No.292 日米政治ガイドラインはさらなる日本の対米従属化をもたらす

今回は、4月30日付けの『デイリーヨミウリ』紙に掲載された米国平和研究所のスコット・スナイダー氏の記事に私のコメントを付けてお送りします。スナイダー氏は日本と米国には防衛ガイドラインだけではなく、政治ガイドラインも必要だと主張していますが、私はそれが日本にさらなる対米従属をもたらすと考えます。米国の識者や政治家が日米関係をどのように捉えているかが、この記事からよく読み取れると思います。

日米「政治ガイドライン」が必要

『デイリーヨミウリ』紙、1999年4月30日
スコット・スナイダー

小渕首相は公式訪問でワシントンを訪れた際、新しく採択された日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法の成立を日本政府が承認すると、クリントン大統領は安心するだろう。
このガイドラインが立案された元々の理由は、駐日米軍が地域紛争に巻き込まれたとしても、平和憲法があるために日本は手をこまねいて見ているだけという事態になるのではないかという懸念を取り除くことにあった。しかし、地域的な緊張の高まりに対して両国の世論が過剰反応し、悪影響が生じることを避けるためにも、クリントンと小渕は二国間緊急協調を強化する「政治ガイドライン」も採用する必要がある。

耕助:  ここでスナイダーは、ガイドラインの目的が地域紛争における日本の米軍支援を保証することであると言明している。ここでいう地域とは、日本ではない。さもなければ「日本国内の」とか、日本に限定された紛争を示す言葉を用いたはずである。日本国憲法は、「日本国民は、国際紛争を解決する手段としては、武力による威嚇または武力行使を永久に放棄する」としている。つまり、スナイダーは、ガイドラインは憲法違反を狙って作られたといっているに等しい。日本では殺人や強盗の補助は殺人犯や強盗犯同様に法律違反であり、国際紛争における武力による威嚇または武力行使を助けることが憲法違反にあたるのは間違いない。また、ガイドラインには双務的なものは一切含まれておらず、自民党政権が米国の命令をいわれるがままに受け入れたに過ぎない。したがってガイドラインには、米国に対する日本のコミットメントだけが記され、米国から日本へのコミットメントはまったく含まれていない。そしてスナイダーはさらに、緊急事態における日本に対する米国の一方的支配を強化するための「政治ガイドライン」が必要だといっている。これは、米国が日本の外交政策を支配統制することを日本国民が拒否するようなことになった際に、米国の政治目的が損なわれるのを避けることを狙っている。

新たな日米防衛ガイドラインが採択されたのは、1994年の北朝鮮核兵器危機の最中であり、朝鮮半島で武力紛争が起きた際に米軍に必要な支援を日本が提供できない可能性が認識された結果である。ガイドライン関連法が国会で可決、成立すれば、米国が地域紛争に武力で対応した際に、日本が必要な支援を提供する上での法的根拠が提供される。さらに新ガイドラインは、アジアにおける冷戦後の安全保障環境の必要性に合わせて、日米安全保障関係を修正する試みでもある。

耕助:  ここでのスナイダーの発言には、いくつかの誤りがある。

まず第一に、1994年に北朝鮮の核兵器危機などなかった。米国が北朝鮮は核兵器を開発したり、保有したりしてはならないと恣意的に要求しただけである。米国は、相手が弱小国であれば、どの国が核兵器を保有してよく、どの国が保有してはいけないかを指図する権限を持つと考えている。ロシアや中国などの大国には、そうした命令を行う権限や意思がないかのように振る舞っている。したがって米国は、イギリス、フランス、イスラエルには核兵器の開発や保有を許し、日本や韓国には米国の核兵器の持ち込みを許可しているが、インドやパキスタン、北朝鮮には、開発も保有も許さないと主張している。

第二に、スナイダーの上記の文章を正確に記述すると、「新ガイドラインは朝鮮半島有事の際に、米国の望む米軍支援を日本が提供しないかもしれないと気づいたのがきっかけで、米国が一方的に作成し、日本に採用を押し付けたものである」となる。

第三に、ガイドライン関連法が国会で可決されることにより、それが地域紛争への武力対応に対し日本が米国に求められるままに支援を提供する際の法的根拠となるのであれば、「法的」という言葉の日本の定義は道理に合わなくなる。大半の国は憲法を国の最高法規とし、憲法に反する法律は違憲だとして、受け入れられない。日本国憲法が国際紛争を解決するための手段として、武力による威嚇または武力行使を永久に放棄するとし、また日本の法律が、共犯でも主犯でも犯罪者に変わりはないとするのであれば、国際紛争での米軍による武力での威嚇や、武力行使を日本が支援するガイドライン関連法が合憲となることはありえない。

第四に、最後の記述は正確にいうと、「新ガイドラインは、アジアの冷戦後の安全保障環境における米国の必要性に合わせて、日米安保を修正するための、米国の勝手な試みである」となるであろう。

地域の緊張の高まりへの武力対応に、米国よりも日本の方が熱心であったらどうすればよいのか。事実、昨年8月、北朝鮮が日本上空を越え日本海へ向けて2段ロケット式の弾道ミサイルを発射させた時、まさにそうした状況になった。この事件は日本国民に衝撃を与え、戦争放棄を詠った憲法があるにもかかわらず、閣僚の中には自衛のための先制攻撃を支持する声明を行った者さえいた。日米両国は技術情報を交換し、北朝鮮の実験が重大な意味を持つとする点で意見の一致を見たが、米国政府はこの実験が「人工衛星打ち上げの失敗」であると宣言し、一方の日本の防衛庁は「ミサイル発射」であったとしたことで、それぞれ国内の政治的利害が異なることが浮き彫りになった。

耕助:  米国が脅威と感じないものに日本が脅威を感じたら、または米国の国益にとって脅威ではないと米国が見なしたものを、日本が日本への脅威だとして対抗する必要性を認めたら、どうなるというのだろう。上記においてスナイダーは、米国が脅威と見なさないものを日本が脅威と感じ、それに対抗することを日本に禁じるために「政治ガイドライン」を提唱しているのだろうか。脅威に対する日米の見解が異なった場合、日本は米国に依存せずに、独自にその脅威に対抗してはならないのであろうか。

日本政府は北朝鮮に対する制裁を発表し、その中には朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)プロジェクトからの撤退も含まれていた。KEDOは米国、日本、韓国、欧州連合(EU)主導の多国間プロジェクトであり、北朝鮮に核兵器を作らせない手段として、軽水炉を北朝鮮に提供することを狙っている。しかし、日本は米国と韓国からの圧力に屈し、6週間後に同プロジェクトへの資金援助の凍結を解除した。この種の同盟国間の足並みの乱れは、安全保障関係を損なうものである。なぜならば、外交面における日本の独立の限界を図らずも露呈させることになり、日本の経済政策の失敗に対する最近の米国からの批判を考え合わせると特に、米国が同盟相手を軽んじていることを示唆するからである。

耕助:  KEDOは米国の発案で始まり、米国が独断で支配するプロジェクトでありながら、その資金は日本、韓国、EUが負担している。またここで述べられていることは、独立国であるはずの日本に対して、スナイダーのような米国人がいかに屈辱的な見方をしているかを端的に表している。スナイダーは、「日本が自主的な行動をとれば、米国が圧力をかけてその行動をやめさせるであろうし、またそれが日本の独立心のなさを露呈することになる」と述べているのである。

北朝鮮のミサイル発射の長期的な影響は今も続いている。中国は戦域ミサイル防衛(TMD)の日米共同開発のために、日本が1億ドルを2000年度予算に組み込むことに反対した。しかし、日本は、独自の偵察衛星向けに2002年度までにその10倍以上の予算額を割り当てている。1999年3月、自衛隊は戦後初めて、実物の敵と交戦し、日本の領海内に北朝鮮のスパイ工作船と思われる不審船の近くに警告射撃を行った。

耕助:  中国が米国主導の日米共同TMD開発に日本が2000年度予算で約1億ドルの資金を拠出することに反対する一方で、日本独自の偵察衛星に10倍以上の予算を割くことには反対しない理由は、日本の資金で米国が管理統制する軍事システムが中国国境付近に構築されることを恐れているからである。日本が米国に支配され、米国を模倣し、従属することを恐れているのだ。しかし、独立した日本を中国は恐れてはいない。結局のところ、日本が明治維新後、欧米の帝国主義国を模倣し始めるまでは、日本は中国や韓国と何千年もの間平和的関係を保ってきたからである。

これらの出来事は、潜在的な脅威に対抗しなければならない日本の、より現実的な安全保障体制に向けた小さな一歩でしかないものの、韓国と中国両政府は日本国内の政治的な動きを注意深く観察している。

耕助:  韓国と中国が日本国内の政治的動きを注意深く観察すればするほど、日本が米国の奴隷として、道化役として、さらに植民地、衛星国として振る舞っていることがわかるだろう。日本を見れば見るほど、アジアの独立した隣国としての面影は薄れていくであろう。

新たな挑戦に対する日本の外交、安全保障上の対応を実現し、同時に日本の過剰反応に関する地域の懸念を抑えるために最も効果的な方法は何か。それは日米両国の政策アプローチをより緊密に結び付けることである。確かにこの路線ですでに多大なる努力が図られ、日米安全保障協議委員会(2プラス2)と呼ばれる閣僚級の協議などが日米間で行われている。しかし、こうした協議は、特に北朝鮮に対する協調政策には完全には結び付いていない。

耕助:  スナイダーの意図するところをいい換えるとこうなる。「日本が独自外交を行ったり、安全保障を独自に維持する可能性について、米国の懸念を抑える最も効果的な方法は、安全保障同様、外交においても日本をしっかり米国に従属させるよう、日本をだまし、威圧することである」

継続的協調努力を構築、強化するためにクリントンと小渕は、共同同盟政策を通じて、次のような政治秩序を体系化すべきである。「日米両国は、事前に合意した多国間外交努力に関する政策立場を、緊密な協調が共通の立場の維持に必要な韓国などの問題に関しては特に、政治指導者の事前の了解なしに一方的に変更してはならない」。このような方針の共同声明は、無謀な一方的行動を防ぐ冷却機構を提供することで、即時的対応を求める途方もない国民の要求から、日米共通の戦略的目的を隔離する効果を持つ。

耕助:  この同盟政策によって束縛されるのは、日本だけである。なぜならば、米国は他の国にはコミットメントを完全に遵守するよう求める一方で、自国は面倒なコミットメントから逃れる都合の良い言い訳を見つけるからである。したがって、スナイダーの主張を現実に即して解釈すれば、「多国間外交努力の名目で、米国が日本に一方的に押し付けた政策立場を、米国の政治指導者からの事前許可なしに、一方的に変更することはできない。米国の目的を達成するために日本の協力が必要な韓国の問題についてはそれが特にあてはまる」ということになるだろう。

新ガイドラインは、日本が緊急事態に活動不能になるのを避けるために必要だが、差し迫った突然の脅威を知覚したときの日本国民の過剰反応に対応するには、それだけでは不十分である。より緊密な外交上の協調、あるいは同盟関係に対する政治ガイドラインがあれば、日本が安全保障に対する意識を高める間、国民からの独断的な圧力にうまく対処できるであろう。

耕助:  この最後の段落は以下のようにいい換えることができるだろう。「新ガイドラインは、米国が重要と考える状況下で、日本が米国の軍事命令に従順に従わない可能性がある場合に備えて必要だといえる。しかしそれだけでは、米国が予測できない差し迫った突然の脅威が認められた場合に、米国と異なる独自の行動を日本にとらせないようにするためには不十分である。日本を外交上より強固に米国に従属させる、主従関係の「政治ガイドライン」があれば、日本政府が国民の意志ではなく米国の意志に従うよう、さらに日本国民の国益ではなく米国の国益のために行動し続けるよう、確実に導くことができるであろう」

※ スナイダーは米国平和研究所(US Institute of Peace)の特別会員である。現在の研究テーマは、“米国、日本、韓国の間の効果的な多国間協調の展望、および東アジアの安全保障に対する影響”である。

[著者の許可を得て翻訳転載]