日本政策研究所所長のチャルマーズ・ジョンソンによる以下の記事を読み、米国が北朝鮮や中国からの脅威を意図的に煽っているのは、日米防衛ガイドラインを単なる言葉だけではなく実質的なものにするためではないか、つまり戦争を起こして日本をそれに巻き込もうとしているためではないかと思わずにはいられなくなりました。これはNATOに対する米国の影響力を高めるために、ユーゴに空爆を行ったのとまったく同じ理由によるものです。是非お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
信頼性を失った東アジア安全保障問題に対する米国諜報部
チャルマーズ・ジョンソン
JPRI評論 1999年6月
米連邦議会の優秀な職員の1人が最近私にこう語った。「クリントン大統領の弾劾裁判は来年の大統領選挙まで長引いた方がよかった。なぜなら弾劾裁判が終わるやいなや、クリントン政権は恐らく本当にやりたいことにとりかかるだろうし、それは主として戦争を伴うからだ」。まさにその言葉通り、クリントン大統領が無罪放免になってからわずか数週間後、米国はバルカン戦争という泥沼にはまり込んだ。しかし、これは一部の政府高官たちが目論んでいる、北朝鮮や中国との戦争よりは、まだましかもしれない。
彼らの企みは、中国あるいは北朝鮮が米国の安全保障にとって新たな脅威となることを示唆する生の諜報データを漏洩することである。そのために政府高官は、やり手の諜報員や国防総省高官をそそのかして不正行為を行わせ、さらには協力的なメディアを操作させるであろう。そして漏洩者自身は諜報データが機密情報であるため公開できないと主張し、情報源を決して明かさないことにより自分の立場を守るのである。
例えば、1999年2月11日、『ロサンゼルスタイムズ』紙は、国防総省からの情報として無記名で次のような内容を掲載している。「中国政府は台湾海峡側に、弾道ミサイルを120基以上(200基に達している可能性もある)を配備した。アナリストによれば、中国の南沿海部に集中するミサイルの数は少なくとも倍増しており、このミサイル配備は、台湾のTMD(戦域ミサイル防衛)への参加を求める米国内の要求を強めることになるだろう」。翌日、同紙には、海軍大佐、マイケル・ダブルディの名で、「中国はここ5~6年、台湾を狙ったミサイルの数を増やしてはいないし、1990年代初頭の軍備増強以来ミサイルはまったく増加していない」とする、前日の記事とは矛盾する発言が掲載された。
悪者にされる北朝鮮
こうした人騒がせな情報は朝鮮半島の軍事情勢に関してはよくあることである。例えば1997年9月、米国、韓国、中国、北朝鮮は、45年前に締結された朝鮮戦争の休戦協定を和平条約に変更する四者協議を行う予定になっていた。同月、米国側は北朝鮮に対し、1987年に交渉された国際条約、「ミサイル技術管理レジーム(輸出規制制度)」に加盟してもらいたいと主張した。この条約は、ICBM(大陸間弾道弾)に転用可能な技術の移転を規制することを狙ったものである。米国は事前に、北朝鮮がミサイルの配備および輸出を中止すれば、経済制裁を一部解除すると示唆した。
しかし、交渉直前の1997年8月22日、駐エジプト北朝鮮大使が米国に亡命した。彼は北朝鮮による中東へのミサイル売却において主要な役割を果たしていた人物である。『ワシントン・ポスト』で、R・ジェフリー・スミスは、CIAの情報を引用して、「米情報当局は、この人物に会うことに大きな期待を抱いている」と述べた(1997年8月27日付)。
しかし、1997年9月8日号の『ニューズウィーク』誌は、この元大使はかねてからCIAに雇われていたと記している。また、今回の事件は亡命というよりも、むしろCIAが大使がスパイであったことを暴露したに過ぎないと情報筋は結んでいる。その報復として北朝鮮は予定されていた会談への出席を拒否した。1997年9月2日、今回のいわゆる亡命は、交渉を決裂させるためのCIAの陰謀だったのではないかという質問に対し、国務省報道官はコメントを拒否している。
1年後、米国が北朝鮮との国交正常化を失敗させたことに対して、北朝鮮が不満を募らせていると報道される中で、1998年8月17日付け『ニューヨークタイムズ』紙の一面に、デイビッド・E・サンジャーによる「北朝鮮が核兵器工場建設とCIAが発表」と題した記事が掲載された。「米情報当局から説明を受けた政府関係者の話として、凍結されていた同国の新たな核兵器開発計画の中心と見られる巨大な地下施設が建設されている」と報じた。
これについて報じた新聞は他にはなかった。記事が掲載されてから2日後、国防総省は実際、核兵器工場は地中の大きな穴の中にあるようだと発表した。朝鮮戦争時の米国の破壊的爆撃の後にできた数千の穴の中に、工場がいくつか作られている。しかし、北朝鮮が核兵器計画を凍結させる合意に従わないとした証拠はないと、国防省は続けた。
1992~1994年まで国防総省の北朝鮮部局の局長を務めた後、韓国のアジア財団の代表になった C・ケネス・キノネスは、恐らく米国人で最も頻繁に訪朝している人物である。その彼が次のように記している。「この話は北朝鮮ではなく、米国を中心に出てきたものである。これは米国情報当局に関連するものであって北朝鮮の核計画とは関係ない。最近の根拠のない情報の漏洩は、米国情報当局の悲観主義者が行った無責任な行動によるものと見られる。米国政府はその報道の正確さを正式に否定している(1998年10月5日、Northeast Asia Peace and Security Network、)」。しかし、オルブライト国務長官は、核施設疑惑は大きな脅威であると主張し続け、米国が望む場所、時間に査察を行う権利を要求し続けた。
戦域ミサイル防衛への日本の参加
核兵器工場疑惑に関する記事が掲載されてから2週間後、米国防総省および日本の防衛庁は自分達が欲する目的のために利用できる情報を手にした。1998年8月31日、北朝鮮が2段ロケット式(後に3段ロケット式に訂正された)ミサイルを日本上空を越えて日本海沖に発射したと米国は発表した。日本人は少なくとも象徴的な衝撃を受けた。危険な軍事的挑発であるとして北朝鮮を非難し、すべての接触を絶つと同時に、北朝鮮の状況を探るために偵察衛星を打上げると発表した。
9月12日、前言撤回が始まった。北朝鮮は、建国50周年の祝賀として人工衛星を打上げるために3段式ロケットを利用したことが明らかになった。1970年に中国が初めての人工衛星を打上げて大気圏外で「東方紅」を伝送したように、北朝鮮の海外向け国営ラジオ放送によると、衛星から不滅の革命の歌といわれる、「金日成将軍の歌」や「金日正将軍の歌」が地球に伝送されたという。さらに北朝鮮外務省は、「北朝鮮が日米の人工衛星の打上げを非難したことはない。そうした衛星が北朝鮮の偵察に利用されていることを我々はよく知っている」ときっぱりと述べた。日本は宇宙開発事業団(NSDA)が1969年に設立されて以来、少なくとも24の衛星を打上げ、北朝鮮の動きを探ることを狙った偵察衛星向けにさらに予算を計上している。
しかし、米国は北朝鮮のミサイル能力の脅威について繰り返し言及し、また、これみよがしに、B-52、B-2爆撃機をグアムに飛ばした。そしてこの騒動によって1998年9月20日、国防省と兵器産業は最も望んでいたこと、米国のスターウォーズ戦略防衛構想への日本の資金的、技術的援助をとりつけることに成功したのである。
中国の核スパイ疑惑
現在、中国の核スパイ疑惑に関する新たなキャンペーンが繰り広げられている。米国立ロスアラモス核兵器研究所の中国系アメリカ人のコンピュータ科学者を中国のスパイであると告発することで、中国に対する米国人の恐怖心を煽るのが狙いである。ウェンホー・リーは中国本土ではなく台湾生まれで、米国で教育を受け、米国の市民権を獲得している。この告発の裏付けとなった証拠は、1998年6月、レーガン政権時代に、この科学者が他の200人の科学者とともに、ロスアラモス研究所の許可および人物証明を得て、北京で開催された国際コンピュータ物理会議に参加したことだけである。1999年3月15日号の『ニューズウィーク』誌によれば、講演後の質疑応答の時間に、話好きかつ社交的なリーは不注意にせよ、意図的にせよ、核弾頭に関する技術情報を公開したとFBI(連邦捜査局)は信じている。さらに、「北京は国家上げての技術収集努力の一環として、米国に住む何千人もの中国人学生、科学者、企業家達を標的にしている」とFBIは続けて主張した。これらの非難から、第二次世界大戦中の反日プロパガンダを彷彿とさせる偏執的メディアによるキャンペーンが始まった。しかし、中国人が盗んだとされる技術を核兵器に応用した証拠はまったくない。1964年に、私は『ニューヨークタイムズ』紙のサンデーマガジン(1964年10月24日号)に「中国のマンハッタン計画、毛沢東はいかにして核爆弾を愛するようになり、またその製造方法を学んだか」という記事を寄稿した。その中で、私は中国最初の核兵器の実験は、恐らく、K・C・ワン主導で進められたと記した。その後ワンがカリフォルニア州立大学バークレー校で学んだことを知り、同校の放射能研究所の物理学者エミリオ・セグレに電話して、ワンという学生を覚えているか、ワンが原爆を製造できると思うかと尋ねた。するとセグレは誇らしげに、「もちろん。私が彼に教えたのだから」と答えた。
ウェンホ・リーを反逆者に仕立て上げることは、1世紀前にフランスで起きたドレフュス事件と気味の悪いほど似ている。これは、第二次世界大戦前のヨーロッパで起きた最も深刻な反ユダヤ主義を象徴する事件である。1894年、大尉ドレフュスはドイツへ機密を漏洩したとフランスの陸軍将校から嘘の嫌疑をかけられ、悪魔島で終身禁固にされた。その後、ドレフュスがユダヤ系であったために、真犯人であるエステルアジ陸軍将校の身代わりにされたことが陸軍諜報局によって明らかにされた。1898年、ユダヤ系であることだけを理由に簡単に忠臣の軍人を有罪にしたことに関して、フランス政府、政治・宗教団体を糾弾するために、ゾラが『余は弾劾す』を書いた。ゾラの糾弾は大きなスキャンダルにつながり、最終的にドレフュスは無罪になり、1906年、フランスは政教分離によって教会と国家を切り離した。
1898年のドレフュス事件と、現在のリーに対する核スパイ疑惑ほど酷似するものはない。兵器研究所で働く中国系科学者はフランス参謀本部のユダヤ系大尉ドレフュスに相当する。しかし、米国政府がリーに対して告訴も逮捕もしていないことに注目すべきである。FBIは弁護士の立ち会いなしにリーを2日間事情聴取したが、これはモニカ・ルインスキーと大統領との会話を隠れて録音するために、彼女に接触したのと同じ手口である。リーを犯人とする証拠がないまま、エネルギー長官、ビル・リチャードソン(彼自身、メキシコからの移民である)はリーを解雇した。CBSのイブニング・ニュースはロスアラモスにあるリーの家を見張り、その映像を放映し、ありとあらゆる過激な攻撃の標的にした。1999年4月10日、FBIは6時間にわたりリーの家を捜査、コンピュータと書籍を持ち帰ったが、告訴も行っていなければ、容疑が晴らされたとの発表もしていない。
リーが実際に告訴されない限り、彼に対する容疑は、中国を危険な敵に仕立て上げたいと考える米国政府内の政治的要因によるものとしか考えられない。その要因の中には、米国の諜報部が含まれる。米諜報部の報告がもはや中国および北朝鮮に対して中立的な立場でないことは、1980年代のロシアに関する報告が米国の軍産教複合体の利権を満たすために誇張されていたのと同様である。中国人が1999年5月7日のベオグラードの中国大使館誤爆に対して激怒し、それが本当に「事故」であったのかと訝しがるのは当然である。米諜報部および国防総省には独自の政策課題があったのだから、コーエン国防長官の言による「地図が古かった」とする米空軍の報告よりは、中国大使館が故意に爆撃されたと考える方が信憑性が高い。
※ チャルマーズ・ジョンソン氏は日本政策研究所の所長である。
[著者の許可を得て翻訳転載]