資向けの資金集めが行いやすくなるというのが理由である(例えばインターネット株)。それは事実としても、統計的には初公募の割合は少ない。結局のところ、1980年以降、株式は新規発行分よりも減資のための回収分の方が多く、その分債券や他の形態の借金に変わっている。株式市場におけるキャピタルゲインは新規発行株ではなく、主に減資により生まれている。

 企業は収益を使って直接投資を増やすのではなく、自社株の買い戻しを行っている。米国IBMを例にとると、キャッシュフローのうち、年間約100億ドルが株の買戻しのために使われている。こうした買戻しは経営者にストックオプション(会社役員などの一定株数の自社増資株を一定の値段で買い取る権利で、通常給与の5~10倍に相当する)を提供する制度があるがゆえに行われている。また、梃入れ買収や企業の乗っ取り、その他のM&Aや民営化によっても、株価は上昇する。

 日本は米国に比べてM&Aがはるかに少なく、企業の乗っ取りといった話はほとんど聞かれなかった。恐らく大部分の企業の株が、銀行や顧客、サプライヤといった安定株主に所有されていて、自由に売買できなかったためであろう。

 ここ数十年間の日本と欧米の投資の割合を比較すると、皮肉にも収益率が低い方が、新規の直接投資が低くなるどころか、むしろ高くなっているという関係がわかる。考えてみれば理由は明らかである。長期の資本集約的投資や研究開発費の割合が増えれば、投資に占める経常収益の割合が低くなるのは当然である。資本集約型生産は、社員1人当たりの設備投資額が高くなるため、その投資を回収するには長い期間を要する。企業が労働生産性を向上させ、国際競争力を高めるためには、そうした長期投資が必要なのである。

 バブル崩壊以前の1980年代から、日本企業の株式配当はすでに低かった。それは日本の株式持ち合い制度によるところが大きい。かなりの株式が、緊密な関連企業や好意的な取引先によって所有されており、株式の持ち合い関係にある企業が得る利益は、株式の配当よりも経済的な作用にあった。すなわち安定的な供給、より緊密な取引関係、相互依存、長期計画の調整といった形で提供される利益である。これによって企業、サプライヤ、顧客すべてが、多かれ少なかれ、計画的な業績の拡大を実現していた。

 イギリスでは、国民総中流階級化を唱える政党、サード・ウェイの考え方を労働党のトニー・ブレアが支持している点について論議が高まっている時に、日本企業はこの日本型制度を捨て、企業のすべての株式を売りに出す米国流の方法を採用すべきかどうかを模索している。3月初め、日本の銀行は株式持ち合いという日本式制度のもと蓄積した株式を売却するよういわれ、また、金融機関以外の企業は、持ち合い株式で企業年金の積立金不足を穴埋めし、年金給付金の支払い時にはその株式を売却するという方法が可能となった。

 持ち合い株式が売りに出されれば、おもな買い手となるのは外国人投資家であろう。米国の資金運用者が日本が金融機関や企業の救済に本気になったと判断して、3月19日、日経平均株価は今年の最高値にはね上がった。日本経済を立て直す方法について、日本が米国の助言に従えば従うほど、外国人投機家を含む、株式市場に利益がもたらされるのである。

 日本企業の株式が、実際に外国人投資家の手に渡ったと想定して、もし彼らが米国やイギリス、ロシアの産業に対して行ったこと(民営化と新金融資本主義の偉大な「サクセスストーリー」と呼ばれるもの)と同じことを日本の産業界で行ったら、日本にはどのような変化がもたらされるであろうか。

 まず、日本企業の世界市場における競争力が弱まるであろう。設備投資は削られ、従業員はリストラされ、失業率はさらに上昇し、企業や政府はますます負債を積上げざるを得なくなるだろう。労働者に対する株主(特に外資)の力が増大し、日本の政策はますますメイド・イン・アメリカになり、日本社会、日本企業の経営哲学、そして最後に社会のイデオロギーまでが米国化するであろう。

 これは良いことなのであろうか。資本主義は決して1種類ではない。日本独自の資本主義制度には多くの利点があった。今日本に欠けているのは、その利点が何であったのかを思い出す勇気と、日本独自の制度を守り、日本が経済力で得たその利益を自分のところに還流させようとする米国からの要求に屈しないための戦略である。

 外国人投資家が日本企業買収のために、株式市場に資金を注ぎ始めたとしよう。日本企業はこの資金をどのように使うのだろうか。企業や個人が手にした海外からの資金を日銀が集め、その外貨準備を使ってさらに日銀が米国債を買い続けるのだろうか。

 果たしてこれが日本経済を救済するのであろうか。救済できるはずがない。これは、米国企業が日本企業を買収できるよう、日本人の貯蓄を米国に融資することにほかならない。そしてその一方で、日本政府は先進国中最大の長期債務を積み上げていくことになるのである。