今回は前回に引き続き、オタワ大学教授ミシェル・チョスドフスキーが、1995年のボスニア和平合意(デイトン合意)の直後に書いた論文をお送りします。1980年代末以降、外国人債権者はNATOの軍事・諜報活動と合わせ、ユーゴスラビアに対して厳しいマクロ経済改革を課しました。現在NATOの空爆で問題になっているコソボの運命はその時からすでに決まっていたとチョスドフスキーは述べています。
IMFの有害な経済の処方箋が投与された時から、ユーゴスラビア経済全体は破滅に向かい始めたのです。経済改革はコソボのアルバニア人とセルビア人を共に貧困化させ、それが民族間の緊張を高めました。市場の力の意図的な操作が、経済活動や市民生活を崩壊させ、絶望的な社会状況を生み出したのです。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
崩壊したユーゴスラビアと植民地ボスニア(後編)
ミシェル・チョスドフスキー
解体の政治経済
経済と国家の崩壊に抵抗する不運な戦いに参加したユーゴスラビア人もいた。「労働者のレジスタンスは民族の境界を超え、スラブ人、クロアチア人、ボスニア人、スロベニア人は労働者同士団結して立ち上がった」という見方をする者もいた。しかし、経済的な困窮は共和国間、そして共和国とユーゴスラビアとの緊迫関係をさらに極限まで高めた。
セルビアは耐乏計画を即座に拒絶し、650万人のセルビア人労働者は賃上げを迫って連邦政府に対しストライキを敢行した。他の共和国はそれとは違う自己矛盾的な道をとった。
例えば比較的豊かであったスロベニアでは、連邦分離派の指導者である社会民主党議長のホセ・ピュニックが改革を支持した。「経済的見地から、失業率の増加や労働者の権利縮小といった、社会にとって有害な措置を支持するしかない。経済改革を進めるためにはそれしかないからだ」
しかし同時に、スロベニアは他の共和国に加わり、連邦政府が彼らの経済的自治権を制限することに反対した。クロアチアのリーダー、フラニオ・ツジマンと、セルビアのスロボダン・ミロシェビッチはスロベニアの首脳に加わり、厳しい改革を課そうとするユーゴスラビアの試みを非難した。
分離主義者連合がクロアチア、ボスニア、スロベニアで共産党を追放したため、1990年の複数政党選挙における政治論争の中心は経済政策になった。経済崩壊が分離へと駆り立てたのと同様に、今度は分離が経済危機を悪化させた。共和国間の協力は実質的になくなった。そして共和国同士が互いに足を引っ張り合い、経済と国家そのものが、悪性の下向きのスパイラルに陥った。
自分たちの権力を強化するために、共和国の各リーダーが意図的に社会的および経済的分割を促進するにしたがって、プロセスは下向きの勢いを強めた。「国家再生ビジョンを描く共和国の独裁者たちは、真のユーゴスラビア市場と超インフレーションのいずれかを選択するのではなく、戦争を選んだ。これは経済的破局の原因を戦争のせいにするためである」
それと同時に、分離派のリーダーに忠誠心を示す民兵の存在が混沌状態への転落に拍車をかけた。民兵の残忍行為はエスカレートし、国家を民族で分断しただけでなく、労働者運動も分裂状態にさせた。
西側からの援助
耐乏生活という手段は、バルカンの再植民地化の基盤を作った。ユーゴスラビア分割が必要か否かが西側先進諸国で議論の的になった時、ドイツは先頭に立って分離を進めたが、米国は最初、国粋主義者のパンドラの箱を開けるのを恐れてユーゴスラビアの存続を主張した。
1990年5月のクロアチアのフラニオ・ツジマンと右派民主主義連合が決定的な勝利を収めると、ドイツの外相、ハンス・ディートリッヒ・ゲンシャーは、クロアチアの外相と毎日のように連絡をとり、クロアチアの分離を承諾した。ドイツは消極的に分離を支援するのではなく、国際外交を早めるよう積極的に働きかけ、西側同盟国にスロベニアとクロアチアの独立を承認するよう圧力をかけた。ドイツは中央ヨーロッパ全土における経済支配を望み、同盟国の間で自由裁量を発揮したがった。
一方、米国は、民主的な発展を奨励する一方で緩やかな連合を好み、ベーカー国務長官はクロアチア大統領ツジマンとスロベニア大統領ミラン・クーチャンに、一方的な分離は奨励も支援もしないから、もし分離するのなら交渉による合意に基づいて分離するよう主張した。
しかし、スロベニア、クロアチア、そして最後にボスニアは、ユーゴスラビア(セルビアとモンテネグロ)あるいはセルビアの国粋主義者、またはその両方に対して、血みどろの内乱を起こした。しかし、米国は遅ればせながらボスニアで積極外交の立場をとり、クロアチア、そしてマケドニアとの関係を強化し、その地区の経済的政治的未来において主導的な役割を演じようとした。
内戦後の体制
西側債権者は今、ユーゴスラビアの後を継いだ国家に注目し始めた。ユーゴスラビアの崩壊に伴う、内戦後の再建の経済的側面はほとんど顧みられていない。しかし、新しく独立した共和国が再建される望みはない。ユーゴスラビアの対外債務は慎重に分割されて後継の共和国に分配され、それが今、債務返済繰り延べと構造調整協定となって各国の首を絞めている。
援助提供者と国際機関の総意は、IMF支援による過去のマクロ経済改革は自分たちの目標を満たしておらず、ユーゴスラビアの後継国に健全な経済を取り戻す上でさらなるショック療法が必要だというものである。クロアチアとマケドニアはIMFの指示に従った。両国は旧ユーゴスラビアの負債の自国負担分を返済するために、融資パッケージの導入に合意したが、それにはマルコビッチ元ユーゴスラビア首相の破産プログラムに始まる一連のプロセスを強化することが必要だとされた。こうして工場閉鎖、銀行倒産、貧困化というお馴染みのパターンがここでもたちまち繰り返された。
グローバル資本はこれに喝采を送った。社会保障は危機に瀕し、経済崩壊に直面しているにもかかわらず、マケドニアの蔵相、ジュベ・トラペフスキは報道関係者に対し、「世界銀行とIMFは現在進められている改革において、マケドニアをその最も成功した国の1つと位置づけた」と誇らしげに発表した。
マケドニアに送られたIMF派遣団の団長、ポール・トムセンもこれに同意した。彼は、安定化プログラムの成果は素晴らしいと称え、マケドニア政府が採用した効率的賃金政策を特に賞賛した。IMFの交渉担当者はそれでも、さらなる予算削減が必要だと付け加えた。
しかし西側の介入は、ボスニアの主権を甚だしく踏みにじっている。デイトン合意によって作られた新植民地政権は、NATOの兵力に支援され、ボスニアの将来はボスニア政府でなく、米国とドイツ、ベルギーによって決定されようとしている。
植民地主義による再建
もしボスニアが戦災や新植民地主義による荒廃から立ち直ることがあるとすれば、大規模な再建が必要不可欠である。しかし最近のバルカン史から判断すると、ボスニアが西側の支援によって欧州の隣国と肩を並べるようになるよりは、第三世界の国に落ちぶれる可能性の方が高いだろう。
ボスニア政府は再建費用は470億ドルになると見ている。西側の援助提供者は復興融資30億ドルを約束したが、これまでにまだ5億1,800万ドルしか提供されていない。この金の一部は、平和履行軍の配備にかかる地元への民間費用と、海外債権者への返済に充てられることになっている。
古い債務の返済に、新たな融資が使われるであろう。オランダ中央銀行は寛大にも、つなぎ融資3,700万ドルを提供して、ボスニアがIMFへ滞納金を払うのを助けた。滞納金を払わなければ、新規の融資が行われないからである。しかし、まったくばかげた残酷な話だが、紛争後の国のためにIMFが新たに用意した緊急融資は、復興費用には使われない。その融資は、IMFへの滞納金支払いに使われたオランダ中央銀行の融資の返済に充てられるのだ。こうして負債はさらに蓄積し、戦争によって荒廃したボスニア経済を復興させるための資金はほとんど残らない。
負債の返済が再建を犠牲にする一方で、西側政府や西側企業は、戦略的天然資源へのアクセスに大きな関心を示している。この地域に埋蔵資源を見つけたために、デイトン合意のもと、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、ボスニア・セルビア・セルプスカ共和国の間でボスニアを分割することが、新しい戦略的重要性を持った。クロアチアとボスニアのセルビア人の手にある文書には、デイトン合意以前の最後の攻撃で、米国が支援したクロアチア軍がウクライナ・セルビア人共和国の反乱軍から取り返した地域の東斜面に、石炭と石油が埋もれているとある。ボスニア政府高官は、ボスニアでの探索調査を行った数社の外国企業の中に、シカゴに本社のあるアモコがあったと報告している。
「大規模な」油田は、セルビア人が所有するクロアチアの領土にも存在する。それは米軍基地があるトゥズラから、サバ川を渡ったところにある。探索活動は世界銀行と多国籍企業によって、戦争中も継続されたが、地元政府には知らされなかった。潜在的な価値を持つ領域を彼らに占領させないようにするためだったと思われる。
負債の返済と、潜在的な天然資源という財宝に目を奪われた西側先進諸国は、民族浄化を目的に行われた犯罪を正すことには、ほとんど興味を示さなかった。和平をもたらすための7万人のNATO軍の力は、ボスニア分割が、この地域を以前の状態に復興させるよりも、西側経済の利益に沿って行われるよう監督することに注がれた。
地元指導者たち、そして西側の利権は、ユーゴスラビア経済からの奪略品を分け合うことにあったものの、国家は社会・民族の区分によって分割された。ユーゴスラビアを民族区分に沿って永久に分断するということは、ユーゴスラビアのすべての民族が団結して祖国の再植民地化に抵抗しようとする勢力の形成を阻害することである。
しかし、これは目新しい動きではない。専門家が辛辣に指摘するように、ユーゴスラビアの後継国の指導者たちはすべて、これまでも西側と緊密に協力してきた。「旧ユーゴスラビア共和国の現在の指導者たちは、全員共産党員であり、世界銀行やIMFの要求を満たすよう、互いに競い合ってきた。その指導力によって、融資や臨時収入を手に入れる資格を得るためである」
まとめ
西側によって支援された新自由主義によるマクロ経済の再建は、ユーゴスラビアを崩壊へと導いた。しかし、1991年の戦争勃発以来、世界のメディアは慎重にそれを見過ごすか、否定してきた。むしろメディアは、戦争で荒廃した経済再建の基盤として、自由市場を賞賛する勢力を後押ししてきた。ユーゴスラビアにおいて経済再建が与える社会的、政治的影響は、世界の人々の意識から慎重に消されていった。代わりに世論形成者は、文化的、民族的、宗教的分断をこの危機の唯一の原因として提示した。しかし現実は、経済と政治的な破滅という、はるかに根深いプロセスによってもたらされたものなのである。
この誤った認識は真実を覆い隠すだけでなく、人々に歴史的経過を正確に認識させることを妨げている。
究極的には、このことは社会的紛争の真の原因を歪めてしまう。旧ユーゴスラビアに当てはめれば、南部スラブ民族の統一と団結とアイデンティティの歴史的基盤を曖昧にさせた。しかし、工場は閉鎖され、労働者は失職し、社会保障は奪われ、さらにそうした苦い経済の処方箋だけが効果を持つとされる世界では、こうした誤った認識がはびこってしまうのである。
バルカン半島で犠牲になっているのは、数百万人の人々の生活である。マクロ経済改革は生活を破壊し、働く権利などないに等しい状況をもたらした。多くの人が食糧やシェルターという基本的要求すら満たされていない。文化や国家のアイデンティティは失われ、国際資本の名のもとに、国境が変更され、法律が書き換えられ、産業が破壊され、金融や銀行制度は解体され、社会保障制度は取り払われた。市場社会主義であろうが、「国家」資本主義であろうが、国際資本に代わるものはない。
ユーゴスラビアで起こったこと、そして弱体化したその後継国で続いていることは、バルカンだけの問題ではない。ユーゴスラビアは、同じような経済改革プログラムの行く末を映す鏡であり、発展途上国のみならず米国、カナダ、西欧でも同様のことが起こり得る。ユーゴスラビアの改革は、破壊的な経済モデルが極限に達した時にどうなるかという残酷な現実を表している。
[著者の許可を得て翻訳・転載]