No.295 米国の巨富の歴史(2)

 今回も、グスタバス・マイヤーズが書いた『History of Great American Fortunes』から、私が抜粋し編集したものをお送りします。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

米国の巨富の歴史(2)

グスタバス・マイヤーズ

 独立革命まで、土地が富裕者の富の主な供給源であり続けた。しかし、広大な土地資産の形成に阻まれて小規模な貿易業者や商人の発達が遅れた。多くの障害のために、長い間狭小な勢力範囲しか確立できなかったのである。儲けの多い資源は特許会社に独占され、厳しい法律によって特許会社との競合活動も禁じられていた。商人は、特許会社が売った物を再販することはできたが、自ら生産活動に従事することは許されなかった。

 領主は有力な生産者であり商人であった。居住者は、領主が生産したもの以外は売らないとする誓約書に強制的に署名させられた。さらに、領主の店以外とは取引きをしない、すなわち領主の製粉所で粉をひき、領主のパン屋でパンを、領主の製材所で材木を、領主の醸造所で酒を買うことを誓約させられた。こうして、領主は製品に法外な値段を付けることで、住民から最後の一滴まで搾り取るだけでなく、彼らを永遠に借金漬けにすることができた。下層の商人は領土内における領主の商業上の独占に対抗することはできなかったし、あえて対抗しようともしなかった。

 中には共に金を集めようという狡猾な、また怪しげな手段に出た商人もいた。最も無謀な高利貸しの行為は、他者から財産を奪うために初期によく行われた手法である。その他者というのは、決まって職人や労働者であった。あえて貴族を標的にしようとした商人はおらず、貴族の力を恐れていた。酒を売ったり、世慣れていないインディアンを騙して貴重な毛皮を奪ったりして作った金を超高金利で融資した。その融資が返済されなければ、貸し手は無慈悲にもその不運な人々の財産を狙い、奪っていった。

 植民地のいたるところで、商人は狡猾かつ背信的手法でインディアンを騙すのが習慣となった。特許会社の代理人や地主が最初に始めた方法は、インディアンを酒で酔わせ、インディアンが集めた毛皮を、ラム酒2本、あるいは毛布、斧などと引き換えに、ただ同然で手に入れる方法だった。商人がさらに様々な方法を編み出し、この手法を改善していった。異教徒や教会へ行かない者を罰する厳格な法規も、インディアンの土地や毛皮の組織的搾取に対しては沈黙状態であった。

 一般の賃金労働者は、金持ちのやり方に対して懐疑と敵意を持って見ており、偏った法律や詐欺によって富の一極集中が起こっていることを漠然と感じていた。当時の有名な海賊の中には、この状況を盾にとり、商業上の略奪を正当化する者もいた。「金持ちが我々を貶めるのと、悪党が行っていることとの間に違いは1つしかない。金持ちは法の傘の下で貧者を略奪するが、我々は自分の勇気の下で金持ちを略奪している」
 
 独立革命時代には、富の多くは船主のものとなり、特にニューイングランドに集中した。船主の中には商品だけ扱った者もいれば、魚、タバコ、トウモロコシ、米、材木を輸出し、帰りには南部市場向けに、黒人奴隷を積んで帰る方法で巨額の金を稼ぐ者もいた。大陸会議(独立前後フィラデルフィアで開かれた諸植民地代表の2つの会議)や様々な憲法制定会議の参加者の大部分、さらには連邦・州政府の高官の多くは、船を持つ商人か裕福な船商人から富を相続した者たちであった。

 目も眩むほどの富が簡単に手に入るという期待が、資本家に最も危険な冒険をあえて犯させた。朽ちた船に簡単な応急処置をして航海に出し、運と腕が良ければ航海に成功して富がもたらされるという、この金への執念が、船乗りの命を次々に犠牲にしたが、それはまったく無視された。

 こうした億万長者が創造したものは、世界中の何百万人もの労働者の技能と苦労によって作られた生産物を分配するための企業組織だけだった。その生産物を作ったのは労働者であるにもかかわらず、彼らの分け前は基本的な生活需要をやっと満たすに過ぎないわずかな賃金だけであった。さらにある国の労働者は、他の国の労働者が作った製品に対して、途方もない価格を支払わされた。莫大な利益を搾取したのは、各国の労働者の仲介人となった船主だった。

 貿易制度全体が、優れた管理能力と狡猾さの両方を兼ね備えたものを基盤とした。つまり、創造力ではなく、他者が創造した成果物の獲得能力、分配能力によった。海運業の富のすべてではないにしても、その多くは詐欺的な偽造品によって生み出された利益であった。海運業者も商人も、世慣れていない人々を相手に最大級の詐欺を働いた。フランスやイギリスの絹の見本や、ソース、香辛料、ジャム、砂糖菓子、シロップなど、両国の最も有名な製品を中国に送り、中国でその偽造品を作り、パリとロンドンの商品ラベルまでそこで複製した。そうした偽造品が貨物船で米国に送られ、高額で売られた。これが当時、流行した貿易制度である。最悪の詐欺行為が継続されたが、商人の規範がすべてを支配していたため、そうした詐欺行為も合法的な商業活動と見なされた。それによって利益を得ている張本人は教会の中心的人物であったり、それどころか自ら様々な委員会を組織して貧困者や軽犯罪者に対する厳しい法律を要求していた人々であった。その結果、富の集中化の一方で、大量の人々がひどい貧困に直面し、不正と苦悩が伴う生活を余儀なくされた。

 米国の独立革命は、商業の絶対的自由を確保する唯一の手段として、不満を持つ商人階級によってもたらされた。それにもかかわらず、独立革命は人類の自由を求める利他主義的な運動であったという描写がなされることが多いが、この革命は、本質的に商人階級と一部の地主階級によって始まった経済闘争であった。

 大義のために戦った極貧の兵士たちは、戦後、政府が成年男子に選挙権を与えず、金持ちの手に権力が残っていることを知った。トーマス・ジェファーソンやトーマス・ペインなどの過激派がいなければ、下層階級への譲歩がなされたかどうかは疑わしい。成年男子の選挙権獲得のための長い闘争がよく証明しているように、有産階級の意図は政府の選挙権を自分達とその支援者の手に集中させることにあった。

 独立革命の成功とともに、商人階級は第一の階級である地主階級と統合された。限嗣相続および長子相続は廃止され、広大な荘園は次第に消えていった。旧い地主階級の貴族的でゆったりとした環境は、熱狂的な商業および産業活動にとって代わられ、社会には新しい規範や原則、理想が打ち立てられ、それらが最も重要な要因になった。

 独立宣言の高尚な気運とは裏腹に、独立の大義が達成されるとその気運は有産階級によってかき消され、法律の重力は完全に有産階級に傾いた。無産階級はどこにも居場所がないと同時に、まったく認知もされなかった。平民は戦時中は銃を担いでもらうために役に立ったが、戦後彼らに権利を与えるという考え方はばかげていると思われた。政府が労働者の感情や権利を考慮することはまったくなかった。

 独立革命が労働者の状況を即座に改善することはなかった。わずかばかりの改善が見られたのは、長年にわたる扇動活動の結果である。独立革命が終わるやいなや見られたのは、有産階級による利権の要求と、政府機能の掌握だった。彼らは聡明で、イギリスの商人階級の戦術から学び、政府が上流階級のためにいかに価値を持つかを理解していた。法律の途方もない影響力、また直接的、間接的にそれが社会組織にいかに大きな変質をもたらすかを知っていた。

 労働者は組織化されておらず、自分たちが要求している権利の本質に気づかず、また自分達自身まったく理解できないスローガンや掛け声で惑わされていたが、有産階級は自分達の利権が侵されるのではないかと警戒し、政治権力、財政力でそれを守ろうとした。こうして地主や商人達の希望を汲み取り、下層階級から直接的な力を奪うことを狙って、アメリカ合衆国憲法が制定された。州法のほとんどに、厳格な財産資格が明記され、財産のない者から効果的に公民権を剥奪できるよう法律が組織された。

 理論上、支配的だったのは宗教的規範である。しかし実際には有産階級の倫理観や手法は全能であった。「自分の運命に満足せよ」という、牧師が貧しい者に与える説諭でさえ、商人階級の狙いと完全に一致していた。商人が金を儲けるためには必ず大量の労働者が必要であり、彼らの働きがあって初めて金を得ることができるからである。牧師は貧困者に対して、目上の者を崇敬し、天国での報いを期待するよう助言しておきながら、強大な力を持つ商人に対しては、神の仕事を行うよう神が選んだ人々であるとして賛美した。

 法律が有産階級の利権を優遇したため、有産階級は政府機能を直接掌握するとともに、一個人としてその機能を行使することも簡単にできた。議会以下、立法組織には、商人、地主、プランテーションの園主、弁護士であふれ、弁護士はたいてい、仲間として、また自己の利益から、有産階級と見方を共有し、有産階級と共に彼らの主張に賛成の票を投じるよう仕込まれた。こうしてできあがった政治と商業にかかわる権力を持つ特権階級は、常に自分達の利益を最大限重視した。労働者は労働の尊さを称賛され、大袈裟な理念や約束によって満足させられたが、法律を牛耳っていたのは支配階級であった。

 こうした不公平な法律によって、有産階級は初期の段階から極めて貴重な特権を手に入れ始めた。銀行業務の権利、運河建設、貿易特権、政府の優遇、公民権と、次々に手中に収めていったのである。

 資産家の意向を満たすよう法律が施行され、法律が捻じ曲げられたのと同時に、貧困者を恐ろしいほど抑圧する法律が長い間、適用された。いくら小額の借金でも、それを理由に貧困者を無期懲役にすることが可能となった。法律上、労働者に権利などほとんど与えられていなかった。労働者は自分の労働の成果物に対して、先取権利を有していなかったため、彼らの少ない賃金を騙し取ることは簡単だった。労働者は労働力を売るしかなかったにもかかわらず、その価値は法律によって守られてはいなかった。一方、労働者の労働の成果物であるはずの有産階級の財産は、厳格な法律によって守られていた。労働者が借金をすることは犯罪同様、いや事実はそれ以上だった。泥棒は判決により刑罰が決まり、その刑罰が済めば後は自由だが、借金の場合は債権者の恣意によって、苦しい刑期の長さが決まった。刑期がはっきりしている点で、借金を持つ債務者よりも、窃盗犯や殺人犯の刑務所での生活の方が気楽であっただろう。

 財産のない人間は、盗みを働いた瞬間に犯罪者と見なされるが、権力のある資産家が盗みを働いても、政府は犯罪の意図があるとは決して認めなかった。たとえ起訴されたとしても刑務所に送られることは決してなかった。すべてが金次第だったのである。

 理論上、すべての人間が平等とされる衡平法裁判所での民事裁判でさえも、裁判には途方もない金がかかり、正義は不公平な娯楽と化し、金持ちは貧乏人を裁判で簡単に無一文にすることができた。

 しかし、これはすばらしい魔術師のわざに関する学位論文を提供する場ではないが、正義を高価な贅沢品に変え、その一方で法律は差別をしないという概念を下層階級に思い込ませるとはまさに芸術である。ここでもっとも問題なのは、すでに裕福な人間をさらに富ませ、貧しい人々をさらに貧しくするために政府の力が使われているという点である。