No.308 米軍基地反対の戦いは世界の平和を守る重要課題

今回は、1999年7月18日沖縄県那覇市で開かれた「米軍基地反対国際交流のつどい」(沖縄県那覇市)での報告をお送りします。

米軍基地反対の戦いは世界の平和を守る重要課題
新原 昭治

1 ソ連崩壊後も世界各国に置かれ続ける米軍基地

今年は、ベルリンの壁の崩壊からちょうど10年になる。その年、1989年12月には、マルタでの米ソ首脳会談でブッシュ米大統領は「冷戦の終結」を宣言した。

耕助: 旧ソ連が東ヨーロッパの衛星国に対する覇権を放棄した時、冷戦が終結した。一方、米国はその後も日本、韓国など、冷戦時の衛星国に対する支配を続けている。

しかし、この10年間の経過と今日の現実が明らかにしているように、米国が冷戦政策の主要な手段としてきた海外米軍基地の存在には、終止符が打たれなかった。米国内とヨーロッパである程度の基地縮小はなされたが、全世界的な米軍の前進配備態勢は変わることなく続けられている。そして、これは、米国が世界唯一の超大国になったもとでの米国の海外干渉政策のための即応戦力を形成している。

米国の軍事基地は、いま世界の40近い国と地域に置かれている。そして、26万人以上の米兵が常時、これらの外国の領土内の基地や領海内にとどまっている。

米国政府は、21世紀においても海外での米軍常駐態勢を世界戦略の重要な柱として維持することを基本政策にしている。今年(1999年)の米国防報告は、米軍の「全地球的関与」の必要を強調し、「あらゆる形態の軍事作戦を行う」ことができるよう海外米軍基地態勢の効果を常に高めなければならないと述べている。そこには、特殊部隊のような謀略的に外国政府を転覆することも含むいわゆる「低水準戦争遂行能力」から、精密誘導ミサイルや核兵器など最新鋭の殺戮手段に至るあらゆる戦争手段が、高度の待機態勢のもとでつねに展開されている。米国の海外米軍基地態勢は、米国だけが持つ、まさに全世界的な常時戦争体制というべき存在である。

それは同時に、かつてなく長期にわたり地球的規模で展開され続けている、世界史上も前例のない超大国軍隊の海外常駐体制である。この点で、米軍基地態勢は、基地が置かれた国の国民に対し「新しい植民地主義」として民族抑圧の役割をも果たしている。

米国防総省が公表した(今のところ)最新の1995年現在の米軍基地リストによれば、米本国の外に合計で68箇所に最重要拠点基地があるが、この中で沖縄を含む日本にある最重要拠点基地の数は13箇所に達していて、第2位のドイツの10箇所を抜き、世界各国のトップを占めている。この事実は、日本が、米国の軍事干渉のための最大の軍事干渉センター、戦争センターになっていることを裏付けている。

日本が対米追随の自民党政府のもとで世界最大の「米軍基地国家」となっていることは、アジアと世界の平和に重大な脅威を与えるものであり、再び日本の国土から侵略戦争を許さないという大多数の日本国民の決意を踏みにじるものである。私たちは一日も早く、沖縄をはじめ日本からの米軍基地の全面撤去と、基地存続の法的基礎である日米安保条約の廃棄が実現することを心から願っている。

2 米国の対外軍事干渉政策と米軍基地

米国政府と米軍は、海外における米軍基地の存在を、平和と安全のためになくてはならないものと述べている。

たとえば、1995年の米国防総省の「東アジア戦略報告」は、日本をはじめとしたこの地域に、10万の米軍を置き続けなければならないと述べるとともに、米軍の駐留を「酸素」にたとえた。これほどの偽善、これほどの虚構はない。

米軍が世界各地に軍事基地を常駐させている理由は、米国の先制攻撃戦略と軍事干渉戦略に使うためにほかならない。

そのことは、去る3月下旬から6月上旬にかけての米軍とNATO軍の対ユーゴスラビア戦争で示された。ユーゴが対外侵略したのでもないのに、米国とNATOは、国連安保理事会にも提起せず、国連憲章下の世界平和のための根本原則を踏みにじって、他国の内政に公然と干渉し、ほぼ80日間にわたる侵略戦争を行った。

在外米軍基地は、他国に対する干渉戦争の出撃拠点として利用され続けている。

しかも対外干渉戦争のための基地利用は、基地周辺の住民に深刻な被害や不安を引き起こしている。

ユーゴに対する今回の戦争のために、イタリアなど約10ヵ国の飛行場と港湾が攻撃基地として利用された。とくにイタリアやギリシャでは、民間空港や民間港湾までが軍事利用され、民間目的の利用が差し止められたところも少なくなかった。アドリア海はNATO軍機の帰投の際の未使用爆弾の投棄海域に密かに指定されたため、イタリアの漁民がクラスター爆弾を漁網に捕え、その爆発により重軽傷者を出すという悲劇まで起きた。

わが国でも、ベトナム侵略戦争の際、沖縄と日本本土の米軍基地は、ベトナムの戦場に直結した出撃・補給・救難のための最大の前進拠点と化した。首都東京の横田米空軍基地には連日ベトナムで負傷した米兵が運び込まれ、東京湾の入り口にある横須賀米海軍基地からは空母などがトンキン湾に直行した。沖縄の嘉手納基地からは当時、3分に1機の割合で米軍機が飛び立ち、核兵器弾薬庫のすぐそばでB52爆撃機が炎上するという事故まで発生した。B52爆撃機は、この沖縄から30トン近い爆弾を満載して、ベトナムへの爆撃を繰り返した。当時、米太平洋軍司令官は、もし沖縄がなかったらベトナム戦争はできなかっただろうと述懐したほどである。

耕助: これは明らかに憲法違反である。殺人や窃盗、その他いかなる犯罪でもそれを幇助し、有形、無形にかかわらず他人の犯罪の遂行に便宜を図れば、それは共犯であり罪に問われる。同様に、国際紛争を解決するために米国が武力を使うのを援助すれば、憲法9条に明らかに違反する。

最近、日本政府は米国政府との間に、アジア太平洋地域で米国が起こす戦争に日本が全面的に支援し参戦するための日米軍事協力の新ガイドラインを作った。これによって、今後は、在日米軍基地だけでなく、米国の戦争に日本の自衛隊から一連の公共施設、あるいは民間の人材や施設までが戦争動員される法的しくみが作られた。これは、ユーゴ空爆のさなかに、ワシントンで開かれたNATO首脳会議が、新しい戦略概念を採択して、NATO領域の外部でも、他国の主権に拘泥せず、国連を無視してでも軍事行動を行うとの路線を決定したこととそっくり共通する危険な動きである。

これによって、今後は、米軍基地が干渉戦争の出撃拠点として利用される危険に加えて、日本自身が米国の干渉戦争の参戦国にされる現実的危険に直面している。この点でも、米軍基地の存在は、同盟国の戦争動員の最大のテコとしての新たな重大な役割を演じようとしている。

耕助: 繰り返す。これは明らかに憲法違反である。殺人や窃盗、その他いかなる犯罪でもそれを幇助し、有形、無形にかかわらず他人の犯罪の遂行に便宜を図れば、それは共犯であり罪に問われる。同様に、国際紛争を解決するために米国が武力を使うのを援助すれば、憲法9条に明らかに違反する。

3 沖縄をはじめ日本の米軍基地の特別の危険性

過去100年、アジアの中で日本は侵略と軍事干渉の策源地として、アジア諸国人民に対して犯罪的な役割を演じてきている。

19世紀末から1945年まで日本の軍国主義者は、さまざまな口実を設けてアジア諸国に対し侵略戦争を強行し、植民地支配を行った。第二次世界大戦後、日本を占領支配することとなった米軍は、日本を従属させながら、日本を基地としてアジアに対する干渉戦略を一貫してとってきた。この汚辱に満ちた100年の歴史に終止符を打って、多数の日本国民が願うようにアジア諸国の主権を尊重し、対等・平等・内政不干渉・軍事力不行使の原則に立って、平和なアジアの実現のために、日本は積極的な役割を果たさなければならない。もちろん米国の覇権主義に反対するだけでなく、私たちは日本軍国主義復活も許さない。しかし、米国の干渉戦略に追随してこれに全面的支持を与える自民党政府のもとで、日本国民のこのような切実な平和への願いは妨げられている。

日本は、1945年8月の米軍機による広島、長崎への原爆投下により世界最初の核兵器被爆国となったが、日本政府はその対米追随政策により、日本国民が望む核兵器のすみやかな廃絶にも、核兵器使用禁止条約の締結にも、国連で常に否定的態度をとっている。

在日米軍基地への日本政府の政治的財政的な支援もまた、驚くべき記録を作っており、世界に並ぶ国がない。1997年の日本政府の在日米軍基地維持のための費用分担は、49億ドルに達しており(米国務省データ。「同盟国の分担に関する報告書」1999年3月)、世界各国のトップである。これを在日米軍兵士1人当たりに換算すると、12万2,500ドルであり、日本円で実に1,500万円を超える。福祉予算の削減や、巨額の大衆課税の強化が勤労者家庭の家計を苦しめているさなかに、こうした膨大な費用分担まで行って日本に米軍を常駐させている日本政府の行為は、米国の干渉戦略への底なしの協力のもう一つの実例にほかならない。

耕助: 日本が在日米軍兵士1人当たり負担している1,500万円という金額を、以下の数字と比べて欲しい。また、高齢化社会へ向かうという中で、自民党政府は医療費や他の福祉まで削減しているのである。

◇ 社会保障関係費

16,094,956百万円/1億2,500万人=国民一人当たり13万円

◇ 雇用対策費

5,000億円/70万人=新規雇用者一人当たり71万円

基地費用分担と一体の日本政府の米軍基地全面支持政策の結果、日本は、世界でただ一国、米海兵隊師団と米海兵隊航空団の常駐基地となっている。沖縄には、これも世界でたった一つのジャングル戦闘の広大な演習場があって、「第三世界村」と称する模擬の敵陣まで作り、米海兵隊が襲撃訓練を行っている。

日本はまた、米空母と米強襲揚陸艦の海外で唯一の母港となっている。昨年8月の米会計検査院の報告書は、もし神奈川県横須賀に米空母母港がなかったら、米海軍は常時6隻の原子力空母を米本国に常備しなければ、現在の戦力水準が保たれなかっただろうと指摘した。今日、米海軍は空母12隻体制をとっているから、もし日本に空母の母港がなかったら、いまの一倍半の17隻か18隻の空母がなければならなかったというわけである。

こうして、米国の軍事干渉戦略の中で日本の米軍基地は、特別の危険な役割を帯びており、侵攻目的の軍事力に特に重点をおいた配置となっている。

現に日本は、3年前、台湾海峡での軍事緊張をあおる米国の中国への介入作戦でも軍事拠点の役割を果たした。この干渉行動は、米国政府が再び「台湾関係法」によって介入を繰り返そうとするなら、いつでも再現される危険がある。

北朝鮮への軍事介入でも似たことがいえる。94年6月の米軍による北朝鮮軍事制裁の動きの中で、日本の民間港湾や民間空港の軍事的利用をはじめとした攻撃拠点としての日本全土の利用が米国によって画策された。当時の、米国の要請にもとづく日米両政府間の軍事協力の密議が、その後の日米軍事協力の新ガイドライン具体化へとつながったことは公然の秘密である。

ペルシャ湾方面に対して、米軍はこの瞬間も引き続き国連安保理決議にいかなる根拠もない一方的なイラク爆撃をつづけている。これにも在日米軍が参加している。

それに加えて、インドネシアなど東南アジアの政治的不安定状況に対し、沖縄をはじめとする在日米軍基地が軍事干渉を行っている。昨年5月のインドネシアのスハルト体制崩壊の際、デモ鎮圧に従事してきたインドネシア国軍特殊部隊への現地訓練任務に就いていた米陸軍特殊部隊が、突如として嘉手納基地経由で沖縄の読谷村トリイ・ステイションに引き揚げてきて、沖縄のグリーン・ベレー部隊の暗躍ぶりが、私たちを驚かせた。

わが国の米軍基地への密かな核兵器持ち込みの疑惑も、今日的な重大問題である。わが国での非核港湾の先例を切り開いた神戸市に見習おうとする高知など各地の動きに対し、日本政府は必死になってこれを未然に阻止する策動を行った。それは、ブッシュ政権時代に行われた海外からの戦術核兵器引き揚げ発表後も、米国が危機や戦時に際して日本を含む海外基地に対する核兵器の有事再持ち込み体制をとり続けていることと、深く関係している。米国は今日も先制核使用政策を堅持しているが、そのことと海外への有事持ち込み体制は、表裏一体の関係にある。

耕助: 核の持ち込みに関する日米合意については、前回の「日本政府の虚構」(NO.307)を参照されたい。

4 米軍基地撤去、日米安保条約廃棄の国民多数派を ― 基地反対の国際連帯を

米国の独立革命の理念を広めたトマス・ペインは、その著『コモン・センス』(1776年)で、当時、米国の人民がイギリスに従属し続けるなら、イギリスが起こす戦争に否応なしに参戦させられることになり、各国国民との平和的関係実現の願いも踏みにじられると批判し、イギリスとの従属的同盟の解消と米国の独立を主張した。

「イギリスとの結合から受ける損失や不利益は測りしれない。・・・・なぜならいささかでもイギリスに従属したり、依存したりしていると、〔アメリカ〕大陸はただちにヨーロッパの戦争や紛争に巻き込まれるからだ。そればかりではない、本来われわれに友好を求めている国民と、またわれわれが怒りも不満も抱いていない国民と不和になるからだ。」

(小松春雄訳・岩波文庫49ページ)

イギリスが起こす戦争に巻き込まれる対英従属の歴史を断つべきだという訴えは、米国の人民の心をとらえ、理想ではあったが不可能に思えた独立を実現させる力となった。2世紀前の『コモン・センス』のこの文章のイギリスを今日の「米国」と読み替え、米国をいまの「日本」と読み替えれば、日米間の危険な従属的戦争同盟がもたらす不吉な運命と同じではないか。

今から36年前の1963年、私は東京から取材のため初めて沖縄を訪れた。全面占領下の沖縄に入るためには、米軍当局発行のビザをとらなければならなかった。それは、いまだ忘れることのできない屈辱の記憶である。沖縄県民の祖国復帰の粘り強い運動は、本土の民主勢力の戦いと結んで、ついに不当な分断に終止符を打ち、祖国復帰を勝ち取った。もしあの祖国復帰という、条約にも約束されない理想を勝ち取るためにあの時戦わなかったら、今こうして日本全国の代表が海外からの代表とともに重要な国際交流の集いをここ沖縄で開くことも、不可能であっただろう。

私たちは、国際的な歴史的経験や日本国民自身の米軍支配反対・基地反対の戦いの伝統に深く学んで、米軍基地のない日本実現の展望への深い確信を持ち、この目標を一日も早く実現できるよう、さらに奮闘しようではないか。

最近の米海兵隊の雑誌『マリン・コー・ガゼット』(1999年4月号)で、米国防総省の当局者が、沖縄をはじめ日本の米軍基地の将来への危惧を表明しているのを読んだ。論文は、過去50年日本に駐留することができたが、これは今後も続くだろうかとして、「海外での駐留は決して当たり前のことと見なしてはならない」と自問自答している。その証明として、二つの事実を挙げている。一つはフィリピンから米軍基地が追い出されたこと。もう一つは、「今日、日本ではわれわれの駐留の根拠を疑問視する有力な意見が多くあがっている」ことである。日本国民の米軍基地反対の世論と運動の今後に不安をあらわにしているわけだ。

日本国民の米軍基地撤去の戦い、日米安保条約廃棄の運動は、アジアにおける干渉戦争センターの日本からの撤去という道理の通った戦いであり、日本の主権の回復、真の独立の実現という筋道にそった正義の運動である。道理があり、歴史の発展に合致しているわれわれの運動は、必ずや勝利することはまちがいない。

現にこの沖縄でも、さまざまの曲折はあっても、県民の圧倒的多数が米軍基地がなくなることをますます強く望んでいる。

日本国内で、私たちは、この流れに確信を持ちながら、米軍基地撤去、日米安保条約廃棄実現を自覚的に求める国民多数派を、可能な限り早く作り出そうではないか。こうして、日米軍事同盟に終止符を打つ国民の現実的な政治力を作り出そうではないか。

国際的には、今日の国際交流の集いを新たな一歩に、米軍基地反対のための国際的な連帯を、さまざまな形で大いに発展させることを、心から希望する。昨年(1998年)4月、日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会とボストン沖縄ネットワークが共催した在日米軍基地撤去のための「ボストン・シンポジウム」は、こうした国際交流の発展に大きく貢献した。その記録を読ませてもらって、深い感銘を受けた。

私は最後に、米軍基地をめぐる苦痛の体験と戦いの経験から学び合いながら、米国政府の軍事干渉政策の出撃拠点を、各国からなくし世界からなくしていくために、また主権尊重と内政不干渉・武力不行使の世界平和のルールの蹂躙を許さずこれを取り戻すために、国際的な共同の努力を強めることを、世界の友人たちに呼びかけたい。

※ 著者の新原昭治氏は、日本共産党国際委員会責任者である。

[Dateline Tokyo July 1999に掲載された英文の日本語原文に相当する。ジャパン・プレス・サービスの許可を得て転載]”米軍基地反対の戦いは世界の平和を守る重要課題
新原 昭治

1 ソ連崩壊後も世界各国に置かれ続ける米軍基地

今年は、ベルリンの壁の崩壊からちょうど10年になる。その年、1989年12月には、マルタでの米ソ首脳会談でブッシュ米大統領は「冷戦の終結」を宣言した。

耕助: 旧ソ連が東ヨーロッパの衛星国に対する覇権を放棄した時、冷戦が終結した。一方、米国はその後も日本、韓国など、冷戦時の衛星国に対する支配を続けている。

しかし、この10年間の経過と今日の現実が明らかにしているように、米国が冷戦政策の主要な手段としてきた海外米軍基地の存在には、終止符が打たれなかった。米国内とヨーロッパである程度の基地縮小はなされたが、全世界的な米軍の前進配備態勢は変わることなく続けられている。そして、これは、米国が世界唯一の超大国になったもとでの米国の海外干渉政策のための即応戦力を形成している。

米国の軍事基地は、いま世界の40近い国と地域に置かれている。そして、26万人以上の米兵が常時、これらの外国の領土内の基地や領海内にとどまっている。

米国政府は、21世紀においても海外での米軍常駐態勢を世界戦略の重要な柱として維持することを基本政策にしている。今年(1999年)の米国防報告は、米軍の「全地球的関与」の必要を強調し、「あらゆる形態の軍事作戦を行う」ことができるよう海外米軍基地態勢の効果を常に高めなければならないと述べている。そこには、特殊部隊のような謀略的に外国政府を転覆することも含むいわゆる「低水準戦争遂行能力」から、精密誘導ミサイルや核兵器など最新鋭の殺戮手段に至るあらゆる戦争手段が、高度の待機態勢のもとでつねに展開されている。米国の海外米軍基地態勢は、米国だけが持つ、まさに全世界的な常時戦争体制というべき存在である。

それは同時に、かつてなく長期にわたり地球的規模で展開され続けている、世界史上も前例のない超大国軍隊の海外常駐体制である。この点で、米軍基地態勢は、基地が置かれた国の国民に対し「新しい植民地主義」として民族抑圧の役割をも果たしている。

米国防総省が公表した(今のところ)最新の1995年現在の米軍基地リストによれば、米本国の外に合計で68箇所に最重要拠点基地があるが、この中で沖縄を含む日本にある最重要拠点基地の数は13箇所に達していて、第2位のドイツの10箇所を抜き、世界各国のトップを占めている。この事実は、日本が、米国の軍事干渉のための最大の軍事干渉センター、戦争センターになっていることを裏付けている。

日本が対米追随の自民党政府のもとで世界最大の「米軍基地国家」となっていることは、アジアと世界の平和に重大な脅威を与えるものであり、再び日本の国土から侵略戦争を許さないという大多数の日本国民の決意を踏みにじるものである。私たちは一日も早く、沖縄をはじめ日本からの米軍基地の全面撤去と、基地存続の法的基礎である日米安保条約の廃棄が実現することを心から願っている。

2 米国の対外軍事干渉政策と米軍基地

米国政府と米軍は、海外における米軍基地の存在を、平和と安全のためになくてはならないものと述べている。

たとえば、1995年の米国防総省の「東アジア戦略報告」は、日本をはじめとしたこの地域に、10万の米軍を置き続けなければならないと述べるとともに、米軍の駐留を「酸素」にたとえた。これほどの偽善、これほどの虚構はない。

米軍が世界各地に軍事基地を常駐させている理由は、米国の先制攻撃戦略と軍事干渉戦略に使うためにほかならない。

そのことは、去る3月下旬から6月上旬にかけての米軍とNATO軍の対ユーゴスラビア戦争で示された。ユーゴが対外侵略したのでもないのに、米国とNATOは、国連安保理事会にも提起せず、国連憲章下の世界平和のための根本原則を踏みにじって、他国の内政に公然と干渉し、ほぼ80日間にわたる侵略戦争を行った。

在外米軍基地は、他国に対する干渉戦争の出撃拠点として利用され続けている。

しかも対外干渉戦争のための基地利用は、基地周辺の住民に深刻な被害や不安を引き起こしている。

ユーゴに対する今回の戦争のために、イタリアなど約10ヵ国の飛行場と港湾が攻撃基地として利用された。とくにイタリアやギリシャでは、民間空港や民間港湾までが軍事利用され、民間目的の利用が差し止められたところも少なくなかった。アドリア海はNATO軍機の帰投の際の未使用爆弾の投棄海域に密かに指定されたため、イタリアの漁民がクラスター爆弾を漁網に捕え、その爆発により重軽傷者を出すという悲劇まで起きた。

わが国でも、ベトナム侵略戦争の際、沖縄と日本本土の米軍基地は、ベトナムの戦場に直結した出撃・補給・救難のための最大の前進拠点と化した。首都東京の横田米空軍基地には連日ベトナムで負傷した米兵が運び込まれ、東京湾の入り口にある横須賀米海軍基地からは空母などがトンキン湾に直行した。沖縄の嘉手納基地からは当時、3分に1機の割合で米軍機が飛び立ち、核兵器弾薬庫のすぐそばでB52爆撃機が炎上するという事故まで発生した。B52爆撃機は、この沖縄から30トン近い爆弾を満載して、ベトナムへの爆撃を繰り返した。当時、米太平洋軍司令官は、もし沖縄がなかったらベトナム戦争はできなかっただろうと述懐したほどである。

耕助: これは明らかに憲法違反である。殺人や窃盗、その他いかなる犯罪でもそれを幇助し、有形、無形にかかわらず他人の犯罪の遂行に便宜を図れば、それは共犯であり罪に問われる。同様に、国際紛争を解決するために米国が武力を使うのを援助すれば、憲法9条に明らかに違反する。

最近、日本政府は米国政府との間に、アジア太平洋地域で米国が起こす戦争に日本が全面的に支援し参戦するための日米軍事協力の新ガイドラインを作った。これによって、今後は、在日米軍基地だけでなく、米国の戦争に日本の自衛隊から一連の公共施設、あるいは民間の人材や施設までが戦争動員される法的しくみが作られた。これは、ユーゴ空爆のさなかに、ワシントンで開かれたNATO首脳会議が、新しい戦略概念を採択して、NATO領域の外部でも、他国の主権に拘泥せず、国連を無視してでも軍事行動を行うとの路線を決定したこととそっくり共通する危険な動きである。

これによって、今後は、米軍基地が干渉戦争の出撃拠点として利用される危険に加えて、日本自身が米国の干渉戦争の参戦国にされる現実的危険に直面している。この点でも、米軍基地の存在は、同盟国の戦争動員の最大のテコとしての新たな重大な役割を演じようとしている。

耕助: 繰り返す。これは明らかに憲法違反である。殺人や窃盗、その他いかなる犯罪でもそれを幇助し、有形、無形にかかわらず他人の犯罪の遂行に便宜を図れば、それは共犯であり罪に問われる。同様に、国際紛争を解決するために米国が武力を使うのを援助すれば、憲法9条に明らかに違反する。

3 沖縄をはじめ日本の米軍基地の特別の危険性

過去100年、アジアの中で日本は侵略と軍事干渉の策源地として、アジア諸国人民に対して犯罪的な役割を演じてきている。

19世紀末から1945年まで日本の軍国主義者は、さまざまな口実を設けてアジア諸国に対し侵略戦争を強行し、植民地支配を行った。第二次世界大戦後、日本を占領支配することとなった米軍は、日本を従属させながら、日本を基地としてアジアに対する干渉戦略を一貫してとってきた。この汚辱に満ちた100年の歴史に終止符を打って、多数の日本国民が願うようにアジア諸国の主権を尊重し、対等・平等・内政不干渉・軍事力不行使の原則に立って、平和なアジアの実現のために、日本は積極的な役割を果たさなければならない。もちろん米国の覇権主義に反対するだけでなく、私たちは日本軍国主義復活も許さない。しかし、米国の干渉戦略に追随してこれに全面的支持を与える自民党政府のもとで、日本国民のこのような切実な平和への願いは妨げられている。

日本は、1945年8月の米軍機による広島、長崎への原爆投下により世界最初の核兵器被爆国となったが、日本政府はその対米追随政策により、日本国民が望む核兵器のすみやかな廃絶にも、核兵器使用禁止条約の締結にも、国連で常に否定的態度をとっている。

在日米軍基地への日本政府の政治的財政的な支援もまた、驚くべき記録を作っており、世界に並ぶ国がない。1997年の日本政府の在日米軍基地維持のための費用分担は、49億ドルに達しており(米国務省データ。「同盟国の分担に関する報告書」1999年3月)、世界各国のトップである。これを在日米軍兵士1人当たりに換算すると、12万2,500ドルであり、日本円で実に1,500万円を超える。福祉予算の削減や、巨額の大衆課税の強化が勤労者家庭の家計を苦しめているさなかに、こうした膨大な費用分担まで行って日本に米軍を常駐させている日本政府の行為は、米国の干渉戦略への底なしの協力のもう一つの実例にほかならない。

耕助: 日本が在日米軍兵士1人当たり負担している1,500万円という金額を、以下の数字と比べて欲しい。また、高齢化社会へ向かうという中で、自民党政府は医療費や他の福祉まで削減しているのである。

◇ 社会保障関係費

16,094,956百万円/1億2,500万人=国民一人当たり13万円

◇ 雇用対策費

5,000億円/70万人=新規雇用者一人当たり71万円

基地費用分担と一体の日本政府の米軍基地全面支持政策の結果、日本は、世界でただ一国、米海兵隊師団と米海兵隊航空団の常駐基地となっている。沖縄には、これも世界でたった一つのジャングル戦闘の広大な演習場があって、「第三世界村」と称する模擬の敵陣まで作り、米海兵隊が襲撃訓練を行っている。

日本はまた、米空母と米強襲揚陸艦の海外で唯一の母港となっている。昨年8月の米会計検査院の報告書は、もし神奈川県横須賀に米空母母港がなかったら、米海軍は常時6隻の原子力空母を米本国に常備しなければ、現在の戦力水準が保たれなかっただろうと指摘した。今日、米海軍は空母12隻体制をとっているから、もし日本に空母の母港がなかったら、いまの一倍半の17隻か18隻の空母がなければならなかったというわけである。

こうして、米国の軍事干渉戦略の中で日本の米軍基地は、特別の危険な役割を帯びており、侵攻目的の軍事力に特に重点をおいた配置となっている。

現に日本は、3年前、台湾海峡での軍事緊張をあおる米国の中国への介入作戦でも軍事拠点の役割を果たした。この干渉行動は、米国政府が再び「台湾関係法」によって介入を繰り返そうとするなら、いつでも再現される危険がある。

北朝鮮への軍事介入でも似たことがいえる。94年6月の米軍による北朝鮮軍事制裁の動きの中で、日本の民間港湾や民間空港の軍事的利用をはじめとした攻撃拠点としての日本全土の利用が米国によって画策された。当時の、米国の要請にもとづく日米両政府間の軍事協力の密議が、その後の日米軍事協力の新ガイドライン具体化へとつながったことは公然の秘密である。

ペルシャ湾方面に対して、米軍はこの瞬間も引き続き国連安保理決議にいかなる根拠もない一方的なイラク爆撃をつづけている。これにも在日米軍が参加している。

それに加えて、インドネシアなど東南アジアの政治的不安定状況に対し、沖縄をはじめとする在日米軍基地が軍事干渉を行っている。昨年5月のインドネシアのスハルト体制崩壊の際、デモ鎮圧に従事してきたインドネシア国軍特殊部隊への現地訓練任務に就いていた米陸軍特殊部隊が、突如として嘉手納基地経由で沖縄の読谷村トリイ・ステイションに引き揚げてきて、沖縄のグリーン・ベレー部隊の暗躍ぶりが、私たちを驚かせた。

わが国の米軍基地への密かな核兵器持ち込みの疑惑も、今日的な重大問題である。わが国での非核港湾の先例を切り開いた神戸市に見習おうとする高知など各地の動きに対し、日本政府は必死になってこれを未然に阻止する策動を行った。それは、ブッシュ政権時代に行われた海外からの戦術核兵器引き揚げ発表後も、米国が危機や戦時に際して日本を含む海外基地に対する核兵器の有事再持ち込み体制をとり続けていることと、深く関係している。米国は今日も先制核使用政策を堅持しているが、そのことと海外への有事持ち込み体制は、表裏一体の関係にある。

耕助: 核の持ち込みに関する日米合意については、前回「日本政府の虚構」(NO.307)を参照されたい。

4 米軍基地撤去、日米安保条約廃棄の国民多数派を ― 基地反対の国際連帯を

米国の独立革命の理念を広めたトマス・ペインは、その著『コモン・センス』(1776年)で、当時、米国の人民がイギリスに従属し続けるなら、イギリスが起こす戦争に否応なしに参戦させられることになり、各国国民との平和的関係実現の願いも踏みにじられると批判し、イギリスとの従属的同盟の解消と米国の独立を主張した。

「イギリスとの結合から受ける損失や不利益は測りしれない。・・・・なぜならいささかでもイギリスに従属したり、依存したりしていると、〔アメリカ〕大陸はただちにヨーロッパの戦争や紛争に巻き込まれるからだ。そればかりではない、本来われわれに友好を求めている国民と、またわれわれが怒りも不満も抱いていない国民と不和になるからだ。」

(小松春雄訳・岩波文庫49ページ)

イギリスが起こす戦争に巻き込まれる対英従属の歴史を断つべきだという訴えは、米国の人民の心をとらえ、理想ではあったが不可能に思えた独立を実現させる力となった。2世紀前の『コモン・センス』のこの文章のイギリスを今日の「米国」と読み替え、米国をいまの「日本」と読み替えれば、日米間の危険な従属的戦争同盟がもたらす不吉な運命と同じではないか。

今から36年前の1963年、私は東京から取材のため初めて沖縄を訪れた。全面占領下の沖縄に入るためには、米軍当局発行のビザをとらなければならなかった。それは、いまだ忘れることのできない屈辱の記憶である。沖縄県民の祖国復帰の粘り強い運動は、本土の民主勢力の戦いと結んで、ついに不当な分断に終止符を打ち、祖国復帰を勝ち取った。もしあの祖国復帰という、条約にも約束されない理想を勝ち取るためにあの時戦わなかったら、今こうして日本全国の代表が海外からの代表とともに重要な国際交流の集いをここ沖縄で開くことも、不可能であっただろう。

私たちは、国際的な歴史的経験や日本国民自身の米軍支配反対・基地反対の戦いの伝統に深く学んで、米軍基地のない日本実現の展望への深い確信を持ち、この目標を一日も早く実現できるよう、さらに奮闘しようではないか。

最近の米海兵隊の雑誌『マリン・コー・ガゼット』(1999年4月号)で、米国防総省の当局者が、沖縄をはじめ日本の米軍基地の将来への危惧を表明しているのを読んだ。論文は、過去50年日本に駐留することができたが、これは今後も続くだろうかとして、「海外での駐留は決して当たり前のことと見なしてはならない」と自問自答している。その証明として、二つの事実を挙げている。一つはフィリピンから米軍基地が追い出されたこと。もう一つは、「今日、日本ではわれわれの駐留の根拠を疑問視する有力な意見が多くあがっている」ことである。日本国民の米軍基地反対の世論と運動の今後に不安をあらわにしているわけだ。

日本国民の米軍基地撤去の戦い、日米安保条約廃棄の運動は、アジアにおける干渉戦争センターの日本からの撤去という道理の通った戦いであり、日本の主権の回復、真の独立の実現という筋道にそった正義の運動である。道理があり、歴史の発展に合致しているわれわれの運動は、必ずや勝利することはまちがいない。

現にこの沖縄でも、さまざまの曲折はあっても、県民の圧倒的多数が米軍基地がなくなることをますます強く望んでいる。

日本国内で、私たちは、この流れに確信を持ちながら、米軍基地撤去、日米安保条約廃棄実現を自覚的に求める国民多数派を、可能な限り早く作り出そうではないか。こうして、日米軍事同盟に終止符を打つ国民の現実的な政治力を作り出そうではないか。

国際的には、今日の国際交流の集いを新たな一歩に、米軍基地反対のための国際的な連帯を、さまざまな形で大いに発展させることを、心から希望する。昨年(1998年)4月、日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会とボストン沖縄ネットワークが共催した在日米軍基地撤去のための「ボストン・シンポジウム」は、こうした国際交流の発展に大きく貢献した。その記録を読ませてもらって、深い感銘を受けた。

私は最後に、米軍基地をめぐる苦痛の体験と戦いの経験から学び合いながら、米国政府の軍事干渉政策の出撃拠点を、各国からなくし世界からなくしていくために、また主権尊重と内政不干渉・武力不行使の世界平和のルールの蹂躙を許さずこれを取り戻すために、国際的な共同の努力を強めることを、世界の友人たちに呼びかけたい。

※ 著者の新原昭治氏は、日本共産党国際委員会責任者である。

[Dateline Tokyo July 1999に掲載された英文の日本語原文に相当する。ジャパン・プレス・サービスの許可を得て転載]