今回のOWでは、今年2月、高知県の外国艦船の非核港湾条例案に対して、政府や自民党がいかに反発し、廃案に追い込んだか。また、36年前の1963年に、核搭載艦寄港・通過は核の持ち込みに当たらないという日米合意が交わされていた事実について取り上げます。
この2つの事実を見ると、国民に対しては、非核三原則に基づく国の政策として核兵器の持ち込みは許さないとする一方、米側に対しては「持ち込む」を核兵器の陸上への配備・貯蔵を意味する「イントロデュース」と狭義に解釈し、寄港や通過は事前協議に含まれないと合意しており、日本政府がいかに二重基準を適用しているかがわかります。このことからも私は、日本政府が主権在民としながら、その国民をいかに馬鹿にし嘘偽りによって騙し続けているかを痛感しています。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
日本政府の虚構
世界で最初の被爆国の国民である日本人は、核兵器に対して強い嫌悪感を持っている。それに対して日本政府は長い間、日本には非核三原則があり、それを常に遵守しているかのように装ってきた。高知県の非核港湾条例案に対する政府の反応からもそれは明らかである。以下に、高知県の非核港湾条例化の動きと、その廃案に至るまでに出された政府や自民党からの反対意見を取り上げる。
高知県の橋本大二郎知事が1997年の2月議会で「非核神戸方式」の条例化を表明して以来、高知県では、入港する外国艦船に非核証明書の提出を義務づける「非核神戸方式」を県内の全港湾に適用するとし、県港湾施設管理条例の改正を検討してきた。(外国艦船の入港を認めるかどうかは国の判断であるが、戦前、国が直轄管理した全国の港が軍事優先で使用されたことへの反省もあって、港湾法は施設内の規制を自治体に任せている。)
そして、1999年2月23日に、非核三原則の理念を盛り込んだ県港湾施設管理条例の一部改正案を定例県議会に提出した。しかし、提出された改正案は、艦艇に直接、証明書の提出を求める当初案とは異なり、政府の強い反発などを考慮して、かなりトーンダウンした形になった。議会に提出された改正案では、「国の基本政策である非核三原則を踏まえ、平和で県民に親しまれるように努める」という表現にとどめ、条例とは別に設ける内部規定の「外国艦船の港湾施設使用に関する事務処理要綱」で、「知事は外務省に外国艦船が核兵器を積載していないことを証明する文書の提出を要請する」、「その結果に基づき、知事は港湾施設の使用を決定する」という2点を盛り込んだ。
県議会への改正案提出にいたるまで、またその直後に、高知県の動きに対し政府や自民党から反対意見が多数表明された。
◇ 2月12日、自民党の池田行彦政調会長は、高知県の橋本大二郎知事が県内の港湾に入港する外国艦船に非核証明書の提出を求めるための条例改正を2月議会で目指していることについて「地方公共団体の権能を逸脱する」として、条例を改正しないよう求める書面を自民党高知県連の中谷元会長に手渡した。
◇ 2月15日、高知県議会最大会派の自民党員は、「軍艦の帰港時に非核証明書の提出を義務づけることは、国の外交権に対する明白な侵害だ」と述べた。
◇ 2月16日、野中広務官房長官は「日米安保体制にも支障をきたしかねない」と述べ、また2月23日午前中の記者会見でも「地方自治体は、国家の外交、防衛は国の責任事務であることを明確に認識したうえで地方分権を考えるべきだ」と批判した。
◇ 2月23日の国会で、小渕首相は、「国が認めた外国軍艦の寄港が、非核証明書の有無で妨げられてはならない」と述べた。
◇ 2月24日の記者会見で、藤田雄山・広島県知事は、高知県が目指している外国軍艦の核兵器を搭載していないことを外務省に証明するよう求める「非核港湾」条例について、「国が非核三原則を堅持するといっているのに、証明書を出せというのはナンセンス」と、否定的な考えを示した。藤田知事は会見で「国が非核三原則を堅持しているのだから、艦船は核を搭載していないと考えるのが妥当ではないか」とした。また、外国船籍に直接、非核証明を求める神戸方式についても「阪神大震災時にカナダの空母の接岸を拒んだ。(空母は)町がひとつ来たようなもので、多くの人が医療を受けられ、食事もできたはず。あまりこだわるのもおかしな話」と批判した。
これだけ多くの反発を受けた橋本知事は、3月8日、「非核港湾」条例案の要綱案の中から、「知事が港湾使用を決定する」という項目を削除して「情報を県民へ公表する」などと変更、事実上知事の決定権を放棄することを表明した。反発した自民党や政府へ、歩み寄りの姿勢を見せたものと見られる。しかし、その後も内外からの反発は収まらなかった。高知県議会最大会派の自民党員は、「非核港湾条例が憲法に違反する」と結論づけ、「非核港湾」条例は3月15日、事実上廃案となった。
日本の一般港湾に入港する外国軍艦は、ほとんどが米軍艦船である。米国側は、核を含む兵器の配備状況については「肯定も否定もしない」ことが基本であり、日米安保条約の実施に関する交換公文などでは、米国が日本に核兵器を持ち込む場合には、事前協議が行われることになっている。つまり、「事前協議がない以上、核持ち込みはあり得ない」というのが、日本政府の原則的な立場だとされてきた。
※ 事前協議: 1960年1月調印の日米安保条約第6条(米軍による施設・区域使用)の実施に関して、両国政府が交わした交換文書で定められた制度。
(1)米軍の配備における重要な変更、(2)日本から行われる戦闘行動のための施設・区域使用、については、日本政府との事前協議が米側に求められている。核兵器の「持ち込み」は、「装備の重要な変更」に当たることが、日米両国間で確認されている。
しかし1999年8月1日付けの新聞報道で、自民党、小渕首相、池田行彦政調会長、野中広務官房長官、高知県議会の自民党員らは皆嘘をついていたことが明らかになった。「非核三原則」はごまかしで、国民を騙すための虚構に過ぎなかったことが暴露されたのである。日本政府がすでに36年前、核兵器の持ち込みを米国に容認していたことを記す京都新聞の記事を以下に紹介する。
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63年、ライシャワー駐日大使との会談で核搭載した米艦の寄港、大平外相が了承
(1999年8月1日、京都新聞)
日米安保条約改定から3年後の1963年、大平正芳外相(当時)がライシャワー米駐日大使(同)との会談で、「日本の領海や港内の艦船上の核は持ち込みには当たらない」との見解を示し、核兵器を搭載した米艦船の寄港や領海内の通過を直接了承していたことが31日、米側の外交文書で明らかになった。文書はライシャワー大使がラスク国務長官(同)にあてた63年4月4日付の電文で、大使公邸で同日開かれた大平外相との会談が5ページにわたり記載されている。
核搭載艦をめぐる疑惑は、日本側が寄港を認めていたとする81年の「ライシャワー発言」やほかの米側文書などでこれまで指摘されてきたが、日米間で「持ち込み」の解釈を定着させ、寄港容認の流れをつくったとされる大平・ライシャワー会談の交渉記録が見つかったのは初めて。
「条約に基づく事前協議がない限り、持ち込みはない」とする従来の政府見解を真っ向から否定する内容で、今後、核持ち込みをめぐる論議を再燃させるのは必至だ。
九州大の管英輝教授(国際政治学)が昨年10月、米国立公文書館で機密指定が解除されたのを受け、発見した。
会談でライシャワー大使は、原子力潜水艦の寄港をめぐる当時の国会答弁を念頭に「日米の防衛関係を左右する重要な問題に見解のズレが生じている」と懸念を表明。対ソ戦略上、核の存在を肯定も否定もしない政策を強調しながら、日本語の「持ち込む」はあくまで陸上への配備・貯蔵を意味する英語の「イントロデュース」に当たるという米側の解釈を披露した。
これに対し、大平外相は「その解釈だと、『イントロデュース』は日本の領海や港内の艦船に積まれた核には当てはまらない」として、米側の解釈を受け入れる意向を表明、事前協議の対象をあくまで核の陸上配備に限り、核搭載艦の寄港や通過を認めた。
ライシャワー大使によると、大平外相は当初、「イントロデュース」と米側が使うときの意味を理解していなかったが、米側の解釈に驚かず、平然とした態度を見せたという。
両者は60年1月の安保改定時の両国間の交換公文や「機密記録」を再検討しながら、突然の意味の修正や日本政府の見解の変更は不必要な反応を招くという点で一致。外相は、自身やほかの政府首脳が「イントロデュース」に対応する言葉として「持ち込む」を継続的に使用することに同意した。
管教授は「日本に寄港する艦船上の核兵器」を主題とした会談直前の国務省関連文書も発見。63年の国会で原子力潜水艦の寄港をめぐり政府が「核装備艦船の入港はあり得ない」などと答弁したことに、米側が危惧を抱いたと見られる。
<< 「持ち込む」の解釈 からくり暴露 >>
1963年4月の大平正芳外相(当時)とのやりとりを記した「ライシャワー電文」は、日本政府が「事前協議がない限り、核の持ち込みはない」との姿勢を貫くことで、米国と共同で演出してきた非核の“虚構”を突き崩した。同時に日本側が核搭載艦の寄港を認めていたとする81年の「ライシャワー発言」を公に裏付けた。
「持ち込む」を核兵器の陸上への配備・貯蔵を意味する「イントロデュース」と狭義に解釈することで、寄港や通過は事前協議に含まれないことで米側と一致。一方、国民に対しては、通過も含んでいるかのような広義の解釈を示してきた日本政府の二重基準のからくりが、電文で浮き彫りにされた。
周辺事態法の成立で、日本周辺の武力紛争など「周辺事態」が発生した場合に、自衛隊が後方地域で米軍を支援することが可能になったほか、国は地方自治体や民間にも協力要請できることになった。「安保」が身近になる中、政府はいつまで二重基準を国民に強弁できるのか。
ライシャワー発言は「一民間人の話」(当時のマンスフィールド大使)と片づけられたが、今回発見された米国務長官あてのライシャワー電文は、米政府首脳に交渉の経過が報告されていたことを示しており、過去の核寄港疑惑を不動の事実に変える直接証拠になりえる。
<< 知日派の手腕発揮 >>
1963年4月の「ライシャワー電文」に記録された大平正芳外相(当時)とライシャワー大使(同)の会談は、同年1月に同大使が原子力潜水艦の寄港を日本政府に申し入れたのが直接の引き金だった。
国会では以降、寄港に反対する野党と政府の間で激しい論戦が繰り広げられ、池田勇人首相らが「核搭載潜水艦の寄港は認められない」などと答弁。こうした事態に危惧を抱き、日米間の解釈の「ズレ」を埋めようとしたのが、米国きっての知日派で知られる同大使だった。
そうした中での核搭載艦寄港をめぐる亀裂の表面化。電文は安保改定交渉大詰めの60年1月6日の協議内容を記した「機密記録」の存在を指摘しているが、大使は外相にこれを見せながら、前任者から引き継いだ「持ち込み」の米側解釈を堅持した。
電文の最後で、大使は、米側の解釈に同意した大平外相の日本政府での立場に配慮を示しながら「(会談内容が)漏洩するリスクがある。しかし、こうしたリスクはわれわれが沈黙を保つことで生じるリスクに比べて小さい」と記している。
<< 日本政府首脳の発言 >>
核兵器の持ち込みに関する日本政府首脳の主な発言は以下の通り(肩書は当時)。
◎ 岸信介首相 核兵器を持ち込んでいないことは米当局もたびたび声明しているので、核兵器を装備した艦隊が日本に入っていることはないと信ずる。(1960年2月8日の衆院予算委)
◎ 赤城宗徳防衛庁長官 日本の港にいる時には(米)第7艦隊といえども核装備は事前協議の対象となる。(1960年4月19日の衆院安保特別委)
◎ 池田勇人首相 (ポラリス型潜水艦の寄港を断るのは)核兵器を装備しているから。核装備とは核弾頭を持つということ。(1963年3月2日の衆院予算委)
◎ 佐藤栄作首相 平和憲法と核に対する三原則を考慮しつつ、安全保障問題と取り組みたい。(1967年12月11日の衆院予算委)
◎ 園田直外相 ライシャワー氏の個人的発言で、そうした(持ち込みの)事実はない。核の持ち込み、領海通過、寄港を含めて事前協議の対象となっている。(1981年5月18日の外相就任会見)
◎ 村山富市首相 日米安保条約の規定を踏まえ必ず米国から申し入れがあると思う。日米には信頼関係が確立されており、そういう(持ち込みの)疑念と心配はない(1995年5月18日の衆院予算委)
◎ 高村正彦外相 わが国は非核三原則を天下に鮮明にしており、相手国はそれを知って寄港を求めてくる。(1999年3月16日の衆院予算委)