No.289 歴史に見る売上税および消費税による政権失脚

 以下は、私の友人で、カリフォルニア州立大学リ バーサイド校経済学部教授のメイソン・ガフニーが集めた資料です。ここには、消費税支持の立場をとった結果、 有権者あるいはそれ以外の人々によって政権を追われた指導者が列挙されています。日本でも、自民党政府が密か に消費税のさらなる増税を画策していますが、日本の政治家は以下のような歴史的事実から教訓を学ぶべきであ り、また同時に政府が再度消費税を増税しようとするなら、国民はどのような態度をとるべきかわかるはずです。

是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

歴史に見る売上税および消費税 による政権失脚

 

1. イギリス。チャールズ1世(1649年)、議会の承認なく関税を徴収し、船舶税やそ の他の重税の強行で人々の憤激を買い、退位、処刑。
2. イギリス。1688年、ジェームズ2世が退位。これによってスチュアート王朝滅び る。(ジェームズ2世と親しかったトーマス・ホッブズが『リヴァイアサン』(1668年)の中で不動産税を減税 し、代わりに消費税による税収を増やすことを奨励した。)
3. イギリス。ジョージ3世(1760年~1783年)、財政危機に陥った英国は、砂糖条例 をはじめ印紙条例など次々に植民地への課税を増やしていったために、植民地との対立が深まる。これが米国独立 戦争へと発展して最終的には植民地を失うことになる。
4. フランス。1793年、すでに重税を課せられていた平民に加え、税金免除という特権 を奪われそうになった貴族が国王に反抗。これがフランス革命の引き金となる。ルイ16世とその王妃マリー・アン トワネットがギロチンで処刑される。
5. 米国。1801年、連邦党に代わって、民主共和党(現民主党の前身)のトーマス・ ジェファーソンが政権を握った。消費税の第一の推進者だった初代財務長官アレキサンダー・ハミルトンは、副大 統領のアーロン・バーと政争上の決闘で敗れ亡くなった。ジェファーソンは国家の象徴的存在となり、1825~1829 年の4年間を除いて1836年まで続く、民主共和党支配の基盤を作った。
6. アメリカ南部連合国。南北戦争直前に南部11州により編成されたアメリカ南部連合 国(CSA)では、1861~1865年にジェファーソン・デービス大統領が、消費税だけで南部連合国の財政と南北戦争の 戦費を賄おうとしたが破産。債券と通貨の支払ができなくなり、南北戦争では壊滅的な大敗を喫した。
7. ロシア。第一次世界大戦が長期化すると、国民の生活は困窮し社会不安が増大し た。ニコライ2世は消費税だけでは戦費を賄うことができず、ロシア革命で失脚。1919年、一族全員が銃殺され、 ロマノフ王朝は滅びた。
8. 米国インディアナ州。進歩的共和党の古参の上院議員で大統領候補と目されていた アルバート・ベバリッジが、1922年の選挙で連邦消費税の導入を力説。その結果、それまでの選挙で圧勝していた ベバリッジは、大敗を喫した。
9. 米国。政権3代(1921~1932年)にわたり財務長官を勤めたアンドリュー・メロン が消費税を主張。それによって共和党のハーバート・フーバーは、米国史上最も非難された大統領となる。民主党 はその後、数期にわたりフーバーに対抗する政策を掲げ、1952年まで消費税反対の政綱で勝利を収めた。
10. ベトナム。1960~65年、南ベトナム政府は米国の専門家に促され、売上税を10%か ら20%に倍増。その一方で大地主には課税を免除し、南ベトナムの商業は崩壊する。南ベトナムの農民の支持を受 けたベトコン兵士は大地主に対抗し、その後どうなったかはご存知の通りである。
11. オーストラリア。1975年、ゴー・ホイットラム首相は予算案を上院で可決できな かったため、オーストラリア総督のジョン・カーに首相の座から引きずり降ろされる。選挙が行われ、マルコム・ フレーザーがホイットラムに代わって政権に就くも、きわめて不人気。70年代半ばは景気停滞のため、長期政権は 少ない(米国ではカーターがフォードを破る等)。

1993年の総選挙では、不景気のため与党労働党が極めて不人気で、自由党は選挙に勝て ると見られていたが主な政綱の1つに一般売上税(GST)を掲げていたことで敗れ、キーティング労働党が続投と なった。
12. 米国オレゴン州。1980年、下院歳入委員会委員長アル・ウルマンが付加価値税 (VAT)を支持し始めると、オレゴン州ハーニー郡ベンド市周辺選挙区の有権者は彼からすぐに離れていった。ウ ルマンはこの様子を見て即座に主張を変えたが、時すでに遅く、対立候補のデニー・スミスが、それまでの付加価 値税支持を逆手にとってウルマンを落選させた。
13. 米国。米国の1988年の大統領選挙のテーマは緊縮経済であり、資本の形成を助ける ために、消費税により消費を減退させるべきだとされた。その政策の代表的な支持者がピート・ピーターソンで、 87年10月号の『アトランティック』誌に掲載された彼の論文は、大きな影響を及ぼした。先のアンドリュー・メロ ンがフーバー政権で財務長官を務めたのと同様に、投資銀行家のピート・ピーターソンは、ニクソン政権の商務長 官を務めた人物であった。1988年の大統領選では、ジョージ・ブッシュと戦ったデュカキス候補を補佐したL.H.サ マーズが消費税を支持した。有権者にとっては、ブッシュでもデュカキスでも同じだったが、ブッシュは新たな増 税なしを公約に掲げたため、有権者によっては、それが消費税なしに聞こえたのかもしれない(ブッシュはこれを 狙って、意図的に増税なしを訴えたのであろう)。その後、ブッシュ政権のもと付加価値税支持者は勢力を強めて いく。有権者がその次の選挙でクリントンを選んだのはそれが理由だったのかもしれない。
14. 日本に消費税が導入されたのは89年4月。その直後に政権に就いた宇野首相の任期 はわずか69日間(1989年6月2日から8月6日まで)であった。原因は女性スキャンダルにあったが、日本の主婦達は 第一に消費税、第二に女性スキャンダルを理由に宇野首相を失脚させたに違いない。

宇野政権前後の首相と任期
中曽根康弘 82.11.27 – 87.11.6(1806日間)
竹下登 87.11.16 – 89.6.2(575日間)
宇野宗佑 89.6.2 – 89.8.9(69日間)
海部俊樹 89.8.10 – 91.11.5(818日間)
宮沢喜一 91.11.5 – 93.8.5(640日間)

15. イギリス。人気のあったサッチャー首相が失脚したのは、人頭税を導入したためで ある。人頭税は売上税や消費税とは異なるが、逆累進性とその根本的な考え方の点で売上税や消費税に等しい。
16. ニュージーランド。1990年、一般売上税の導入により労働党が敗退し、保守派の国 民党が政権に就いたが、長引く不況で国民党の支持率も低迷を続けている。緊縮政策が導入された1993年、国民党 敗北、労働党復権という予測を覆し、国民党は定数99のうち50議席を確保とわずかながら過半数を獲得したが、そ れまでの議席数は67であったので、事実上敗北に近い。
17. カナダ。1993年、ブライアン・マルルーニーが7%のGSTを提案した。GSTとは財・ サービス税の略だが、一般売上税といった方が相応しい。マルルーニーは、5人の新しい上院議員を任命し、GST法 案を強引に議会で通過させた。1993年5月の世論調査で、マルルーニーの支持率はカナダ史上最低となり、自ら選 んだ後継者のキム・キャンベルがカナダ初の女性首相となる。1993年10月末の総選挙でキャンベルと「進歩保守 党」は大敗するが、それは有権者がGSTを嫌ったためである。こうして保守党は前回の169議席の与党から、わずか 2議席の野党に転落。有権者はかつてないほどの拒絶反応を示した。新しく政権に就いたクレチエン首相はGST廃止 の公約により選挙で勝利を収めたが、未だにそれを実行に移してはいない。
18. 米国モンタナ州。1993年、売上税廃止の投票が行われた。売上税に関する住民投票 が行われる例は少なく、州議会はそっと増税していくのが普通である。しかし、モンタナ州の場合、3対1、つまり 75%の投票者が売上税に「No」の投票を行った。カリフォルニア州の提案13号(固定資産税を課税する権限を縮小 する法案で、1978年6月カリフォルニア州で住民投票にかけられた結果、州憲法が改正された)の時よりも圧倒的 な大差で売上税が廃止されたが、提案13号の時と同じく、メディアはモンタナ州の住民投票の結果を有権者の意思 表示として報道することはなかった。
19. 米国オレゴン州。1993年11月10日、住民投票76%対24%で売上税を拒否した。有権者 は、売上税がなければ公立の学校教育が悪化するという主張を退け、売上税反対を押し通した。
20. 日本。1994年2月、細川首相が490億ドルの所得税減税を行い、その代わりに、消費 税を「国民福祉税」といい換えて、1997年4月以降3%から7%に引き上げると発表。これは当時の新生党小沢一郎の 提案であるが、この実施を要求していたのは米国である。米国でキャピタルゲイン税の減税を提唱した民主党員で あり財務長官であったロイド・ベンツェンは、この政策を減税であるとして支持した。確かに最初の3年間は減税 になるかもしれないが、その後は増税になる。ベンツェンの意図したところは、恐らく、最初の3年間の減税によ り日本の内需が拡大して米国の輸出増につながるということであった。また、消費税の増税は引退した高齢者への 増税を意味する。日本の高齢化は世界で最も急速に進んでいるにもかかわらず、この政策の売りは勤労者の所得税 の減税にある。引退した高齢者に課税される固定資産税を非難しておきながら、同じように高齢者に重くのしかか る消費税の推進を、なぜ人々はおかしいと感じないのであろうか。もちろん、この「国民福祉税」構想は国民の強 い反発を招き、あっという間に撤回された。
21. ベネズエラ。1989~1993年までの間、民主活動党出身のカルロス・アンドレス・ペ レス大統領が、南米の新自由主義として、民営化とIMFと付加価値税を導入した。その結果、政府予算の25%が財政 赤字となり、インフレ率45%超を経験し、1993年に汚職事件によりペレスは失脚した。ペレスの後には選挙で選ば れたラファエル・カルデラが1994年2月2日に政権に就いた。カルデラはペレスの唱えた政策とはまったく反対の政 策を選挙で掲げ、売上税の廃止を訴えた。しかし、多くのエコノミストは、ベネズエラの経済復興には売上税が不 可欠であると見ていた。カルデラは過半数の票を獲得したが、すでに老齢である彼の強みは、ただ単にアンドレ ス・ペレスではないというだけに過ぎないと見る者もいた。彼がかつて大統領を務めた1969~73年は、石油からの 収入が豊富な時代であった。